第35話
青々と広がる晴天をまっすぐと飛んでいくひとつの影。
まぶしそうに目を細めてそれを観察していたテッドたちの後ろから、ネーレの冷静な声がした。
「あれがグラインダーではないのか?」
束の間の静寂。
アルディスたちの視線が空の一点に向けられる。
この草原に出現する鳥は大小さまざま、十種類以上の存在が知られている。
だが肉食の『キラーバード』と『監視者』以外はいずれも体長五十センチ以下の小さな鳥だ。
アルディスたちの目に映っている影は少なくとも小型の鳥には見えず、かといってキラーバードや監視者のシルエットとも異なる。
つまり、常日頃草原で見かける影ではないのだ。
次の瞬間、沈黙を破ったのはテッドの声だった。
「戦闘準備! ノーリス! 狼煙は上げられるか!?」
「今、準備してる!」
「オルフェリア! 空から目を離すなよ! アルディスとネーレは迎撃準備だ!」
パーティに緊迫した空気が流れる。
「テッド、向こうで狼煙が上がってるわ!」
別の場所から上がりはじめた狼煙にオルフェリアが気づいた。
「ちっ! 発見報酬は持ってかれちまったな」
すでに他の隊がグラインダー発見の狼煙を上げたようだ。二筋の狼煙が北側に見えている。
他の場所でも次々と狼煙が上がりはじめた。
発見の報は間違いなく各隊へ届いているだろう。
「問題は、どこに降りてくるかだが……」
念のためアルディスはショートソードを抜き放つ。
アルディスたちの視線を釘付けにした影は、彼らを無視してまっすぐ東へと飛び、みるみるうちに小さくなった。
「本隊の方角だな、ありゃあ」
テッドの指摘通り、影が向かった先には本隊がある。
本隊は三分隊で構成されているため、他の分隊に比べれば戦力は多い。
だが兵質から考えて、とてもグラインダーを撃退できるとは思えなかった。
「どうするの? 温室育ちの兵隊さんたちには荷が重すぎると思うけど」
オルフェリアがテッドに判断を迫った。
「事前の指示じゃあ、『すみやかに交戦している部隊の援護へ向かえ』ってんだろうが……」
問題は間に合う可能性が非常に低いということだ。
となりの部隊、あるいはその先の部隊程度なら駆けつけられるかもしれない。
だが、もしグラインダーが本隊のところまで飛んでいたら、ここからではとても間に合わないだろう。
「とりあえずは追っかけっぞ!」
グラインダーがどこに降り立つかはわからないのだ。
テッドたちは新たに上がった狼煙の方向へ向け、急ぎ移動を開始する。
「テッド、俺は先に行くぞ」
短く告げると、アルディスは返事を聞く前に『浮歩』で駆けはじめた。
テッドの怒鳴り声が聞こえてくるのを後に、尋常ではない速度で東へ向かう。
アルディスの斜め後方には、当然のように『浮歩』で付き従うネーレの姿があった。
ふたりは途中で二つの分隊を追い越し、三十分ほどかけて本隊をその目に捉らえる。
「被害が出ておるな」
ネーレが端的な表現で口にした。
すでに本隊はグラインダーとの戦闘に突入しているらしく、遠目にも混乱していることが見て取れる。
陣形も隊列もなく、慌てふためき槍を振り回す兵士たち。
右往左往してまともに指示も出せない馬上の隊長格。
混戦状態では矢を射るわけにもいかず、隊の半数近くを占める弓兵が完全に遊兵と化していた。
アルディスたちが近づいていく間にも、次々と兵士が倒れていく。
その中心に悠然と構えるのは体高三メートルもあろうかという巨体、グラインダーだ。
猛禽類を思わせる頭部に水牛のような太い角が左右に生えている。上半身は羽毛に覆われ、三本の鋭い爪を持つ両腕と、左右それぞれに胴体よりも大きな翼を持っていた。下半身はたくましい四本の馬脚に支えられ、その合間にゆらゆらと毛に包まれた尾が見え隠れしている。
グラインダーが威嚇するように翼を広げる。その大きさは槍を持った兵士が赤子に見えてしまうほどだ。
翼を持った魔物は狙いをひとりの槍兵に定めると、鋭く尖ったかぎ爪を振り上げる。
「まずい」
すでに剣魔術の届く距離だが、アルディスとしては領兵の前で剣魔術を使いたくない。
もちろん出来る事なら無用な死人は出したくないが、正直なところ知人でもない兵士のために、領軍の中隊長もいる場で見せたくはないのだ。
アルディスが一瞬躊躇している間に、斜め後方からグラインダーに向けてダガーが放たれた。ネーレだろう。
「助かる!」
アルディスは短く礼を口にすると、勢いのままグラインダーへ向けて突進する。
ネーレの投げたダガーはグラインダーの腕に突き刺さり、その動きを一瞬止めた。
そこへアルディスが躍り込み、無詠唱で物理障壁を張りながら、あわせて攻撃魔法を詠唱する。
「猛き紅は烈炎の軌跡に生まれ出でし古竜の吐息――煉獄の炎!」
アルディスが掲げた両手から炎が現れ、グラインダーに向かって解き放たれる。
