第72話
アルディスは足を組み、その上にヒジを立てると手の甲へアゴを乗せる。
ジッとマリーダの目を見つめながら、彼女の話を反芻した。
マリーダが言っている内容は、にわかに信じがたい話である。
だが確かに未来を知っているとしか思えない言動も無視はできない。
この女を信じるべきか否か。その試金石となる問いをアルディスは口にする。
「キリルに持たせていた小さな封筒の中身。あのカードに書かれていた言葉はなんだ? なんであんたがアレを知っている?」
カードに書かれていた言葉。
『我らの剣は勝利のために、我らの心は仲間のために。いざゆかん、栄光を我らが旗のもとに』
それはアルディスのよく知っている言葉であった。
アルディスと共に戦い、そして死んでいった数多くの仲間たちだけが口にしていたはずの言葉だ。
それを知る人間が生きているなら、それはアルディスと同じように死地をくぐり抜けてここへたどり着いたという事である。
誰かはわからない。いや、誰でも良い。
ただ、自分はひとりでは無いということを確かめたいだけかもしれなかった。
「誰に聞いた? そいつは生きているのか? 今どこにいる?」
真剣なまなざしで問いかけるアルディスへ、マリーダは困ったような表情を見せる。
「う、えー……、あー……。あの言葉? あれは、夢で見たんだよね」
「夢……?」
「そう、夢。私の夢はいつもいつも同じってわけじゃなくてね。連続して同じ夢を見ることもあるけど、昨日と今日とで違うことも多いんだよにぃ。今回のこれは終わった夢だからもう見ることはないけれど、他の夢でもアルディス君が出てくることがあるんだよ。その中のひとつで、アルディス君自身が口にしていた言葉なんだよにぃ。だからごめん。私も詳しくは知らないんだよね」
それはアルディスが求めていた答えから、かけ離れた内容だった。
内心の落胆を表に出さず、アルディスが続けて問いかける。
「……それは、どれくらい先の未来だ?」
「んー……。アルディス君の外見から考えるに、一年や二年じゃなくて、もう少し先の話だと思うよ? 十年は経って無いと思うけど……、五年くらいかな?」
「他に分かることはないか? 周囲の風景とか、一緒にいた人物とか」
「場所は小高い丘の上だったなあ。まわりにはたくさんの兵士や傭兵がいて、アルディス君が号令をかけてたっけ。側に居たのは十七、八歳くらいの女の子、髪色はアリスブルーだったよ。反対側に立ってたのは、それよりちょっと年上の美人。こっちの髪色は金髪だったかな? あとはアッシュブロンドの髪をした剣士、ラベンダー色のポニーテールを結った女剣士、体つきのしっかりした見るからに傭兵の強面男、って感じかな」
「そう、か……」
それはアルディスにとっても、身に覚えのない光景だ。当然彼が知りたかった情報ではない。
だが、彼女がでたらめを言っているとも思えない。
問題はアルディスがマリーダを信用するかどうかという一点だ。
彼女が嘘をついている可能性や、背後に別の黒幕がいてアルディスへ偽の情報を流している可能性も考えられる。
しかし、たとえ本人の言う『夢で見た』というのが作り話であったとしても、アルディスに関係した何らかの情報源を持っているのは確かだろう。
ならば利用してやれば良い。
アルディスは開き直りにも似た結論へたどり着く。
無理に信用する必要はないのだ。たとえこの女が何らかの企てを持っていたとしても、矢面に立つのがアルディスだけなら何とでもなる。
「いいだろう」
その一言に多くの意味を込め、アルディスは最後の質問を投げかける。
「これが最後だ。あんた、この前俺のことを何やら通り名で呼んでいたな?」
「『千剣の魔術師』ってのかにぃ?」
「そう、それだ。その呼び名はいったい何だ?」
「さあ?」
マリーダが首を傾けて、身もふたもない答えを返す。
「ふざけてるのか」
「いや、ごめんね。ホントに知らないんだよ。これも結局夢で見ただけなんだけど、アルディス君がまわりの人からそんな通り名で呼ばれてたみたいなんだよねー。むしろアルディス君の方が心当たりあるんじゃないの?」
