第384話
神皇国の対東部戦線にある拠点の一室。
エルメニア帝国の帝都から帰還したヴィクトルが部下からの報告を受けていた。
「ダーワットが戻ってこない、ですか?」
「はっ。送り込んだ天隷隊三人のうちふたりが帰還してから二日経ちますが、最後のひとりはいまだ戻らず」
「……わかりました。下がってください」
ヴィクトルは報告者を下がらせる。ひとりきりになると、悔いるように目を閉じて誰にともなくつぶやいた。
「見誤りました……か」
元ウィステリア傭兵団の団員で構成される天隷隊。その中でも随一の実力を持っていたのがダーワットだ。
今のアルディスならば送り込んだ三人を相手にしても死ぬことはないだろう。そんなヴィクトルの予測は大きく裏切られることになった。
「すまない、ダーワット……」
ダーワットが戻ってこない理由はおそらくシンプルなものだろう。
天隷隊に自由意思はない。たとえ追い詰められたとしても保身のために降伏することはないし、相手側に寝返るという可能性は皆無だ。
とはいえ不利を悟り、任務の遂行が不可能と判断すれば他のふたりのように撤退を選ぶことは許可してある。
それでもなお帰ってこないということは、捕らえられたか、あるいはすでに冥府の門をくぐったか……。
おそらく後者だろうとヴィクトルは結論付け、自らの判断ミスを悔やんだ。アルディスの成長を読み違えたこと、そしてダーワットを死なせてしまったことに。
だがその後悔をこぼす相手はなく、過ちを懺悔する相手もいない。
ヴィクトルの周囲にいるのは敵だけだった。指示を下してくる上役も、肩を並べて戦う者も、先ほど報告をもたらしてきた伝令も、ひとり残らず敵である。
守るべきかつての仲間たちは、意思を失った操り人形としてヴィクトルの麾下にいる。
「また報いを受けるべき理由が増えましたね」
誰に指摘されるまでもなく、ヴィクトルは自分の罪を自覚している。ろくな死に方はできないという覚悟もある。
だがヴィクトルに裁きを下すのは正当な権利を持った人間だけだ。
それはかつての仲間を人形に変えて使いつぶそうとする仇敵でも、ただ立場上敵対しているだけの敵兵士たちでもない。
「そんなに長くは待てませんよ、アルディス」
自分を裁くことのできる唯一の名を口にして、ヴィクトルは計画の前倒しを決断する。
ウィステリア王国ではカルヴス王国の使節団が滞在する間、厳戒態勢を維持し続けていたが、それもようやく解かれて日常が戻りつつあった。
あの襲撃以降は特に問題も起こらず、ニコルはミネルヴァとの交渉を終えて無事カルヴス王国へと帰って行ったからだ。
結局襲撃は一度だけ、しかも襲撃者はダーワットを含む三人だけであった。
ダーワットはアルディスがその手で討ち取ったが、残るふたりはどうやら早急に撤退していったらしく、その行方は不明のままだ。
刺客を取り逃したのは失態といえるが、少なくともカルヴス使節団には怪我人も出ておらず、ウィステリア王国も死人は出ていなかった。
城へ刺客の侵入を許したことも、それを最終的に捕縛できなかったことも、アルディスにだけ責があるわけではない。
責任という意味では城に詰める将軍や衛兵たちもそれを負っている。
城の人間はそれぞれに役目を割り当てられていた。
敵の侵入を未然に防ぐ役割、侵入した不審者をすみやかに発見する役割、ニコル以外の重要人物を確実に守る役割、逃走した刺客を直ちに追跡する役割――。
アルディスひとりがすべての役割を負えるわけもないし、仮に可能だとしてもそれは国として組織として正常な状態とはいえない。
ニコルの護衛という役割をアルディスはしっかりと果たしてみせた。
実際、襲撃を防いだ功績は女王であるミネルヴァからも認められ、少なくともアルディスを非難したり責めたりする声は城内にない。
が、アルディスの心は暗く沈んだままであった。
「傷の具合はどう?」
城内に割り当てられた部屋の中で、ベッドの上へ寝転がったままのアルディスにロナが問いかける。
「ソルテのおかげでもう何ともない」
アルディスはダーワットに斬られた肩に手をあて、痛みが感じられないことを確認する。
