EP2-2
「ありがとうございます。」
クロエフは外に出ると、指輪を触りながら言った。
「ランスロット目的地までのナビゲートをお願いしたいんだけど、いいかな?」
指輪の淵の部分が青く光るとランスロットの返事が返ってきた。
「睡眠をとられていませんがよろしいのですか?」
「電車で最初は行ってそこで少し寝ることにするよ。
少ししたらランスロットで移動して間に合うようにしよう。」
「承知しました。」
ランスロットがそういうと指輪があっという間に変形してクロエフの足に装着された。とん、と軽く地面をけるとクロエフの体が浮かび上がる。
「料金は全部デジット先生が負担してくれるっていうから、とりあえず駅まで行くことにしようか。後は駅についてから考えよう。」
クロエフの体は緩やかに下降して地面に着いた。その瞬間にクロエフは地面を蹴って飛び出した。五歩目で
一気に加速すると上空に向かって飛び上がった。風が
音を立てて耳を、体の横を通りすぎていく。何度やっても飽きなさそうだった。エリザベスの部屋から見る
町もなかなか綺麗だったが、町を上から見下ろすというのもそれはそれで楽しいものだった。ランスロットが手伝ってくれているかもしれないが、クロエフは
もう空中で自由に動くことができるようになっていた。駅が近づいてくると、クロエフは減速して駅の
入口の前に降り立った。もう深夜なので駅のところには誰もいなかった。中に入ってイーストエンド行き
の切符を買うと、クロエフはさっさと列車に乗り込んだ。ちらほらと席に座っている人はいるが、大体が酔っているか、眠ってしまっている。クロエフは腕を組んで目をつむると静かに眠りについた。
気が付くとそこには何もなかった。クロエフ自身の体もそこには存在せず、そこにはクロエフの意識だけが存在していた。
『ここはどこだ?何も無い・・・。』
どの方向を向いても視線の先には無限の無の世界が広がっているだけだった。クロエフはこんな場所に
ついて身に覚えがあった。クシャーナと会ったとき、
その時も眠ったと思ったらここにいたのだ。
『ここは亜空間なのか・・・。でもなんで僕がこんなところに・・・?』
『僕に会うためだよ』
後ろから声がしてクロエフは振り返るとクロエフの視界の半分は巨大な有の存在で埋まっていた。後方には無限の無の世界が、正面には際限のない有の世界が
広がっていた。
『君に会うため・・・?君は一体誰なんだい?忘れていたら申し訳ないけど、君みたいな個性的な人には
会ったことがないよ。』
『確かに君に会ったことはないかもしれないけど、
僕はいつでも君のそばにいた。僕は君、君は僕。だから会うなんて表現自体、おかしいんだよ。』
『僕は君みたいな姿をしているとは思わないんだけどね・・・。第一、一人の人間なのに、二つの意識があったらおかしいじゃないか』
『そんなことはわかってるよ。だからそのための
亜空間なんじゃないか。僕は君の意識の中の一部、
深い深い所の君の意識さ。』
『・・・そうなのか、で、君は何か僕に用があるのかな?』
『いいや、君が僕に用があってきたんだ。すでに気づいているんじゃないのかい?僕は君だから君のききたいことがわかるよ、だから答えよう。まずはじめに
君は堕落ではない。会場で選手が堕落化したときに
嫌悪感だけじゃなくて、懐かしさも感じたよね。誰にも言ってないかもしれないけど僕は知ってるのさ。』
『・・・確かに、ジャックに会った時もそうだった。
今日もそうだけど、嫌悪感とは別に探していたものに出会えたようなそんな気がしてしまったんだ。』
『そう言えば、乱壊する歯車、と呼ばれたことがあるよね。』
『うん、今でもあれが誰だったのかはわからないよ。
その乱壊する歯車っていうのは僕のことなんだろう?僕の違和感と何か関係があるのかい?』
『ありと人間がいたとしよう。体積という存在において人間はありに対してだいぶ勝ってるよね。だから
人間はありに対して多少の無理を通すことができる。
例えばありの死ぬか生きるかを決めることができる。
住む場所を限定することだってできる。』
『そうだね・・・それと乱壊する歯車の関係はなんなの?』
『存在の差が開けば開くほど、通せる無理の量は増えていく。全てがかみ合って動いている世界で、歯車たちの連動する世界で、その歯車は乱れ、壊し、ゆがめていく。』
『それは・・・僕がこの世界を乱しているってことでいいのかな。そんなことをしているきはなかったんだけどな・・・。』
『・・・困ったらいつでも僕を呼ぶといい。僕は君だけれど、僕でもある。君が困ったなら僕のやり方で
うまくいくように乱してあげるよ。』
彼の言葉を聞いた後、クロエフの意識は徐々に薄れ始めて行った。眠っているはずなのに、なぜか眠いような感覚に襲われる。意識を保とうとしなければすぐにでも意識が途切れそうになっていた。
『あと・・・一つだけ聞きたいことがあるんだ。
僕が堕落じゃないっていうなら、僕はなんだって言うんだ?まだ違和感は消えてないんだ。』
『それは、今でなくてもいずれ知ることになる。だから・・・今はもう帰って休んだらいい。どうせ亜空間での出来事なんてうっすらと夢のようにしか覚えていないんだから、知る必要はないよ。』
うっすらと目を開くと、そこは列車の中だった。もともと人の少ない車両であったのに、こんな時間にイーストランドに向かって列車に乗る人などいるはずがなかった。電車の中にはクロエフだけが座っていた。
明りの少ない町を列車が通り過ぎていく。まだ日は出ていなかった。
「夢か・・・もう一人の僕と話してるなんて冗談でも
面白くないな・・・。」
はあ、とため息をつくとクロエフは頭をガラスの窓に預けて上を見た。端末を取り出して時間を確認すると
午前三時を回っていた。
「ランスロットそろそろ頼むよ、約束の時間に遅れるのだけはまずいから。」
「承知しました。」
クロエフの足にランスロットが姿を変えて装着される。最寄りの駅に着くと、クロエフは列車を降りて
線路の上に降り立った。手首と足首を軽く回すと、
陸上のスタートのポーズをとる。
「全速で行こう。遠慮はいらないからね。」
「承知ましたした。システムスタンバイ。走行開始まで5、4、3、2、1、開始。」
開始の瞬間にクロエフは右足を前に出した。駅の光だけしかないのではないかという闇の支配した夜に青白い光がこぼれるようにあふれると、クロエフが二歩目を踏み出す時には駅からはるかに遠い所にいた。
十歩も走ると最高速に達し、クロエフは滑るように路線の上を走っていった。さっきまで自分が乗っていた電車を追い抜き、風を切って進んでいく。眼前には
イーストランドの建物が広がっている。その建物の
隙間から一筋の光がクロエフをてらした。どうやら
日が出てきたようだ。
「待ち合わせの時間は10時だから、向こうに着いたら、場所を確認して、ご飯を食べるぐらいの時間はあるかな・・・。でもなあ、イーストエンドは治安が悪いって聞いてるからなあ、うーん。」
体の大きさだけで強さが決まるなんて言う時代はとっくに過ぎているから、見た目だけで強いか弱いか
判断はできないのだが、クロエフは体が大きくて威圧感があるような人は苦手だった。もともと控えめな性格であるがゆえに、そういった輩とかかわる機会も少ないので、イーストエンドでも極力会いたくなかった。
「クロエフ様。微力ではありますが、私に考えがあるのですが・・・。」
ランスロットがそう言いかけた時には、クロエフ達は
無法と暴力の町、イーストランドの果て、イーストエンドの領域へと足を踏み入れていた。徐々に減速しながら町の中に入っていくと、思ったよりもたくさんの建物がイーストエンドにはあった。だがセントラルの建物と比べると、見るからにデザインも耐久力も劣っていそうだ。なんとなく古びた、レトロな感じが町中に漂っている。
「とりあえずごはんでも食べに行こうか。」
クロエフはそういうと、人けのありそうな所へと歩いて行った。
数分後、クロエフはよさげなカフェを見つけたので、
そこに入って朝食をとっていた。クロエフの目の前の席にはクロエフの二倍はあるのではないかという黒いスーツに身を包んだ男がコーヒーをすすりながら
座っていた。
「・・・まあ、確かに、僕が想像してるような余計な目には合わなそうだけど・・・僕たちが悪者みたいだし、さっきから視線がすごい気になるし、何だか別の意味で厄介ごとに巻き込まれそうだよ。」
ランスロットの言った策というのは、ランスロットが
大男の形をしてクロエフとともに行動するというものだった。確かにガラの悪そうなチンピラたちはこちらを見たとしてもすぐに目をそらしてしまって、クロエフが心配しているようなことは怒らず無事にカフェにまでたどり着くことができたが、逆に他の黒い
スーツに身を包む男達にランスロットが目を付けられていた。要は絡まれる相手がよりめんどくさそうになったという事である。
「クロエフ様はご心配なさらず。何かあった場合には
こちらで処理しますので、イーストエンドでの滞在をお楽しみください。」
クロエフは残り二口分ぐらいのサンドイッチを一口でほおばると、喉から出てきそうな不安と一緒に飲み込んだ。何事もなければいいんだけどな、クロエフは
そう思いながらコーヒーに白い粉とミルクを入れた。
コーヒーのカップを口に近づけると、少し変なにおいがしたような気がした。とっさに防衛反応が働いて
口の中に入れるのをクロエフはやめた。そしてランスロットのコーヒーのカップが空になっているのを見ると、クロエフのカップのコーヒーを全てランスロットのコーヒーカップの中に移した。
「僕はいらないや、飲んでよ、ランスロット。」
ランスロットは言われるがままにカップを手に取ると、ぐい、と一気にクロエフのカップに入っていた
コーヒーを飲みほした。
「睡眠薬が中身から検出されました。私のコーヒーと
クロエフ様のコーヒーは同じポットから注がれて、私のコーヒーにこの成分が入っていなかったことを考慮すると、ミルクか塩ですね。」
クロエフは頬杖をついて大きくため息をつくと、店内を見回した。右奥のさっきからこちらの様子をうかがっていた黒スーツの二人組と目が合って、彼らは小さく舌打ちをすると、店長の方をちらっと見てから、
乱暴に店を出て行った。
「・・・店に入った時から、すでに仕掛けられていたのか・・・まあそんなことはどうでもいいか。」
「クロエフ様がお眠りになっても私が敵を制圧するだけなのですが。あの男たちを追いますか、どうしますか?今なら二人とも制圧して連れてきますが。」
クロエフは苦笑すると顔の前で掌をひらひらと振った。
「いいよ、いいよ。そんなことしなくたって。無駄な
争いはしないにかぎるし、第一僕を狙う理由なら、
彼らじゃなくてもきけるだろう。ランスロット、
銃形態。」
クロエフがそういうと黒スーツの大男は一瞬で消え去って、ガキンと金属が組み合わさるような音がしたと思うと、クロエフの手の中には、青白い光を放つ
拳銃が握られていた。音も立てずにクロエフは席を立つと、店長のいるカウンターに向かって、まっすぐ歩き、店長にまっすぐ銃を突きつけた。
「言わなくてもわかってるよね?僕はあんまり人は
撃ちたくないんだけど。」
店内の空気が一瞬で凍りついた。本当に悪者になってしまった、とクロエフは内心後悔しながら、店長を見据えた。クロエフは銃を撃ったことがなかったが、