「知らん。そんな通り名で呼ばれた事はない」
「ふーん。じゃあその通り名がつけられるのは先の話ってことかもにぃ」
あまり興味がなさそうにマリーダはひとりつぶやく。
「役に立たない力だな」
結局得られた情報は、マリーダ自身の能力についてのみ。
確かにその結果として、キリルに対する扱いや、さも未来を知っているかのような物言いの根拠も明らかになった。
だがアルディスが最も知りたかった言葉の出所は分からずじまいである。
落胆する気持ちが、アルディスの口から皮肉となってこぼれ落ちたのだ。
「ごめんねー。けど何度も言ってるように、私はアルディス君の味方になるつもりだからにぃ。夢見で何か分かったときは、教えてあげるから」
「味方、ねえ……。俺に肩入れして、あんたに何のメリットがあるんだ? それも夢で見た結果か?」
「そうそう。少なくともアルディス君の味方でいれば、商会は大きくなっていくし、私も死なずにすむからねー」
「俺を敵に回した場合は?」
「いや、もう……。それは思い出したくもない……」
どうやら夢の中でアルディスを敵に回す未来も経験済みらしい。
浮かべていた笑みを瞬時に消し去り、マリーダは顔を真っ青に染める。心なしか声も震えていた。
「少なくともあんたの化け物っぷりや恐ろしさは十分身に染みてるよ。私は破滅願望者じゃないんでね」
敵に回ってアルディスたちに害意を向けるつもりなら、たとえ彼女が戦う力を持たない商人だろうが、若い女性だろうが容赦するつもりはない。
しかし命を狙ってくるならともかく、敵対する人間ことごとくを破滅に追いやるほど執念深くもなければ、弱い者を足蹴にして楽しむほどいびつな嗜好も持ってはいない。
偽の情報で謀ったくらいなら、せいぜいチェザーレのように脅しをかけて釘を刺す程度だろう。
「俺は別に嗜虐趣味とかないんだが?」
「いやいやいやいや。あんたにそのつもりがなくても、敵意を向けられた方はたまったもんじゃないってば!」
先ほどまでの余裕はどこへ行ったのか、ソファーの上で後退るという器用なことをしながらマリーダが全力で首を振る。
その滑稽な振る舞いに、アルディスは思わず失笑する。
「なんか最初に会ったときとずいぶんイメージが違うな、あんた。もっとふてぶてしい印象があったんだが」
笑われたマリーダは、ふてくされたような表情を浮かべると、視線をそらしながら言い訳がましくぼやいた。
「それは仕方ないわよ。ああやって思わせぶりな態度をとっておかないと、アルディス君はいつも想定外の行動に出るんだから……。少しはこっちの苦労も知って欲しいわ」
夢で模索した通りに事を進められたことで安心したのだろう。抜け目のない商人という対外用の仮面が剥がれ、アルディスはそこに年相応の素顔を垣間見たような気がした。
奇妙な口調がとれたマリーダを見て、アルディスの警戒心が緩む。
「まあいい。とりあえずはあんたの話を信じることにしておこう」
「うん。今のところはそれで十分だにぃ。どうせアルディス君相手に、最初から全面的な信用を得られるとは思ってないからねー」
ずいぶんな言われようだが、その認識が間違っているわけではないので、アルディスも言い返すことができない。
「他に訊きたいことは?」
再び商人の笑顔を貼りつけながらマリーダが確認する。
アルディスは返答の代わりに、荷物入れから紐で縛ったネーレの髪をとりだしてテーブルへと置いた。
「約束の物だ。条件通り、使うときは立ち会わせてもらうぞ」
「うん。確かにアリスブルーのキレイな色だねー。私もこんな色の髪が良かったにぃ」
髪の束を手に取りながら、マリーダが個人的感想を口にする。
「でも私、『一房』って言わなかったっけ? どう見ても一房どころかバッサリと人間ひとり分の量がありそうなんだけどにぃ……」
「……俺が切らせたわけじゃないぞ?」
