第74話
「早く進めよ! 早く!」
「こら! それはオレの荷物だ! 勝手にどけるんじゃない!」
「急げ! 間もなく門を閉めるぞ! 荷物は諦めて中に入るんだ!」
「衛兵さん、それはないでしょう! あれを置いてったら私は破産ですよ!」
「妻が! 妻がいないんです! 待ってください!」
「ふざけんな! 魔物がこっちに来たらどうするんだ!」
アルディスたちがたどり着いた西門は混乱の極みにあった。
畑での作業を中断して我先に門をくぐろうとする農民。何とかして馬車の荷を安全な街中へ押し込もうとする商人。一刻も早く門を閉じたくて、人々を急かす衛兵。
あちらこちらで押し合いへし合い、怒鳴り声や金切り声が飛び交っている。
ごく少数ではあるがレイティンから出て西へ逃げようとする者たちも見られ、人の流れをさらにかき乱していた。
「ふう、間に合ったか」
門の側までたどり着いたテッドが安堵の息をつく。
西門前の混乱はひどいものだが、少なくとも門はまだ開いている。
いくらアルディスたちが熟練の傭兵とはいえ、門を閉じられてしまってはこの場に留まることなどできないだろう。
草原に出現する獣や魔物に後れを取ることはないだろうが、人間である以上、休息や睡眠は必要だし何より手持ちの食糧は少ない。
「まずい、そろそろ門が閉まりそうだよ。急ごう、テッド!」
「そうした方が良さそうだ。小さな群れがこっちに向かってきてる」
「うげっ、もう来やがったか」
アルディスの視線を追って、テッドが顔をしかめる。
東門を囲む群れからあふれたのだろう。四つ足で駆けてくる獣の影が近づいていた。
門を守る衛兵たちもそれに気付き、すぐさま隊列を整えて迎撃の態勢をとる。
しかしその後ろでは、門をくぐろうと待つ人の列が今なお残っているのだ。
このままでは戦う術を持たない彼らが危険にさらされてしまう。
「迎撃準備! 絶対に後ろへは通すな! 住民を収容するまで耐えきるのだ!」
指揮官らしき初老の兵士が声を張り上げる。
「しかし隊長! 我々だけでは……!」
そばにいた兵士が言葉をつまらせる。
避難する住民の護衛を名目として配備されている兵士の数は百に満たない。
しかも常日頃から戦いに身を置いている傭兵と違い、平和が長く続いたレイティンの軍は実戦経験を持つ兵が少なかった。
確かに西門へ迫る獣の群れよりは兵士の方が多い。
しかし、獣の群れから無防備な住民を守る事は、単純に打ち勝つことよりも遥かに困難だ。
加えて迫ってくる獣の数は、みるみるうちに増えていた。その数が二百を超えれば、純粋な勝敗ですら結果は怪しくなるだろう。
「言うな」
「隊長……」
「お主の言わんとするところはわかる。だが我々は誇りあるレイティン軍の一員だ。今ここで民を守り盾にならねば、いったい我々は何のために存在しているというのだ?」
隊長と呼ばれた初老の兵士が部下たちを見回す。しかし兵士たちの顔は青いままだった。
「そうそう。普段えらそうにしてるんだから、こういうときにこそ力を見せなきゃな」
そしらぬ顔で聞き耳を立てていた『白夜の明星』のリーダーが横から口を挟んだ。
「まーたテッドは余計なお節介を……」
その後ろでは、呆れた口調に似つかわしくない笑みを浮かべてノーリスがボソリとぼやいていた。
「傭兵か」
隊長のとなりに立っていた兵士が、意外そうな目をテッドに向ける。
「出来る事なら手を貸して欲しいとは思うが、国から依頼が出ているわけではない。……報酬が無ければ動くつもりはないのだろう? お前らは」
「まあまあ、そう決めつけんなよ。時間稼ぎの手伝いくらいしてやるからさ」
テッドの言葉に兵士が目を丸くするのも無理はない。
傭兵がただ働きをしようというのだ。それは兵士が知る傭兵のありようとは少々異なっていた。
「またそうやって勝手に決めるんだから……」
オルフェリアが呆れた表情を見せる。
もちろんノーリスもオルフェリアも口ではどうこう言いながら、テッドの決定に反対することはない。
一見粗暴に見えて、困窮する者や弱者を見捨てておけない自分たちのリーダーを心の奥では誇らしく思っているのだ。それがアルディスの知る『白夜の明星』というパーティだった。
「どういうことかね? まさかお主らが獣の撃退に手を貸してくれるとでも?」
信じられないといった顔をした兵士の後ろから、初老の隊長が一歩前へ出てくる。
「もちろん捨て駒になるつもりはさらさらねえが、門を閉めるまでの時間稼ぎくらいならな」
「……ワシの一存では報酬など出せぬぞ?」
テッドの本心を図りかねているらしく、隊長は念を押すように確認をしてきた。
「かまわねえよ。メシくらいはおごってもらえるんだろ?」
「ほう、そう来るか? ……よかろう、とびっきりの美味いメシを馳走してやるわい」
老兵は年季の入った顔をほころばせる。
「よし、決まり。ノーリス! オルフェリア! アルディス! というわけだ。街に戻るのはちょいと一汗かいてからにすっか!」