だがグラインダーは四本の馬脚で力強く地面を蹴ると、大きく横に飛び退き、炎の射線上から身をかわす。
炎の余波でグラインダーの上半身を覆う羽毛の一部が焦げ落ちた。
「ちっ」
アルディスは思わず舌打ちした。
周囲の兵士たちを巻き込まないよう、範囲を狭め、上方へ向けて射出する形にしたのが裏目に出た。
「キューーーン!」
負傷したグラインダーはアルディスを危険な相手と認めたのだろう。
すぐさま空中へと退避しつつ、アルディスを中心にして魔力で嵐を巻き起こす。
熟練の魔術師が唱える上級魔法『烈迅の刃』に匹敵する風圧が兵士たちへと襲いかかった。
魔法障壁を展開しようとしたアルディスは、すでに強固な障壁が周辺一帯に張り巡らされていることに気づく。
「ネーレか」
アルディスがグラインダーと対峙している間に、守りを固めてくれていたのだろう。
すぐさま意識を切り替えて、グラインダーの行方に目を向ける。
だがアルディスがグラインダーの姿を見つけたときには、すでに上空へと逃げられた後だった。
人の目がなければ仕留める方法などいくらでもあるが、この場でそれを見られたくはない。
グラインダーはアルディスたちを一瞥した後、そのまま西へと進路を向けて飛び去っていった。
「まずいな……」
グラインダーが向かう方向にはテッドたちがいる。
やつがこのままカノービス山脈に逃げ帰るならそれでいい。だが、西にはテッドたち以外にも領兵や傭兵たち、そして街道を行く行商人や旅人がいるのだ。
「ネーレ! すぐに追うぞ!」
今ならまだ姿が見えている。
人目のない場所で追いつけば、あの程度の魔物、アルディスにはどうとでも出来るのだ。
しかしその時、すぐさま『浮歩』で追いかけようとしたアルディスを呼び止める声があがった。
「待て! 怪我人の手当てが先だ! お前たち魔術師だろう。治癒魔法は使えないのか? 使えないのなら治療薬ですぐに重傷の者を手当てするんだ!」
馬上の指揮官らしき男がアルディスとネーレに言った。
「どのみち空を飛ぶ相手に追いつけるわけがない!」
アルディスは相手に聞こえないよう舌打ちをした。
確かに普通は空を飛ぶ魔物に追いつくことなど出来ないだろう。
だが、アルディスとネーレのふたりならばそれが出来る。
おそらく今なら追いつけるだろう。
「負傷者の手当てを急げ! 小隊長は分隊の再編成をしろ! 態勢を整えてから隊列を組んで追跡するぞ!」
あんたはバカか、と言いかけてアルディスは言葉を飲み込んだ。
最も人数の多い本隊がこのザマなのに、一分隊単位で構成された他の隊が太刀打ちできるはずがない。
たとえ他の分隊と合流していたとしても、本隊の規模と同程度では各個撃破されるのがオチだろう。
そもそも人員を分散させすぎているのだ。
グラインダーは十人や二十人程度の兵士たちで、足止めできるほど容易い相手ではない。
この場にアルディスとネーレを留め置いていることが、領兵たちを危険にさらすことになっているなど、この指揮官にはわからないのだろう。
「何をボーッとしている! さっさと負傷者の手当てをせんか!」
指揮官らしき男が大声でせき立てる。
もともと『白夜の明星』が領軍に目をつけられないよう参加した仕事だ。
ここで指揮官の印象を悪くしては元も子もない。
「我が主、どうするかね?」
アルディスのとなりにやって来たネーレが問いかけてくる。
「仕方ない。重傷者の手当てを手伝いながら、スキを見て抜け出す」
周囲に視線を向ければ、アルディスたちが助けに来るまで傷を負った兵士たちが大勢倒れていた。
すでにこときれている人間も数人いるが、治療が間に合えば助かりそうな兵士もいる。
飛んでいったグラインダーが必ずしも人間を襲うとは限らない。
手傷を負った以上、自分の縄張りへ帰る可能性も高いのだ。
一方でこの場には手当てが遅れれば命を失うであろう兵士がいる。
危険の可能性と目の前にいる重傷者、そのふたつを天秤にかけた妥協案がアルディスの言葉であった。
アルディスたちは手持ちの治療薬を提供し、目立たないよう治療活動に手を貸しながら機会をうかがう。
やがて部隊が秩序を取りもどしはじめたところで、指揮官たちに気づかれないよう素早くその場から離脱し、無人の草原を西へ向かって全力で駆けはじめた。
2017/01/04 修正 体長二十センチ以下 → 体長五十センチ以下
2017/06/09 誤字修正 だが、日にはテッドたち意外にも → だが、西にはテッドたち以外にも
2019/05/02 誤字修正 ショートショード → ショートソード
※誤字報告ありがとうございます。
2019/05/02 誤字修正 シルエットとは異なっている → シルエットとも異なる
2019/07/16 誤字修正 目に捕らえる → 目に捉える
2019/07/16 誤字修正 体勢を整えて → 態勢を整えて
※誤字報告ありがとうございます。