ランスロットが外させるわけがなかった。店長が両手を挙げたままおもむろに話し出した。
「あの二人は、ガルフィスの構成員でこの辺りを仕切っているんです。その二人があなたの所に睡眠薬を入れろと言ったものですから、ミルクに睡眠薬を仕込みまして・・・・。」
「ふうん、従わないといけないことでもあるの?」
店長はうつむいて暗い顔をした。他の客たちも下の方を向いてしまって、張り詰めた空気から、どんよりとした空気に変化したのはすぐにわかった。
「店を潰す、と脅されているんです。あの二人がここに来る前はそうじゃなかったので最初は反対した店もあったのですが・・・そう言った店はことごとく
店を占めるまでに追いやられました。だからこの店を
守るためには私は逆らえないんです。私の都合であなたたちをあの男たちに売ったんです。覚悟はできています。ただ一つ、店だけは壊さないようにお願いします。」
クロエフは初めて力に支配された人間というものを見た。セントラルや第四世界ですら感じなかった感覚だ。第四世界の人たちはそんな環境にさらされても
希望を持って生きていた。この人たちは・・・あきらめているのだ。抗うことも、自由も求めることも。
彼らの目には生気がない、生きているのにまるですでに死んでいるようだ。死というものに恐怖を抱いていない。クロエフは銃を降ろした。途端にランスロットは指輪の形に戻る。どうやらクロエフがやる気をなくしてしまったのを感じたらしい。
「じゃあさ、ここら辺を仕切ってるガルフィスファミリーの拠点を僕に教えてよ。ちょっとそこに用があるんだ。採用試験を受けようと思ってね。」
店長はあげていた手を降ろすと、コーヒーのカップを片付けながら話し始めた。
「ここを少し先に行ってみるとここら辺一体の中で目印にできるぐらい高いビルがあります。そこが今のガルフィスファミリーが拠点としている場所です。」
クロエフはそれを聞くとお礼も言わずに店から出て行った。あの生気のない目で見つめられるのは気分のいいものではなかった。クロエフは外に出て大きく息を吸うと静かに吐き出した。そしてひときわ高いビルの方へと向かって歩き出した。さっきとは違って、
黒いスーツの人たちには見向きもされないが、次は
チンピラや不良達がクロエフのことを品定めするかのように、なめまわすように見ていた。できる限り
人気の多い所を通るようにはしていたが、狙われているのは明確だった。徐々にクロエフの周りの人間が、
クロエフに視線を送っていた人間たちに変わっていく。クロエフは急に走り出すと路地の方へと逃げ込んだ。
「あぁ、そういえば第四世界にいた時にもこんなことをしたっけなあ、あの時は全然道がわからなくて、エリーに助けてもらったんだっけ。ランスロット、足よろしく。」
後ろの方では僕を囲むように指示する声と、どたどたと複数の人間が走る音が混ざっている。クロエフの足にランスロットが装着し終わると、クロエフは思い切り跳躍して一気に建物の上まで駆け上がった。突然追いかけていた目標を見失ってチンピラたちから戸惑いの声が上がる。
「ありがとう、ランスロット。だいぶ簡単にまくことができたよ。この後も絡まれるとめんどくさいし、このまま建物の上を移動していこうか。」
「承知しました。」
クロエフはゆっくりと歩きながら建物の屋上の端に足をかけると隣の建物に向かって軽く飛んだ。普通の人間ならそんな飛び方では2メートルと行かないところであるが、クロエフは有に7、8メートルぐらいは飛んでいた。そして音もなく着地すると、また隣の建物に向かって飛んで背の高いビルの方へと移動していった。
「最初っからこうすればよかったなあ。やっぱりああいった人間は苦手だよ、僕は。」
「クロエフ様は力があるのだからもっと堂々としていいと私は思いますよ。そうしたらあのような輩に絡まれることもないと思いますが。」
ビルに一番近い建物にクロエフが飛び移るとビルの目の前まで飛んで着地した。扉の前に立っていた、
細い黒スーツの男たちが驚きの声を上げ後ずさる。
クロエフはデジットからもらっていた紹介状を眉一つ動かさずに差し出した。第四世界に行く前のクロエフなら、こんな態度はとれなかったが、クロエフは第四世界で暮らすうちに、相手になめられないようにするぐらいの態度はとれるようになっていた。そうでなければおちおち買い出しにのも出かけることができなかったからだ。
「僕の場合見た目が弱そうなのが一番問題なんだよ、
ランスロット。あぁ、そうだ、今日はガルフィスファミリーの面接でここに来たんですけどこの建物であってますよね?」
クロエフはこっちを警戒している黒スーツに向かって笑顔を投げかけると、招待状をひらひらとさせた。
黒スーツはそろそろとクロエフの方へ歩くと、招待状を受け取って中身を見た。その後クロエフの顔をちらりと見ると、ドアの方を指差した。
「あぁ、そうだ、ここでもう少ししたらファミリーの
面接が始まる。四階の控室で呼ばれるまで待ってろ。」
クロエフは黒スーツがそういうとぺこりと頭を下げて建物の中に入っていった。中は外よりもほのかに
薄暗く、歩いている人間たちはみんな険しい顔をしていた。ドアの所にいた男たちがこっちを見て、あいつはやばい、だのなんだのとひそひそ話している。
クロエフは極力どの男たちにも目を付けられないように、通路の隅の方を下を向いて歩いていた。クロエフにとってはここは最高に居心地の悪い場所だった。
控室に入ると、中にいる全員からの視線がこちらに向けられる。じろじろと品定めをするように見る者もいれば、すぐに興味を失って、クロエフから視線を外すものもいた。クロエフは人の多い所を避けて、椅子に腰かけた。指輪を触りながらクロエフはこれから自分のしなければいけないことを確認した。まずはじめに
デジットの使いだとばれないようにガルフィスファミリーに入ること、そしてすでにガルフィスファミリーに潜入している、デジットの仲間と早く合流すること。門番があんなに情けなかったのでクロエフはそれがとても楽なように聞こえた。その時クロエフが入ってきた扉がバンと開き、がたいのいい男たちが中に入ってきた。その真ん中に白いスーツに身を包んだ、
細い男が混ざっている。その男は顔に気持ちの悪い笑みを浮かべていて、背が高いが猫背なので周りと高さはあまり変わらなかった。その男は面接を受ける者たちの方に一歩進み出ると、手を大きく広げた。
「ようこそ、東の果てイーストエンドへ。私はガルフィスファミリー支部長兼幹部のジズ様に仕える支部長補佐オーベロン。今より君たちを我らのファミリーにふさわしいかどうか試験させていただきます。じゃあ・・・・とりあえずそこの君。ガルフィスファミリーに入りたいか、否か。一言でどうぞ?」
そう言ってオーベロンは一番近い席に座っていた男に指差した。男は緊張した面持ちで口を開いた。
「はい、私は機会がありましたらここに入ろうと思っていたまして・・・ちょうど紹介状をいただけたので
・・・」
そこまで言ったところで、男は頭から血をふきだして机の上に倒れこんだ。オーベロンの周りの男たちは表情一つ変えることはなかったが、クロエフ達の方には
動揺が走った。
「・・・ランスロット、オーベロンは一体何の能力者
なんだい?僕には急に血をふきだして倒れたように
見えたんだけど。」
「映像を解析しています。少々お待ちください。」
オーベロンは隣の男たちに顎で血をふきだした男を連れて行けと示した。あの出血量ではとても助からないだろう。
「はい、何だか場の空気が悪くなってしまいましたが、
取り直して、もう一度。あ、私の質問以外には答えないでくださいねえ?じゃあ一人一人聞くのも面倒ですし、ガルフィスファミリーに入りたい方、挙手をお願いします。」
オーベロンがそういうとクロエフ達はみんな手を挙げた。そもそもガルフィスファミリーに入りたいと思ってここにきているのだから、あげないものがいるはずがないだろう。それよりもクロエフはさっきの
オーベロンがしたことのからくりが気になっていた。
何の予備動作もなく攻撃できる能力など耳にしたことはない。その時クロエフの耳にランスロットが届いた。
「クロエフ様。解析の結果、能力ではないことがわかりました。仕組みは不明ですが男性が血をふきだす瞬間、オーベロンの指先から高エネルギーの反応がありました。術式の展開がありませんので何らかの兵器による攻撃だと思われます。」
クロエフはオーベロンの指先を見たが何かが装着されているわけでもなかった。能力ではないことはわかったもののいまだに攻撃方法は謎だった。目に見えない以上躱しようがない。
「はあい、全員入りたい、という事で。それじゃあ
面接はこれで終わりにしましょう。じゃあ二次試験に
でも行きましょうか。みなさんいったんこの建物から出てください。」
オーベロンがそう言ったので、受験者たちは彼の機嫌を損ねないように我先にと部屋を出ようとしている
者が大半だった。クロエフは目立たないように部屋を
出ようとしたが、部屋を出ようとした瞬間にオーベロンに肩をつかまれた。何事かと思ってオーベロンの
方を見ると、両足に言葉では表現できないほどの痛みが走った。生まれて初めて感じる鋭い痛みだった。
「っぎ!!」
クロエフはうめき声をあげてその場に倒れこんだ。
両足から血が流れ出している。どうやらさっきのあたまから血をふきだした男にしたように両足に何かをされたようだった。しかしクロエフにそんなことを考える余裕はなく、ただ痛みに耐えてそこにとどまることしかできなかった。
「あはぁ、どうやら君、空を飛んでここまで来たようじゃないですか、扉の警護のがそう言ってたんですよ、
だから、君を人間に戻してあげました!!なんてすばらしい、あ、この建物からはご自分の足で出てくださいね?人間なんだからできますよね?そうでないと
おっしゃるのならば、私たちも力を貸しますよ。」
クロエフが殺意のこもった目でオーベロンを見上げると、黒スーツたちが一斉にクロエフに向かって銃を突きつけた。
「申し訳ありません、クロエフ様。予測ができず、
防御をすることができませんでした。身体の損傷の
回復をさせていただきます。その間にこの建築物から
脱出してください。」
ランスロットが二つに分かれてクロエフの怪我の部分に巻き付いてくっついた。鎮痛剤でも打ったのだろうか、クロエフの足の痛みは徐々に引いてゆき、
理性的な判断ができるまでにはなった。クロエフは
よろよろと立ち上がると壁を伝って部屋の外に出て
廊下を歩きだした。後ろからオーベロンの声が聞こえてくる。
「人間にしてはずいぶんとゆっくりなあるきかたですねぇ、ま、そんなことは置いといて、その面白い金属は一体なんなんでしょうか、教えてくださいよ、
興味があるんです。」
クロエフは答えなかった。いや、答えられる状況ではなかった。足を一歩踏み出すごとに激痛が走るのだ。
それを歯を食いしばって耐えている状況ではとても
答えることなどできなかった。
次の痛みは氷のように冷たかった。背中に凍るような痛みを受け、クロエフは倒れこんだ。血が流れ出ているのはわかったが、痛いのではなく、冷たい。不思議な感覚だった。
「クロエフ様!!申し訳ありません。ここまでの失態、
なんといえばいいか・・・。」
クロエフは死を自分の身に感じていた。しかし怖くはなかった。これだけの傷を受けて自分は死ぬのだと
