第87話
「シスターソルテ。依頼を受けてくださる傭兵の方をお連れしましたよ」
福耳神父に案内されたのは関係者の食堂と思われる一室。
一度に二十人以上が座れそうな長机がいくつも並べられ、机にそって簡素なイスが乱れなく揃え並べられていた。
教会独特の厳粛な雰囲気を漂わせつつも質素な装飾に染められた室内で、ひとりの少女がアルディスたちを迎える。
「ありがとうございます。お手を煩わせてしまい申し訳ございません」
「いえ、大したことではありませんよ」
気さくな様子で少女の感謝に応えると、神父は部屋を出て行った。
「どうぞお掛けになってください。こんな場所で申し訳ありませんが」
少女はアルディスへ席をすすめる。
背の低い少女だった。
その外見は吹けば飛ぶようなはかなさを感じさせ、薄紅色の瞳にはなぜか不安そうな色がありありと浮かんでいた。
「お久しぶりです。その節は命を救っていただき、ありがとうございました」
アルディスがイスに腰掛けると、机を挟むように正面へ立ち少女が頭を下げる。
頭の後ろで束ねられた淡い桜色の髪があわせて揺れた。
「礼ならもうあの時に何度ももらった。それよりさっさと話を終わらせよう」
この少女――ソルテとアルディスは以前コーサスの森で出会っている。
彼女を含む五人の同級生たちが無謀にも学生だけでコーサスの森へ赴き、進退窮まったところをアルディスとテッドたちが救ったのだ。
依頼を受けての捜索と救出である以上、報酬さえ約束通りもらえれば傭兵には十分である。
もちろん仕事としての契約と人としての礼節は別だろう。
少なくともこの少女は救ってもらったことに恩を感じているらしい。
だからこそ、アルディスは気が進まないながらも話くらいは聞いてやろうと思ったのだ。
どこぞの貴族子弟だという少年など、ついぞ礼の言葉を口にすることがなかったのだから、反動で少女への印象が良くなるのも当然のことだった。
「はい」
ぶっきらぼうなアルディスの言葉に困ったような表情を浮かべると、修道服に身を包んだ少女も腰を下ろす。
「ジャンのヤツからは護衛の仕事とだけ聞いてる。まさかとは思うが、また懲りもせず森へ入ろうってんじゃないだろうな?」
「い、いえ。そういうわけではないのです」
アルディスの言葉に、ソルテが慌てて首を振る。
さすがにあんな無謀を再び強行するつもりはないらしい。
「今回は教会のお勤めに関するお願いなのです」
「お勤め?」
「はい。アルディスさんは王都北部の開拓についてご存知でしょうか?」
昨今ナグラス王国は王都から北へ進んだ丘陵地帯の開拓へ着手していた。
豊富な重鉄の鉱脈を有する一帯への入植は、国の支援を全面的に受けた一大事業だ。
「ああ、話は聞いたことがある」
何を隠そう、もともとはアルディスが丘陵地帯に生息していた『鈴寄り』という魔物を討伐したことがきっかけである。
アルディスのおかげとも言えるし、ある意味アルディスのせいとも言えた。
「重鉄鉱山の開発を目的にいくつか集落が作られているんですが、まだ教会を建てられるほどの余裕はありませんし、常駐している司祭様もいないんです」
「まあそうだろうな」
「ですから、そういった集落へは王都から定期的に教会が神父様やシスターを派遣しているんです。派遣される役目は持ち回りで指名を受けることになっていまして――」
今回ソルテにその番が回ってきたのだという。
「しかしあんたはまだ見習いみたいなもんだろう? おまけに学生じゃないか」
「だからこそです」
と、ソルテは苦笑した。
未来の聖女候補として期待されているソルテは、他のシスターとは違い特別に学園へ通わせてもらっている。それは控えめに表現しても特別待遇というものであった。
ならばこそ、こういった役目は進んで果たさねばならない。
周囲はそう考えるし、彼女自身もそれは当然だと思っているらしい。
