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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第二十一章 新勢力の台頭
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第378話

 外に出て残酷な光景と血の匂いから逃れたソルテは、教会の裏口から出るとその横で壁に手を付いてうつむく。

 かたわらで心配そうなロナが下からソルテの顔を覗き込んでいた。


「大丈夫、ソルテ?」


「あんなの……酷すぎます。あの方が一体何の罪をおかしたというのですか?」


 涙混じりの声で誰にともなく訴えるソルテに、少し遅れて出てきたアルディスが答える。


「罪があるかどうかは関係ない」


「ならばなぜっ!」


 跳ね上げるように顔を起こしたソルテが叫ぶ。

 対するアルディスの反応は落ち着いたものだった。


「酷なことを言うようだが、戦争なんだから別におかしな話じゃない。軍隊というのは常に暴走する危うさと隣り合わせにある。統制が取れているうちはいいが、一度たがが外れてしまえばあんなものだ」


「でも……神皇国しんのうこく軍は女神様の軍隊なんでしょう!?」


「自称、のな」


 短く答えたアルディスの声には吐き捨てるような響きがあった。

 そこに込められた言外げんがいの意味を感じ取ってソルテが問いただす。


「女神様を僭称せんしょうしているだけだと……言いたいのですか?」


 答えは返ってこないが、アルディスの眼がその通りだと主張していた。

 短い時間とはいえ交わす視線を通じて明朗な意思が伝わってくる。


「……俺にわかるのは神皇国軍がただの軍隊だということだけだ。これでも傭兵団に身を置いてたくさんの戦場を見てきた人間だから、あの手の非道は何度も目にしてきた」


 自分の経験談としてアルディスは言葉を連ねる。


「しつけのされていないありふれた軍隊だよ、自重じちょうのきかない暴力装置と言ってもいい」


「しかし……神皇国は女神様を奉じる国だと聞きます。その軍であれば教会のく慈愛の精神を持っているはず。そうでなければ、ならないはず………………この考えは私が戦場を知らないからでしょうか」