納得していた。どこからこうなってしまったんだろう。
「ランスロット・・・君は役立たずだね。もっといい
主人を探すといい。」
この傷ではどうあがいても助からない。クロエフは走馬灯のように次々と友達のことを思い出しながら、
死ぬのを待っていた。
『死ぬのか?』
頭にその声が響いたのは突然だった。それは亜空間で会った彼だった。
『死ぬのか?』
彼はその言葉を繰り返す。クロエフは言葉を返さなかったがこの時の沈黙は肯定を意味していた。この傷ではどう転んでも死ぬだろう。
『死にたくないか?』
質問が変わった。
『死にたくない。』
『死ぬのが怖いからか?』
『違うよ。』
『じゃあ、なんだ。』
『君が僕だというなら、わかるだろう?』
『だめだ、お前の口から聞かなくてはだめだ。
お前はどうして死にたくない?』
『腹が立つんだ、どうしようもなく、死ぬ間際だってのに、怒りが体から離れていかないんだ。』
少しの間があった。
『言え。』
言わなくてはならない。最後の一言を。クロエフは
自分の死に納得などしてはいなかった。
『どうして僕が死ななければならない?』
クロエフの周りに黒い霧が立ち込めた。体中の傷を
霧が埋めるようにしてなくしてしまった。彼は立ち上がった。その眼に漆黒の闇と血の赤を宿して。
「ランスロット、剣になれ。」
「承知しました。」
ランスロットがガキンと音を立てて剣の形に変わる。
しかし彼の光はいつもの青ではなく、彼と同じ、血の赤だった。
「おやおや、これはこれは一体どうしたことですかねえ、人間に戻したと思ったら、もっと人間ではないようになってしまいました。実に興味深い。」
オーベロンがこちらに指を向けた瞬間に彼は剣を振った。何かをはじく音がして、天井に穴が開いた。
オーベロンは目を大きく見開いて、信じられないというように首を振った。彼は剣をオーベロンの方に向けた。
「死ぬのは僕ではなく、お前たちだ。お前たちは死ななくてはならない。」
そう言って剣を振ると、数人の首が宙に飛んだ。
『堕天』(ヘブンズ・フォール)
彼が天に向かってあげた指先の上で巨大な術式が展開すると、闇が建物全体を飲み込んだ。
「なんですか・・・これは・・・なんて黒い、あなたがやったんですよね?わかりました、あなたのファミリー加入を認めますからこれを引っ込めてくれませんか。」
オーベロンは焦ってクロエフに向かってそのような言葉を投げかけた。このままでは殺されることがわかってしまったからだ。しかし彼の表情は依然として変わらず、またオーベロンの言葉に反応することもなかった。彼にはオーベロンの言葉は届いていなかった。
「音も立てずに死んでいくのか・・・せっかく死ぬのだから悲鳴の一つでもあげればいいのに。」
クロエフは両手をだらんと下げたままオーベロンの方へと歩き出した。オーベロンは恐怖の表情で彼を見ると後ずさった。
「こ・・・こっちに来るな!!おい、お前ら突っ立てないで何とかしろ!!仲間になるためにここにきたんですよね?まだ遅くありません。今からでも仲間になりましょう。」
しかし男たちも恐怖で一切動くことができなかった。
オーベロンの必死の説得もクロエフにとっては意味を成さなかった。そんな彼らに向かってクロエフは一歩一歩近づいて行った。
「『堕天』(ヘブンズ・フォール)は発動条件が難しいんだ。発動するまでの間に術式を破壊されると意味がないからね。」
クロエフがそう言った直後に建物全体に広がっていた闇がクロエフに吸収され始めた。クロエフに吸収された闇はその黒さと深さを増していく。もはやオーベロンたちには戦意はなく、あるのは圧倒的な力に対する恐怖だけだった。
『死ね。』
クロエフがたった一言そう言っただけだった。次の瞬間にはオーベロンたちは様々な方法で自害していた。
「仲間になるためにここに来たか・・・違うな、
間違っている。僕はお前を殺しに来たんだ。」
遠のいていた意識が戻るとクロエフは目にした惨状と嗅いだことのない血生臭さに口を押えて必死に吐き気を抑えた。亜空間にいるはずの自分と会話をしてからの記憶は非常にあいまいだったが、わかっているのはオーベロンたちはどうやら自殺したということぐらいだった。クロエフははっと気づいて自分の背中と足に手をやったが、服に穴が開いているだけで血の後すらそこには残っていなかった。何事もなかったかのように傷が消え去っていた。何度も傷があったはずの場所をなぞってみたが痛みもなく、いたって健康な
状態だった。
「ラ・・・ランスロット・・・。一体誰がこれをやったんだ・・・僕の記憶のない間に一体何があったんだ
・・・。」
ランスロットの光はいつもの青に戻っていた。ランスロットは剣の形から人の形に変わるとクロエフの方に膝を付けて座った。
「申し訳ありません。主であるクロエフ様に迫る危険を事前に防ぐのは盾である私の役割であるのに、クロエフ様に苦痛を伴うお怪我をさせてしまいました。」
ランスロットが悲壮な顔でうなだれた。本当に人みたいだ。しかし、そうやって自分の感情を強調して伝えようとしているのだろう。ランスロットは相当にショックだったようだがクロエフはそのことについては特になんとも思っていなかった。
「けがのことはいいんだ。よくわからないけどいつの間にか治ってたし、それよりもこれは誰がやったんだい?」
「申し訳ありません。原因がわからないのですが、その時間帯の記録が私の中にも一切ないのです。これは
推測ですが、何者かがこの状況を作り出した後、私たちの記憶に干渉したとしか考えられません。」
「そのことについては僕が教えてあげよう。」
不意に後ろから声がして、クロエフははっと振り返ると、クロエフのすぐ後ろに男が立っていた。その男は
左右の瞳の色が違っていて、黒と琥珀のようなついになった色だった。その上、全身を白いローブで覆っていた。見たところ何らかの宗教関係者のようだ。男は
クロエフが服を見ていることに気が付いたようで、補足するように
「僕は現実主義だからね。」
と言った。
「誰ですか・・・あなたは・・?」
クロエフがそう尋ねると、男は笑った。
「そうか・・・父上から何も聞かされていないんだな、
僕は君の協力者だよ。父上、いやデジット・クレイムによってガルフィスファミリーに入り込んでるスパイさ。」
男がそう言うと、クロエフは安堵した。どうやら最初の関門は突破できたようだった。ファミリーに入れるかどうかは微妙なところであったが、協力者に会えたのなら入れないという事はないだろう。
「僕はクロエフ・キーマー。君と同じようにデジット先生に頼まれてここに来た。よろしくね。」
クロエフは笑顔を作りながら、あいさつをしたが男の反応は冷たいものだった。笑顔で返すことすらしない、
じっとクロエフの顔を見つめたまま、静かに時間だけが流れて行った。男の表情は不気味そのものだった。
「・・・どうしてお前みたいなのを、父上が選んだんンだ・・・?・・・ねえ、突然で悪いとは思うんだけどさ、今回はあきらめて帰ってくんないかな?」
クロエフはその言葉に拍子抜けしてしまい、何も言えなかった。
「理由がないわけじゃないんだ。お前はとても強いかもしれないけど、さっきみたいに少し言い寄られただけで仲間だって思ってしまう思考がよくない。今回は
僕が本当に仲間だったから良いけど、僕が本当は仲間じゃなかったらどうするつもりだったんだ?またあのおぞましい力を使うのか?」
よく考えてみればクロエフのとった行動が軽率だったことはすぐにわかった。
「わかるだろ?僕たちが迷惑するだけじゃない、お前の命だって危険に晒されるんだ、だから帰った方がいいって言ってるんだ。・・・・と思ったけど、どうやら時間切れみたいだ。一芝居討つからちゃんと合わせてよ。」
男がそう言うと階段の方が騒がしくなっていることに気が付いた。誰かが大人数で上ってきているようだった。男はクロエフのところを離れると、オーベロンの所へ行き、脈をとるような動きをした。その時に
ちょうど黒服たちが上に上がってきた。
「これは、オブリビオン様。先に来ておられたのですか、黒い煙が見えてから急いできたのですが何が起こったのか把握できず・・・。」
「・・・僕も今来たところだ。どうやらイーストエンドの支部にいた人間はほとんど死んでいるようだ。しかも同士討ちや自殺によってだ、明らかに不自然、誰かの仕業だと考えていいだろうな。このことを支給ジズ様に報告してこちらに人員を回してもらえ。」
「はっ!!ところでオブリビオン様、そこにいる男はなんですか?」
「そこにいるのは、奇跡的に助かった、合格面接者だ。
この状況に居合わせたのだけど、目の前で人が死んだことのショックで記憶があいまいらしい。だから
いったん僕が連れて行こうと思う。・・・そうだ、ちょうどいいからこいつを外に連れ出して僕の車に乗せておいてくれないか?後は僕一人でできるから。」
オブリビオンと呼ばれた男はこちらを見ると目くばせをした。どうやらこの男が言ったことに話を合わせろという事なのだろう。黒服たちはクロエフの方へとよると、クロエフの肩をたたいた。
「ほら、立て。行くぞ。」
クロエフはよろよろと立ち上がるしぐさを知ると、顔に暗い表情で歩き始めた。そんなクロエフを見てオブリビオンの口角は少し上がっていた。そのまま歩いていると、黒服にぽんと肩をたたかれた。
「・・・これからもこういったことになることはあるもんだ、すぐにとは言わないが、なれとけよ、新人。」クロエフはそのまま建物の外に出ると、車に乗り込んだ。車の中の空気が澄んでいることにクロエフは驚いた。いや、外の空気があまりに血生臭かったのだ。そこらじゅうにあらそって死んだ人間の死体が転がっていた。あるものはナイフで刺され、あるものは銃で撃たれ、あるものは首を絞められ、あるものは殴り殺されていた。しばらく何もせずにただ外を眺めていると運転席のドアが開いて、オブリビオンが入ってきた。
「とりあえず僕たちの拠点まで移動しよう。それで
あきらめることについては結論を出してくれたのかな?」
クロエフは多くの死体を見すぎて気が滅入っていた。
デジットに頼まれて、引き受けたものの正直これ以上
続けるのがいやになっていた。今まで通りの普通の日常に戻りたいと思っていた。
「うん・・・申し訳ないけど・・・帰らせてもらうことにするよ。」
「そうか。それだと僕としても助かるかな。それじゃあ、駅まで送らせてもらおうか。」
車のエンジンがかかってオブリビオンの車は進みだした。クロエフがその異様なことに気が付くまでにあまり時間はかからなかった。オブリビオンが通ろうとすると、だれであっても道を開けるのだ。信号など関係ない、車や歩行者も関係ない、誰もかれもが当たり前というような様子で足を止めた。
「これは僕の生まれながらにしての能力でね、僕は
『固定概念』(コモン・センス)と呼んでいる。周囲の存在の固定概念を
ちょっといじれるのさ。まあ、効かない時は全然効かないんだけど、今彼らの中では踏切がなっている状態と同じような感じなんだ。君だって踏切がなったら
渡らずに止まるだろ?あ・・・でも君効いてないから
渡る人間か・・・。」
「いや、止まりますけど・・・・。」
「まあ、相手の存在が大きすぎても効かないんだよ。
そうだ、さっきのことだけれど、建物の人間たちを殺したのは君だった。君が殺しているのを僕はこの目でしっかり見ていたよ。」