アルディスが「一房で良い」と口にするよりも早く、何のためらいも見せず全ての髪を切り落としたネーレだった。
「そりゃ多い分には問題ないと思うけどねー」
なぜか非難めいた視線を向けてくるマリーダ。
「女にここまでさせたんだから、その人にお詫びの贈り物くらい買ってあげなよ? なんだったらうちの商会で手頃なアクセサリーでも用意しようかにぃ?」
「いや、いらない。探知魔法とか込められた品物を手渡されてもたまらんからな」
「うわー。信用ないんだにぃ」
アルディスは内心で「当然だ」と答えながら、わざとらしく嘆くマリーダを見ていた。
とりあえず明確な敵ではなさそうだが、だからといって味方と断定するのはまだ早いだろう。
「そういう小芝居は俺が帰ってからやってくれ」
「ノリが悪いねー」
「で? これをどうするんだ?」
マリーダのセリフを無視すると、アルディスはテーブルの上に置かれたネーレの髪へ視線を向けて問いかける。
「剣があるところに移動しよっか。こっちに剣を持ってくるわけにもいかないっしょ」
そっとネーレの髪を持ちあげると、マリーダは席を立つ。
そのままマリーダはアルディスをつれて応接間から出ると、建物の地下へと移動する。
たどり着いた場所は、アルディスも前回足を踏み入れたことのある一室だった。
部屋に入ると真っ先に見えるのは床に描かれた魔法陣らしき文様。
その中央に位置するのは一振りの剣。剣は魔法陣から延びた幾筋もの光に縫い止められている。
前回と同じ光景。だがその光が当初見たときよりも少なからず細くなったように、アルディスは感じていた。
「明日か明後日には効果が切れるだろうねー。なんにせよ間に合って良かったよん」
「で? その髪をどうやって使うんだ?」
「知らない」
「は?」
あっけらかんと答えを放棄したマリーダ。
間の抜けたアルディスの声が部屋にむなしく響いた。
「これが必要って事は夢で見たけど、実際にどうやって使うのかは出てこなかったんだよにぃ。そんなに都合良く何でもかんでも夢で見れたら苦労はしないっしょ」
「おい。……だったらどうすんだよ?」
「適当にやってみるしかないんじゃないかにぃ?」
「適当って……」
呆れるアルディスをよそに、マリーダは魔法陣の中央へ歩いて近づくと、剣の側にアリスブルーの髪束を静かに置く。
「あ、ほらほら。反応があったよん」
マリーダの言葉通り、魔法陣の中央にある剣が髪束に反応して怪しく輝きはじめた。
赤い光が何かを求めるように周囲を探りはじめる。
やがて光は髪束の存在を探り当てると、まるで液体のように床を這って動き出す。
ゆっくりとたどり着いた光は、髪束を覆い尽くすように拡がり、それに反応するかのような動きで髪束がほどけ剣に引き寄せられた。
「剣が……、包まれていくのか?」
アルディスが表現したように、ほどけてバラバラになったネーレの髪が、剣全体を包み隠していく。
「まるで繭みたいだにぃ」
すっぽりと髪に包まれた剣の表面は、アリスブルーの繭を思わせた。
「これで良いんだろうねー、多分。『案ずるより産むが易し』って、本当だにぃ」
「それで、これはどういう状況なんだ?」
「さあ?」
「さあって、あんたなあ……」
「仕方ないよにぃ。夢で見てなけりゃ、私にだってわかんないよ。この力がなけりゃ所詮商家の一小娘だもん。わかんないことはわかんないし。わかんないことにいつまでも頭抱えたところで、解決するわけじゃないっしょ?」
開き直るマリーダ。
アルディスの眉間にシワがよる。
「繭っぽい見た目だから、そのうち何か生まれるんじゃないかにぃ?」
「何かって、なんだよ?」
「なんだろうにぃ? 魔物とかじゃなけりゃ良いんだけど……」
仮面が剥がれたマリーダは、思った以上にいい加減な性格をしているようだ。
苛立たしい最初の印象よりはずっとマシだが、何とも言えぬ残念なその様子に、頭が痛くなってきたアルディスは眉間へ指をあてて丹念にほぐし続けた。
2019/07/30 誤字修正 例え → たとえ






