第88話
それから二日後。荷物持ち――という名の護衛――を引き受けたアルディスとソルテ、そして護衛として雇われた傭兵たちは王都を出発する。
目的地は北部開拓地域に新しく作られた三つの村だ。
その一帯はもともと野生の獣が跋扈する危険な土地だった。
しかしアルディスが『鈴寄り』と呼ばれる魔物を討伐し、開拓と鉱山開発のために大勢の傭兵や兵士が山狩りをした結果、今ではすっかりその危険性も低下している。
全く危険がなくなったわけではないとはいえ、そこそこの腕を持つ傭兵ならば危なげなく旅ができるほどには落ち着いていた。
アルディスの見たところ護衛に雇われた傭兵たちの腕はひどいものだったが、それでも時折襲いかかってくる獣を確実に追い返す程度には戦えるらしい。
「心配しなくてもシスターさんは俺たちがしっかり守ってやるかんな」
ソルテに向けて言う剣士の笑顔は二心がありそうに見えるものの、今のところは傭兵たちも護衛の仕事をそつなくこなしていた。
そうして村々を回ること七日あまり。
「ようやくここで最後か」
「はい。何事もなく終わりそうで良かったです」
最後の村でお勤めとやらを終えたソルテがアルディスに笑顔を向ける。
大きなトラブルもなく役目を終えられるとあって、彼女の顔には固さの取れた表情が浮かんでいた。
お勤めといっても特別なことをやっていたわけではない。
礼拝を取り仕切り、村民からの相談にのり、空いた時間を使って説法をしたり子供たちの勉強を面倒見る。そんなごくありきたりのことばかりだ。
女神を崇める教会には好感を持てないアルディスだが、熱心に人々へ奉仕をしているソルテに対してはまた違った印象を抱いている。
「村にいる間、お暇だったのではないですか? せっかくですから礼拝に参加なされば良かったのに」
『いずれ聖女間違いなし』と噂される少女の口調に悪気はない。
だがそれはアルディスの顔から感情を失わせるのに十分な一言だった。
「祈る? 俺が? あの女にか? 悪い冗談だな」
「またそのような事をおっしゃって……」
ソルテが肩を落としてため息をつく。
「何がアルディスさんをそうまでして頑なにさせるのですか? もしかすると過去に何かお辛いことが?」
まだ幼さをかすかに残した顔が、聖職者のそれに変わる。
「確かに女神様がお与えになる試練は時として苦しみを伴うことがあります。ですが女神様は私たちを苦しめるために試練をお与えになるわけではありません。その苦境に打ち勝つことこそ、女神様は望んでおられるのです」
祈りを捧げるかのような言葉が、小さな口からすらすらと流れ出た。
その一言一言が、アルディスの感情を平坦で冷たいものに変えていく。
「女神様が救いをくださらないことに嘆く方もいらっしゃいますが、苦難は自分の力で乗り越えなければなりません。見守ってはくださいますが、決してアルディスさんを苦しめようとしているわけではありませんよ」
ソルテとしてはアルディスの悩みを和らげようと善意で言っていることなのだろう。
しかしアルディスにその言葉は響かない。
アルディスにとってはむしろ女神こそが全ての元凶なのだから。
「その話はもうやめだ。互いに益がない」
最初の村を訪問したときから、ふたりの間で何度となく繰り返されてきたやりとりだ。
礼拝にも参加せず木陰でうたた寝をむさぼっていたアルディスへ、ためらいがちに声をかけてきたのが最初だった。
それからことあるごとにソルテがアルディスを諭そうとしていたが、当然話は平行線をたどるばかり。ソルテにとっての成果は全くない。
ソルテ個人には悪い印象を持っていないアルディスも、この件に関しては無益とばかりに話を避けている。
女神を盲信している相手に話が通じないのは当然のことだと諦めているのだ。
「ですが――」
「おーい! シスターちゃん! 明日の出発時間について話があるって、村長が呼んでるぞー!」
遠くからソルテを呼ぶ声がした。
「あ、はい! 分かりました! すぐに行きます!」
少女は振り向くと、慌てて返事をする。そこに怯えた様子はない。
「アルディスさん。また後でお話ししましょう」
アルディスにとっては意味のない言葉を残し、ソルテが離れていく。
桜色の髪がくるりと舞い、そのまま修道女の服を連れて護衛の傭兵たちに近づいていった。
出発から日数がたち、アルディスたちの関係にも小さくない変化が訪れている。
もともとはソルテたっての願いで同行することになったアルディスだが、女神に対する価値観の違いはやはりふたりの間にぎこちない空気を呼んでいた。
反対に、ソルテと傭兵たちの関係はずいぶんと改善しているように見える。
最初は怯えていたソルテだったが、黙々と護衛をこなす傭兵たちに警戒も薄れていったようだ。
今ではこうしてアルディスのもとを離れ、彼らと行動を共にすることさえある。
若さからくる経験の浅さゆえか、はたまた聖職者であるがゆえのことか……。それが『慣れ』なのか『油断』なのかはアルディスにも分からない。
だが少なくともアルディスは警戒を解いていないし、何かあればソルテを守ると決めてはいる。
「俺たちが受けた依頼は『シスターの護衛』だけだからな。荷物持ちを守ってやる義理はねえよ」
ソルテの目が届かないところでアルディスに向けて平然と言ってのけた傭兵たちに、警戒を緩めろというのはそもそも無理な相談だった。