強面男が仲間を振り返った。
「あはは、仕方ないねー」
「何が『というわけだ』よ。ちょっとくらいは私たちの意見も聞きなさいよ」
「わかった」
お人好しのリーダーへ三者三様の返事が飛ぶ。
「すまんな。感謝する。魔術師がふたりも味方になるのなら、これほど心強い事はない」
オルフェリアとアルディスの格好を見て、隊長はふたりを魔術師と判断したようだ。
「どれくらいの時間を稼げば良い?」
アルディスが隊長に向けて問いかけた。
こうしている間にも獣の群れは迫ってきている。悠長に協議する時間などないのだ。
「あと十五分、といったところだのう」
西門へ殺到する人の列を見て、隊長はそう判断する。
「わかった。十五分だな」
確認するべき事は他にないと言わんばかりに、アルディスは身をひるがえす。
見れば、獣の群れはかなり近づいて来ていた。
足の速い『グラスウルフ』や『コヨーテ』といった肉食獣が先頭集団を構成し、その後ろを『スナッチ』や『グリーンナイフ』が続く。
その数はざっと見たところで二百。続々と増え続ける影の数から考えるに、おそらくアルディスたちが東門を確認したときよりも多くの獣が集まっているのだろう。
東門からあふれた獣が城壁沿いに西門まで流れてきているのだ。
「アルディスは左を、オルフェリアは右を頼む」
「わかったわ」
テッドが素早くメンバーへ指示を出す。
「ノーリスは魔法で討ちもらしたやつを仕留めてくれ。オレは――」
「突っ込んだりするなよ。門が閉まるまでの時間稼ぎなんだからな」
「わかってるっての。アルディスこそやり過ぎるなよ! 時間稼ぎだけで良いんだからな!」
「……なあ、テッドは俺をいったい何だと――」
「アルディス! 無駄話は後で! 来るわよ!」
話を遮られたアルディスは軽く舌打ちをすると、迫り来る獣の群れに向かい合う。
弓矢はまだ届かないが、すでに攻撃魔法の射程範囲内だった。
「猛き紅は烈炎の軌跡に生まれ出でし古竜の吐息――――煉獄の炎!」
オルフェリアの生みだした炎がコヨーテの群れに直撃する。
突然出現した灼熱の炎を避ける事などできず、焼け焦げたコヨーテの体が次々と地へ倒れ伏していった。
「すごい……」
「これが上級攻撃魔法の威力か……」
魔法による破壊を初めて目の当たりにした兵士たちから、驚きの声があがる。
もちろんレイティン軍にも魔術師は存在するが、平和な世の中で彼らがその破壊力を見せることはあまりない。
訓練用の剣や矢と違い、演習で味方に向けて攻撃魔法を使うわけにもいかないのだ。
初級魔法ならともかく、戦場に出たことのない兵士の大部分が上級攻撃魔法を初めて見るのも当然である。
「輝く蒼は色果てし幻の地を舞う永遠の刻と静寂――――極北の嵐!」
次いでアルディスが放ったのは全てを凍てつかせる極寒の風。
白い雪混じりの突風がグラスウルフの群れを包む。
全力疾走していたグラスウルフたちは、四肢を凍り付かせてその場にうずくまる。
そのままみるみるうちに全身を氷に包まれて動かなくなった。
「おお! これなら……!」
圧倒的不利な状況に、意気消沈していた兵士たちの顔が明るくなる。
だが獣の群れは、なおも絶えることなく押し寄せてきた。
二度、三度とアルディスたちの魔法がそれを薙ぎ払うが、やがてオルフェリアに疲れが見え始める。
「はあ、はあ……。そろそろ限界よ。上級はあと一回ってところね」
「大丈夫だ! もうすぐ住民の収容も終わる! あと一分だけもたせてくれ!」
避難状況を確認した隊長が声を張り上げた。
その周囲では兵士たちが剣や槍を手にして、魔法をかいくぐってきた獣を食い止めている。
いくら上級攻撃魔法とはいえ、広範囲を一度にカバーすることは難しい。
魔法の直撃を免れた獣もノーリスの弓によって次々と仕留められるが、それでもなお少数が兵士のもとへとたどり着く。
「魔術師たちに獣を近づけるな!」
兵士たちはアルディスとオルフェリアを囲むように陣取り、避難する人々の列を守っていた。
時折紛れ込む『獣王』や兵士の防御陣を抜けそうな獣は、すかさずテッドが葬り去る。
『白夜の明星』の働きにより、兵士たちは常に圧倒的多数で獣と対峙することができた。
「よし! 避難が完了したようだ! 我々も撤退するぞ!」
ようやく住民の避難が終わったようだ。
隊長が撤退の指示を出すのにあわせて、アルディスたちも後退しはじめる。
アルディスは置き土産代わりに煉獄の炎を一発お見舞いすると、兵士たちの撤退にあわせて西門からレイティンの街へと素早く駆け込む。
追ってくる獣たちを追い払い、西門が衛兵たちの手で閉じられた時、すでに西の空は鮮やかな赤で染まりきっていた。
2019/08/11 誤字修正 遅れを取る → 後れを取る
2019/08/11 誤字修正 兵士の元へ 兵士のもとへ
※誤字報告ありがとうございます。






