第71話
テッドたち『白夜の明星』がジンバリル商会を後にしたちょうどその頃。
アルディスはリッテ商会の応接間でソファーに腰掛け、商会の会長であるマリーダと対面していた。
「さてさて、アルディス君。例の物は持ってきてくれたかにぃ?」
供されたお茶のカップから口を離し、テーブルの上へ静かに置くと、アルディスは女の目を真っ直ぐ見て短く返事をする。
「ああ」
「そりゃあ良かった。ではではさっそく見せてもらえるかにぃ?」
商人らしく愛想満載の笑顔を浮かべながら、マリーダが両手を差し出す。
まるで子供がお菓子を強請るような愛らしい仕種だが、彼女は商会を切り盛りする強かな商人だ。見た目に騙されれば痛い目にあうことだろう。
「その前に――」
突き刺すような視線を向け、黒髪の少年が口を開く。
「条件をつけさせてもらおう」
「条件?」
突然の言葉にも、女の笑顔は崩れない。
「そう、条件だ。俺は確かにあんたの望む物を持ってきた。だが、これを渡すかどうかはあんた次第だ」
「……具体的に条件というのは?」
「まずはあんたが知っていることを洗いざらい話してもらおう。俺が納得するまで話を聞き終わったら、持ってきた物を渡す」
まずは最初にマリーダの持っているカードを見せろ。こちらのカードはその後で見せる。
アルディスが言っているのはそういう事であった。
「それはちょっとムシが良すぎるんじゃないかにぃ?」
「こっちはあんたの言い分を聞いて、望み通りの品を望み通りの期日までに持ってきた。この時点ですでに譲歩してるんだ。今度はあんたが譲る番じゃないのか?」
「おやおや、アルディス君。アンタは本職の商人相手に交渉しようってのかなー?」
「悪いが、相手の言い値で取引するほど素直な性格じゃないんでな」
余裕の笑みを浮かべていたマリーダの目に、相手を推し測るような光が灯る。
「ふーん」
マリーダは両腕を組んでソファーの背にもたれかかった。
「他には?」
「あんた、俺が持ってきた物を『剣を鎮めるのに必要』とか言ってたな」
「うん、言ったねえ」
「実際に使うところに立ち会わせろ。もしそれ以外の良からぬことに使うつもりなら、あんたにこれを渡すことはできない。このふたつを呑めないなら、話はご破算だ」
アルディスが突きつけた条件も、最終的な結果に影響を及ぼすものではない。
順番がどうであろうとアルディスが情報を得ることに変わりはないし、ネーレの髪はマリーダの手に渡る。
だが先に情報だけをアルディスへ渡すということは、マリーダにとって取引のリスクを増大させることになってしまう。
アルディスが情報を得た後で約束を反故にした場合、彼女は一方的に損をこうむることになるだろう。
形を持った品と違い、情報という無形のものは一度相手に提供してしまうと取りもどすことができないからだ。
先に情報の提供を求めるということは、アルディスがマリーダを信用していない証であり、それを承知の上でマリーダが条件を呑むということは、彼女がアルディスを信用していなければ成立しない話だからだ。
自分を信用していない人間から得た情報など、アルディスは鵜呑みにすることができない。
アルディスにしてみれば、この程度の条件を渋るような相手から情報を得たところで、情報そのものの信憑性に疑いを持たざるを得ない。
信憑性のない情報など、アルディスはもとから必要としていなかった。取引を取りやめたところで、何の痛痒もないのだ。
「ふう……。ま、しょうがないか。取引は信用があってこそだからねー」
軽く息をつくと、マリーダは諦めたようにつぶやきながら頭を軽く振る。灰色の髪がわずかに揺れた。
「りょーかい。その条件でおっけーだにぃ。ひとつ目の条件はこちらの譲歩ということで呑むとするよん。ふたつ目の条件は、元々立ち会ってもらうつもりだったから、あってもなくても一緒かな」
マリーダが降参とばかりに両手を軽く挙げた。
「アルディス君が取引に誠実であることを願っているよん」
大きな瞳を細め、笑みを深めると瞬時に態度を切り替えた。
「んじゃ、商談は成立ってことだにぃ? 条件通り、情報を先に渡すとしようか。私の知っていることなら包み隠さず答えるよん。何が訊きたい?」
居住まいを正して問いかけるマリーダへ、すぐさまアルディスが第一の疑問をぶつける。
