第383話
「マリーダの様子がおかしい?」
トリア城内に用意された自分の執務室で、アルディスはキリルにそう問い返す。
突然ひとりでやってきたキリルがマリーダの常ならぬ様子に言及したからだ。
「そんなのいつものことだろう」
妙な、という表現がしっくりくるマリーダの言動にはウィステリア王国の面々もとっくに慣れきっている。
新たに雇い入れた使用人でもあるまいに、付き合いの長いアルディスに取っては今さら何をと言いたくなるのは当然だった。
「いえ、あのおかしな口調とか人をおちょくったような態度を言っているわけじゃなくてですね」
アルディスの反応は予想済みだったのか、キリルは言葉を選びながら違和感を伝えようとする。
「なんというか……焦燥感がにじみ出ていると表現したら良いのか」
普段ひょうひょうとした態度を崩さないマリーダが、周囲にそう感じさせるような言動を見せるというのは珍しい。
アルディスもそんな彼女の姿はほとんど目にしたことがなかった。
例外はレイティンがサンロジェル君主国の軍に攻められたとき――マリーダが両親の仇を討ったときくらいのものだろう。
それを知らないとはいえ、キリルから見てマリーダの様子が普段とは明らかに違うということである。
「ニコルが来るから浮き足立ってるだけじゃないのか?」
「あのマリーダさんがですか?」
「……」
自分で言いながらもそれはないなと思ってしまうアルディスは、キリルの反問に答える気を無くした。
同時にアルディスにだけわかる心当たりを胸にしまい込んで、キリルへは無難な答えを口にする。
「どのみち外野がどうこう気を揉んでも仕方がない話だ。物資の調達に支障が出ているならともかく、仕事はきちんとこなしているんだろう? 俺も気に留めておくし、それとなく探りは入れてみるが……あまり期待するなよ」
アルディスはそう話を切り上げると、キリルが部屋を出て行った後マリーダのもとへと足を運んだ。
キリルへはああ言ったものの、アルディスにはひとつ心当たりがある。
マリーダの持つ夢見の能力だ。
予知に近い形で将来の出来事を夢として見、その夢に干渉することで先々起こり得る結果を事前に体験できるというのがマリーダの力だ。
アルディスがキリルと出会い、その繋がりでマリーダと出会ったのもその力あってのことだと彼女は言った。
彼女が普段とは違う行動や様子を見せているというならば、おそらくは夢見が絡んでいるのだろう。
「と、俺は踏んでるんだが、実際のところどうなんだ?」
しばらくしてマリーダの姿を見つけたアルディスは、周囲に人がいないことを確認した上でいきなり核心を突く。
「突然ぶっこんでくるにぃ。問い詰めるにしても段階を踏むとかあるんじゃないのかにぃ?」
「相手によってはそうするさ」
「……割と最初からだけど、アルディス君って私に遠慮がなさすぎじゃないかにぃ」
若干の疲労を顔に浮かべてマリーダがぼやく。
「確かにキリルの言う通り、らしくないな。あんたがそんな顔を他人に見せるなんて。……まずい事態が起こるのか?」
「……ノーコメント」
「俺にも?」
「いつもいつも自分が特別だって思わないようにねー。キリルのときはアルディス君に事情を明かした方が上手くいったけど、毎回そうってわけじゃないにぃ」
「なるほど、そういうことか……」
最初にアルディスへ夢見の能力を明かしたとき、マリーダは『夢の話をしたところで大半は上手くいかない』と言っていた。
今回はアルディスに夢の内容を明かしても良い結果につながらなかったのかもしれない。
「……何か俺にできることはあるか?」
だからアルディスは夢について詳しく触れず、端的に助力を申し出る。
マリーダは「そうだにぃ……」と言い辛そうに口を開いた。
「今度ニコルが使節としてやって来るよにぃ?」
「ああ、王弟殿下としてな」
「そーそー。で、ニコルが城に滞在している間だけで良いから、アルディス君とロナにその護衛をお願いできないかにぃ?」
「俺とロナの……両方にか?」
「うん」
あっさりと肯定するマリーダに向けてアルディスは難色を示す。
「今回ニコルは王族としてやってくるんだ。カルヴスからも当然護衛はついてくるだろうし、近衛傭兵隊からも護衛は出す予定だ。それじゃだめなのか?」
「ウィステリアとカルヴスの関係を引き裂くにはもってこいの機会だからにぃ。もしもの事があってからじゃ遅いんだよん」
「ニコルに付けるのはキリルとグレシェたち、近衛傭兵隊でも手練れのヤツらだ。それでもか?」
「うん」
「そもそもニコル自身もそれなりに強い。そんじょそこらの相手へ後れを取るようなヤツじゃないってことくらいはマリーダも知っているだろう?」