クロエフはその言葉が信じられなかった。あの状況を少し見ただけで言いようもないほどの吐き気がしたというのにあの惨状を作り出したのが自分だというのだ。
「だけど、それは外見の話だよ、見た目は間違いなく君だったけれど、中身は今の君とは明らかに違うものだった。そっちの方が曖昧でよくわからないかもしれないけどね。つまり体は君でやっているのは君とは
違う何かって感じだったってことだね。」
それはきっと亜空間のクロエフを名乗るものなのだろうとクロエフは直感的に感じていた。
「その時の僕というかその何かはどんな様子だったの?僕もランスロットもその時間帯だけの記憶が一切ないんだ。少しでもわかることがあったら教えてほしい。」
「・・・言葉でいうのはなかなか難しいんだけど・・・
堕落って近くにいるだけで嫌悪感がするっていうのはわかるよね?それと同じような感じなんだけど、君の場合は近くにいるだけで君を敵だと僕は本能的に思ったよ。本当に印象に残っていると言われたらそれぐらいさ。」
お前は堕落とは違う。亜空間のクロエフにはそう言われた。では彼はクロエフは一体なんなのか、謎は深まるばかりで一向に解決する気配がなかった。その時
オブリビオンのポケットから、デフォルトの着信音がした。オブリビオンは片手で運転しながら端末を取り出すと、耳に着けた。その後通信の向こうのだれかと
数十秒間話をすると通信を切ってポケットに入れ、クロエフの方を向いた。その表情には面倒なことになったという事が全面的に出されていて、あまりに感情が
表情に出ていたのでクロエフは呆れてしまった。
「ボスが君に会って話を聞きたいんだって。ボスっていうのはガルフィスファミリーで一番偉い人だからね。・・・ていうかその様子だと本当に何も知らないでファミリーに入りに来たみたいだね。」
確かに、クロエフはガルフィスファミリーのボスについては一切知らなかった。実際に会うこともないだろうし、知ったところでどうという事はないと思ったのでデジットに尋ねなかったのだ。
「何にも知らないみたいだから説明しておくけど、
ガルフィスファミリーのボスの名はエクスギアっていうんだ。オーディンと人間のハーフで、オーディンの能力と自分で手に入れた能力の二つを持っているんだ。」
二つの能力というところでクロエフは驚いたように目を見開いた。一人の人間は一つの能力しか手に入れることはできない。これは全世界で知られている非常に普遍的なことだ。
「・・・二つの能力・・・一体どうやって・・・
二重に契約することは絶対にできないはずなのに。」
「あはは、エクスギアは二重に契約などしていないよ、
彼が能力を持っているのは人間の部分さ。オーディンの能力は彼に受け継がれているんだ。だからエクスギアは同時に二つの能力を使うことができる。それと
もう一つ君に言っておかないといけないことがあるんだ。」
クロエフは脱力している。車に揺られて徐々に眠くなってきていたのだ。特に興味もなさそうにクロエフは
話の続きをするようにオブリビオンに無言を持って示した。
「エクスギアは身内のことに関しては非常に敏感なんだ。もともとしっかりとした家庭じゃなかったことが原因してるらしいけどね。それで、もしもの話だけれど、君があの建物の事件の犯人とされた場合には
エクスギアが君を殺そうとするかもしれない。その時に僕は何もできない。先に言っておくよ。自分の力で何とかしてくれ。」
「はあ・・・薄情だね。君もデジット先生に頼まれて
来たんだから助け合ってもいいのに。」
「したくてもできないのさ・・・。もうすぐ着くからその後は入口にいるやつらに従って行って。」
先ほどの建物ほどではないが少し大きめの建物の前にオブリビオンは車を止めた。クロエフはオブリビオンに礼を言って車を降り、オブリビオンの方を振り返った。一瞬目があって本当に少しの間、その視線に込められた羨望と憎悪にクロエフは当惑した。それでも
彼なりに何かあるのだろうと短絡的に思考を完結させるとクロエフは、来るべきエクスギアとの会話について思いをはせていた。きっと次に命を狙われたら
クシャーナを呼んでしまうだろう。もう正体のわからない何かに体を預けるのは嫌だった。体に意識が戻ってきたときにすべてが終わってしまっているのがクロエフはどうしても嫌だったのだ。クロエフは建物前で止まって、入口にいた黒服について行った。エレベーターに乗って地下に向かって進むと壁中に宝石やら絵画やらいろいろなものが隙間なく取り付けられた廊下の階で止まった。その廊下をまっすぐ歩いたところにドアがありその先にエクスギアはいた。赤い髪に赤いシャツ、スーツは他と同じように黒だった。
クロエフは部屋の真ん中まで進むとエクスギアと面と向かって立った。
「新人とは思えない表情をしているな、クロエフ・
キーマー。」
「目の前でたくさんの人が死んでいたものですから。」
エクスギアはクロエフをまっすぐ見据えて言った。
「単刀直入に聞くぞ、イーストエンド支部にいた俺の仲間を殺したのはお前か?」
「いいえ。」
クロエフはオブリビオンに自分がやったと聞かされていたが、実際に記憶があるわけではないので、やったかどうかと聞かれれば、自信を持って違うと答えることができた。エクスギアは急に指をぱちんと鳴らすと数秒間目を閉じて静かになった。
「・・・心音は平常時のままか。そうか、本当のことを言ってるみたいだな。じゃあ心当たりはあるか?」
「ないです。」
「ハハハ!!ずいぶんとぶっきらぼうな言いようじゃねえか!!よし、ちょうどいい、イーストエンドの一件で支部長補佐の席が一つ空席だ。」
その一言でクロエフの後ろにいた黒服たちがざわめいた。
「エクスギア様。それは一体どういうお考えですか
・・・!!?」
エクスギアはそう言った黒服を鋭い目でにらむと、それ以上は言えないように黙らせてしまった。先ほどまでざわついていた部屋の中が一瞬で静まり返る。
「なんだ・・・・・。俺の決定に何か不満があるなら
聞くぞ・・・?」
「いいえ、なんでもありません・・・。」
「そうか、ならいいんだ。それに俺はこいつを支部長補佐にすると言ったつもりはないぜ?あの一件でなぜクロエフ・キーマーだけが生き残ったと思う?
俺が考えるに、そいつが犯人でも犯人でもなくてもだ、あの支部の中で襲撃したやつも含めてクロエフ・キーマーが一番強かった。それで解決しないか?だから俺は今からこいつを幹部と戦わせて力を見ようと思う。
それ次第でこいつの処遇を決める。」
エクスギアの最後の一言で黒服たちは納得したように頭を深々と下げると、クロエフを残して部屋から
さっさと出て行った。エクスギアは椅子から立つと
クロエフを手招きした。
「ついて来い。」
エクスギアについて部屋の奥の方に行くと、エクスギアは一冊の本を棚に押し込んだ。ギギギと音がして
隠し扉が開き、その中に入ると、十一個の席の内十個の席にそれぞれ個性の強い者たちが座っていた。中にはオブリビオンの顔もあったが、クロエフは極力そちらの方を見ないようにした。エクスギアはクロエフをドアの所に残し、そのまま一番奥の席に腰かけた。
「幹部の諸君。今日は急な召集だったと思うがよく集まってくれた。それでまた急な話なんだが、誰かが
幹部をやめることになるかもしれない。」
エクスギアがそう言った時に先ほどの黒服のように動じる者はいなかった。要は誰かがやめることになると言っても自分ではないと全員が確信しているのだ。
メイド服に身を包んだ金髪の少女が手を挙げた。エクスギアは視線をそちらに向けると話すように促した。
「ちょっと、急すぎて意味わかんないですケド。なんでっていうかぁ、理由が聞きたいんですケド。」
「そうだね、僕たちには理由を聞くことはできると思うんだ。ボス。」
オブリビオンも金髪少女に同調していった。エクスギアは不敵に笑う。不気味というよりこの状況を楽しんでいるようだった。
「少し、いい人材を見つけたかもしれないんだ。力の
あるやつが幹部になるのは当たり前のことだろ?だからだ、この席にいるやつにもし、そこに立ってるやつよりも弱い奴がいるとしたら、即辞めてそいつと
代わってもらう。そんでそいつはイーストエンドの支部長補佐になってもらう。」
その瞬間に部屋の中の空気が殺気だった。いくつもの
視線がクロエフの方へと向けられ、皮膚の表面がピリピリと殺気を感じ取っていた。
「よし、説明は十分だな。じゃあクロエフ・キーマー
そこにいるやつから好きな奴を選べ。勝てば幹部、
負けた時は死んでなければ構成員だ。」
椅子に座っている者たちをクロエフはぐるりと見渡した。途中、オブリビオンがこちらをじっと見ていた。
クロエフがオブリビオンを選んだのなら、適当にオブリビオンが勝ってクロエフは晴れて自由になれるという事なのだろう。しかし、クロエフは初めから戦う相手を決めていた。
「ジズは誰ですか?」
クロエフがそう言うとエクスギアに一番近い席に座っていた男が手を挙げた。仮面をしているので本当に男なのかどうかはわからないが体つき的に男だった。
「本当にそいつでいいのか?割とそいつは強いほうだからな。選びなおすなら聞いてやってもいい。」
「いえ、個人的な恨みがあるので、このままでいいです。」
「アハハ!!それって―、ジズの部下に両足撃ち抜かれた上に背中も撃たれて瀕死だったこと!!?オーベロンからアンタが撃たれてる写真が送られてきたのよ、さっきから似てると思ってたけど本人だったなんてww。」
クロエフの一番近くにいた女が気持ちの悪い笑みを浮かべながらクロエフを嘲笑する。クロエフはもともと怒りやすい性格ではないのだが、あの痛みを思い出すと、怒りがあふれ出してきた。その女のほかにも
数人がクロエフの方を見て笑っている。エクスギアも
クロエフの方を見て笑っていた。
『黙れよ。』
クロエフの目が赤くなり始めていた。体から怒りとは別の黒い何かが漏れ出している。笑っていたその女は
クロエフが話してから固まったようになっていた。もちろん他の笑っていた者も笑うことをやめている。
「さっさと始めましょう。朝から移動し続けて疲れているんです。どこでやるんですか?」
「てめえ!!今私に何しやがったぁぁ!!」
女が顔を真っ赤にしてクロエフに殴り掛かってきた。
クロエフは顔色一つ変えずによけると、エクスギアの方を向いて早くしてくれという顔で催促した。女は何度もとびかかってきて、そのたびにクロエフは躱していたが、急に女は止まってにやりと笑った。
「『呪いの鎖』(カースチェーン)!!ハハハ!!ざっまあみろ!!」
クロエフの足元から術式が発動して、紫に光る鎖が
クロエフの体に巻き付いた。外から見るとクロエフの体を鎖が縛り上げているように見えるのだが、実際は
クロエフの体から漏れ出す黒い霧が鎖と体のあいだに入って鎖が体に触れるのを阻んでいた。エクスギア
とその幹部たちは何もせずにクロエフの方を見ていた。
「闇より生まれし、血の赤子の恐怖と怒りにて再び闇に還りし、闇を纏いし其の者の、涙地に墜ち、災厄を生む。絶望と深淵のその刃、はるか、神の心臓をも抉る。『終末奏曲;第一』(ファースト)。」
クロエフの体の上に誰もが初めて見るであろう黒い術式が展開した。クロエフの体からは黒い霧のようなものがあふれるように流れ出し、鎖はすでにその効力を失っていた。女は唖然としてクロエフを見ていた。