「まずはこれを訊いておかなくては話が進まないんだが……」
一瞬の溜めを挟んで、再び口を開く。
「お前はいったい何者だ?」
シンプルなアルディスの問いに、マリーダは大きな栗色の瞳を天井へ向ける。
「んー……。ずいぶん漠然とした質問だねー。それってあれだよにぃ? 私の名前とか年齢とか、家族構成とかスリーサイズとかが訊きたいわけじゃないんだよにぃ?」
「当たり前だ」
アルディスが訊きたいのはそんな表面的なことではない。
マリーダにもそれは理解できているのだろう。どう説明したものか、と思案しているようだった。
「そうだねー、……アルディス君も夢は見るよにぃ?」
「……そりゃ、たまには見るが。それがどうした?」
「私も夢を見るんだけど……、ちょっと人と違うんだよねー」
「人と違う?」
「うん。普通の人が見る夢は過去にあった出来事を再現したり、荒唐無稽な情景を映し出したりするらしいけど、私の夢はそういうんじゃなくって『これから起こり得る出来事』を映し出すんだよにぃ」
「それは……、予知夢ってことか?」
「うーん……、ちょっと違うかなー? 夢で見たままが現実になるんじゃなくって『夢の中で選択した通りに現実が推移していく』って感じかにぃ」
「……どう違うんだ?」
アルディスは眉間にシワをよせ、怪訝な表情を浮かべた。
マリーダの言わんとするところがよく理解できなかったからだ。
「予行の繰り返し、って言った方がわかりやすいかもねー。夢で見た未来の出来事に対して、夢の中で私が何らかの行動を起こす。すると、それに対するレスポンスがあるんだけどね。実際に現実で同じ場面へ遭遇したとき、夢と同じ行動を取れば同じ結果になるんだにぃ」
「……結局それは予知夢と言うんじゃないのか?」
「私の場合はね、何度も同じ夢を見るんだにぃ。同じ夢でも私の行動が変われば結果も変わるっしょ? 例えば道を歩いてて目の前に小石が落ちている夢を見たとするよ? 夢の中で小石を蹴ったら、野良犬に命中しちゃって追い回されるんだにぃ。で、翌日同じ夢を見るとするよ? 今度は小石を素通りして歩くと、後ろを歩いていた子供が小石を蹴り、それが私の足にぶつかってこっちが怪我を負うんだにぃ。で、しばらくすると現実で同じような場面に出くわすんだなー」
間を取ってマリーダがお茶へ口をつける。
「その時私が取った行動で、現実が夢と同じような結果となるんだにぃ。小石を蹴れば犬に追い回され、素通りすれば足を怪我する。夢の通りにね」
にわかには信じがたい話だった。
しかしそれはアルディスとて同じ事だ。
自分の境遇を正直に明かしたところで、一体どれだけの人が心から信じてくれるだろうか。
だからこそ、アルディスはマリーダの話を肯定もせず否定もせず、ただ黙って聴き入っていた。
「それはつまり……、未来を思いのままにできるということか?」
「そんな良いもんじゃないよ」
マリーダの笑顔にわずかながら陰が落ちる。
「必ずしも見たい場面を夢に見るわけじゃないからねー。身近な日常だったり、見覚えのない場所だったり。第一、それが明日起こるのか数年後に起こるのかも分からないんだから。もちろん、ある程度推測できるような夢も多いけどにぃ」
「その歳でこれだけの商会を切り盛りできているのも、その力があればこそというわけか」
「そだねー。この力があるおかげで、とも言えるし。こんな力があるせいで、とも言えるかな」
女商人が栗色の瞳を閉じながら、弱音ともとれる言葉を口にした。
「あんたがまるで俺のことを知っているかのような物言いだったのは、その力があったからなんだな」
「そういうこと」
「あんたの持つ能力については理解した。その上で訊ねるが、あんたの目的はいったい何だ? わざわざキリルを使って探しに行かせた剣、あれを手に入れるのだけが目的というわけじゃないんだろ?」
女の目的が何なのか、アルディスにはまだわからない。
だがキリルが剣を手渡したときの反応といい、アルディスに対する興味の示し方といい、とてもマリーダの言葉を真に受ける事はできなかった。
「目的かにぃ? そうだね、この件に関して言うなら目的は三つ。ひとつは例の剣を手に入れること。そして私がアルディス君に会うこと。最後にキリル君とアルディス君を引き合わせることだねー」