「ふうん。大変なんだな、聖女候補っていうのも」
アルディスが興味なさそうに言うと、聖女候補の少女は困ったような苦笑を見せた。
「それで道中の護衛を俺に頼みたいってことか?」
「その……、正確には護衛ではなくて……。……です」
途端にソルテが気まずそうに声を落とす。
最後に至ってはほとんど聞こえなかった。
「え? なんて言った? 声が小さくてよく聞こえなかったんだが」
「その、護衛ではなく……、荷物持ちです」
「荷物持ち?」
意外な役割にアルディスが目を丸くする。
「護衛ではなく荷物持ちならひとりだけ雇っていいと、司祭様がおっしゃるので……」
「どういうことだ? 護衛なしで行けって言うのか? そりゃ無茶にもほどがある。その司祭ってのはさっきのヤツか?」
「いえ、先ほどの方とは別の司祭様です」
慌ててソルテが否定した。
「それが、その……。護衛の方はいるんです。教会が雇ってくださった方たちが。でも……その……。神職にある人間としてはあるまじきことだと分かっているんですが……、どうしても護衛の方々が……怖くて」
聞けばソルテはすでに護衛の面々と顔合わせが済んでいるらしい。
ところがそれは彼女の不安を掻き立てるだけの結果に終わったようだ。
「なら護衛を変更してもらったらどうだ?」
アルディスの提案にソルテは首をふる。
「今から護衛を変更するとなれば、大勢の方にご迷惑をおかけすることになってしまいます。ただ、荷物持ちをひとり雇うくらいなら構わないということでしたので……」
「だったらあの時一緒にいた仲間に声をかけりゃいいじゃないか。どうせ同行するならあんたも気心知れた人間の方がいいだろう? 確か女の子がもうひとりいたじゃないか」
「あの一件以降、私たちは全員卒業まで街から出ることを禁止されているんです」
「ああ……、そういうことか。まあ、そりゃあれだけ大事になりゃな……」
ソルテたち五人を救出するために金貨百五十枚もの報酬が支払われているのだ。
いくら貴族の馬鹿息子や聖女候補を救うためとはいえ、笑って流せる金額ではない。
当然ソルテたちに向けられる視線も厳しいものになるし、ペナルティを受けるのは仕方がないことだろう。
「今回の件は教会のお勤めということで特別に許可をしていただきましたが、同級生以外に外で戦える方の心当たりがなかったもので……。それにたとえ同行が許可されたとしても彼女を連れて行くのはちょっと……」
「それで俺に依頼をってことか」
「はい。アルディスさんのお噂は学園にも届いていましたので」
「事情はわかった。まあ、心細いのは分かるが気にしすぎじゃないのか? いくら何でも教会の雇った護衛だ。妙なヤツらじゃないだろう」
教会の名前で正式に出された護衛依頼、それも将来の聖女候補を守る仕事だ。
二束三文の報酬で雇えるようなゴロツキまがいの傭兵はお呼びじゃないだろう。
乗り気でないアルディスが他人事のように言うと、ソルテは泣き出しそうな顔で食い下がってきた。
「お願いします。荷物は全部私が持ちますから。ついてきてくれるだけでいいんです。アルディスさんに断られたら、他にお願いする人がいないんです。もう新しく依頼を出す余裕もありませんし、今日もこの後、出発前最後の打ち合わせがあるんです。でもひとりだと心細くて……」
瞳をうるませながら懇願してくる少女に、さすがのアルディスも強く断ることができなかった。
しぶしぶと打ち合わせの同行に同意すると、「依頼を受けるかどうかは別だからな」とソルテへ念を押す。
不安に怯えて必死に救いを求めてくる子供相手では、さすがのアルディスも冷たい言葉で突き放すことなどできなかった。
それから一時間ほど経って、ソルテの護衛を請け負ったという傭兵たちがやって来た。