クロエフは最初何を言っているのかわからなかった。
ただ、頭の中で繰り返し、流れている言葉をそのまま口を出すと、こうなったのだ。後一言いえば術式が発動する。黙って見ていたエクスギアはクロエフを見て
大きく口角を上げた。
「・・・・おもしれえ能力だな・・・!!ミザエル。
お前じゃ勝てねえってことはもうわかるだろ?なあ
クロエフ・キーマー。俺と戦ってみないか?」
「はあ・・・じゃあとりあえず発動中のこの術式
受けてもらえますか?本当はそこの女の人に撃とうと思ってたんですけど。」
エクスギアは来ていたコートを脱ぐと赤いシャツの腕をまくった。どうやら準備はそれだけでいいようだ。
「よし、来いよ。」
「『神殺』。」
黒の無数の刃がエクスギアの上に降り注いだ。徐々に
刃の数は増していき、エクスギアを覆い隠して見えなくなるまでに増えて降り注いだ。
「ぬううぅぅがあああぁぁぁ!!」
緑色の光が刃の嵐から漏れ出して、刃をすべて吹き飛ばした。その中心にはエクスギアが傷一つつかずに立っている。その様子を見てクロエフはもう一度さっきの言葉を唱え始めたが、それはエクスギアによってさえぎられた。
「待て待て。十分だ。お前は強い。このままジズが戦ってもジズが無駄死にするだけだからな。お前の幹部入りを認めるよ。いや、入ってくれるのか?クロエフキーマー。」
クロエフは驚くほどに冷静だった。いつものおどおどとしている様子がうそのようだ。クロエフはジズに対しての復讐心が消えたわけではないが、本来の目的は
ガルフィスファミリーにとりあえず入ることなので、
黙ってうなづいた。
「じゃあ、部下にこの建物を案内させよう。これを持ってれば、いう事を聞いてくれる。」
エクスギアはそう言って金に光るカードをクロエフに向かって投げた。クロエフはそのカードを受け取ると何も言わずに部屋を出て行った。その瞬間部屋の中の緊張感が解け幹部たちはみんな肩の力を抜いた。それはエクスギアも例外ではなかった。大きくため息をついて背もたれに完全に寄りかかった。
「まじかよ、あいつ・・・・。今まで蓄えてたエネルギーを全部受けきるのに使っちまった。でたらめに
つえーじゃねえか。どうなってんだ?オーベロン。」
エクスギアの後ろの空気が揺らめき、気持ちの悪い
笑みを浮かべた男が現れた。
「そうですねえ、まあ一つ言うなら彼はまだ能力を使っていないということぐらいですね。さっきのは彼自身の能力なんでしょうか、まあ彼もよくわからないまま使っているようですけれど。」
「おいおい、あれは人間でいいんだよな?能力を使えるってことは俺と同じような混血か?」
「さあ、・・・人間だといいですね、そうでなければ
能力をあなた方に行使した時点であなた方よりも格上の存在という事になりますからねぇ。まあ私も
グランノーティスがなければあの建物で死んでいましたし、彼が圧倒的に強いという事は確かですね。」
オーベロンは空中を見つめたままにんまりと口角を上げた。彼は今機嫌がいいのだ。きっと。
「おい、あんまり気持ち悪い顔してると逮捕されんぞ、
一番隊隊長サマ、つーかなんでお前みたいな気持ち悪いのを神銃は選んだのか・・・不思議なもんだな。」
「ここでは、隊長などと呼ばないでくださいよ、ばれたら立場上面倒なことになりそうですし・・・それと、逮捕に関しては、人に誇れない仕事をしているあなたのような人には言われたくないですねえ。まあ
私の笑みが他人から嫌がられるという事については認めますが。まあそんなことより、クロエフ・キーマーを騎士団長のお願いで調べているのはいいですがやっと尻尾を出した感じですかね、今日の彼は今までの彼とは明らかに雰囲気が違うんですよ、まるで見た目だけ同じで人格が変わってしまったのかというぐらい・・・そう!!向けられる殺気が生まれてこのかた誰よりも気持ちいいんです!!あぁ、私も本気の彼と戦ってみたい・・・。」
一人で盛り上がるオーベロンを無視してエクスギアは一人考えていた。その様子を見かけた幹部たちは
神妙にエクスギアの方を見ている。
「何よりも問題なのはこれから仕事をするのに誰が
あいつの相方をやるかって話なんだよな・・・・・。
壊すのはあいつに任せるとしても、後片付けは誰がやるか決めないとな。」
エクスギアが言い終わるや否や、ミザエルが
「あたし、パス。」
と言って手を挙げた。続々とほかの幹部も自らクロエフの相方になることを拒否した。あんな得体のしれない人間と誰もくみたいとは思っていないのだ。ほとんどが辞退した後、オブリビオンが手を挙げた。
「もしよければ、僕のチームにどうかな、このまま
だと、クロエフ一人になるだろうし。」
エクスギアは意外だという顔でオブリビオンの方を見た。
「お前が、自分から引き受けるなんて初めてじゃねえか?めんどくさがりなお前がどうしてまたこんなめんどそうなことを引き受けるんだ?」
「だってかわいそうじゃないか。」
「とりあえずすぐにうそをつくのはやめろ。本当はどうなんだ。」
「・・・そりゃあ、かれが居てくれれば僕は何もしなくていいじゃないか。後片付けはサクリファイスが
いつもやってくれるし。」
金髪のメイドがオブリビオンのその言葉に不満そうな顔をして机をバンとたたいた。怒りでぎらぎらと
目が燃えている。
「それは!!あんたが何もしないですぐに帰るからなんですケド!!ほんっとに迷惑してるんだから!!」
プンプンと怒りながら腕を組んでサクリファイスは
プイと横を向いてしまった。エクスギアは呆れて
二人の方を見ていたが、オブリビオンに至っては
少しも悪いと感じていないようだった。
「いいじゃないか、もしかしたら彼が片づけ手伝ってくれるかもしれない、サクリファイスとりあえず入れてみようよ。」
「あんたみたいにただ殺すだけならともかく、あいつが建物ごと盛大にぶっ壊したりしたらどうすんのよ!!警察沙汰じゃすまないんですケド!!?」
「まあまあ、人を殺めている時点で僕たちは犯罪者だし、警察沙汰なんだけどね・・・。物は試しだよ。」
「だから、そのせいで誰が苦労すると思って・・・・
「そう言えば僕、最新モデルのメイド服手に入れたっけな・・・何とも運動性がかなり良くなったみたいで
・・・来年販売だけど・・・どうする?」
「・・・・・やるわよ!!」
やるんかい!!と誰かが突っ込むわけでもなかったが、何人かはガクッとお決まりの反応をして、全員が呆れた顔でサクリファイスの方を見ていた。
「じゃあ、そう言うことで。僕は早速クロエフの所に行くとするよ。」
オブリビオンはそう言って席を立つと、ドアとは違う、
部屋の隅の暗がりの方へと歩いて行った。そしてそのまま影に溶けるようにして消えてしまった。サクリファイスも短くため息をつくと、部屋から出て行った。
「それじゃあ、会議はここまでにしよう。各自持ち場に戻ってくれ。・・・エグゼラは必ず俺たちが手に入れる。イビュラスみたいな糞野郎にも、デジットの犬どもにも渡しはしない。計画通りに行くぞ。」
エクスギアはファミリー内にスパイが紛れ込んでいることはわかっていた。しかし、わかっていてもあえて泳がせているのだ。幹部たちはエクスギアの言葉に小さくうなづくと部屋から出て行った。
「横取りをするのは、俺たちの得意分野だからな・・・。」
部屋の中にはエクスギアとオーベロンだけが残っている。オーベロンは思い出したように笑うとエクスギアの方へと歩いて行った。
「それにしても父上から受け継いだ方の能力はまだまだ発展途上なんですねえ、お父上と比べると目も当てられないような状況ですから・・・エネルギーを使い切ったらそれで終わりなんて・・・なんて不便な能力なんでしょう!!」
「おい、俺をあの糞野郎と比べるんじゃねえ、お前も
あの糞野郎と一緒に殺してやろうか?」
オーベロンは軽く手を挙げて戦う意思がないことを示したが気持ちの悪い笑みはそのままだった。
「いやあ、これは地雷でしたか・・・まあそんなあなたにプレゼント。まあがんばってくださいねえ。
さっきの言葉には目をつむっておきますので。」
オーベロンはそう言うと胸ポケットに刺さっていたペンを引き抜きエクスギアの方へと投げるとドアから出て行った。
「・・・あいつには腹が立つが・・・これは悪いプレゼントじゃねえな・・・。」
エクスギアの手の上に投げられたペンは手に触れると同時に指輪に形を変えていた。そして様々な思索が交差する中、エグゼラを手にするための戦いが静かに始まったのだった。
クロエフは順々に部屋を巡り、施設の紹介を受けていた。地下の方の施設こそ、怪しさをうかがわせるようなものばかりだったが、地上の階においてはまともな
場所ばかりだった。要はこちらが表のガルフィスファミリーとしての仕事なのだろう。今の彼の瞳には
少し赤みが混じっていた。黒い瘴気こそ出ていないものの、他人に嫌悪感を抱かせるのには十分な雰囲気だった。施設の紹介が始まってから、少し経つと、クロエフの所にオブリビオンが合流した。最初に出会った時と違ってにこにことしながらこちらを見ていた。
彼の場合、それが本当の感情かどうかはわからないのだが。クロエフは近づいてきたオブリビオンの方を
向いた。
「何か用?気が散るからそんなにこっちを見ないでほしいんだけど。」
多少とげを含んだ言葉ではあったが、オブリビオンの笑顔が崩れることはなかった。
「うんうん、用ならあるよ。実は僕たち一緒に仕事をするチームになったんだ。だから今日は顔合わせという事で。」
「そう。」
クロエフは興味なさそうに答えると、また歩き出した。しばらく無言のままオブリビオンとクロエフは歩いていると、後ろの方から、ハイヒールの足音が聞こえてきた。足音は徐々に大きくなって二人のすぐ後ろまで迫って、クロエフ達が歩くペースと同じペースで
響き始めた。二人は振り返ることもなく歩き続けていると、急に二人は服を引っ張られた。さすがに二人は振り向くと、そこには少し涙を目に浮かべた金髪のメイド少女が一人でむくれていた。
「後ろから足音がしたんだから振り向きなさいよっ!!急いできたのにすっごく気分悪いんですケド!!」
クロエフはサクリファイスからオブリビオンの方へと視線を移すと、オブリビオンも察したようで、こっちの方を見てニコリと笑った。
「これが、僕のチームのサクリファイスさ。クロエフとはさっき会ってると思うけど、彼女も一応顔合わせに来てくれたみたいだ。そして、デジット・クレイムから派遣されたもう一人のスパイでもある。」
案内役の黒服もいるというのに、オブリビオンが急にとんでもないことを言った。スパイとは潜入しているからスパイなのであって、それを言ってしまたら意味がないのではないか。サクリファイスはクロエフ以上に動揺しているようだった。慌ててオブリビオンの口をふさごうとするサクリファイスをオブリビオンはひょいと躱すと、話を続けた。
「大丈夫だ、もう発動してる(・・・・・・・)。彼は僕たちが言ってることを少しもおかしいとは思っていないよ。」
「これからはどうするつもりなんだい?君は僕を返したがっていたけれど、さすがにもう無理だよね?」
クロエフはオブリビオンの言ったことを瞬時に理解し、周りに気を使うことなく、話し始めた。
「ちょっと!!私も・・・
「そうだね・・・最初はそのつもりだったんだけど
今の君なら大丈夫な気がするよ。君は強い。だから
これからは仲間として接することにするよ。」
「ちょっと・・・!!