答えながらマリーダが指折り数える。
「俺とキリルを?」
三つのうちふたつの目的はまだ理解できる。だがキリルとアルディスを引き合わせる事に何の意味があるのか、それがわからなかった。
「どういうことだ? 俺とキリルが出会うことに何の意味がある?」
「うーん、ごめん。それは本当に私にもわからないんだにぃ。ただ、それが正解であることは間違いないと思うよん。なんせ他の夢でもアルディス君とキリル君が一緒にいるところを見るし、なによりこの選択でようやく夢が終わったからにぃ」
「終わった、というのは?」
「さっきも言ったけど、私が見る夢は一回きりじゃないんだよねー。同じ選択をすれば同じ結果になるけど、別の選択をすれば異なる結果になる。それが繰り返されるってわけだよ。今回のアルディス君に会うのだって、何度も何度も試行錯誤を繰り返してようやく探し当てた手順なんだよ? 現実でアルディス君に会うのはこれが二回目だけど、夢の中ではもう何百回と会って話をしてるんだよねー。だからこの前も、初めて会った気がしなかったよん」
声を立ててマリーダが笑う。
「話を戻すけど、私が繰り返し見る夢には終わりがふたつあるんだにぃ。ひとつは時間切れ。もうひとつは私にとって最善とも言える結果が得られたとき」
マリーダはアルディスに向けて、両手の人さし指を順番に立てながら言った。
「今回は半年ほど前にこの夢を見なくなったんだにぃ。それはつまり、私にとって最善の選択肢が導き出されたってこと」
「その『最善の選択肢』とやらには、キリルのような子供をひとりきりでコーサスの森へ赴かせることも含まれるのか?」
「それしかなかったんだから仕方ないよにぃ。最初は他の人を送ってアンタと接触を持とうとしたけど、商会の人間を送っても、傭兵を雇って送っても、アンタと反発しちゃったり接点を持てずに終わったりして、結局全部失敗するんだよねー。私が自分で赴くと、留守の間に商会が乗っ取られちゃうし。十数パターン試して、唯一アルディス君に接触できたのはキリル君だけだったんだよ」
「それにしたって、キリルに事情くらい話してやっておいても良かったんじゃないか?」
「もちろん試したよ? 信じてもらえなかったけどねー。結局、不審がってこちらの話にのってくれなくなっちゃうんだよにぃ。これまでの経験から言って、夢の話をしたところで大半は上手くいかないんだよねー。大抵の人間は信じてくれないし、信じてくれても結果が目も当てられないことになっちゃうんだよ」
「それだと、今こうして俺が話を聞いてるのも問題なんじゃないのか?」
「うーん……。それが今回に限っては、アンタに夢の話をしても悪い結果にならないみたいでねー。私も不思議には思ってるんだけど……」
どうやらマリーダは本気で不思議がっているようだった。
仮面のように張りついていた笑顔が緩んで、その下から彼女の素顔が垣間見える。
「とにかく、キリル君をひとりで行かせたのは、そうしないと良い結果につながらなかったからだにぃ。キリル君に護衛をつけて出発させると、道中でなぜか魔物に襲われて全滅するし。だからといって護衛の数を増やすと、ナグラス王国までは無事到着するけど、そのままコーサスの森へ足を踏み入れて全滅。路銀だってそうだよ? たっぷり持たせた時はグランでゴロツキたちに身ぐるみ剥がされちゃったし、少し減らしてみると今度はそれなりの護衛を雇えちゃうからアルディス君に出会わないまま遺跡へ到着しちゃうんだよにぃ。で、隠し階段を見つけられずに失敗。路銀を全く持たせずに出発させると、当然というかなんというか、グラン到着後にどうすることもできず頓挫するし」
はあ、と大きくため息をついてマリーダが続ける。
「私がどれだけの回数やり直したかアンタに分かるかにぃ? 百回まではいってないかもしれないけど、それに近い回数試行錯誤を重ねてようやくたどり着いた結論が『キリル君には本来の目的を伝えず』、『ロヴェル商会への融資を条件に』、『最低限の路銀だけを持たせて』、『ひとりきりで旅立たせる』ことだったんだよ。それでようやくキリル君も無事に帰還して、なおかつあの剣とアンタを連れてくる事に成功したんだにぃ」