「うん」
「俺とロナがニコルに付くってことは、その分ミネルヴァの守りが薄くなるって事だぞ?」
「うん」
続けざまにアルディスが問いかけるが、マリーダの目に浮かぶ意思は揺るがない。
アルディスは諦めか呆れかわからないようなため息をつきながらも、その要求を受け入れることにした。
「……わかった。俺とロナはニコルの護衛に専念しよう。それでいいか?」
他国から要人を受け入れるこのタイミングで、国の最大戦力であるアルディスとロナが両方ともミネルヴァの護衛から外れることは本来ならば避けるべきである。
だがマリーダの能力を知るアルディスは彼女の言葉を無視することもできなかった。
「ごめんねアルディス君。私がもっと上手くできれば良かったんだけどにぃ……」
らしくないマリーダの謝罪を耳にしながら、アルディスは頭の中で護衛計画を練り直した。
アルディスとロナがミネルヴァの護衛を外れることになり、フィリアとリアナのふたりがその代役を務めることになった。
公式には双子であることを隠しているため、一方がミネルヴァのそばにフィリアナとして立ち、もう一方は陰から護衛をこなすことになる。
ひとりに見せかけて実は高い実力を持った魔術師がふたりついているのだから、その護衛力は見かけ以上に強固だった。
加えてアルディスたちには及ばないまでも、十分に実力者と言えるムーアがミネルヴァの脇を固めている。
絶対に安全とまでは言えないが、よほどの相手でなければ不覚をとることもないだろう。
唯一の問題はしばらくミネルヴァへ付きっきりとなってしまう双子が、アルディスとの時間を取れずに機嫌を損ねてしまうくらいのものだった。
そうして準備を進めた数日後、カルヴス王国からの正式な使節として王弟ニコラウス・ファーソン・カルヴスがウィステリア王国へやって来た。
自分の護衛につくアルディスの姿を見てニコルは二度ほど目を瞬かせたが、すぐにいつもの調子を取り戻して軽口を叩く。
「まさかお前さんが俺の護衛についてくれるとはなあ。もしかして俺、ウィステリアだと結構危ないところから命狙われてんの?」
「そんな事は無いと思うんだが、マリーダにああも必死に頼まれちゃ断れなくてな」
「なになに、お嬢ってばそんなに俺のことが心配なわけ? そっかー、お嬢が必死に頼み込む姿とか俺も見てみたかったわ」
「ちょっ、アルディス君! 適当なこと言わないでよ!」
アルディスとニコルにふたりしてからかわれ、マリーダが真っ赤になって抗議する。
ニコルとマリーダの仲はカルヴスでも周知のものらしく、道中を護衛してきた騎士たちも微笑ましくふたりを見守っている。
『国としては下手に貴族の令嬢と縁付くよりは都合が良い、ってところだろうさ』
そうニコルは以前アルディスへ自虐めいて言ったが、周囲の目は予想以上に優しく感じられる。
カルヴス王国として、自国の王弟とマリーダとの仲を好ましく見ているのは間違いなさそうだった。
そんなやり取りもあり、和気あいあいとした雰囲気に包まれたまま護衛同士の顔合わせが行われる。
さすがにアルディスがカルヴス側の護衛たちにロナを紹介したところで多少の混乱はあったものの、概ね問題は起こらなかった。
「それにしても、すごい面子をそろえたもんだな」
護衛に配された面々を見てニコルが感心したように言う。
「わかるか?」
「そりゃわかるさ。俺だって少し前まで剣一本で食ってた傭兵だぞ。同業者の力量くらい推し量れるっての」
確かに今回、ニコルの周囲は選りすぐりの者ばかりで固めてあった。
アルディスとロナは言うまでもなく、マリーダからの依頼でつなぎをとった『白夜の明星』のテッド、ノーリス、オルフェリアの三人、近衛傭兵隊からはグレシェ、コニア、ジオ、ラルフの『コスターズ』に加え、魔術師のキリルまでもがニコルの護衛についている。
テッドはニコルと共にアルディスが認める剣技の持ち主であるし、キリルは無詠唱こそ習得できなかったものの、この世界の魔術師としては群を抜いて優秀だ。
キリル以外は傭兵としての経験も豊富で、柔軟性に難のある騎士と違い臨機応変な対応が期待できる。
これだけの陣容で構えていれば、よほどの相手でない限りニコルの安全は確保できているだろう。
「いやあ……本当にこれだけの護衛が俺ひとりのために? ……俺、知らず知らずのうちにウィステリアでなんか相当な恨み買っちゃってるの?」
「俺は知らん。マリーダの手配だ」
「あー、なるほど。お嬢のアレか……」
マリーダの事情を知るニコルだからこその納得であった。