第373話
ヴィクトルがこの場にいるのはさほど驚くことでもない。
理由は神皇国軍の進軍速度だ。
先ほど攻撃した相手は特別強者が多いわけでもなく、特徴的な戦い方をするでもないごく普通の軍だった。
だが同時に侵攻してきている他の神皇国軍とは明らかな進軍速度の違いがある。
そこには当然何らかの理由があるだろう。
軍そのものが普通であるならそれ以外のイレギュラーな要因があるはずで、アルディスとしてはその要因に心当たりがあった。
「なるほど。ヴィクトルが先行して障害を排除し、さっきの軍はその後をただ無人の野とばかりに進むだけということか。そりゃ進軍がバカみたいに速いわけだ」
以前アルディスがトリア城を落としたように、ヴィクトルも進路上の村や町を個人で屈服させてきたのだろう。
その程度はヴィクトルにとって簡単なことだ。
後に続く軍は抵抗も受けず、襲撃の危険も警戒する必要がなく、ただ用意された物資を受け取って前に進み続けるのみ。
まるで武装しただけのピクニックである。
「どうせヴィクトルのことだ。補給の手はずも抜かりないんだろう」
アルディスと違い、魔力の質で人物の特定すらしてしまうネーレが断言した以上、向かってくる魔力反応のひとつがヴィクトルであることは間違いないだろう。
「だがそうすると、もうひとりは……」
問題はヴィクトルと並んでも遜色ないほどの強さを感じさせる魔力反応である。
それが並んで向かってくるということは、少なくともヴィクトルと同様に空を移動しているということだろう。
しかしこの世界において空を移動できる人間は少ない。
「誰だ……?」
そんなアルディスの疑問はすぐに消え去ることになる。
馬の足を止めて待ち受けるアルディスたちの視界に、上空からふたりの人物が降りてきた。
「やはりあなたでしたか、アルディス」
アルディスの姿を認めてヴィクトルが声をかけてくる。
だがアルディスの視線は彼を無視してその背後へと釘付けになっていた。
「なっ……!」
「えっ!?」
アルディスとロナが絶句する。
その目が映すのはヴィクトルではなく、同時に降り立ったもうひとりの人物である。
「ダーワット……!?」
見た目の歳は三十代半ば。
傭兵としては全盛期の磨き上げられた身体。
片頬に大きな傷痕のある顔をアルディスはよく知っている。
「生きて……いたのか」
アルディスの声に喜びの感情がにじむ。
最後に顔を見たのは、あちらの世界で女将軍ジェリアへ戦いを挑む直前のことだ。
アルディスの主観的には十年以上の月日が経っていた。
だが長年生死を共にした戦友の姿を忘れることなどありえない。
ヴィクトルと共にアルディスの前に降り立ったダーワットは、全身を白い武装でかためていた。
その額には金色に光る頭環が輝いている。
しかしながら、その表情は決してアルディスの知る人物とは思えないほど冷たかった。
「ダーワット?」
訝しげな声色でアルディスが名を呼ぶが、ダーワットは無表情のままヴィクトルの後ろでただ佇むのみ。
かつてアルディスを弟分として可愛がり、豪快な笑い声を上げていた人物とは思えなかった。
尋常ではない、その変わり果てた様子にアルディスは疑念と怒りをヴィクトルへぶつける。
「ダーワットに何をした、ヴィクトル」
「何もしていませんよ……私はね」
声を荒らげるアルディスに対し、ヴィクトルはいつものように涼しい顔で答える。
「何もしてない? どの口が……!」
「ダーワットのことよりも自分の心配をしたらどうですか? 今の私と君は敵同士。麾下の軍に損害を与えられた私としては、君たちをこのまま見過ごすことなどできません。噛みついてくるのは結構ですが、今自分が窮地に陥っているということは理解できています?」
挑発じみたヴィクトルの問いかけに、アルディスは自らの激情を抑え込みながら息を整える。
「……俺の方も、今さらあんたに何かを期待しようとは思ってない。以前の戦友だろうがなんだろうが、あんたがあの女に降ったというのなら今は敵だ」
「ふふっ、それで良いですよ。何度挑んできても君の実力では私にすら勝てないという現実を、今回も身体に叩き込んであげましょう」
敵意を向けられながらも笑みを浮かべたヴィクトルが両腰から双剣を抜いて構える。
「ダーワット。私とアルディスの邪魔をしないよう、残りの人たちを抑えておいてくださいね」
ヴィクトルが背中越しにそう指示を出す。
ダーワットは返事をすることもなく、抜いた剣を構えるとロナたちに対峙した。
「そっちは任せるぞ、ロナ」
「抑えるくらいなら問題ないけど、そっちは大丈夫なの?」
「邪魔が入らなければ問題ない」
「おや、ずいぶん余裕ですね。まだ自分の実力が理解できていませんか?」
アルディスとロナの会話を聞いてヴィクトルがあからさまに嘲る。
「前回も、その前も無様を晒した記憶は都合良く消えてしまいましたか? こちらの世界には『二度あることは三度ある』という言葉があるらしいですよ」
「知ってるよ。ちなみに『三度目の正直』って言葉もあるのは知ってるか?」
逆にアルディスもお返しとばかりにヴィクトルを煽る。
「口だけは減らないようですね。いいでしょう、何度でも自分の無力を痛感させてあげますよ」
ヴィクトルが一方の剣を投げつけ、戦いは唐突に始まった。
すぐさまアルディスも『蒼天彩華』を抜いて迎え撃つ。
飛翔するヴィクトルの剣はそれを弾こうとした蒼天彩華と衝突した瞬間、魔術によって操られる飛剣と化してアルディスへ襲いかかった。
ヴィクトルの天才的な剣術をなぞるように、鋭く正確な斬撃が次々とアルディスに向けられる。
それをアルディスは蒼天彩華一本で防ぎ通すと、今度はヴィクトル自身が飛び込んできた。
「飛剣に頼らないのは良い判断です。でもそれだけでは――」
「言われなくてもっ!」
斬りかかってくるヴィクトルへと逆に飛び込み、アルディスは蒼天彩華を振るう。
当然そんな一撃を簡単に食らうヴィクトルではない。
一歩下がって間合いを外すと、飛剣を呼び戻す。
両手にそれぞれ剣を構え、二刀流で攻撃を繰り出してきた。
以前であれば剣での戦いもヴィクトルに一日の長があったが、その天才的な剣術も今のアルディスにはそれほどの脅威ではない。
蒼天彩華一本で襲いかかる連撃をいなすと、反対にその隙をついて攻撃に転じる。
仕切り直しとばかりに蒼天彩華を避けて後退したヴィクトルが、戸惑ったような様子を見せた。
明らかに先日よりも速いアルディスの斬撃に違和感と警戒感を抱いたのだろう。
「……どうやら考えなしに戦場へ戻ってきたわけでもなさそうですね」
「歳を食ったままのあんたと違って、こっちは身体も若いんでね。前と同じで考えてると、痛い目を見るのはそっちだぞ」
軽口を叩く余裕が出たアルディスに、ヴィクトルは眼を細めてわずかに笑みを浮かべる。
「なるほど、ではその成長を見せてもらいましょうか」