第42話
日用品を買い足しに行くと言って酒場を出た黒髪の少年を見送った後、チェザーレはすさまじい速さで打ち鳴らされる自分の鼓動を抑えようと、深く呼吸を重ねる。
昨日、少年と別れてすぐにツテを使って調べたところ、いくつかの新しい情報が手に入った。
その結果、女傭兵の捕縛はトリア侯の独断であったこと、そして女傭兵とペアを組んでいた傭兵の名前がアルディスであるということが分かった。
しかもこのアルディスという少年傭兵、女傭兵が暮らす家の持ち主でもあり、捕縛騒動の後に姿をくらましているらしい。
普通に考えれば、今現在も女傭兵と行動を共にしていると考えるべきだろう。
先ほどまで目の前にいた少年。
黒髪黒目で額にはスミレ色の細布を巻き、身にまとっているのがやや丈の短い藤色のローブ。
何から何まで、話に聞いていたアルディスという傭兵の特徴に一致した。
宿帳には『テオリス』という名前が載っているらしい。だが、手配されているかもしれないという彼らの状況を考えればおそらく偽名だろう。
チェザーレの睨んだ通り、少年がアルディスという傭兵であるなら、ほぼ間違いなく女傭兵の居場所を知っているはずだ。
その考えに至ったとき、チェザーレは欲をかいた。
トリアでは捕縛命令もその騒動も、国へ知られる前に隠蔽するつもりらしい。
だが、それは女傭兵の捕縛を諦めたからではなく、不祥事を隠したいからである。
おそらくトリアは今でも女傭兵を捕まえたいと思っているはず。
トリア侯が出したのは、法守院の承認も得ていない不正規な捕縛命令だ。
トリアの衛兵と違い、王都の衛兵は動く理由がない。女傭兵を捕らえるのは無理だ。
しかしその居場所を突き止めることができれば、トリア侯へ情報として売ることができる。
王都では何の価値もないかもしれないが、トリア侯にとっては無視できない情報のはず。
その報酬は銅貨や銀貨どころではない。金貨十枚にも二十枚にもなるだろう。
あの少年を押さえてしまえば、一気に大金が手に入る。
チェザーレはすぐに行動した。
下町のゴロツキをまとめている男と接触し、少年の容姿と服装を伝えると、さらって監禁するよう依頼する。
日々の生活を銅貨二枚でまかなっている下町のゴロツキなんぞ、金貨の一枚でもチラつかせればホイホイと話にのってくる。
できるだけ大人数で襲うこと、狭い場所で囲むこと、一気に距離を詰めること、合わせて無意味に傷つけないことを言い含めておいた。
いくらあの少年が傭兵で、魔術師で、戦いの経験があったとしても、多勢に無勢だ。
しかも魔術師は接近されるとその強さを発揮できない。
詠唱する暇もなく殴られればそれでおしまいだからだ。
女傭兵の居場所を聞きだしたら、トリア侯から報酬をもらうまでどこかに閉じこめておけば良い。
チェザーレがやがて手に入るであろう大金に思いを馳せ、夢見心地で果実水を口につけていたとき、背後から聞こえるはずのない「待たせたか?」という声が聞こえてきた。
あの時の動揺を少年に悟られはしなかっただろうか。
肩が跳ねたりしなかっただろうか。
驚きのあまりとっさに返事ができなかったことを、不審に思われなかっただろうか。
まさか宿に帰ってくるとは思わなかったのだ。
しかも何事もなかったかのように無傷で。
かろうじて平静を装って、チェザーレは約束の追加情報を少年に提供した。
声はうわずってないか、話し方は早すぎないか、と話している間中もずっと気が気でなかった。
少年が二階の部屋に戻ったことで、ようやく重圧から解放されたチェザーレは、手元の果実水を一気に飲み干して考えをめぐらす。
ゴロツキでは相手にならなかったということだろうか。
少年の力量を見誤ったことに反省しつつも、そっとほくそ笑む。
ゴロツキをそそのかしたのがチェザーレだということは、まだ少年に気づかれていないようだ。ならばまだチャンスはあった。
ゴロツキがダメなら傭兵を動かせば良いだろう。
報酬はゴロツキよりも多めに渡す必要があるだろうが、実力は比べものにならない。
チェザーレは仕事柄、傭兵の知り合いが多い。強くても頭の少々弱いヤツがうってつけだ。
ちょうど良いことに、「また良い情報があれば頼むぜ」と言っていたヤツがいた。
今日の午後には王都から離れる、と少年が言っていたのをチェザーレは思い出す。時間はあまり残っていなかった。
2017/02/05 誤字修正 トリア候 → トリア侯
2017/11/29 表現重複修正 深く深呼吸を → 深く呼吸を
2018/04/18 誤字修正 すさまじい早さで → すさまじい速さで
2020/07/28 誤字修正 抑えて → 押さえて
※誤字報告ありがとうございます。






