第53話
「どこまで続くんですかね?」
不安そうな声でキリルが問いかけてくる。
かれこれ百段以上の階段を下りてきているのだ。不安を覚えるのも仕方ない。
「さあな。確かにずいぶん深くまで下りて来たはずだが」
そもそもこの地下室が何の用途かもわからないのだ。食物庫やただの倉庫なら、ここまで深く作る必要は無いだろう。
アルディスが階段を下りながら指で壁を軽くこすると、すぐさま指の先は真っ黒になってしまう。
地下へと続く階段は、壁も天井もすっかり黒い色で染まっている。
地上部分は確かにほこりまみれであったが、それは純粋な汚れによるものだった。
それに比べ、地下部分の汚れは明らかに煤である。
だがその原因が火災によるものか、あるいは何らかの魔法によるものなのかは分からない。
やがて長い階段の終わりがようやく見えてきた。
階段を下りた先は、ちょっとした広間となっている。
高さ三メートルほどの空間がくりぬかれ、その幅と奥行きは地上の建物よりも広いほどだ。
地上部分とは違いガレキが散乱しているわけではないが、代わりに炭化した物体があちらこちらに見える。形状から推測するに、もともとは机やイスだったのだろう。
左右の壁に合計六つ、奥へと続く入口があった。ひとつを除き、おそらく扉があったであろう箇所には焦げた固体が残っている。
「このどこかに剣があるんでしょうか?」
「おまえに指示をしたヤツが言ってた通りならあるんだろうさ」
魔力探査で大体の目星はつけているアルディスだったが、念のため慎重に部屋をひとつひとつ確認していく。
ひとつ目の部屋は物置らしき場所だった。炭化した扉を叩き割って中に入ると、黒く朽ちた物体が部屋の壁に沿って積み重なっていた。
ふたつ目の部屋は何かの作業場だろう。元の形がわからなくなった台や道具が散乱している。
三つ目の部屋は最初の部屋と同じく、壁に沿って黒焦げの物体が見られた。薄い形状の灰が積み上がっている状況を見るに、元は書庫だったのかもしれない。
四つ目の部屋へ足を踏み入れようとして、アルディスは立ち止まる。
「あ、あの……、アルディスさん? どうしたんですか?」
突然立ち止まったアルディスにキリルが問いかける。
アルディスの言いつけ通り、その背中を追うようにしてついて回る彼には部屋の中が見えないのだ。
その部屋は先ほどまで見たふたつの部屋よりもかなり広々としていた。
この遺跡が生きていた頃は、きっと大勢の人間がこの部屋を出入りしていたのだろう。
部屋の中には、やはり黒焦げとなった無数の物体があたりに散乱していた。だが忌まわしいことに、その大きさはアルディスがあまりにも見慣れた大きさだった。
「……何もない。空っぽだ」
短い沈黙の後、アルディスは短く答えると、キリルの視界を塞ぐように振り返る。
「別の部屋を確認するぞ」
「え? あ、はい」
そしてそのままキリルを追い立てるように、となりの部屋へと移動した。
五つ目の部屋は、他の部屋と同じく黒焦げとなった残骸が散らばっているだけで、特に目を引くようなものは無かった。
最後に残った六つ目の部屋。
ここは他の場所と違い、扉がまだその役割を守り続けていた。
黒く煤け、溶けて歪んではいるが、鉄製の重い扉が行く手を阻んでいるのだ。
地下に下りて早々、魔力を探査していたアルディスはこの部屋から反応があることを確認していた。剣があるとすればおそらくここだろう。
「下がってろ」
キリルに注意を促して、アルディスは自らも扉から数歩引いた位置に立つ。
「何か出てくるとも思えないが……」
不測の事態に備え、距離を取り『刻春霞』を宙に浮かべると、そのまま扉へ目がけて解き放った。
薄い黄緑の剣身が、やすやすと鉄製の扉を切り裂く。
三筋の切れ目が扉に走り、そこへアルディスの腕から放たれた魔力の衝撃波が加わる。
地下の空間に耳障りな音を響かせて鉄の扉が崩れ落ちた。
塞ぐ物のなくなった部屋へ、警戒しながらアルディスが足を踏み入れると、そこはこれまで見た中で一番狭い空間だった。
床も壁も黒く汚れてはいるものの、他の場所と違い元の白さが想像出来る程度には状態が良い。
部屋の中にあるのはただひとつ。
