第82話
「おいおい。なんだよあれ? 首を落とされても生きてんのかよ?」
ニコルが引きつった笑いを浮かべた。
「さて、ね。生きてるかどうかは知らないが――」
アルディスの言葉へ反応するかのように、魔物が尾を振り回す。
乱暴に風をかき乱す音が聞こえてきた。
「――少なくとも、まだ動くことは確かみたいだ」
改めてアルディスがそれを敵と認めて対峙する。
『刻春霞』と『月代吹雪』を操って、一直線に魔物の首へとぶつけた。
首の断面からは体液らしきものがにじみ出ている。しかし生物であれば当たり前のように噴き出すはずの液体――血液――ではないようだ。
例えるなら樹木を切断したときににじみ出る樹液。そういう表現がピッタリの様子だった。
《――――パキンッ》
アルディスの放つ剣に対し、首から先を失った魔物は五体満足だったときと何ら遜色のない動きを見せた。
しかし決定的に違う点がひとつある。
青みがかった灰色の体表は半端な攻撃をことごとく跳ね返す天然の盾だったが、斬り落とされた首の断面にはそれがない。
いくら強固な皮膚を持っていようと、やわらかな断面からの攻撃にはなすすべもないだろう。
アルディスの読みは正しかった。
先ほどはまるで歯が立たなかった飛剣が、断面のやわらかい肉を引き裂く。
もはや声をあげることもできない魔物は、ただその身をもだえさせて苦痛をあらわにするだけだ。
「弱点をさらした時点で負けってことだ」
駆け寄ったアルディスが、容赦なく『蒼天彩華』を首へたたき込む。
首から腹にかけて縦一直線に切り開かれた魔物は、魚の干物じみた格好で地面に倒れこんだ。
今度こそ勝負がついた。そんな空気が周囲へ広がる中、傭兵たちは三度驚愕に目を見開くこととなる。
「それでも動けるのか……」
さすがのアルディスも困惑気味だった。
首は断たれ、完全にではないが胴体も左右に分離している。
通常の生物であれば、意思を持って動ける状態ではないはずだ。
「やっかいな」
それでもアルディスは冷静に剣を振るっていく。
胴をさらに引き裂き、太い尾を途中で断ちきり、足首を深く斬りつける。
アルディスが剣を踊らせる度に魔物の体は傷だらけになり、一個の個体だったものから少しずつ、また少しずつと削られていった。
しかし魔物の動きは止まらない。
足はしっかりと大地を踏みしめ、短くなった尾は相変わらずうねりをあげてアルディスへ襲いかかる。
その様子はまるで糸で操られたマリオネットを見ているようだった。
「もしかして……」
アルディスの視線が、斬り落とされた首へちらりと向く。
人面と人の腕に模した器官を持つ魔物の頭部。
斬り落としはしたものの、頭部自体はまだ形を保っている。
「そっちが本体なのか?」
この魔物の本体はあの頭部のみで、アルディスが相手にしている胴体部がただのダミーだとすればこの状況も理解できる。
馬車を制御する御者のようなもので、胴体の方はただ操られるだけの依り代的な存在かもしれない。
それを確かめるため、アルディスは魔物の攻撃を避けながら二本の剣を頭部に向けて放つ。
『刻春霞』と『月代吹雪』では魔物の硬い皮膚を貫けない。
何らかの反応があれば良い程度の気持ちで、剣を差し向けたアルディスの意図は大きく外れる。
てっきり弾かれると思っていた二本の剣が、魔物の首へサックリと突き刺さったからだ。
「どういうことだ?」
疑問に思いながらも、アルディスは魔物の首へ飛剣でさらに斬りつける。
魔物胴体からの攻撃をさばきながら、意識を首の方へ向けた。
首は攻撃を受けているにもかかわらず、なんの反応も見せない。
一方的に傷つけられているだけだ。
それはつまり、首を何とかすれば胴体の活動が停止するわけではないということだった。
「一体どうしろと……」
そこへ来て初めてアルディスの顔に焦りが見えはじめる。
《――――ペキペキッ》
(焼き払うか? いや、中途半端な魔法が効く相手とも思えない)
魔物の胴体は足を切り離しても尾を切断しても、止まる気配を見せていない。
《――――ピキッ》
それどころか、切り離したはずの部位が再び体に定着し、修復する様相すら窺わせた。
(全力で炎を作り出せば効くかもしれないが、このあたり一帯を不毛の地にするのはまずい)
《――――パキッ》
このまま延々とあしらい続けるわけにもいかない。
いくらアルディスでも疲労はたまるし、いずれ限界はやって来るのだ。
仕方がない。面倒だが少しずつ誘導して耕地の無いところで焼き払うか――。アルディスがそう決心したとき、その腰に下げていた一本の剣がパリンと甲高い音を立てて繭を脱ぎ捨てた。
それはアルディスとキリルがコーサスの森奥深くにある遺跡から回収してきた赤い剣。
レイティンに来るきっかけともなったシロモノである。
「なんだ!?」
珍しくアルディスが驚きに目を見開く。
ネーレの頭髪をまとってここしばらく繭のように包まれていたそれが、アルディスの視線にさらされる中、突然の音と共にベールを脱いだ。
赤い剣を包んでいた繭はすっかり破片となって四方へ飛び散り、その中から鞘に包まれた荘厳な装飾が姿を現していた。
アルディスが魔物から距離をとって動きを止める。
繭から表れた剣は遺跡で見つけたときと同じデザイン、そして同じ色。
見た目には何も変わっていなかったが、かすかに感じさせていた不快さは無くなっている。
(だが今はそれどころじゃ――)
目の前にいる魔物をどうにかするのが先決と、アルディスが正面へ視線を戻そうとしたとき、その剣がひとりでに鞘から抜き放たれた。
「なっ……!?」
アルディスがやったわけではない。
剣が勝手に鞘から出てきたのだ。
剣身の色は赤。
赤は赤でも、以前見たときの色とは明らかな違いがある。
固まりかけた血液のような不吉さではなく、高貴さと温かさを感じさせる命の色であった。
赤い剣はゆっくりとアルディスの前で切っ先を天に向け直立すると、そのまま地上二メートルほどの高さに停止する。
「えっ?」
次の瞬間、アルディスはとっさに身構えることとなった。
宙に浮いた剣の持ち手に、人間の手があてがわれていたからだ。
(いつの間に!?)