「そう。じゃあエグゼラを取り返すまでよろしく頼むよ。と言っても、僕は今日中にでもけりをつけるつもりだけれどね。」
「なんだ、急いでるのかい?それならいい知らせがあるよ。君のお仲間たちがイビュラスの支部をたたいて回っているのは知っているよね?それでエグゼラは回収できなかったみたいなんだけど、イビュラスの居場所はわかったみたいなんだ。動くなら今夜、ガルフィスファミリーがどこまでつかんでいるかわからないけど少なくとも僕たちの所に情報は来ていない。
まあ、エクスギアも食わせ者だからね、僕たちがスパイだという事に気が付いているかもしれないけど。」
エクスギアがエグゼラを狙う理由はわからないが、裏の世界のボスにそれを渡すのはとても危険なことだとクロエフは思った。先に回収して持ち主である
デジット先生に返すのがいいだろう。少しクロエフは
下を向いて考えていると、クロエフとオブリビオンの顔を白い細い指の手が、それでも力強くつかんだ。
「ちょっと!!私も話に混ぜなさいよ!!さっきから無視ばっかりして本当に腹が立つわね、お前たち!!」
握られた顔をオブリビオンはゆっくりととった。
「あれ、語尾にケドってつけなくていいのかい?君なりのキャラ付だと思って言わないようにしていたんだけど。」
「別にキャラ付なんてしてる覚えはないんですケド!!」
一方でクロエフは顔をつかまれたままだった。バツにはずせないとかそう言うことではなく、考え事をしていたので単純に体を動かすのが億劫だったのである。
「ちょっと・・・顔の形が変わっちゃうよ、サクリファイスさんだっけ、見た目に寄らず握力強いんだね、
人間とは思えないよ。」
サクリファイスは気づいていなかったようでクロエフの言葉でやっとつかんでいた手を放した。
「・・・私は人間じゃないわよ・・・人間になりたい
人間もどきみたいなもの・・・明確な定義はないわ。」
「ふーん。」
クロエフは掴まれていた顔の部分をさするとオブリビオンの方を向いた。クロエフの目には特に感情もなかった、オブリビオンの顔からも思っていることを
予想することはできそうになかった。唐突にクロエフは口を開いた。
「君もそうなのかい?オブリビオン。車を出た時の
あの視線、君にしてはだいぶ感情的だったけど、そう言うことなんだね。君も人間になりたいんだろう?」
「さあ、どうかな。その話はもういいよ。そんな僕たちの身の上話じゃなくて今日のことについて話をしよう。ここじゃなんだし、二人とも僕の部屋までおいでよ。」
そう言うことでクロエフ一行はオブリビオンの部屋まで移動した。地下ではなかったが、地下の部屋を想像させるようなクラシックな家具ばかりが置いてある。中には彫刻の施されたナイフまであり、よく見ると部屋中にまんべんなく武器が配置されている。
「仕事に使う武器はその日の気分で決めてるんだ。
だからいつの間にかこんなに多くなっちゃたんだよ。
刃物マニアとかそう言った類じゃないんだ、僕。」
クロエフ達がナイフの方を見ているのがわかったのかオブリビオンはそう言った。そして机の上に地図を広げた。その大きな地図には、エステルの全体像が
大きく映っている。と言ってもエステルはかなり大きいので、はじからはじまで移動しようとしたら数日かかってしまう。そんな場所全体を移した地図で一体何をしようというのだろうか。オブリビオンがイーストアイランドの上に不意に手を置いた。そうすると
紙に写された線が変わっていき、次はイーストアイランドの地図に変わった。
「見たことない地図だね。」
「まあ、紙っぽいんだけど、割と高性能なのさ。
この部屋に最新の地図を飾ってもなんだか似合いそうにないし、これがちょうどいいんだ。おっと、
それで本題だけど、イビュラスのいる場所はここだ。
イーストエンドより手前の無法地帯。もともとイーストエンド自体無法地帯のようなものだけど、ここはもっとひどいね。」
オブリビオンがその場所に触れると、さらに地図が拡大されてよく見えるようになった。オブリビオンは
イビュラスの組織が拠点にしている建物を軽くたたいた。そうすると現在地からそこまでのルートが表示された。
「ここが拠点であることは僕ら以外の仲間にも伝わってる。だから今夜ここに攻め込む。じゃないと
君のお仲間が先に片づけちゃうかもしれないからね。
まあ敵の素性がよくわからないから具体的な作戦は
特にないんだけど、要点を上げるなら、エグゼラ回収後には即退却ぐらいかな、敵は倒さなくてもいい。
それと建物に入るまでは僕が君たちを連れて行こう。」
その時、サクリファイスが軽く手を挙げた。
「エグゼラがどこにあるのかはわかっているのかしら?ただやみくもに探し回るだけじゃ効率も悪いし、
たくさん殺すことになる。まあ慣れてるから別にいいんですケド。」
「正確な保管場所はわかっていない。今わかっているのはイビュラスがそこにいるという事だけ。でも彼を
たたけばわかることだと思うよ。クロエフは何か聞きたいことある?」
クロエフは頭の中で考えを巡らせると、二つの疑問に
行きついた。
「イビュラスの目的と、『不死』の異名について聞きたいかな。」
オブリビオンは紙のような地図をくるくると丸めて
ひもで縛って引き出しの中にしまうとクロエフの質問に答えた。
「さっきからわからないことばっかりなんだけど、
イビュラスの目的は不明、まあエグゼラを使って
何かしようとしてることぐらいはわかるけど・・・。
後は『不死』の異名について、これについてはわかっている。イビュラスの能力でね、殺した相手の命を
自分のものとしてストックできるんだ。それも寿命と
数を別々にして。」
「それはつまり・・・」
「あたしが説明するわ!!」
急にオブリビオンとクロエフの間でサクリファイスがぴょんぴょこ跳ねはじめた。どうやら会話に入るすきを与えてしまったらしい。オブリビオンとクロエフは非常に怪訝な表情でサクリファイスを見ていたが
当の本人はそれに気づく様子は全くない。
「いい?寿命と命の数を別々にカウントするってことは、死ぬ条件を考えてみると良いんだケド、まずは
寿命が尽きる。これは命の数が一万だろうと一だろうと同じ事なの。もしくは命のストックが切れる。多分
殺すならこっちの方が速いわ。まあイビュラスがこれまでに殺してきた人数によると思うケド。」
オブリビオンの説明の時点でわかってはいたのだが、
余りに自信を持った様子で話すものだから二人とも
気圧されていつの間にか相槌を打っていた。
「ねえ、存在という観点から破壊したとしたらどうなるの?」
サクリファイスの言うあまりにも理解が簡単な方法を聞くことでクロエフの中にまた疑問が起こった。
存在の破壊というものに関してはクロエフには心当たりがあった。第四世界の時に会った、ラザレスという、自らを『死』と名乗る男。今となってはクロエフしか覚えていないのかもしれないが、彼から放たれる
背筋の凍るような恐怖が駆け抜けた瞬間、そこにあったはずの町はもともとなかったことになっていたのだった。彼の力ならば、イビュラスという男を一撃で
消し去ることも可能ではないのか・・・。クロエフは
そう思ったのだった。しかしオブリビオンとサクリファイスには言葉の意味が伝わらなかったようで、二人とも首をかしげていた。クロエフはその二人に気付くと慌てて手を振った。
「あぁ、ごめん、今のは無し。存在ごと消せたら
一回で終わるのになあって思っただけだよ。」
苦し紛れのいいわけではあったが二人は特に気に留めているような様子はなかった。
「それじゃあ、午後の六時に僕の部屋に集合だ。その後ここを移動して、クロエフには他の仲間とも一応
会ってもらいたいと思う。」
「まだほかにもいるの?」
「まあ、組織に潜入してるのは僕たちだけだけど、外には他にも仲間がいるんだ。君に他の仲間がいるようにね。イーストアイランドに来ているのは三人で
僕の妹と弟だ。名前はソムリヌとシエスタとディバイン。会った時にまた紹介するよ。」
その後クロエフは自分に割り当てられた部屋に行った。さすがは幹部用のものだけあって、そこにある家具はなかなか心地のいいものばかりだった。ソファに
腰掛けるとクロエフはゆっくりと背を持たれて大きく息を吐いた。これからまだ大きな仕事があるというのに少し疲れていた。
「ちょっと寝ようかな。」
その独り言は誰に聞かれるでもなく部屋の壁に吸い込まれていった。
セントラルサイド(クシャーナ)
クシャーナはクロエフの兄であるノエルが出かけてしまっていたので、家で一人特にすることもなく、
床をゴロゴロと転がっていた。家においてある本は
あらかた読み終わってしまったし、外に出たとしても
家の中にいる時と同じでとくにすることはないのだった。床に大の字で寝転がっているとインターホンの
音がした。クシャーナはクロエフが帰ってきたのではないかと思い飛び上がると、玄関の方へと走っていった。ドアを開けようとしてはっとする。ちゃんと
クロエフであることを確認しなくては。これはクロエフから言われている事だった。もし扉の向こうにいるのが不審者だったらいけないということらしい。
(実際のところはクロエフが幼女監禁の疑いをかけられないようにするための予防策である。)
インターホンを下から見上げる形で見てみるとそこにはクロエフではなく、クシャーナよりも少し大きいぐらいの猫を抱いた少女が立っていた。
「ごめんなさい・・・今留守です!!」
不審者の時のためにクシャーナが考えた対応だった。
そう言った後、インターホンを見ていると、少女の
表情はあまり動かなかったが、呆れたという感じが
ドア越しにも伝わってきた。
「声がしたという事はどなたかいるようですね。私は
このおたくのクロエフさんに用があってここへときたのですけども。」
クシャーナは知らないかもしれないがこの少女の正体はシェルファである。第四世界でE・B・Aにのって
クロエフが戦っているときにたたき落とした天使であり、逃げることを手伝った後はたまに連絡を取るぐらいの仲になっていた。ちなみにミケは日々シェルファの愛情を受け続け体が二回り大きくなった。
クシャーナは二秒ほど静止して考えると、次は
「主様は今留守です!!」
と言った。シェルファは頭の中を整理して相手のことを考えていると一人の人物に行き当たった。
「あなたはクロエフさんの話題によく出てくるクシャーナさんですか?姿かたちについては聞いたことがないのですが立ち振る舞いが聞いているところと似ている気がします。それで・・・どうしても中に入れてもらえませんか?」
「むむむ・・・私の名前まで知ってるなんて本当に主様のお友達っぽい・・・うん、入っていいよ!!」
クシャーナはドアのロックを解除するとシェルファを中に迎え入れた。シェルファは玄関に入りあたりを見渡してから、クシャーナの方を見て、にっこりと笑った。
「思ったより小さくてかわいい。クシャーナちゃん
覗き見ド変態ロリコ・・・いえクロエフさんに変なことはされてないですよね?あの人ならやりかねないので私は非常に心配です。」
クシャーナはきょとんとして
「変なことって何?」
とシェルファに真顔で尋ねた。ずい、とシェルファにクシャーナが顔を近づけると、シェルファは頬を赤らめた。
「わからないのだったらそのままでいいですよ。それでクロエフさんはいつ帰ってくるのですか?少しこのこのことで用があるのですが。」
ミケはシェルファの腕の中で気持ちよさそうにしている。クシャーナはそれに気が付いてミケの頭を指の先で撫でた。
「そう言えば!!あなたのお名前を聞いてなかったね!!あなたは誰なの?」
クシャーナは満面の笑顔でシェルファに尋ねた。時間を持て余していたクシャーナにとって、シェルファとの会話だけでも楽しいものだった。
「私はシェルファと言います。第七世界の天使、
階級は第四位、四枚翼の天使なの。」
ほら、と言うとシェルファの背中から四枚の翼が生えた。天使たちは必要に応じて羽を出したり引っ込めたりすることができるのだ。
「うわあ・・・きれいな翼。」
クシャーナはシェルファに抱き着いた。正確には
シェルファに生えている翼を触りに行ったのである。
天使にとって翼を触られるという事は、相手に心を許している証拠でもある。いやならばすぐに引っ込めることも可能だからだ。シェルファ、ミケ、クシャーナという形でミルフィーユになっているところに丁度
出かけていたノエルたちが帰ってきた。フェンネルの方は少し立ち止まってこっちを見ているだけだったが、ノエルは見るからにドン引きしていた。クロエフと違って気さくなノエルは表情豊かなのである。
「えー・・・君誰・・っていうか何してんの?
