第386話
セーラのもと、アルディスが着実に実力を身につけている間も情勢は変化し続けていた。
帝都壊滅とともに皇位継承者のほとんどを失ったエルメニア帝国は混乱のただ中にあり、今では地方の有力諸侯がそれぞれに独立を宣言して群雄割拠の状態に移りつつある。
誰もが納得できるほどの正統性を持った後継者は現れず、もはや武力で他を制圧すれば良いとばかりに小競り合いが各地で起こっているという。
そこへさらなる混沌をもたらしたのは、帝国にとって元同盟相手でもあったサンロジェル君主国だった。
君主国は壊滅状態の帝都を占領下におくと周辺の小領を次々と平らげ、またたく間に帝国領内へ一大勢力を築くことに成功する。
その時点で諸侯が手を組み、一丸となって君主国に対していれば結果は変わっていたかも知れない。
しかし現実には互いに反目し、牽制し、猜疑の目を向け合うばかりで諸侯はまとまらず、強固に結束した君主国軍に各個撃破されていくばかり。
帝都壊滅から三ヶ月ほどが経つと旧エルメニア帝国の領土はのきなみ君主国の支配下に収まることとなる。
その君主国からウィステリア王国に使者がやって来たのはそれから半月後のこと。
使者によって届けられた親書には不戦条約締結の求めと、それに対する見返りが記されていた。
「今さらどの面下げて、と言いたいところだがな」
それらの事情を踏まえた上でアルディスにぼやくのは、ウィステリア王国の軍事責任者として将軍の地位を得ているムーアである。
御前会議を終え、ロナを含めたふたりと一頭はムーアの執務室へ場を移して今後の対応を相談していた。
「休戦はしていても互いに仮想敵であることには変わりない。うちもそうだが君主国としても敵を増やさずにすむのならそれに越したことはないだろう。向こうも同盟を求めてこないだけの節度は持ち合わせているんだ。譲歩はしているつもりなんだろう」
「そりゃわかってるさ」
ムーアとて今では一国の軍を預かる身だ。アルディスに言われずともその程度のことはわかるし、個人の感情よりも国の利を考えなければならない立場という自覚はあるらしい。
さすがに御前会議や公の場で不満を口にすることはない。
逆に言えばそれだけアルディスとロナが気を許せる相手だということだった。
「あの手土産はどう思う?」
「受け取らざるをえないだろうな」
ムーアの抽象的な問いかけにアルディスが間髪入れず答えた。
手土産というのは不戦条約締結の見返りとして君主国が提示してきた話である。
それはエルメニア帝国に併合された旧ナグラス王国の領土割譲であった。
ナグラス王国の流れを汲むウィステリア王国としては、旧王都を含むその土地は旧領ともいえる。
反ロブレス同盟としての地盤を出発点としていたウィステリア王国には、旧ナグラス王国の貴族も多くその名を連ねている。
レイド侯爵のように領土をすべて失った名ばかりの貴族たちにとって、君主国の手土産はさぞ魅力的に映ることだろう。
君主国軍によって被害を受けたカルヴス王国の面子もあるため、さすがに今の時点で同盟へ招き入れるのは無理だが、不戦条約ならば感情的にも受け入れやすい。
「カルヴス側もレイティンをはじめとする都市国家の解放を見返りに提示されれば、条約締結に傾く可能性が高いだろう」
「なんで? 他の都市国家はカルヴスの領土じゃないし、解放されてもメリットないんじゃないの?」
今度はロナがアルディスに疑問をぶつけるが、その回答を口にしたのはムーアの方だった。
「都市国家群が君主国の占領から解放されて主権を取り戻せば、カルヴスにとっては背後の不安がなくなる。たとえ今回の件で不戦を結べたとしても、散々痛い目を見せられた相手が後ろに居座ったままじゃ安心できないだろ? カルヴスにも神皇国の手が伸びて来るのは時間の問題だし」
「あ、そっかあ」
納得顔のロナからアルディスに目を向け直し、ムーアは自分の中の結論を口にする。
「まあ、不戦条約の方はおそらく締結されるだろうな。国土が一気に拡大することで行政や監視の目が行き届かなくなる点、それと旧ナグラス王国の貴族が増長しかねないという点を除けばウィステリア王国にとって利の方が多い」
「ムーアもすっかり国の重鎮だな。政治家としてもやっていけるんじゃないのか?」
からかうようなアルディスの言葉に、ムーアは微妙な表情を浮かべる。
「ほとんどカイルの受け売りだよ。俺としては国が安定したのを見届けてさっさと引退したいね。将軍の恩給だけでも自分ひとり食べていくには十分な額だからな」
「ミネルヴァがムーアをそう簡単に手放してくれるとは思えないが?」
「なんだアルディス、鏡に向かって喋っているのか?」
お前こそ簡単に逃げられるわけがないだろうと、言外に指摘されたアルディスは早々に話題を変える。
「帝国が事実上消滅したとなれば、各勢力の力関係もずいぶん変わるな」
「話をそらすならもう少しスマートにそらせよ……」
あきれながらムーアは執務机の引き出しから周辺地図を取り出して広げる。