驚いて視線を下へ戻すと、そこにはひとりの若い女性がいた。
そして女の顔を見て再び驚きに包まれる。
「ネーレ!?」
スラリと真っ直ぐ背に落ちる長い髪。切れ長の瞳が高貴さを感じさせる整った顔立ち。
紛れもなくナグラス王国の森へ残してきたはずのネーレだった。
「なんでネーレがここに……! ……いや、……ネーレなのか?」
しかしすぐさまアルディスは疑問を抱く。
姿形も顔もその女はアルディスの知るネーレという人間にうりふたつだ。
その一方で、明らかに異なる点が多々あった。
赤茶けた髪色も、燃えるように真っ赤な瞳も、身にまとう漆黒の長衣も、アルディスの知るネーレではないことを示している。
何より違うのはその表情。女はアルディスに向けて微笑みかけていた。
ネーレは感情の表現に乏しい。
決して笑わないというわけではないが、その笑顔はとても控えめで慎ましい印象を与える。意図的に感情を発露しないよう制御しているかのようだ。
だが目の前にいるネーレそっくりの女が向ける笑みは、まるで幼子を慈しむかのようなやわらかく温かみを持った表情だった。
姿形はそっくりだが、別の存在。
アルディスは思考によってではなく、感覚でそれを理解した。
「あんた……、誰だ?」
アルディスの問いかけに無言で微笑み返すと、ネーレそっくりの女は綿毛が風に乗るようなゆっくりとした動きでふわりと飛ぶ。
赤茶けた長髪をなびかせて、女がアルディスの頭上を通りすぎる。
「待て!」
アルディスはその足をつかもうと手を伸ばして、女の体がすり抜けていったことに再び目を見張る。
「幻影……?」
魔物と対峙していることすら忘れ、アルディスは振り返る。
女は風に乗るような穏やかさで宙を飛び、魔物の首が落ちている場所へと着地した。
そこでようやくアルディスは気付く。女の体がおぼろげに透けて見えるということを。
女の体越しにレイティンの城壁が映る。
ネーレに似た女は魔物の首と対峙すると、ゆっくりと腰を下ろし、その手を魔物へと差し伸べる。
そのまま抱きしめるかのように、そっと剣を魔物へと突き刺す。それは淡く掻き消えそうな、幻じみた光景だった。
「お、おい! 見ろ! 魔物の体が!」
どこかで傭兵が声をあげた。
つられて視線を向けると、それまでいくら斬りつけてもバラバラにしても止まる気配を見せなかった魔物の胴体が、ゆっくりと地へ倒れこんでいくのを目にする。
ドシン、と軽い揺れを引き起こしながら魔物が倒れ伏す。
そしてそのままピクリとも動かなくなってしまった。
(まさか、あの女がやったのか!?)
慌てて振り向くアルディスの視線に、剣を持って立ち上がる女の視線が交差した。
女がさきほどよりやや影のある微笑みをアルディスに向ける。
「あ……」
何かを言いかけて、何を言えば良いのかも分からずアルディスは言葉をなくす。
そんなアルディスから顔をそらすと、ネーレそっくりの女は逆の方向を向いて飛び上がった。
ふわりと浮き上がった女の体は、周囲の傭兵たちがあっけにとられる中、風に乗ってレイティンの街へと消えていくのだった。
2017/11/02 誤字修正 伺わせた → 窺わせた
2019/08/11 誤字修正 吹き出す → 噴き出す
※誤字報告ありがとうございます。






