第38話
ノーリスのおかげで、アルディスが感じていた違和感の正体はハッキリとした。
今すぐどうこうということもないだろうが、放置して良い問題でもない。
とはいえ原因がなんの根拠もない忌み子の迷信だけに、解決するのも容易ではないだろう。
魔物討伐のように力でねじ伏せて終わり、というわけにはいかないのだ。
なまじ女神やら信仰やらが絡んでいる分、非常に根は深い。
もう一方の原因である、ネーレと領軍との関係も完全にこじれてしまっている。
小隊長から目の敵にされ、領軍までもがそれを後押ししているのでは、穏便に解決するとも思えない。
訊けば領主も敵に回していそうな感じだ。
テッドたちと別れ、往路と同じように住民からの不躾な視線を浴びながら家に戻ったアルディスは、リビングに入るなりソファーに沈み込む。
そのまま天井を見上げながら背もたれへ寄りかかる。
出来る事ならこのまま、うたた寝をしてしまいたいところだった。
「はあ……。もういっそのことトリアを出るか」
「どうしたかね、我が主よ」
ため息をつくアルディスの背後から、トレイを手にしてネーレがやってくる。
テーブルの上にふたり分のお茶を置くと、アルディスのとなりに腰を下ろして自分のカップへ口をつけた。
なんだかんだとアルディスと同じ屋根の下で暮らすようになった従者は、掃除洗濯炊事と多芸なところを発揮し、家の中で確固たる地位を築いていた。
今ではこうして休憩するアルディスにお茶を入れるなど、従者らしい気配りも見せている。
一方でぞんざいな口の利き方は相変わらずだし、アルディスを主と呼ぶわりには平然ととなりに腰掛けて主人よりも先にお茶を飲みはじめるなど、本当に従者としての自覚があるのか疑わしいところもある。
だが、少なくともアルディスの意に沿うよう行動してくれるし、双子の面倒もきちんと見てくれている。
最近はようやく双子も慣れてきて、ネーレと会話をする姿も見かけるようになった。
今回、とんでもない爆弾を懐に忍ばせていたことが判明したわけだが、それでもすぐさま追い出さない程度には親しみを感じはじめている。
「どうも侯爵や領軍に目をつけられているらしい」
お茶で口を湿らせながらアルディスは言った。
「それで何か不都合があるのか? あのような小物、取るに足らぬ。我が主の命であれば、今から滅ぼしてくるが?」
「やめてくれ」
そんな事は望んでいない。
たたきつぶしてすむ問題ならそれでいい。
わざわざネーレに頼まなくても、アルディスひとりで領主の館に乗り込めば良いのだから。
問題はその後だ。相手は侯爵、その背後にいるのはナグラス王国である。
トリア侯を滅ぼすということは、つまり王国にケンカを売るのと同じ事と言えよう。
アルディスは一介の傭兵だ。
別に国を相手取って内乱を起こしたいわけじゃない。
いざとなれば他の国へ活動の拠点を移しても良いし、現時点でも動いているのが侯爵と領軍だけである以上、国としてはまだ関与していない可能性がある。
トリアを出てさえしまえば、問題は自然と沈静化するのではないか。
そんな考えが、「いっそのことトリアを出るか」という言葉につながっている。
「しばらくは大人しくしておくか。この状況で家を空けておくのは不安だ」
時間をおけば住民たちは落ち着くかも知れないし、侯爵や領軍はアルディスたちに悪意を持っていたとしても、法を守らせる立場である以上、出来る事は限られている。
もちろん相手が法を誠実に守っている限りは、だが。
「ネーレは侯爵に会ったことがあるんだよな? どんな人物だった?」
将軍の為人はアルディスも分かっている。
尊大ではあったが、法や秩序は守ろうとするタイプだ。
領主さえしっかりと手綱を握っていれば、暴走はしないだろう。
だがトリアの最高権力者である侯爵に直接会ったことはない。
住民の評判を聞く限りでは、有能な為政者という印象を受けた。
直接会ったことのあるネーレなら、アルディスよりも正確な人物評を持っているだろう。
「知性のない下劣で貪欲な豚」
カップを口に運んでいたアルディスの手が止まる。
「……は?」
「だから、領主のことを聞いたのであろう? 『知性のない下劣で貪欲な豚』だと言っている」
思いのほか毒を含んだ人物評だった。
「そ、そうか…………、ちなみに将軍はどうだった?」
「野良犬相手によく吠える駄犬」
それを聞いてアルディスはなるほど、と納得する。
将軍に対する評価は、それほどアルディスと食い違っていない。
そうすると侯爵に対するネーレの評価も、単純に偏見や好悪の感情から発したものではなさそうだ。
となれば、『法が許す、許さない』で判断しない方が良いだろう。
卑劣な手段を使ってくる可能性もありそうだ。
「警戒しておいた方が良さそうだな」
アルディスの懸念は数日後に現実となる。
その日は朝から曇り空で、夜が拡がってからも晴れる様子がなかった。
星明かりも曇天に隠れ、いつもよりも暗い宵の口。
家の玄関を乱暴にたたく音がした。
「我が主」