中央に配された腰の高さほどの台座と、その上に横たえられ、鞘に収まっている一振りの剣。
鞘の長さから推測するに、刃渡りは八十センチほど。華やかな装飾こそないが、丁寧な彫りの入れられた柄や鞘は気品すら感じさせた。
先ほどの魔力探査に反応したのは間違いなくこの剣だ。こうして近づいてみるとそれがよくわかる。
アルディスでなくとも、魔法や魔術を扱う者ならば剣全体を強い魔力が包んでいることに気づくだろう。
「あ、あった! 剣ですよ、アルディスさん! これで姉さんが……!」
探し求めた剣を前にして、キリルが声を弾ませる。
喜びのあまり思わず駆け出そうとしたキリルだったが、ふと立ち止まるとアルディスの顔を窺って言う。
「えーと……、こういうのって手に取ろうとしたらワナが作動したり、実は剣が呪われてたりすることがあるんですよね……?」
キリルの言うことももっともだった。
遺跡の宝物庫など、侵入者撃退のためにワナや守護者が配置されていることは多いと聞く。
加えて宝物自体も出所のしれない物なのだ。入手したお宝が実は呪われた品だったという話も少なくない。
ただ、遺跡探索を生業にするトレジャーハンターならいざ知らず、一介の傭兵であるアルディスにそれを見分ける知識などありはしなかった。
「どうだかな? 俺もトレジャーハンターじゃないからよくは知らないが」
「……どうしましょう?」
そうは言っても、この剣を持ち帰らないことにはわざわざ危険を冒してこんなところまで来た意味がない。
問題があろうと無かろうと、剣を持ち出すことを避けるわけにはいかないのだ。
「……やってみるか」
アルディスはボソリとつぶやき、台座の上に置かれた剣を魔力で浮かせようと試みた。
カタリ、と音を立てて剣が鞘ごと浮かび上がる。
抵抗がある可能性も考えていたアルディスだが、いとも容易く剣を動かすことに成功する。
「う、うわあああ!」
拍子抜けしているアルディスの横で、キリルが驚きの声をあげる。
「ん? どうした?」
「あ、アルディスさん! 剣が! 剣が動き出しました!」
アルディスが魔力で剣を操作していると知らされていないキリルは、その動きが何らかのワナや仕掛けに感じられたのだろう。
「ああ、俺が魔力で動かしているからな」
「え……? あれ、動かしているのアルディスさんなんですか?」
「そうだ」
「……」
ぽかんと口を開けたままアルディスと目を合わせていたキリルは、ようやく状況を飲み込むと同行者への配慮がない隣人へ文句を言いはじめる。
「動かすなら動かすって、先に言ってくださいよ! 剣が勝手に動いたのかと思ってビックリしたじゃありませんか!」
驚いた自分を恥じる気持ちを反射的にごまかそうとしたのか、キリルの口から飛び出したのは非難めいた言葉である。
「俺が剣を操ってるのはさっきも見たから知ってるだろう?」
涼しい顔でそうアルディスが言ってのけると、驚愕の感情が羞恥心へと置き換わったキリルが半泣きで抗議する。
「そりゃ知ってますけど。知ってますけどお! こっちにも心の準備ってものがあるじゃないですか!? 突然動き出すから、アルディスさんが動かしてるとは気づきませんでしたよ!」
考えてみればキリルの言う通りだった。
普段ひとりで行動することが多いため、アルディスはパーティメンバーへの気遣いという物が若干欠けている。
そういえばテッドにも似たような事で怒鳴られたことがあったな。とアルディスはお節介な傭兵仲間の事を思い出す。
「すまん。悪かった。一声かけておくべきだったな」
「……お願いしますよ」
さぞ心臓が盛大に跳ね上がったのだろう。返事をするキリルの声は弱々しい。
「さて、持ち帰る算段はついたが……。今日はもう夜が拡がっただろう。一晩休んで明日の朝出発しよう」
アルディスだけならばこのまま夜通し強行軍で帰途についても問題無い。
だが、キリルの体力はそれについて来ることができないだろう。
「じゃあ、この部屋を使いますか? 狭いけど他のところよりキレイですし」
「いや、地下から出て上で休むとしよう」
なぜ地下で休まないのかわからず首を傾げるキリルを急かし、アルディスは早々に階段を登りはじめる。
確かに本来なら地下で身体を休める方が良いだろう。