「まあいい。何も起こらないのなら、それに越したことはない」
王都グランの教会。
福耳が特徴的な神父は戸惑っていた。
「どういうことだよ?」
「どういうことかと言われても、私もどういうことかさっぱり……」
福耳神父は五人の傭兵に詰め寄られている。
「俺たちは正式な依頼を受けて来たんだ。なのに護衛の対象者がすでに出発したっていうのはどういうことだ?」
リーダーらしき青年が、依頼書を神父の前に突き出す。
「確かに……、当方が出した依頼書に間違いありません。ですがそうすると……」
傭兵たちが見せて来たのは、シスターソルテを北の開拓地へと護衛する仕事の依頼書。
しかも間違いなく教会が発行した正規のものだ。
「出発日は今日って書いてあるよな? 俺、何か間違ったこと言ってるか?」
憤然とした口調で青年が問いかける。
その後ろには仲間の傭兵たちが控えているが、皆腹立たしさを表情から隠そうともしていない。
当然であろう。
彼らにしてみれば、教会側が依頼話を反故にしたと感じるはずである。
「ちょ、ちょっと待っていただけますか。確認して来ますので、申し訳ありませんがここでお待ちください」
福耳神父は慌てて傭兵を押しとどめると、依頼書を手にしてとある神父の部屋へと駆け込む。
「ドーレット司祭!」
ドーレットと呼ばれた神父は、あてがわれた個室の中で執務机に座って事務仕事をしていたようだ。
恰幅の良い体をもそりと動かして顔をあげると、驚きに目を丸くして福耳神父へ訊ねる。
「どうしたのですか、突然? また信徒さんが礼拝の時間を延長して欲しいとごねているのですか?」
「いえ、そんな話ではありません。とにかくこれを見てください!」
手に持った依頼書をドーレットに差し出すと、福耳神父は事情を説明し始める。
事の次第を聞いたドーレットは、席を立つと壁に据えられた書庫の中から書類を一束抜き取ってきた。
執務机に書類を広げ、その中から一枚の書類を探し出すと、眉間にシワを寄せながら福耳神父に確認の問いを投げかけた。
「ふむ……。シスターソルテは護衛の傭兵と共にもう出発したのですよね?」
「ええ、それは間違いありません」
「あなたが持ってきたこの依頼書、確かに教会の印が入った正規のものです。ですがこちらの――」
と、書庫からとりだした書類へ視線を向ける。
「――先日、他の傭兵が持ってきた依頼書も偽造されたものには見えません」
ドーレットの言う通り、シスターソルテと共に出発した傭兵たちが持ってきた依頼書も、教会の印が入った正規のものである。
「依頼の手配をお願いした修道士に聞いてみないとわかりませんが、おそらく何かの手違いがあったのでしょう」
楽観的な判断を下すドーレットとは逆に、福耳神父は神妙な顔つきになる。
「ドーレット司祭。まさかとは思いますが、シスターソルテに害をなそうとする者の仕業ということは考えられませんか?」
ソルテは一介の修道女であるが、同時に将来聖女になるであろうと噂されるほどの才女でもある。
羨望のまなざしを向けられることも多いが、それだけに妬み嫉みの対象となることも考えられた。
「それは考えすぎでは? 女神様の愛し子に害を加えようとする者がいるとは思えませんが」
「そうかもしれません。ですが良からぬ噂を聞いたことがあります」
「良からぬ噂、ですか?」
「はい。女神様の威光をも恐れぬ不届きな輩。世に混沌と邪悪が満つるのを喜びとする者たちの話です」
それは女神が神界戦争の折に滅した邪神を信奉する者たちの噂である。
邪神を崇める存在の噂など、たとえそれが信憑性の薄いものであろうとも、女神の敬虔な僕である福耳神父にとって耐えられないことであった。
思い返してみれば、最初に来た傭兵たちにはあまり良い印象がない。
シスターの護衛をするにもかかわらずメンバーにひとりも女性がいなかった上、それを抜きにしても軽薄な感じの態度が少々引っかかっていた。
ソルテが不安を感じていたのも気付いていたし、だからこそ荷物持ちという名目で追加の人員を連れていくことに許可を出したのだ。
だがその追加で雇った荷物持ちにしても、今思えば不審な点があった。
女神への崇敬が全くうかがえないどころか、敵意を向けるような素振りすらあったのだ。
立場上、悪感情を顔に出さないよう心がけているので相手には伝わらなかっただろうが、女神をないがしろにするような態度は決して許せるものではない。
その荷物持ちはソルテ自身が指名した相手だという話だった。
しかし聞けば一度会ったことがあるだけらしく、その出会いすら相手が仕組んだシナリオ通りだったのではと勘ぐってしまう。
「私もその噂は耳にしたことがありますが、やはり考えすぎでしょう。単に依頼を出す際に手違いがあったと考えるのが自然です。今日来た傭兵たちには――、そうですね。私から謝罪した上で、成功報酬の半分をお詫びとしてお渡しすれば納得していただけるのではないでしょうか」
結論を出すと、ドーレットは人を呼んで指示を出し始める。
「そうだと……、良いんですが……」
自分にしか聞こえない声でそうつぶやく福耳神父は、自分の脳裏に生まれた疑念を拭えないままでいた。
本当にただの手違いであってくれたら良い。彼にできるのは、ソルテの無事を女神に祈ることだけだった。
2019/08/11 誤字修正 元を離れ → もとを離れ
※誤字報告ありがとうございます。






