第377話
《残酷な描写有り》
耐性のない方はご注意ください。
『自分の目で確かめろ』
そんなアルディスの言葉に異を唱えるつもりがないソルテは、数日の準備期間を経て神皇国軍の占領下にあったという町へと足を運んだ。
もちろん戦いが終わったとはいえ道中の安全が確保されたとは言い難い。
配下の一部を引き連れて赴くアルディスに同行するというかたちになった。
「こ……れは……」
到着した町の様子にソルテは言葉を詰まらせる。
町の外から見た損傷のない防壁とは正反対に、その内側はひどいありさまだった。
焼けた建物、黒ずんだ地面、そしてえもいわれぬすえた匂い……。
町の中央部へ向かうにつれ悪化していくその光景に、アルディスとロナの後ろをついて歩くソルテは酩酊したかのような錯覚を覚える。
やがて町の中央部にある広場へ到着したソルテの目が大きく見開かれた。
「な、なんですか……これは……!?」
そこに見えたのは広場に何本も並べ立てられた大きな杭だった。
一本一本が家を支える柱のような大きさの杭。
それが十本以上も地面から生えていた。いや、地面に打ちつけられていると表現した方が正しいだろう。
広場のつくりを考えても明らかに後から無理やり加えられたとわかる異物に、ソルテの目が釘付けとなった。
大杭はまだらに黒ずんだ液体で染められている。
乾ききったそれが装飾のために意図して塗られたものではないことなど、さすがのソルテでもわかった。
風下になるソルテの方へ生温かい風がふわりと流れ来る。
「うっ……!」
風に乗って来た酷い匂いに、ソルテは思わず手で口を押さえた。
「遺体は埋葬済みだそうだ。場所が知りたいならあとで聞いておいてやる」
感情の揺れを感じさせないアルディスにソルテは恐る恐る訊ねる。
「その遺体というのは……」
「この町の住民だ。反抗的な人間を見せしめのため張り付けにしたらしい」
「そん、な……」
信じられないとソルテは言葉によらず身振りで示す。
その視線がゆっくりと周囲を巡る。
焼け跡にしか見えない商店らしき建物が目に入り、その反対側には打ち壊された扉が無残に散乱した家屋があった。
道には瓦礫が散乱し、それを片付けている住民たちの目は沈んだ色に染まっている。
道端には何人もがうずくまって動かず、すすり泣く声が葉音のようにソルテの耳を打つ。
そしてその誰もが衣服を血と砂埃で汚している。
町が戦場となったわけではないだろう。
戦いに巻き込まれたのであれば、町を守る防壁が無傷であることの説明がつかないのだから。
それはつまり、この惨状が戦いではなく一方的な暴力によってもたらされたことを示している。
「誰がこんな事を……」
「本気で訊いてるの?」
「……」
呆れるようなロナの問いかけにソルテは答えられなかった。
ソルテ自身もわかっているのだ。
これがウィステリア軍による暴虐行為の結果ならば、町の住民はアルディスたちを恐れて逃げるなり身を隠すなりするだろう。
それがないということはつまり、この場にいない人間がこの惨状を引き起こしたという証左に他ならない。
普通なら賊の仕業という可能性もあり得るが、アルディスの言葉と態度を考えればそれも違うのだろう。
「本当に……神皇国軍がこんな酷い行いを……?」
「嘘だと思うなら住民たちに話を聞いてみれば良い」
絞り出すように疑問を投げかけるソルテだったが、対するアルディスの答えはそっけない。
口で言っても無駄だろうと、態度がそう物語っていた。
「は……い……」
「話を聞いて回るついでに住民たちの怪我を癒やしてやってくれ。重傷者は優先して手当てしているが、命に別状のない傷までは手が回っていないらしい。ロナはソルテに付いて行ってくれるか」
「わかりました……」
「うん、いいよー」
そうしてアルディスと別れたソルテは、ロナと共に周囲の怪我人へと声をかけていく。
声をかけた住民たちは修道服のソルテを見て表情を和らげ、癒やしの術で怪我を治すと涙を浮かべて感謝の言葉を返す。
「ありがとうございます……ありがとうございます、シスター」
「辛い思いをなさいましたね……。あなたには女神様がついてくださいます。女神様は決してあなたを見放しません。あなたの心がいつか女神様の愛によって救われますように」
傷を癒やし、相手に寄り添い言葉をかける。
ソルテはいつもどおりの奉仕を繰り返すうちに少しずつ心に落ち着きを取り戻していった。
ほんの少しだけ余裕ができたソルテは、怪我人の傷を癒やして回りながら住民たちの話を聞いて回る。
「……女神様の軍だっていうから……俺たちは喜んで迎え入れたんです」
「でもあの人たち、法外な要求をしてきて……」
「断ったらあいつら態度が豹変しやがったんだ!」
「口答えする人間はみんな……うぅっ、こ、殺されて……」
「ケティもリンダも……、若い女は兵士に乱暴されて……」
「どうしてですか、シスター? 神皇国軍は女神様の軍だったんじゃないんですか!?」
「僕たちは女神様の教えに反することなんて何ひとつしてないのに……、どうして……どうしてこんな仕打ちを受けなきゃならないんだよ!?」
話ができたのは傷を癒やした半分にも満たない。
無反応な者はまだましで、ソルテの首から提げられた教会の聖印に気付くなり号泣してしまう者もいるほどで、半分以上の住民からはまともに聞き取りをする事ができなかった。