だが地下にはキリルへ見せたくない部屋があるのだ。あんな光景、まだ成人前の子供に見せるべきではないだろう。
下りてきた時と比べて倍以上の時間をかけ、アルディスたちは地上部分へ戻る。
地上部分の建物はボロボロになっているものの、幸い雨風を防ぐ程度には役立ちそうだった。
少なくとも森の中で野営をするよりは何倍もましだろう。
アルディスは開けた一角を水魔法で洗い流し、風魔法で乾かすと、建物の周囲から枯れ木を拾い集めて火をおこす。
「え、と……。見張りはどっちが先にやりますか?」
「必要ない。何かあればすぐ起きる」
「……でも、ここって森のど真ん中ですよね?」
「この近くに魔物や獣はいないから安心しろ」
もっとも、出てくるとしたら別の何かだろうがな、とアルディスは心の中だけでつぶやいた。
「は、はあ……」
いまいち腑に落ちないといった風の返事がキリルの口からこぼれる。
とはいうものの、明らかに場慣れしているアルディスからそう断言されれば従うしかない。
外套にくるまって横になったキリルは、それまでの疲れもあったのだろう。途端に小さな寝息を立てはじめた。
それを見たアルディスは念のため周囲一帯を魔力探査し、魔物や獣らしき反応がないことを確認すると、自らも目を閉じて横になった。
風が吹く。
緩やかな丘陵の上。木々の連なりが途切れ、開けた小さな草地。
アルディスは手足を大の字に開き、草に身体を半分埋めながら空を眺めていた。
流れる雲を目で追い、それが視界の端へ消えていくと、別の雲に視線をうつす。
時折小さな鳥が太陽を横切り、アルディスの顔に影を作っては一瞬で飛び去っていった。
遠くで仲間たちの声がする。
また誰かが馬鹿をやったのだろう。
ひやかすような声、腹を抱えて笑う声、ムキになって怒鳴る声。
どれもこれもが鬱陶しくて愛おしい。
アルディスの中にある幸せな記憶。
戻ることなど出来ない大切な日常。
たとえそれが血塗られた世界であっても、その場所こそが自分にとって居るべき家であり、帰るべき故郷であったと今ならわかる。
そしてもう帰ることなどできないと思い知らされる。
すべては自分が愚かだったから。
すべては自分が弱かったから。
すべては自分が守るべきものを守れなかったから。
呆然と空を見つめ続けるアルディスの耳に、近づいてくる足音が聞こえた。
軽く踊るようなステップ。それだけで誰だかわかってしまう。
アルディスの目頭が熱くなる。
「アルディス。いつまでふてくされてるの? 団長は『気にするな』って言ってたでしょ? ちょっと突撃のタイミング外したからって、落ち込みすぎ。大した被害は出なかったんだから、その不機嫌な顔をさっさと切り替えなさいよ」
アルディスの視界に少女の顔が飛び込んでくる。
上下逆さまに映るその顔は、あきれたような表情を浮かべていた。
アルディスと同じ黒目黒髪。長い髪はつむじのやや後ろでスミレ色のリボンを使ってまとめられていた。
「ほら、早くしないとお昼ご飯食べそこなっちゃうよ? みんな、居ない仲間の分を残してくれるほど殊勝な人たちじゃないんだから」
微笑みを見せる少女の手が差し伸べられる。
アルディスの目から涙があふれ出す。視界が歪んでぼやけていく。
もっと見ていたいのに、意思に反して自分の目がそれを阻んだ。
一向に起き上がろうとしないアルディスに業を煮やしたのか、少女は両手を腰に当てて若干怒気を含みながら警告した。
「もー。いい加減起きなさいよ。早く起きないと、そろそろ危ないんだからね」
目を覚ましたアルディスは、とっさに起き上がると手元に置いていた『蒼天彩華』を抜き放つ。
焚き火はすでに消え去り、事前にアルディスが浮かべておいた魔法の光だけが廃墟となった遺跡の中を鈍く照らしていた。
静寂の続く中、アルディスは無言で周囲に魔力探査を走らせる。
反応があった。
「いつの間に……」
アルディスたちは、複数の魔力に囲まれていた。
2017/11/02 誤字修正 伺って言う → 窺って言う
2019/05/02 誤字修正 まだ誰かが → また誰かが
※誤字報告ありがとうございます。
2019/07/30 誤字修正 例え → たとえ
※誤字報告ありがとうございます。