大雑把な記述しかされていない地図だが、こんなものでも国家機密にされている貴重な情報だ。
「まあアルディスの言うことにも間違いはない。勢力間のバランスが変わったのも確かだ」
アルディスも地図に目を落として旧ナグラス王国のエリアを指でなぞる。
空から周囲一帯を見通せるアルディスからみれば不正確さが気になる地図だが、わざわざそれを指摘はしない。
自分の仕事を増やすだけだと理解しているからだった。
「条約締結で領土割譲が成立すれば、ウィステリア王国は旧ナグラス王国の領土丸々を統治下に置くことになるのか」
「プラス、開拓したグロク周辺もだ。広さだけならナグラス時代よりも拡大することになる」
アルディスの認識にムーアが補足の言葉をつなげた。
それにうなずくと、アルディスが今度は同盟国の状況に言及する。
「同盟国のカルヴス王国は現状のまま、か。とはいえ連合を構成する各都市国家が解放されて、背後の安全を確保できれば経済的に得るものはあるよな」
君主国の占領地で囲まれていたカルヴス王国だが、都市国家群が解放され、旧ナグラス王国領が同盟相手ウィステリア王国の統治下に入れば、前線から離れた安全な交易路を確保できる。
特にウィステリア王国の都トリアまでの道中が味方の勢力下に収まるのは大きいだろう。
カルヴス、レイティン、グラン、トリアと道がつながり、ひとまとまりの勢力圏が形成されること。それがカルヴスにとって今回不戦条約を締結する最大のメリットだった。
「それに、通常の援軍も送れるようになるのは大きい。毎回アルディスたちに頼り切りなのは国としてまずいからな」
軍の責任者らしいムーアの言葉に、ロナは素直な感想を口にする。
「楽になるのは大歓迎だよ。だけど君主国もずいぶん思い切ったもんだね。ある意味節操がないというか……」
サンロジェル君主国は支配下においた都市国家を手放してまで旧帝国領の占領を選んだ。
少なくともウィステリア王国とナグラス王国の双国同盟に挟まれる心配はなくなる上、神皇国領とも接する地がなくなるのだから戦略的には理解できる手である。
もちろん手を切った後とはいえ、元々同盟を結んでいた相手の土地を支配しようというのだ。
支配される帝国民からの反発が強いのは火を見るより明らかだった。
もっとも、ロブレス大陸の外からやって来た君主国軍はどこへいっても侵略者以外の何ものでもない。
都市国家の住民に恨まれるか、帝国の人間に恨まれるかの違いでしかないだろう。
「それに不戦条約を結べたとしても、そうそう都合良く君主国が大人しくしてくれるもんかなあ?」
「神皇国軍との会戦でかなりの被害を出したようだから、少なくとも海の向こうの本国から増援が到着するまでは帝国領の維持に専念するんじゃないか?」
ロナの疑問にアルディスが答え、それにムーアが同意する。
「旧ナグラス領と都市国家を手放すのも、占領し続けるには兵が足りないからだろう」
「ああ。あの軍事力は油断できないが、今は警戒度を下げて良いと思う。必ずしも本国からの増援が来るとは限らないしな」
君主国についての結論を出すと、続いてアルディスは大陸西側に位置する最大の敵へ言及する。
「神皇国は……最近動きがないようだが、そっちで何か新しい情報はあるか?」
「いや、特には」
ムーアは首を振るとそのまま言葉を続ける。
「しかし不気味だな。あれだけの勢いで拡大していた神皇国がここに来て妙に大人しいのも。嵐の前の静けさってやつか?」
「……」
「どっちにしても攻めてくることは間違いないんだから、それに備えなきゃならんだろう。で、具体的にどう備えるかって話なんだが……」
地図を指し示すムーアの指先を追って、アルディスはその国名をつぶやく。
「アルバーン?」
「そう、今となってはロブレス同盟最後の国となったアルバーン王国だ。神皇国軍との会戦で戦力はボロボロになり、占領地である旧ブロンシェル共和国領の大部分も失っているのが現状。援軍や共闘を頼もうにもその相手がいない孤立無援の国がこの位置にある」
ムーアが地図の旧ブロンシェル共和国領に三つのコマを置いていく。
西には神皇国、南にはウィステリア王国、東にはアルバーン王国。旧共和国領は今現在、この三国によって分割占領されていた。
「どのみちここが神皇国との戦場になることは間違いない。じゃあ俺たちがその戦いに勝ったとしたらどうなる?」
言いながらムーアはウィステリア王国軍のコマで神皇国軍のコマを蹴散らす。
「……ブロンシェルから神皇国を排除できたとしても、東西にそれぞれ敵を抱えることになるな」
「そうだ。君主国との不戦条約が成立すれば、ウィステリア王国軍は主力を北に集中できる。戦力の低下したアルバーン相手なら勝算も高い」
「神皇国の動きがない今のうちに、後顧の憂いを断っておこうという算段か」
アルディスの推測にムーアはニヤリと笑みを見せた。
「そういうことだ」
2025/12/28 誤字修正 捕捉 → 補足
※誤字報告ありがとうございます。