さすがは将来を嘱望された癒やし手だけはある。ソルテの術により傷はすっかり完治していた。
身体的には万全の状態を取り戻したアルディスだが、当然その心に影を落としているのは負傷の有無ではない。自身が手にかけたダーワットのことである。
「聞いた?」
「なにをだ?」
雑なロナの問いかけに、アルディスは同じく雑な問いを返す。
「エルメニアの帝都が壊滅したって話」
「……ああ、聞いたよ」
「じゃあ帝都を襲撃した人間たちについても聞いたよね?」
「ああ。白く統一された装いと額に金色の頭環……」
帝都そのものが壊滅したからといって、生存者が皆無というわけではない。
廃墟と化した帝都を後にして周辺の町や村へと避難した住民たちによって、犯人たちの姿は目撃されている。
「ダーワットと同じ……だよね」
「おそらくな」
今際の際にダーワットから伝えられた情報により、かつて戦友であったウィステリア傭兵団の面々が仇敵の手駒となっていることがわかった。
しかも意思を奪い取る金色の頭環によって強制的に、である。
どれだけの人数がジェリアの手駒にされているのかはわからない。
「解放してあげなきゃね」
「当たり前だ」
そう答えながらアルディスは考え込む。
ヴィクトルの裏切りがダーワットの言う通り上辺だけのものならば、納得できる点は多々あった。
再会時に意識を失ったアルディスへ危害を加えず放置したまま去って行ったことも、ことあるごとに煽り立てるような言葉を向けてきたこともだ。
しかしダーワットを差し向けてきたことは明らかな過ちと言っていい。
現にダーワットはアルディスの手によって撃退され、それどころか命を失ってさえいるのだ。
ダーワットの喪失をアルディスが喜ぶわけもなく、またヴィクトルにとっても望んでいた結果ではないだろう。
そこまで考えたアルディスの脳裏に、予想外の答えがふと浮かび上がってきた。
「強くなっている、のか……?」
――ヴィクトルが思っている以上に俺が、と。
「ん? 誰が強くなっているって?」
ヴィクトルからアルディスに向けられた、煽るような数々の言葉。
思い返してみると、表現を変えれば助言や忠告のような意味が含まれていたし、同時にアルディスを奮起させようと発破をかけているようにも取れる。
ダーワットという実力者に歯が立たないという状況をアルディスに味わわせ、成長を促そうとしていたのであれば……。
「くそっ」
ヴィクトルの目論見が崩れたのは、アルディスの実力が彼の予測以上に高くなってしまったからなのだろう。
アルディスがもっと弱かったならニコルは暗殺され、ダーワットたちはひとりも欠けることなく逃亡に成功していたかもしれない。
そうなればアルディスは実力不足、覚悟不足を痛感させられたはずだ。ヴィクトルにしてみれば尻を蹴り上げるに等しい効果が期待できただろう。
だが実際はダーワットと伍するほどの実力を身につけたアルディスが、マリーダの夢見によりニコルのすぐそばで護衛についていた。
もしマリーダの求めがなく、アルディスがいつものようにミネルヴァの護衛についていたならニコルを守りきることはできなかったかもしれない。
本来ならダーワットは死ななくて良かったのだ。
アルディスがもっと弱く、マリーダの夢見による警備態勢の変更がなければきっとヴィクトルの思惑通りに事が運んだに違いない。
しかし現実にはニコルの無事と引き換えにダーワットの命が失われてしまった。
「……来るんだったらあんたが自分で来いよ」
気付いてしまったその事実に、アルディスはヴィクトルへ届くことのない悪態をつく。
本気で斬りかかってくる相手を無傷で制圧するには隔絶した力量差が必要になる。
実力が拮抗していたからこそ、アルディスはダーワットを無力化することができず、全力で戦うことしかできなかったのだ。
ならば――圧倒的な実力を身につけるしかない。
かつての戦友たちを、傷つけることなく無力化できるだけの強さを得るしかない。
「さっきから何言ってるの、アル?」
「……もっと強くならないと、ってことだ」
「だから意味わかんないって」
胡乱な視線を送ってくるロナに自己完結した返事を送りながら、アルディスは改めて心に誓った。