食堂で出発前の打ち合わせへと同行したアルディスは、傭兵たちを目にするなり、何かの間違いではないかと思った。
傭兵たちは全部で五人。
えくぼを浮かべてにこやかな顔で立つ剣士を中心に、斧士がふたり、残りは弓士と魔術師風がひとりずつだ。
パッと見たところ装備も整っているし、身のこなしも素人ではない。
それなりの実力を持った人間たちだろう。
だが問題はそこではない。
アルディスが眉をひそめたのは、全員が若い男だったからだ。
ソルテは若い女の子、しかも王都でも噂になるほどの見目麗しい容貌をしている。
そんな女の子を護衛するというのに、パーティ内へ女性がひとりもいないとはどういうことだろうか。
護衛対象が夫婦や親子のように男性を含む複数人ならそれでもいい。
だが少女ひとりだけを護衛するのに、同行するメンバーへ女性が皆無というのは通常考えられない。
ソルテが向かう北部開拓地は、その名の通り今まさに開拓されている最中の土地だ。
当然宿場町のようなものが整備されているわけではない。
道中は野営をせざるを得ないだろう。
そんな状態で周りは若い男ばかり。
まるでヒツジの護衛を五頭のオオカミに任せるようなものだ。
「お前は? ……ああ、荷物持ちか。ったく、そんなのいらないのになあ」
アルディスへ気付いた男たちの目に、邪魔者を見るような色が浮かぶ。
「そうそう、大した荷物があるわけじゃないんだから。全部俺たちに任せりゃいいんだぜ、シスターさんよ」
男たちは笑顔を浮かべると、愛想良くソルテに話しかけ始める。
だがアルディスは見抜いていた。それが守るべき護衛対象に向けられるものではなく、狩りの獲物に向けられる捕食者の視線であることを。
男のアルディスですら気付くのだ。
ましてそういった視線に敏感なのが女という生き物である。
ソルテが気付かないはずがない。
これではソルテが不安がるのもわかるし、同級生の女の子を同行させようとしなかったのも当然だった。
「小僧。思いとどまるなら今のうちだぞ。これは遊びじゃない。死んでもしらねえからな」
アルディスへ向けて、まるで脅すかのように高圧的な物言いをするえくぼの男。
彼ら五人の年齢は見たところ二十から二十五の間くらいだ。
見た目が十五歳に見えるアルディスを子供扱いするのも仕方ないことだろう。
「小僧じゃない。アルディスだ。一応これでも傭兵なんだがな」
「ふん、駆け出しの魔術師か。使えもしない剣をぶら下げるくらいなら、もうちっとマシな防具を身につけるんだな」
アルディスの装いを見て、勝手に魔術師と判断するえくぼの男。
同時にアルディスは彼らがよそ者であることを理解した。
三大強魔討伐以降、アルディスは王都でもちょっとした有名人である。
直接会ったことのない人間でも、『黒髪』で『アルディス』という名を聞けば、すぐに剣魔術の使い手を思い浮かべるだろうというくらいには名が知れていた。
だがこの傭兵たちはアルディス本人を目の前にして名を聞いても、あまつさえアルディスのトレードマークとも言える腰の剣を見ても反応がない。
おそらく王都にやって来てまだ間がないか、あるいは普段王都以外の街を拠点にしているパーティなのだろう。
(怪しい)
アルディスはそう結論付けた。
王都というだけあって、この街を拠点にする傭兵の数は他の街と比べても多い。
彼らが名の知れた傭兵というのならともかく、わざわざよそ者に護衛をさせる意味がわからない。
教会の人間が何を考え、こんな傭兵たちを護衛として雇ったのかアルディスには理解できなかった。
(放っておけないか)
アルディスは内心でため息をつくと、男たちに囲まれて怯えた様子を見せるソルテへ問いかけた。
「で? 出発はいつだ? 集合場所は?」
「ア、アルディスさん! それじゃあ!」
ソルテの目へ瞬時に喜色が浮かぶ。
「仕方ない。荷物持ちの依頼、受けてやるよ」






