第54話
アルディスが周囲の魔力を探査すると、複数の反応があった。
その数は十以上。
魔力の強さはそれほどでもないが、これだけ近づくまで気が付かせないというのは珍しい事だった。
「魔物……、じゃないのか」
暗闇の中、アルディスたちを囲むようにしてその姿が浮かび上がる。
それは紅色の人型をしていた。
大きさも人間と同じ。人間の影が紅色に染まって立体化したならきっとこんな姿になるだろう。
敵意は感じなかった。
そもそもそれらが生物であるかどうかすら怪しい。
弱い魔力を持つ異形の人型が、無言のままゆらゆらと身体を動かす。
沈黙に包まれた遺跡の中で、未だ眠りこけているキリルの寝息だけが聞こえていた。
どれくらいの時間そうしていただろうか。
それまで身体を揺り動かしていた人型の動きが激しくなる。
ある者は頭を両手で抱えこみ、ある者は自らの身を抱き、ある者は手を組むようにして天を仰ぐ。
それぞれが異なる動きを見せながらも、人型たちはジリジリとアルディスたちへ近づいてきた。
「ああああいいいやあああうああああ」
同時に人型たちから苦悶の声が発せられはじめる。
声を出す口らしきものは見当たらないが、その声はハッキリとアルディスの耳に届いていた。
「ふえ……、なに――」
さすがにその声がキリルの眠りを覚ます。
寝起きの働かない頭で周囲を見回したキリルは、自分たちを囲む紅色の異形と、それらが発する声を認識するなりビクリと身体をすくませる。
「え……? ええっ!? 何!? 何これ!?」
「余計なことはするなよ。じっとしていろ」
油断無く『蒼天彩華』を構えたまま、アルディスがキリルへ言った。
その間にも紅色の異形は確実にその距離を縮めてくる。
(さて、どうしたものかね)
口には出さず、アルディスは思案する。
今のところ敵対的な反応があるわけではない。
だが、得体の知れない異形の存在に囲まれ、しかも距離を詰められているという状況は好ましくないだろう。
相手がどんなつもりなのか、そもそも意思を持っているかどうかも怪しいが、このまま黙って近づかせるわけにもいかない。
「そこで止まれ。近づくなら斬る」
アルディスが警告を口にした。
天井の高い遺跡内で、その声が響きわたる。
「いやあああうおおおおおああああ」
しかし返ってくるのは意味不明な苦悶の声ばかり。
意思の疎通は出来そうになかった。
「仕方ない」
早々に交渉をあきらめ、アルディスが『刻春霞』と『月代吹雪』を解き放つ。
自らは『蒼天彩華』を手にキリルの側へ立つと、残り二本の剣を人型へ向けて飛ばす。
片方は一直線に正面の人型へ向かい、もう片方が頭上から回り込むようにしてとなりにいる人型の後背を狙う。
二本の剣が宙を裂いて異形の人型へ襲いかかる。
人型はそれを避けるそぶりも見せない。
次の瞬間、剣がそれぞれ標的としていた人型の身体を斬り裂いた。
人間であれば胴体部分に当たる箇所を真横に斬られ、人型は霞のように消え失せる。
まるで手応えのないあっけなさだったが、仲間が攻撃を受けた瞬間、人型たちの様子が激変した。
「あああおおおおううううあああ!」
「いいいいいああああおおあああ!」
「うあああおおおおいあああああ!」
それまでとは比べものにならないくらい大きな叫びが周囲に反響する。
にじり寄るようなスピードだった人型が、突如として猛スピードでアルディスに突進してきたのだ。
「ちぃ!」
アルディスは舌打ちをしながら『刻春霞』と『月代吹雪』をそのまま別の人型へと向かわせる。
同時に風の魔法を展開し、他の人型を迎え撃った。
「淡き白は遥かなる虚空が育みし断罪の閃撃――――烈迅の刃!」
外界から壁で隔てられた遺跡内部に、強い風が生まれる。
一瞬にして轟音を発する暴風が、紅色の異形を巻き込んで吹き荒れた。
小さなガレキが風圧に負けて飛び散り、長年積み重ねられたチリやホコリが舞い上がる。
そんな風の刃をまともに受けて、人型たちがその身体を散り散りに引き裂かれた。
「いやああああうううううああああ!」
耳障りな悲鳴が周囲に響く。
人型たちは風に巻かれて天井近くまで吹き飛ばされ、勢いを失うと今度は床に落下しながら姿を薄くしていく。
その身体は床に衝突する寸前、不自然な軌道で吸い込まれるように一点へと消えていった。
人型が消えた先にあったのは、この遺跡で入手した剣。
見れば、誰も触れていないはずの剣が鞘から抜かれてその剣身をあらわにしている。
初めて見るつややかな剣身は怪しいほど赤く光っていた。
「や、やっぱりこの剣……、呪われてるんじゃないですか……?」
「……そうかもな」
魔法の光で淡く照らされた遺跡内部に、再び痛いほどの静寂が訪れる。
「どうする? やっぱり持って帰るのはやめておくか?」