いやー謎だわ。そこに至るまでの過程が謎。なあ
フェンネル。・・・うわー気絶してるわ、こいつ。ないわ―・・・おい、起きろ!!」
目を開けたまま微動だにしないフェンネルをノエルは蹴り上げた。フェンネルの体が後ろに倒れて、フェンネルは急に我に返ったように起き上がった。
「はっ・・・・理解不能すぎて気絶してしまった。
すまない、ノエル。それで一体何の話だ?」
「そうそう、それだ。君は誰?うちの従妹に何の用かな?まあその恰好からするに敵じゃないみたいだけどっていつまでしてんの、その恰好。」
恰好のことを指摘されたが、シェルファは何度か
クシャーナを引きはがそうとしていたのだが、思った以上にクシャーナの力が強く、彼女が自分で離れるまでは、とれないと思い、引きはがすことをあきらめていた。シェルファは首だけを動かして振り返る形で
ノエルを見た。
「クロエフさんに用があって、この家に来たのですが
留守のようなので、帰ってくるまで家で待たせていただいていたのです。この格好はまあなんというか成り行きで。それで、クシャーナちゃんが従妹?クロエフさんとの話ではそのような関係には思えなかったのですが。」
「なんだ、きみ関係者なのか。いやーあいつも異種族間交流とかする年になったんだなあ、お兄さん感激だよ・・・やれやれ、クロエフに気を使ってやったのに無駄になっちゃった。じゃあ俺また外に出るからさ、君たちもどっか遊びに行きなよ。クロエフはそのうち帰ってくるさ。」
ノエルは持っていた荷物を置くと、フェンネルを引き連れて玄関から外に出て行った。
「クシャーナちゃん、クロエフさんが帰ってくるまで
少しお外に遊びに行きませんか?そうだ、どこか行きたいところはありますか?」
「むー・・・ケーキ食べたい。ねえ、シェルファって呼んでいい?」
シェルファは少し頬を赤らめてうなづいた。相変わらず、彼女の表情が動くことはなかったが、彼女にとってこれは最上位の表現だった。
「もちろん、いいですよ。それじゃあケーキを食べに
行きましょうか。」
二人は玄関で靴を履くと、手をつないで外に出て行った。少し歩いて建物の方を振り返ったが特に変わった様子はない。
(クロエフさんのお兄さんが部屋に入ってくる少し前、
恐ろしい殺気がどこからか放たれていた気がしたんですが。気のせいですかね。)
シェルファは自分の端末を取り出すと、近くのケーキ屋さんを調べた。さすがはセントラルというべきか
数えきれないほどのケーキ屋があり、シェルファでは
決めることができそうになかったので、クシャーナに決めてもらったところ、食べ放題で有名なケーキ屋さんに決まった。どうやらクロエフに連れられて何度か
ケーキ屋に行っているがこの店に入ったことがないらしい。すでにシェルファは翼を引っ込めているのだが、待ちゆく人たちがちらちらとこちらの方を見ている気がする。
「なんだか、見られているようですね。理由はよくわかりませんが、クシャーナちゃんもそう思いませんか?」
「それは~シェルファがかわいいからだよ~。ケーキ楽しみだなぁ。」
にっこりとした笑顔でクシャーナに見詰められたシェルファは赤面した。クシャーナと会ってから、シェルファはドキドキしてばかりだった。シェルファは
猫や犬などの動物のことを好むが、クシャーナのような小さくてかわいい生き物は生まれて初めて見るものだったのだ。
「地図のよるとこの辺りにあるはずなのですが・・・
あ、ありました。あの店ですね。」
シェルファが指差したところには木で作られた感じの雰囲気のいい店があった。中も割と人がいるようでにぎわっている。においに吸い寄せられるように二人は店の中に入り、席に着いた。中はビュッフェ形式になっていて、自分の食べたいケーキを食べたいだけ、
食べていいことになっていた。クシャーナとシェルファはそれぞれ自分の食べたいケーキを取ってくると、
席について食べ始めた。クシャーナのさらにはシェルファの五倍くらいの量のケーキが乗せられている。
「いつも、クシャーナちゃんのことはクロエフさんと話していると必ず話題に上がってくるんですけど、
クシャーナちゃんはクロエフさんのことどう思ってるんですか?」
クシャーナは地面に着かない足を揺らしながら嬉しそうにケーキをほおばっている。
「どう思ってるって言われるとなぁ・・・言葉にすると恥ずかしいかも!!」
「そうですか。野暮な質問をしてしまったようですね。
私のことは気にしなくていいので、どんどん食べてくださいね。」
「ケーキはたくさん食べるけど、シェルファと一緒に食べるの。」
シェルファのことを気にしなくていいと言ったのが
クシャーナは気に入らなかったようで、頬を膨らませて訂正した。
「ならお言葉に甘えて一緒に食べさせてもらいます。」
クシャーナたちは店の奥の方で食べていたのだが、急に店の入り口の方が騒がしくなった。シェルファはすぐにその異変に気付いたが、クシャーナはケーキを食べるのでいっぱいで全く気付いていないようだった。
「何かあったんでしょうか?入口の方が騒がしくありませんか、クシャーナちゃん。」
シェルファに言われてクシャーナはやっと食べるのをやめて入口の方を見た。
「むむむ・・・・おまむまんままみまあ・・・。」
「そんなに急がなくても話すのは飲み込んでからでいいですよ。」
もぐもぐと噛んでいたものをクシャーナは飲み込むと、
「お客さんじゃないの?」
と言った。しかし、依然として入口の方は騒がしく、
とても客が来たような雰囲気ではなかった。
「・・・と思ったんだけど、やっぱり違うみたい。
なんだかうるさいね。」
「こういったことには、かかわらない方がいいですよ、クシャーナちゃん・・・あ・・・。」
シェルファがそう言った時にはすでにクシャーナは席を立って、皿を片手に入口の方へと走っているところだった。引き留めようとしたシェルファにクシャーナは気が付き手を振って、
「ケーキを取りに行くついでにちょっと眺めてくるだけ!!」
と言ってかけて行った。入口の方に近づいていると
数人の男がこの店のコックらしき人に迫っているところだった。周りの人がざわめいている中、クシャーナは人々の足の隙間から様子を見ていた。男がいかった顔でコックの服の胸ぐらをつかんだ。
「おいおい、俺がイースト出身だからって差別するのはよくないと思うぜ、店長。いいよなセントラルの連中は、環境も整ってるし、壁を登ってきた化け物に襲われることもないしよぉ。」
「いえ・・・体に入れ墨のある方は隠してもらわない限りは入店させられないんですぅ。ですからどうかお引き取りを・・・。」
男は店長が言い終わるか言い終わらないかの内に店長の体を持ち上げて壁に向かって投げた。
「おいおいおいおい、入れ墨ぐらいで騒ぐとか・・・
ずいぶんと安全な暮らし、してんじゃねえか。ちょうどいいや。お前たちが嫌いなイーストのあいさつのやり方を見せてやるよ。」
男はそう言うと、店長に歩み寄って右手を持った。
店長は恐怖と痛みのあまり動くことができなくなっていた。
「折られるのと、切られるのと、砕かれるの、どれがいい?俺的には砕くのが一番好きなんだけど、お前に
選ばせてやるよ。」
男は靴底に指を立てかけるようにおいて、立つと
「ついでにあんまり決められないようだったらとりあえず指折るから。」
といって靴底を傾けてたりして、店長の反応をうかがいその状況を楽しんでいた。その後ろにいる似たような男たちもにやにやと笑っている。客たちの仲で動こうとする者はいなかった。誰もがこの男たち相手に
萎縮していた。ただ一人小さな影が男のもとへと走り寄って行った。
「なんだっ・・・お前・・・
「えいっ。」
小さな影もといクシャーナは男のすねを蹴った。
ぽきんと木の枝でも折れたかのような少し気持ちのいい音がしたかと思うと、男の足は本来
曲がらない方向に曲がっていた。
「ぐぎゃあ!!俺の足がっぁ・・・」
折れてバランスの取れなくなった足をかばうように
して男は倒れこむと足の折れてしまったところを
抑えている。そこへ無慈悲にも白い皿は面ではなく
線の部分で振り下ろされた。次はぱあんという音がして、クシャーナの振り下ろしたあまりの威力に皿が
盛大に砕け散った。男は意識を失い倒れこんだ。
「あれぇ・・・お皿われちゃった・・・。でもコックさんの指折っちゃったらケーキが作れなくなっちゃうでしょ!!って寝てるし!!そういうわるいこはぁ~。」
クシャーナの振り上げられた拳を納めたのはシェルファだった。でもそれは男を心配してのことではなく、
クシャーナにこんな下賤な男たちとかかわってほしくなかっただけだった。恐ろしいまでの殺気がシェルファから男たちに向けられ、男たちのにやにやとした顔はすぐに引っ込んだ。
「私でいいのならばいくらでもお相手をいたしますが、どうされますか?」
シェルファの言っていることが冗談ではないことは
男たちに伝わっていた。先頭の男がナイフを取り出すとシェルファめがけて突き出した。シェルファがぱっと掌を前にだし、ナイフと接触した。ガキンという金属と金属がぶつかり合うような音がする。ナイフはシェルファの掌の上で、静止していた。ナイフがシェルファの手の薄皮一枚通ることはなかった。
「私見た目よりも頑丈にできているんです。今の攻撃から判断して、戦うという事でいいんですね。」
シェルファの手の上に光でできた弓と矢が現れ、男たちの方へと弓を引いた。