「わかってる」
アルディスは家を取り囲む大勢の気配を感じていた。
魔力の大きさからして一般人とほとんど変わりがない、おそらく衛兵たちであろう。
こんな時間に押しかけて家を囲むとなれば、少なくともアルディスたちにとって良い話であるわけがない。
「我が赴いて、撃退して来ようか?」
追い返すのも撃退するのも、アルディスたちの力をもってすれば簡単なことだ。
だが問題はその後である。
力ずくで追い返したところで、次の手勢がやってくるだけだろう。
「俺が出て対応する。ネーレはあの子たちと一緒に街を出て行く準備に掛かってくれ」
できる限り穏便に済ませたいが、おそらくそれは無理な話だ。
ぐるりと家を囲む人数から考えるに、こちらが抵抗するような要求を突きつけに来たのだろう。
ネーレと双子が荷物をまとめはじめるのを背にして、アルディスは玄関へと向かう。
「吟味である! ここを開けられよ!」
玄関のドアを叩きながら、衛兵らしき男の声が響いていた。
声はすでに怒鳴り声と言っても良いほどで、このままであれば数分とたたずにドアを破って突入して来かねない雰囲気だ。
「こんな夜分になんですか?」
アルディスが声をかけながらドアを開いた途端、誰かの号令が響いた。
「突入ー!」
ドアをこじ開けて、完全武装した衛兵たちが家の中に入ろうとする。
だがその試みは見事に失敗した。
「な、なんだこれは!?」
アルディスが瞬間的に展開した結界に妨げられ、衛兵たちは不可視の壁にさえぎられたように頭をぶつけて立ち止まった。
これは物理障壁の応用で、術者に悪意や敵意をもった動く物体の通過を妨げる魔法だ。
当然アルディスのオリジナルで、世間一般に知られている魔法ではない。言わば魔法と言うより魔術であった。
家全体を覆うように展開しているため、他の窓や裏口からの侵入も防ぐことが出来ている。
「ずいぶんお行儀悪い訪問の仕方ですね。家の中に招き入れてもらいたいなら、それなりの手順と礼儀というものがあるでしょう?」
慇懃無礼にアルディスが言う。
「き、貴様! 衛兵に逆らうのか!?」
「逆らうも何も、ご用件もわからないのに逆らいようがありませんよ。内容によってはご協力できるかもしれませんし」
とぼけた風にアルディスが答えた。
「それで? 本日はどのようなご用件でしょうか?」
殺気だった衛兵の中から年かさの男が進み出て来た。部隊の指揮官だろう。
「この家に住む傭兵の女に捕縛命令が出ておる! 隠し立てするとためにならぬぞ!」
「ほう……、捕縛命令ですか? 一体どのような理由で?」
「領軍の兵士に対する傷害罪、および幼児誘拐の疑いだ!」
「それはまた……、穏やかではありませんね」
アルディスの目に蔑みの色が宿った。
兵士に対する傷害罪というのは、ネーレが手合わせで下した中隊長や小隊長のことだろう。
加えて幼児誘拐。双子の存在すらダシにするつもりらしい。
彼らの言い分を聞いていたら、ネーレだけでなく、被害者として双子も連れて行かれることになる。
アルディスとしてはとうてい受け入れられない話だ。
「捕縛令状はお持ちで?」
「これを見よ!」
年かさの指揮官がアルディスの前に大判の紙を広げて見せる。
捕縛令状とは国の公的機関が発行する公式文書だ。
ナグラス王国の法では、犯罪の現行犯であれば衛兵がその場で捕縛することができる。
だが現行犯でない場合、容疑者を拘束するためには捜査状況に基づいて捕縛令状を発行する必要がある。
実態としては捕縛令状なしの捕縛も横行しているし、捕縛してから事後で令状が発行されることもある。制度として設けられていても、実質的には形骸化しているも同然だった。
だが容疑者が貴族などの特権階級だと必須となるし、力を持った傭兵のように抵抗が予想される場合、相手に対する心理的効果を狙って発行されることが多い。この場合、後者がその理由であろう。
「確かに捕縛令状ですね……、でも法守院の印がないようですが?」
「それはっ……!」
思いもよらぬ指摘に指揮官が言葉を詰まらせる。
法守院というのは捕縛令状の正当性を保証する国家機関である。
地方領主や貴族たちによる令状の捏造を防ぐため、令状ひとつひとつの内容を検証し、罪状や容疑者に不審な点がないかをチェックしている。
法守院の印を得ることで、捕縛令状はようやく法的根拠を得ることになる。
逆に言えば法守院の印がないものには正当性がないのだ。
(ということは、今回の件は国のあずかり知らぬこと。侯爵の独断ということか)
アルディスはこの時点で、身の振り方を決めた。
「ほ、法守院の審査は間もなく通る! 容疑者の捕縛が最優先と判断されたのだ!」
無学とばかり思っていた傭兵からの痛い反撃に、あわてて指揮官がごまかした。
「それで? 誰を捕まえに来たのですか?」
「傭兵の女だ! ここに居るのは分かっている!」
「名前は?」
「名前などどうでも良いだろう! 傭兵の女といえば傭兵の女だ!」
(こいつら……、名前も知らない相手を捕まえに来たのか?)