アルディスの問いかけに長い沈黙を挟んで、キリルの首が左右に振られる。
「ここまで来て諦められません。出来れば持って帰りたい――、いや絶対に持って帰るつもりです。でも……」
キリルが言葉を濁した。
それもそうだろう。
アルディスが同行しなければ、キリルひとりでは森を抜けて王都へ帰ることすらできない。
ましてあのような正体不明の異形が取り憑いた剣を持ってなど、なおさら困難だろう。
ここでアルディスが否と言えば、その時点でキリルの命運は尽きたも同然なのだ。キリルの気持ちが沈むのも仕方がない。
アルディスは小さく息をはくと、苦笑いに似た表情をつくる。
「乗りかかった船だ。今さら見捨てやしない。口にした以上、ちゃんと王都に帰るまでつきあってやる」
そう言うと、赤々と光る剣を魔力で動かし鞘に収める。
「さて……、まだ出発するには早すぎるな。もう一眠りするか」
「え? ええ!? あんな事があったのに……!?」
「眠れるときに眠る。傭兵の基本だぞ……って、おまえは傭兵じゃなかったか。まあ、また出てくるようならもう一度追い返すだけだ。んじゃ、おやすみ――」
大した事ではないといった口調でそう答えると、アルディスはさっさと外套にくるまって横になる。
キリルは何か物言いたげな気配を見せていたが、やがて諦めたのか、アルディスと同じように二度目の眠りへ入っていった。
翌朝。
結局異形の人型たちはあれから現れなかった。
アルディスもキリルも疲れを完全に癒すことはできなかったが、状況が状況だけにそれは仕方がないことである。
手早く身支度を調え、日の出と共に遺跡を後にした。
「あのお化け、また出てくるでしょうか?」
「出てきて欲しくは無いがな」
いくら取るに足らぬ相手だからと言っても、アルディスとて得体の知れない相手がいつ襲いかかってくるか分からないというのはストレスになる。
いわくありげな剣であると分かった以上、直接手で持つのはやはりリスクが高いと判断し、今もアルディスが魔力で宙に浮かせたまま運んでいた。
常時魔力を消費するため地味に負担が掛かってくるのだが、安全には代えられない。
遺跡のあった場所は、森の入口から徒歩で約二日といったところだ。
アルディスひとりなら空を飛ぶなり『浮歩』で駆けるなりして時間を短縮できるが、キリルという同行者がいる状態ではそうもいかない。
キリルの体力と歩幅に合わせて歩かざるをえないため、結果的に森を抜けるまで三日を要することとなった。
森の中で襲いかかってくる獣や魔物については、いまさらどうということも無い。
アルディスにとってコーサスの森に生息する魔物を撃退することは、呪いの剣と足手まといの少年ひとりを連れていても朝飯前である。
問題は毎晩野営のたびに現れる異形の人型だった。
結局森の中で過ごした二晩、紅色の人型たちはきっちりと夜中に現れた。
もちろんアルディスにとって退けるのは簡単なことだ。
しかし根本的な原因を取り除かない以上、夜になれば再び現れてしまうだろう。
王都までならそれでも良いが、その後どうするかという問題がある。
王都から先、キリルだけで依頼主の居る都市へこの剣を持ち帰るのは、正直無謀としか思えない。
「王都で呪いを解く方法があれば良いんですけど……」
キリル自身もそれをよく理解しているらしい。
目的の剣を手に入れたというのに浮かない表情を見せている。
そんな微妙な空気をただよわせながら、ようやくアルディスたちは森を抜ける。
太陽の光を身体一杯に浴びて、キリルがまぶしそうに目を細めた。
「あともうちょっとですね」
森を抜けてさえしまえば、王都まで歩いて一日の距離だ。
剣の呪いをどうするかという問題はあるが、さしあたり安全な領域に戻ってきたと言えよう。
もちろん、安全といってもコーサスの森に比べればの話である。
草原とはいえ人間を襲う獣は出没する。
また、襲いかかってくるのは獣だけではない。
護衛を雇っていない商人や、見るからに駆け出しの傭兵などは格好の標的となる。
「おう、坊主たち! 黙って持ってる物全部置いて行きな!」
そんな弱者たちへと襲いかかるのは、他ならぬ人間であった。
片や成人前の子供、もう一方は年の頃十五ほどにしか見えない魔術師らしき少年。
狩りの獲物としては、さぞ魅力的に映っただろう。
「大人しく言うことを聞けば、命までは取ったりしねえよ」
森を出て歩きはじめること数分。
アルディスとキリルを囲むように複数の影が現れる。
久々に見る紅色以外の人型。
顔があって、服を着て、人の言葉を話すそれは野盗の姿をしていた。
2019/05/02 誤字修正 異形へを → 異形を
※誤字報告ありがとうございます。