「『清純なる浄化の矢』(ノモス・ピュア)かけらも残さず消滅しないさい。俗物達。」
放たれた矢はまっすぐに軌跡を描きながら男たちの方へと飛んで行ったが男たちに届くことはなかった。
黒いフードに黒い髪その中で光る赤い目。口元には
銀に光るマスクがつけられている。突如現れたその男
が矢を握ると矢は煙のように消えてしまった。
「食べる(イート)。」
男たちの後ろの方からかわいらしい声が響いたかと思うと、男たちが一瞬で掻き消え、金髪で背の高い女とその女と手をつないだピンクの髪の少女が現れた。
背はクシャーナとほとんど変わらない。背の高い女は
クシャーナを見つけるとにっこりと笑い、クシャーナを抱きしめた(・・・・・)。誰もが一瞬目を疑った。なぜなら彼女はついさっきまで入口に立っていたはずなのに、音もなく、当たり前のように移動していたのだ。
「また会えてうれしいわ、クシャーナ。昔みたいに
なかよくしましょう。何だったら連れて帰りたいぐらい・・・。」
女はクシャーナを力強く抱きしめると耳元でささやいた。
「『混沌』が人間の世界に来るなんて珍しいね。どうかしたの?それにあいにくだけど私は君のことは好きになれないの。何かを創造する私にとってすべてを破壊するあなたは邪魔以外のなんでもないし。」
クシャーナの声は氷のように冷たくいつものような
軽く弾むようなかわいらしい声ではなかった。笑顔も
その顔からは消えている。女はがっかりしたように抱きしめていた手を放すとクシャーナから三歩ほど
離れたところに立った。
「そうなの。何か『死』(ラザレス)の野郎に呼び出されたのよ。
だいたいあんな薄汚い男が私よりも上位の存在だって言うだけで腹が立つのに呼び出されるなんて、屈辱の極みだわ。それにしてもずいぶんと弱体化したみたいじゃない?契約するなんて物好きだこと・・・・
今ならあなたを力で屈服させられそうね。」
「そうしたらきっと主様が怒っちゃうよ。第一ラザレスも怒るよ、きっと。」
女はやれやれと言った風に手を振るとため息をついた。
「そうねえ。確かにラザレスを相手にするのは面倒くさいわ。でもあなたずいぶんと契約した相手のことを信頼しているのね。一体誰なの?『終焉と創造』(あなた)が
気を許す男は。」
「『黒の王』、『乱壊する歯車』、『終結者』
『世界を喰らう者』・・・主様を表現するような言葉はたくさんあるけど、私にとって主様は主様以外の何者でもないの。」
「そうか・・・『黒の王』はもう目を醒ましていたのか・・・。そしてその契約相手がクシャーナと・・・
面白いね。非常に面白いわ。それじゃあ独り言はここまでとして、私の眷属の紹介をしよう。クシャーナ。
『黒き者』ブラッド。スキルキャンセルの特性を持っていて、肉弾戦にはめっぽう強いのよ。そしてこっちの子がファブリ。『次元狩り』と世間では呼ばれているわ。」
ブラッドは軽くこちらの方へと頭を下げ、ファブリは笑顔でこちらに向かって手を振った。
「さあ、次はそっちの御嬢さんの紹介をしなさいよ、クシャーナ。それにしてもあなたが眷属を作るなんて
本当にどうかしてるわ。契約したってだけでもびっくりだって言うのに。」
「君に紹介するつもりなんて一切ないし、この人は
私の眷属じゃない。シェルファは・・・。
「私はクシャーナちゃんのお友達です。と言っても今日なったばかりですが、これからもずっと仲良くしていきたいと思っています。」
その言葉を聞いて、女は笑い出した。
「友達!!?君みたいな矮小な天使ごときがクシャーナの友達だって言うの?拍子抜けね、あなた遊ばれてるのよ、だって超元の神々(わたしたち)はそう言うモノではないもの。」
「黙りなさい、ライブラ。いくら弱くなったからと言って、あなたに傷も与えられないほどに弱くなったつもりはない。これ以上私の友人を馬鹿にするというならば・・・
静かに憤るクシャーナの前にシェルファが右手を前に差し出してたった。その表情には確かな覚悟と決意があった。
「何のつもりなのかな?かわいい御嬢さん。残念だけど私には弱いものをいたぶる趣味はないのよ。
でもそれじゃあ今のクシャーナちゃんを屈服させたいこの気持ちに矛盾するわね・・・そう…つまり、あなたには目をかけてやる価値もないってことね。」
「御託は結構です。私がクシャーナちゃんにふさわしいかどうか、試してみたらどうですか。」
その一言で明らかに店内の空気が変わった。店内のあらゆるところがおぞましい狂気と殺気で満たされた。
「後悔先に立たず・・・君にはちょうどいい諺かもしれないね。『破壊×1000000』(ミリオン・クラッシュ)。」
ライブラが付きだした拳がシェルファの掌に触れると、何十、何百、何千という数の術式が一斉に展開し、
店全体が揺れるような風が巻き起こった。がその後
何かが起こることはなく、店の中にはまた静寂が戻った。
「あらら・・・不発かしら?おかしいわね、そんなことはないはずだけれど。」
「ちゃんと受けましたよ、あなたの攻撃。私生まれた時から頑丈なことだけは誰にも負けたことがありません。要するにあなたの攻撃は私の防御の範囲内ってことなんですよ。」
「ふむふむ、御嬢さん、特性持ちなのかしら?だとしたら、あなたが私と合う二人目の特性持ちになるのだけれど。」
シェルファの挑発的な物言いに、ライブラは少しだけ
眉をひそめたが、その後特に気にしてもいないように
話し始めた。クシャーナはシェルファの手を引いて、ライブラの手の届く範囲からシェルファをさがらせた。
「余計なことはもうしない方がいいと思うよ、ライブラ。私達が力を使うことは世界にとっていいことは
あまりないんだから。それにこれ以上シェルファに何かしようというなら今度は私が相手になる。」
「へえ・・・クシャーナが相手をしてくれるのかい?
それはぜひやってみたいことだ。君を屈服させたら、
きっと楽しいだろうし。」
ライブラが右手を上げるのと同時にクシャーナが小さな拳を前に構えた。シェルファも戦う姿勢を取った時に、シャンと金属同士が触れ合う時の音がして、
錫杖がライブラの体を吹き飛ばした。
「いでよ。『アポトーシス』。」
彼がそう言うと、もう一本の錫杖が彼の手に現れた。
彼の眼は閉じられていて、表情もなかったが、動くことを良しとしない、威圧感があった。
「何をしている、ライブラ。ジェノンがもう来ているというのに、貴様だけが来ないと思えば、この有様だ。
よほど存在を消されたいらしいようだな。」
「そんなことはないわよ、ラザレス。かわいい小鳥ちゃんに少しちょっかいを出していただけじゃない。
あんまり細かいと嫌われるわよ。」
ラザレスの手から錫杖が消えると、ラザレスは腕を組んで考え始めた。
「・・・・・そうか、あんまり細かいと嫌われるのか。
ならこうしよう。大胆に・・・いや単刀直入に言おう。仕事の時間だ。早く来い。」
ラザレスはライブラの首根っこを引っ掴むとずるずると入口の方へと、引っ張っていった。引っ張られていくライブラが涙目でブラッドとファブリに助けを求めていたが、二人とも助けようとする気配は一切なかった。不意に入口の所でラザレスが立ち止まり、クシャーナに言った。
「そう言えば、今日はクロエフ君は一緒じゃないのか?また彼とコーヒーでも飲みたいものだね。」
「主様は今お出かけしてるの。だから今日はシェルファとケーキを食べに来たんだよ。」
クシャーナの口調は先ほどまでの厳しい口調とは違って、いつもの軽やかな調子に戻っていた。
「そうか、それは残念だ。まあ気にすることはない。
彼とはまたどこかで必ず会うだろうからな。それでは
騒がしくしてしまってすまなかった。」
ラザレスはそう言って、ライブラの首をつかんだまま
店を出て行った。店の中に満ちていた異様な空気から
人々は解放され、店内は妙な静けさから一転、一気に騒がしくなった。
「一体、あの方たちはなんなのだったんでしょうね。
どうやらクシャーナちゃんとお知り合いのようでしたけど。」
「うん・・・だいぶ昔からの知り合いなんだけど、
互いに受け入れられないところが多くて・・・今でも
会うとあんな感じになっちゃうんだ・・・。」
「そのようですね。しかし、あのような威圧感を持つ人々を始めてみました。神々の中でもあのような威圧感を放っているのはジェノン様のようなものです。」
「う~ん。それは・・・・
「どーんっ!!!」
クシャーナの後ろの方から先ほどのピンクの髪の女の子が抱き着いた。シェルファはその姿を見て、最初
すぐに引き離すべきだと思ったのだが、あまりにかわいらしくて、何もせずに見ていた。クシャーナは抱き着いてきたファブリを引きはがしてほっぺたをはさみ、顔を近づけた。
「・・・どちら様??」
「にひひ、ファブリだよっ!!」
不思議そうにファブリを見つめるクシャーナをファブリは見て、いたずらに笑った。
「ライブラのとこの子が何か用なの?」
「おねーちゃんは怖いおにーちゃんが連れてっちゃったから、私と遊ぼうよ!!お友達になろ?」
クシャーナはファブリにそう言われて、数秒間考え込んだが、すぐににっこりと笑って、うなづいた。
「いいよ。何して遊ぶ?」
「鬼ごっこ!!」
二人はそう言って、外へと駆け出して行った。シェルファは困ったように出口を見てから、ブラッドの方を見て、小さく頭を下げた。ブラッドもシェルファに気付いて小さく頭を下げ返した。