 戦場をろくに知らないソルテはアルディスに反論を投げ掛けるだけの根拠を持たない。


 理性では答えが出ている。

 町の惨状を直に目で見て、住民からも直接話を聞き、目のそらしようがない悪行の痕跡を突きつけられた。


 それでも長年捧げ続けた信仰心が抵抗を続けている。

 同じ女神を信じ、その女神が陣頭に立つとさえ噂される軍があのような残忍な行いをするわけがない。ソルテはただただそう信じていたかったのだ。


 しかしそれに対するアルディスの反応は冷ややかなものである。


「教義はしょせん人間が作ったものだろう。ソルテにとってそれは目の前の現実よりも大事なものなのか?」


 目の前の現実と自分の信仰が相容あいいれない今、どちらを信じるべきかソルテは問われている。


「この町の状況を見てもなお神皇国軍と手を取り合うべきだと言うのなら、もう俺から言うことは何もない」


 それはアルディスの最後通告なのだろう。

 もしソルテが今日見た現実よりもこれまでの信仰を選んだならきっと――。


 アルディスは自分を見放すのだろうとソルテは理解した。






 視察を終えてトリアへと帰還した後もソルテは心にモヤを抱えたままの日々を過ごす。

 その中途半端な状態が終わりを告げたのは、神皇国からもたらされた一報だった。


「破門?」


 ソルテが報告をたずさえてきた若い修道士に問いを投げかける。


「は、はい」


「神皇国からですか?」


「正確には……女神様の御名みなにて教会から通達が」


「女神様の御名で……」


 ある日突然布告されたのは、神皇国の敵対国家に属する教会への破門であった。

 対象となるのはエルメニア帝国、アルバーン王国、カルヴス王国を筆頭とする都市国家群、そしてウィステリア王国である。

 これらの領土内にある教会、そこに属する聖職者すべてが対象であるとされた。


 最初、多くの者はこれを誤報であると一笑いっしょうした。

 ひとりふたりの人間ならともかく、複数の国に跨がってすべての教会が対象となる破門など、普通ならあり得ない事態だからだ。


 しかしやがてこれが誤報ではなく、正式な教会の布告だと判明するにいたって大きな混乱が国中を包む。

 教会のもと、女神に信仰を捧げる聖職者の人数はウィステリアだけでも千人を超える。

 他の国もあわせればその数倍に及ぶだろう。

 それだけの人数がすべて破門されるとなれば平常心を保てる者はわずかである。


 この布告は神皇国の統治下にある地は対象外とされていた。

 つまり、『破門されたくなければ今の地を捨てて神皇国へと移り住め』と言っているに等しいのだ。


「実際はもっと悪辣あくらつな手だがな」


「まあ、はかりごとと無縁のソルテにはわからなくてもいいよ」


 この布告を耳にしたアルディスとロナは苦い顔を見せながらそう言った。


 ふたりの言わんとするところはソルテもわからない。

 だが神皇国がすべての聖職者に対して突きつけた踏み絵が、この大陸に大きな混乱をもたらしたことは確かだった。


 聖職者にとって破門とは死よりも恐ろしいことである。

 それは存在自体を否定され、死後の安寧をも奪われるに等しい。

 エルメニアとアルバーンではまたたく間に国内からほとんどの聖職者たちが国外に脱出し、多くの教会が無人と化した。商人たちの情報網はそう状況を伝えている。


 ウィステリアとカルヴスはまだ傷が浅い方である。

 もともと同じ女神を信仰しながらも既存の教会とは距離を置き、エルマーによって独自の教義を広めていたエルマー派の存在があったからだ。

 旧来の教会に所属する聖職者はウィステリアを出て行ったが、エルマーは「そもそも無関係な組織から破門されるいわれもない」と布告を涼しい顔で捨て置いた。


 もちろんエルマー派の中にも多少の動揺はあった。

 一般信者の中にも不安からウィステリアを後にする者はいたため、無傷というわけではない。

 とはいえエルメニアのように国内が大混乱におちいったわけではないのだ。

 トリアの住民は困惑を見せつつも一定の秩序を保っている。


 そんなある日、ソルテは不安を訴える信者の話に耳を傾けていた。


「シスターソルテ、私は不安でならないのです。このままトリアに留まっていたらいずれは聖職者の方だけではなく、我々全員が破門されるのではないかと」


「そのようなことは、さすがに無いと……思いますが……」


 断言できないことにソルテは忸怩じくじたる思いを抱く。

 そもそも敵対国家の聖職者全員に対する破門という行い自体が尋常じんじょうではないのだ。

 それが一般信者にまで及ばないと絶対の自信を持って言い切ることなどできなかった。


「シスターソルテはどうなさるのですか? ……やはり神皇国へ行ってしまわれるのでしょうか?」


「私は……」


 答えられないでいるソルテに、信者は思いもよらないことを口にする。


「……いっそのこと、トリアが神皇国の領土になればこんな不安を抱え続けなくてもいいのに」


「え……?」


 何気ない信者の言葉にソルテは気付いてしまった。

 破門を恐れる人々が、神皇国の統治を望むようになるという可能性に。


 望むだけならまだ良い。

 だがそれを行動に移す者がいないとは言いきれないのだ。

 神皇国の統治を受けるため、邪魔な現在の統治者――ウィステリア王国を内側からむしばみ、あるいは転覆を目論もくろんで暗躍する可能性は決してゼロではない。


 アルディスとロナが危惧していたのはきっとこのことだろう。

 ソルテの背筋が冷たくなる。


 同時に神皇国への嫌悪感が生まれた。

 いや違う。そんなものはあの町を視察した時に生まれていたのだ。

 生まれ、膨らみ、育ち、それでも見ないふりをしてきた嫌悪が、気付けば無視できないほどに大きくなっている。


 神皇国は敵対国家を弱体化させるために破門というカードを、宗教を戦争の道具として持ち出した。

 教会はそれに異を唱えるどころか進んで力を貸しているようにしか思えない。


 それはソルテの信じる女神の御心にはそぐわなかった。

 神皇国の奉じる女神は本当にソルテが愛を捧げる女神なのだろうか。


『自称、のな』


 以前突きつけられたアルディスの言葉が脳裏に浮かぶ。

 あるいはソルテが教会からの離別を決意したのはこの時だったのかもしれない。






「シスターソルテ、本当に残ってしまうのですか?」


「今からでも遅くはありません。我々と共に神皇国へ参りましょう」


 旧来の教義を捨てられず、神皇国へと移り住むことを決めた聖職者たちがソルテに翻意ほんいうながす。


 彼らは今日、トリアの町を出ていく。

 街道を北へ向かえば今は神皇国領土となった旧ブロンシェル共和国の地へたどり着けるだろう。

 破門されるよりは――と、故郷をあとにして神皇国の統治下で生きることを選んだ者たちだ。


「私のことはお気遣いなく。熟考を重ねた上での結論です」


「しかし……」


 はっきりとソルテが拒絶を見せても聖職者たちは納得してくれなかった。


「シスターソルテ。聖女候補と名高いあなたがむざむざ破門されるとわかっていてこの国に残る理由があるのですか?」


「そうですとも! このまま留まれば、聖女どころか聖職者としての未来すらありません。どうか考え直してください!」


 確かに、若い頃から多くの期待をその身に浴びせられ、将来は聖女間違いなしとまで無責任な称賛を受けていたソルテである。


 無論聖女の栄誉がくだらないと言うつもりは毛頭ない。

 むしろ過去の聖女たちが成した偉業を思えば身に余るほどの光栄だろう。

 だがそれでもソルテはきっぱりと断言する。


「死後の列聖がなんだというのですか。私の信心はただ女神様が知っていてくだされば良いこと。決して神皇国や教会が評するようなものでも、ましてや一方的に決めつけられるものでもありません」


 信仰を失ったわけではない。

 女神への愛も捨ててはいない。

 だが宗教を戦争に用いる神皇国と今の教会に愛想を尽かしただけだ。


「私自身と女神様以外の何者も入り込むことを許さない一対の絆、それこそが私の揺るがぬ信仰です。その前では教会の――人が定めた称号や栄誉がいかほどのものでしょう? そのようなものには興味も未練も一切ありません」


 それは旧来の教会に対する明確な決別宣言だった。


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