第379話
ウィステリア王国の中心地、トリアの城下。
住宅街や商業街から離れた場所に軍の施設が立ち並ぶ中、近衛傭兵隊の訓練場として割り当てられたスペースがあった。
その一角でひとりの少年とひとりの少女が戦っている。
「これなら、どうだぁ!」
革鎧をまとった少年の振るう剣がローブ姿の少女に襲い掛かった。
対する少女が手にした杖の切っ先で地面を軽く叩く。
まるで叩き起こされたように地面から岩盾が生まれ出で、振るわれた剣を受け止める。
「くっそぉ!」
一撃を受け止めても微動だにしないその盾に、少年は悪態を置き土産にして後退した。
少年の名はクレス。
傭兵の父を持ち、若くして近衛傭兵隊へと入隊した血気盛んな若者だ。
「またそうやって力任せに……」
クレスと対峙している少女の名はリアナ。
歳はクレスとさほど変わらないにもかかわらず、確とした実績を誇る魔術師である。
呆れか憤りか判断しかねるような調子の声をもらしながら、冷静にクレスの攻撃をさばいていく。
一歩踏み出せば互いの喉元へ武器を突き付けられるような距離で斬撃と魔法の応酬が続き、響き渡る大音響だけが積み重なっていった。
もちろん戦いといっても本当の殺し合いではない。
クレスは刃引きした剣を使い、リアナの方も殺傷能力の高い攻撃は自ら禁じている。
すでに互いの距離は至近となり、クレスが剣を振るえばその刃はリアナに届く間合いだ。
通常、この間合いは魔術師にとって致命的なまでに不利な距離であり、剣士対魔術師の戦いであればすでに勝負ありと見るべきである。
だが実際には戦いはリアナ優勢のまま進んでいる。
剣の届く至近に肉薄され、懐に潜り込まれてもなお剣士相手に戦う術を持っていることこそが、リアナという魔術師の非凡さを示していた。
そもそも最初からお世辞にも互角とはいえない戦いだった。
クレスが剣を一振りする間に、リアナはそれを防ぐための物理障壁と牽制用の連続した炎、そして本命となる風魔法の攻撃を操っている。
詠唱を必要とせず瞬時に、それも攻撃と防御を複数同時に操るという馬鹿げた芸当を平然とこなすリアナは、控えめに言って化け物じみていた。
クレスは決して弱くない。
元傭兵が多く暮らす故郷の村で引退した剣士から手ほどきを受け、同年代の少年たちと比べて頭ひとつ抜きん出ていたのは確かな事実である。
そんなクレスがまるで赤子扱いされているのは、ふたりの間にそれだけの力量差があるということだ。
「アルディスも言っていたでしょう。『無理に功を立てようと焦るな。戦いが終わった時、生き残っただけで勝ちに値する』と」
言葉と同時にリアナの放つ炎弾が逃げ場を塞ぐように着弾する。
それを紙一重でかわしながらクレスは反論した。
「生き残った上で、戦功を上げて見せれば良いんだろう!」
「そんな技量で……!」
返されたクレスの言葉にリアナが怒りをあらわにする。
それまでの倍量に達する炎弾を生み出すと、次々にクレスへ向けて投げ放つ。
その様子を離れた場所から見守るのは、クレスの幼なじみマリスである。
同じ村で育ち、同じように傭兵となり、同時に近衛傭兵隊へ入隊したクレスの戦いを心配そうに見つめながら思わずつぶやく。
「何もここまでしなくても……」
そんなマリスのつぶやきに、となりへ並び立っていたフィリアが呆れ半分といった声で答えた。
「犬のしつけと同じ。言ってわからないなら身体に教え込むしかないよ」
「それは……そうかも知れないけど」
彼女たちの前で行われている模擬戦は、リアナとクレス双方の同意により始まったものだ。
建前上、訓練の一環とはなっているが、どちらも胸中に抱えるものがあったのは間違いないだろう。
クレスとしては同じ年頃であるリアナやフィリアと自分との扱いに差があることに不満があるだろうし、リアナとしてはクレスのアルディスに対する態度に見過ごせないものがあるようだった。
