第56話
夕焼けに染まる王都へと帰ってきたアルディスは、顔なじみとなりつつある門番と言葉を交わし、キリルを伴ってそのまま街へ入っていった。
目指す場所は宿屋のベッド――と言いたいところだったが、今回ばかりはそういうわけにもいかない。
このまま夜になれば例の人型が現れるのはおそらく間違いないだろう。
三日連続の交戦により、攻撃魔法を使わずとも十分対応できることを確認したアルディスだが、可能なことなら根本の原因を解消したかった。
そこでまず向かったのが、王都で活動をはじめてから何かと贔屓にしている呪術師のところだ。
「じいさん、居るかい? ちょっと見てもらいたい物があるんだが」
表通りから離れた人通りの少ない一角。
みすぼらしく薄汚れた建物のドアを開けながら、アルディスが声をかける。
ドアを開いた先に広がるのは小さな部屋。
壁には棚がぎっしりと並べられ、その中にはところせましと書物や陶器の入れ物、そして雑貨らしき物が詰められている。
一見して雑多な印象を与える光景だが、この部屋の持ち主が誰かを考えればある意味納得できることであった。
「なんじゃ。誰かと思えばアルディスか」
年季の入ったカウンターに座る初老の男が、ドアから入ってきたアルディスを見て言う。
呪術師というと、何やら怪しげな魔女を思い浮かべる人間も多いが、実際は魔力を使って様々な薬を作ったり品物の鑑定をするごくまっとうな職業である。
アルディスに向かって声をかけたのも、真っ当な身なりをした老人だ。
それなりに良いローブを羽織りさえすれば、賢者と名乗ってもおかしくない雰囲気を持っていた。
アルディスが王都で活動するようになってから四ヶ月。
それだけの期間活動していれば自然と顔見知りも出来るし、馴染みの店も出来る。
看板こそ出ていないが、この建物も魔法に関連した品を売り買いするお店であり、アルディスが普段から使っている店のひとつだ。
こういった呪術師は、薬液の調合や護符の販売を行っている。
また、通常は武器屋や普通の商会へ持ち込む物品も、魔力を帯びている物であればこちらに持ち込んだ方が高く売れることがあるのだ。
だが今回アルディスがやって来たのは、遺跡で入手した剣を売るためではない。
呪術師は魔法や魔力を帯びた品について、深い知識を持っていることが多い。
そういった知識は正体不明の品を鑑定するために役立てられる。
トレジャーハンターが持ち込んでくる魔力を帯びた品物の鑑定、そして呪いのついた品物の解呪は呪術師にとって重要な収入源であった。
王都に店を構える呪術師はそれなりの数が居る。
その中で、アルディスが知っている一番知識と腕のある呪術師が、目の前にいる老人なのだ。
今回手に入れた剣を見せるにはちょうど良かった。
「そういえばジャンのヤツがお主のことを探しておったぞ? 頼みたい仕事があるとか言っておったが、もう会ったかの?」
「いや、ここのところ会っていないが……。明日にでも顔を出しておくとするよ」
ジャンというのは傭兵に仕事を斡旋する顔役の名である。
三大強魔を討伐したアルディスには、彼からちょくちょく指名で討伐依頼が入ってきていた。
これも四ヶ月の間で手に入れた人脈というものだろう。
「うむ。ジャンのヤツも何やら困っておったからのう。出来れば手を貸してやってくれ。……それはそうと、そっちの坊主はなんじゃ? お主の弟子か?」
呪術師がアルディスに同行してきたキリルを見て言った。
「いや、たまたま一緒に行動しているだけだ。別に傭兵というわけでもないしな」
「そうじゃったか。子供のわりには魔力が高いようじゃから、ワシはてっきり魔術師のたまごかと思うたわい」
「魔力が高いって……、僕がですか?」
思ってもみなかった呪術師の言葉に、キリルが思わず口を挟む。
「そうじゃよ、ぼうや。お主、魔術師の素質があるやもしれん。歳を考えると、まだまだこれから魔力も伸びるじゃろうしのう」
「僕が……、魔術師……」
自分に魔術師としての素養があるとは思ってもいなかったのだろう。
突然のことに、キリルは目を丸くしていた。
そんなキリルを微笑ましげに見ていた呪術師が、アルディスに視線を移して口を開く。
「もう店じまいにしようかと思っておったが……、なんぞ面白い物でも拾うたか?」
「夜な夜な異形の人型が襲ってくる剣、ってのはどうだ?」
アルディスの芝居じみた口調に、老人がやれやれといった感じで首を振る。
「……またやっかいそうな物を持ち込みおって」
そんな店主の反応をスルーして、アルディスはキリルの手から剣を受け取るとカウンターの上に置く。
「コーサスの森で遺跡から手に入れた剣なんだがな。こうして持っても抜いても何もないが、夜になると紅色の人型が何体も現れて襲ってくる」