捕縛令状にもネーレの名前は載っていなかったため、まさかと思って確認してみれば、案の定名前すら知らないらしい。
「いや、だって連れてこようにも名前が分からないと誰を連れてきて良いのか……」
「だから傭兵の女を引き渡せば良いのだ!」
すでにアルディスの気持ちは固まっている。
今やるべき事は、ネーレたちが準備をしている間の時間稼ぎだ。
「傭兵の女なら三人いますけど? 誰を引き渡せば良いんですか?」
「なに……?」
もちろん口からでまかせである。
だが、衛兵たちはアルディスの家に何人の人間がいるかなど、ハッキリと知っているわけではないのだ。
街の住民たちにしても同じである。
この家に何人の人間が暮らしているかなど、実際に家に入ったことのあるテッドたち以外には知りようがないだろう。
「か、髪の毛は長いアリスブルー色で、瞳が天色の女だ!」
「えーと、三人とも同じ髪と目の色なんですが……」
「そ、そんなわけがあるか!」
「いや、そんなわけがあるかと言われましても、実際そうなんですから……」
アルディスはわざとらしく指で頭を掻き、困った表情を見せる。
「で、結局誰を引き渡せば良いんですか?」
「ぐ、ぐうう……。とにかく! この家にいる女を全員連れてこい! 後はこちらで判断する!」
(この辺が潮時かな)
「わかりました。玄関まで連れてきますので、そのままお待ちください」
そう言ってアルディスは家の奥へと引っ込んだ。
一応アルディスが大人しく従う姿勢を見せたため、衛兵たちも無理に突入してくる気配は感じられない。
ネーレたちのところまで戻ったアルディスがおもむろに訊ねる。
「さて、準備の方はどこまで済んでる?」
「我が主、すでに身の回りの品や武装は準備できておるぞ。フィリアとリアナもすでに着替えは終わっておる。四日程度ならば食糧も足りるであろう。さすがに家具の類いを持ち出す暇はないがな」
巨大なふたつの背負い袋と、これまた成人男性が丸々ひとり入れそうなカバンがふたつ。
パンパンに荷物を詰めた状態で用意されていた。
「それは仕方がない。装備と金、それに食糧が持ち出せれば十分だ」
せっかく買いそろえた家具は捨てていくことになるが、物はまた買えば良いのだ。
「フィリアたち、お外出るのー?」
「リアナたち、お外やだ……」
双子たちが不安そうな顔でアルディスのズボンをつかむ。
ふたりにとって、外の世界は嫌な記憶しかないのだろう。
「でもここに居ると、こわーいおじさんたちがたくさん来ちゃうからな。ふたりとも我慢してくれ」
アルディスの言葉に双子はしぶしぶと首を縦に振る。
ふたりとも近頃は口数も増え、自己主張するようにはなったが、それでもわがままを言うことはない。
泣きわめかれでもすれば面倒なことになるところだが、素直に言うことを聞いてくれる双子にアルディスは内心胸をなでおろした。
「さて、行くか」
アルディスたちは二階から屋根裏を通り屋上に出る。
「ふたりとも、しっかりつかまってろよ。目は閉じておいた方が良い」
「うん」
「わかった」
双子を両腕にそれぞれ抱きかかえると、アルディスは家を囲んでいた結界を解く。
結界がなくなったことにより、衛兵たちが家へと突入している間に、暗がりに紛れて直上へと体を浮かせた。
そのまま数秒で地上百メートルの高さに上昇すると、両手にカバンを持って追随してきたネーレと共に夜の空を南西へと飛んでいく。
今頃は衛兵が家の中を必死に探し回っていることだろう。
場合によっては壁を壊されたり火をかけられるかもしれないが、もはやあの家に用はない。
仲介してくれた商会は大損害だろうが、双子の噂が立つなり「すぐに解約、退去して欲しい」などと言い出すやつらに、かける情けは持ち合わせていなかった。
もっともこういうトラブルが起きたときのために保証金を金貨百枚も取っているのだろうし、案外収支トントンくらいにはなるのかもしれない。
そのままトリアから徒歩一日ほどの距離まで飛んだアルディスたちは、街道から離れた場所に降り立つと、そこで一晩を過ごした。
2019/07/30 誤用修正 姑息 → 卑劣
※誤用報告ありがとうございます。