だが断片的にでも得られた証言を整理していけば、この惨状をもたらしたのが神皇国軍であることは疑いようもない。
「ソルテ、そろそろアルディスのところへ戻ろうか?」
「……はい、ロナ様」
そう返事をすると、肩を落としながらもソルテはアルディスと合流するために歩き出す。
やがてアルディスの姿を見つけたソルテは、そのそばにひとりの人物がたっていることに気付く。
「確かあの方は……」
アルディスの前に立っているのは動きやすさを重視した軽装に身を包んだ女性であった。
傭兵のような探索者のような、それでいて違うダークブラウンの髪色をした女性をソルテはどこかで見かけたような気がする。
「シャルだよ。アルのお使いみたいなことをしてる子なんだけど……ソルテは面識なかったっけ?」
「そうですね……直接には」
ソルテとロナはそんな言葉を交わしながらアルディスに近付く。
「ああ、ソルテとロナか。ちょうど良いところに来た。少し確認しなきゃならんことができたから、ついて来い」
「……あれを見せるつもり?」
ソルテの姿を見るなりそう告げたアルディスに向けて、ロナがシャルと呼んだ女性は険しい表情を見せる。
アルディスを見るその目には明らかな非難の色が見えた。
「ソルテがこの町についてきたのもそれが目的だしな」
ハッキリと言い切るアルディスをしばらく睨んだあと、シャルはソルテへ一瞬だけ目を向けてすぐに視線を戻す。
「聖女様には刺激が強すぎる」
アルディスに向けられたその言葉に反応したのはソルテ本人だった。
「聖女呼びはやめてください。あらぬ誤解を呼びます」
「そこ、問題?」
「どういう意味ですか?」
互いにかみ合わない問いかけを投げ掛け合うふたり。
そこへアルディスが割って入る。
「神皇国軍がこの町で何をやっていたのか、知りたくないというなら無理についてくる必要もない」
「行きます」
煽るような言葉へ反射的に答えたソルテはさっさと歩きはじめたアルディスの後を追う。
やがて諦めた様子のシャルがふたりに続き、最後尾をロナが歩いた。
アルディスが向かったのはこの町の教会だった。
やはり教会も被害は免れなかったらしく、神皇国軍の横暴がここにも及んでいたことを物語っていた。
建物こそ焼かれてはいないものの、本来であれば丁寧に手入れされているはずの花壇は踏み荒らされ、目も当てられない惨状を見せている。
教会の建物へと入ろうとしたアルディスをシャルが呼び止める。
「そっちじゃない。そっちは乱暴された女性たちが保護されている。男のアルディスは……」
「そうか……わかった」
シャルが飲み込んだ言葉を察したのか、アルディスは足を止めて踵を返す。
そのままシャルが案内するままに教会の裏庭へと回り、裏口から建物に入るアルディスにソルテとロナも続いた。
「教会の地下……食料庫か」
「多分そうだと思う。アルディスの部下は奥の隠し扉に気付かなかったみたい」
「無茶言うな。探索者ならともかく、傭兵に隠し扉を見つけるスキルなんかあるわけないだろ」
地下の食料庫を抜けてシャルが隠し扉を開くと、奥から濃密な血の匂いが漂ってくる。
「教会に隠し通路なんて……」
「教会にも人を捕らえて拘禁する場所くらいはある」
思いもしなかった部屋の存在にソルテがつぶやくと、意外なことにシャルが反応した。
「え……?」
「教会が清廉潔白な組織だと本気で思ってた? 教会に限らず人間の組織なんてもの、長い時間とともに腐敗していくものよ。表には見せられない裏の面だって自然と増えていくのは当たり前」
「……」
そう言い捨ててシャルはアルディスと並んで奥へ進む。
ソルテは何も言えず、ただふたりの後をついていくしかなかった。
「ここ」
あまりにも長く感じる数十秒間を経てたどり着いた部屋にシャルとアルディスが入っていく。
さらに濃くなった血の匂いに逡巡しながらも、ソルテは続いて部屋に足を踏み入れた。
次の瞬間、部屋の中に広がる光景に言葉を失う。
「……あ…………あぁ……」
部屋の中にはひとりの人間――だったものが吊されていた。
すでに事切れているらしく、呼吸による胸の揺れ動きは全く感じられない。
全裸で吊されたおそらく中年男性と思しきその人物の身体は、いたるところの生皮が剥ぎ取られ筋肉がむき出しになっていた。
太もも、二の腕、背中、そして顔。
無理やりに剥がされたと明らかな傷が、痛々しさを通り越して現実離れした感覚をソルテにもたらしていた。
表皮という保護を失って露出する筋肉はどす黒く染まることで時間の経過を物語っている。
「この教会の神父か」
そうつぶやくアルディスの視線を追って遺体の胸元を見れば、ソルテが身につけているのと同じ聖印がぶら下がっていた。
「そ……んな…………うぅっ!」
胃から逆流してくるものを抑えきれず、ソルテはうずくまって嘔吐した。
その背中をロナの前肢が労るようにさする。
「教会の神父を拷問にかけてもなんの情報も得られないだろうに、一体何がしたかったんだか」
「神皇国軍に抵抗したと聞いた。避難した住民を横暴な兵士から守ろうとしたらしい」
「ただの腹いせか」
「見せしめなら普通は人目のある場所でやる」
シャルの見立てにアルディスが舌打ちをする。
そんなふたりのやり取りをどこか遠い場所のように感じながら、ソルテは口の中に広がる酸味に打ちのめされる。
目の前にある現実をソルテの脳が拒絶しようともがき、それでも理性は目を背けてはならないと訴えていた。