先日の神皇国軍との戦いにおいて、クレスは周囲の状況などお構いなしに敵陣深くまで入り込み、結果的にアルディスの指示を無視することとなった。
リアナにしてみれば、勝手に深入りしたあげくアルディスへ迷惑をかけたクレスの行為は看過できないのだろう。
もともと互いに思うところのあるふたりである。些細なきっかけからそれぞれの鬱屈した感情をぶつけ合う戦いに発展したのは自然な事だった。
「あのままだといつかアルディスにとって迷惑な存在になる。きっと自分の弱さを棚に上げて、アルディスを逆恨みするようになる。だったら私たちに恨みを向けさせた方がよほど良い。アルディスの煩わしさがひとつ減るから」
リアナの心情をフィリアが代弁する。
「だからって、リアナが相手にならなくても……。カルヴス防衛で君主国軍を何度も撃退した実力者相手じゃ、さすがにクレスが可哀想よ」
マリスとしては幼なじみのクレスを心配する気持ちが大きい。
確かにクレスの力量は若手の中では頭ひとつ抜きんでているが、さすがに相手が悪すぎる。
それならまだフィリアの方が――というマリスの考えが見透かされた。
「私が相手になった方が良かったって?」
「……そういう事を言っているんじゃなくて」
表面的には動揺を隠しきったマリスへ、フィリアは涼しい顔で言ってのける。
「私が相手しても同じ事になるよ。リアナにできることは私にもできるもん」
「…………そうなの?」
少し遅れたマリスの返事を待って、フィリアは視線を戦っているふたりに向けながら続けた。
「子供の頃はね、リアナのことを別の人間だと思っていなかったの。違う名前を付けられた自分だと勘違いしていた。だから同じ事を考えるのも、同じ事ができるのも当たり前のことだと思っていた。同じ人を好きになるのも」
「……それって隊長――」
言いかけたマリスの言葉へ声を重ねて遮るようにフィリアは続ける。
「だから今もリアナがどれくらい怒っているのか手に取るようにわかる。クレスに何を教え込もうとしているのかも」
「……」
フィリスの言っていることが本当なのか、双子として生まれたわけではないマリスには判断が付かない。
「だからマリス、黙って見てて。アルディスは若気の至りだから放っておけと言ってたけど、私たちとしては見過ごせない。まだ隊から追い出すつもりはないけど、思い違いで増長する前に鼻をへし折っておくのは隊全体のためでもあるんだから」
そう言いながらも、言葉の節々に近衛傭兵隊よりもアルディスを優先するフィリアの意思が感じられ、マリスは反論を飲み込んだ。
マリスの実力はクレスと似たようなものである。それはつまりフィリアとマリスとの間にも隔絶した実力差があるということだ。
同性でもあり、歳も近いことから普段は気軽に話せる相手だが、年齢を抜きにすれば実力も実績も戦歴も名声も全て双子の方が遥か上。
傭兵としては先輩格であり本来なら気安く接するのもはばかられる相手だろう。
友達にはなれそうにない、とマリスは痛感する。そして友人関係になることをフィリアとリアナも端から求めていないということを理解させられる。
彼女たちの世界はアルディスと、双子のもう一方だけで成り立っているのだろう。
そこに割り込めるのはおそらくロナとネーレくらいのもの。
狭い世界だと、呆れと共にため息をつきたくなって思いとどまる。
同時に、彼女たちにとってそれほどアルディスは大切な存在だとわかる。
アルディスを煩わせてしまったクレスの振る舞いがすべての元凶であると、マリスは受け入れるしかなかった。
「クレスを……使い物にならなくするつもりはないのよね?」
「当たり前でしょ、ただのしつけだもの。骨一本折るつもりはないよ。折るのは増長した鼻っ柱だけ。……まあ、心の方も折れちゃうかもしれないけど、そこまで配慮してあげるつもりはないし」
今度はハッキリとため息をつき、マリスはクレスの無事を祈った。