「ふむ……、ちょっと見せてもらうぞ」
アルディスから話を聞くなり、呪術師は剣を手にとって確認しはじめた。
柄や鞘を拡大鏡で軽く検分すると、少しだけ鞘から抜く。赤く濡れたような剣身が、呪術師の鋭い目に射抜かれる。
「うーむ……。これは……。ああ、そういうことかのう……」
ブツブツと独り言を口にしながら、呪術師が考えをまとめていく。
「銀貨二枚じゃのう。もっと詳しく調べるなら銀貨六枚じゃ」
やがてカウンターの上に剣を戻して金額を提示する。
「見ただけじゃわからないってことか?」
そう言いながらアルディスが銀貨を六枚カウンターに置く。
「ありきたりの事なら分かるがの」
答えながら呪術師が銀貨を懐に入れた。
「十分ほど時間がかかるが、待っとくか?」
「ああ、呪いが掛かっているなら解呪して欲しいんだが」
「それは必要あるまい。というよりの、おそらくじゃがこれは呪われてなどおらん」
「呪われてない?」
意外な言葉にアルディスがオウム返しで訊ねる。
「まあ、その辺は後で説明してやるわい。しばらくそこいらに座っとれ」
呪術師はそう言うと、様々な小物を取り出してカウンターの上に置いていく。
それらをひとつひとつ使って丹念に剣を調べる。
試薬を吹きかけ、護符を貼りつけ、時には呪術師が魔法を使い、何十もの検査と確認を経て剣の正体を突き止めていく。
それは医者が問診や触診を組み合わせて、原因を絞り込み、病の名を突き止めていく過程にも似ていた。
やがて呪術師がアルディスに伝えていた十分が過ぎた頃、ようやく解析が終わる。
呪術師が大きく息をついた。
「ふう……、終わったぞ、アルディス」
「で? 結局こいつはどういうシロモノなんだ?」
さっそくとばかりに、アルディスがカウンターの上にある剣を指さして訊ねる。
「そうじゃのう。まず、さっきも言ったようにこれは呪われておるわけではない」
「じゃあ、夜になって襲ってくるヤツらは何なんだ?」
「まあそうせっつくでない」
食ってかかるアルディスを呪術師がたしなめる。
「まず、剣の装飾や細工の様式から見て、作られた時代はかなり昔じゃな。おそらくは二百年前に滅んだコーサス王国時代の物じゃろう。ここの模様を見てみい」
と、呪術師が鞘の一部を示す。
「この模様はコーサス王国で祭祀用の装飾品によく使われておったようじゃ。名のある鍛冶師が打った物を、王家や教会に献上したのじゃろう」
「そんな背景はどうでも良いから」
アルディスが不機嫌な顔で言う。
彼が剣をここへ持ち込んだのは、そんな蘊蓄を聞きたいからではないからだ。
「やれやれ、若いもんはせっかちで困るのう」
なげかわしい、と呪術師は首を振る。
「呪いの話じゃったな? さっきも言ったように呪いはかかっておらん。じゃが、この剣に強い念がまとわりついておるのは確かじゃ」
「強い念、と言うと?」
「苦しみ、悲しみ、怒り、そして救いを求める嘆きのような念じゃよ。そういった強い念が行き場を求め、この剣を依り代にして集まっておるのじゃ。それもひとりではないぞ。何十人分もの強い念じゃ」
呪いと強い念の違いが分からないアルディスは続けて問いかける。
「それは……、呪いとは違うのか?」
「似ておるが違うのう。確かに呪いも強い念の一種じゃ。じゃが呪いとは害意あってのもの。強い念に害意が加われば、それは呪いになるじゃろう」
じゃが、と呪術師が説明を続けた。
「この剣につきまとっておる念は、別に他者への害意を持っておるわけではないからのう。おそらくは救われぬ魂が行き場を失っておるだけじゃろうな」
「呪いじゃないというのは分かった。問題はどうやったら夜な夜な現れる『ヤツら』を防げるのかということなんだが?」
「そうじゃのう……」
店主は眉間に指をあててしばし考え込む。
「呪いでは無い以上、通常の解呪方法では意味がなかろう。確かに元は良い剣のようじゃが、無理に使わぬ方が良いのではないか? なんじゃったら、こっちで買い取ってもええが。どうじゃね?」
店主の申し出を断ると、アルディスはキリルを連れて店を出る。
異形の人型が出てくる要因らしきものについては分かったが、結局それを防ぐ手段も方法も不明である以上、根本的な問題の解決にはならない。
「どうしたもんかね……。とりあえず晩飯食ってから考えるか」
王都の空には夜が拡がりはじめている。
今後どうするのか、考えるべき事は多い。
「なんにせよ、空腹と睡眠不足は傭兵の大敵だからな。行くぞ、キリル」
「は、はい」
常宿としている『せせらぎ亭』へと歩きはじめたアルディスを、キリルが慌てて追いかけた。
2016/12/25 少し改稿しています。内容的にはほとんど変わりありません。






