第369話
アルディスがセーラの指導を受ける日々の一方で戦況は混沌としはじめていた。
飛ぶ鳥を落とす勢いだったロブレス同盟はその力を失いつつある。
神皇国との会戦で生じたサンロジェル君主国と他二国の不和は日を追うごとに拡大し、とうとう決裂。君主国はロブレス同盟を脱退して袂を分かつことを選んだ。
君主国は新たな同盟相手としてウィステリア王国、カルヴス王国が結ぶ双国同盟への接触を図る。
しかしウィステリアはともかくとして、直接干戈を交えたカルヴスとしてはすんなりと手を結ぶわけにもいかない。
君主国相手の防衛戦で少なからぬ被害を受けたカルヴスが、昨日までの諍いを水に流して手を結ぶのは感情的に難しかった。
結果として同盟ではなく休戦――互いの矛を一時的に収めることで暫定的に交渉がまとまり、カルヴス王国は一時の平穏を得る。
君主国の離脱で勢いを失ったロブレス同盟、その結果ひと息つく余裕を得た双国同盟。
ふたつの同盟を尻目に勢力を伸ばしたのが神皇国軍である。
ロブレス同盟との会戦に大勝した神皇国は【戦乱にあえぐ民を救う】ことを大義名分としてアルバーンの旧ブロンシェル領土へ進軍。
大敗の痛手で戦力の低下著しいアルバーン軍の抵抗を押しのけ、次々と占領地を拡大していた。
また、神皇国軍を率いる女将軍が五百年ぶりに降臨した女神であると布告されたことも大きい。
女神を崇める信者たちはこれに歓喜し、ロブレス中の教会が神皇国を支持しはじめる。
女神の降臨という奇跡は、西方の小勢力でしかなかった神皇国をロブレス同盟に匹敵する勢力へと押し上げた。
その一方でエルメニア帝国、アルバーン王国のみならずカルヴス王国内に至ってさえ、国内では大きな動揺が走っている。
信仰心の強い者は言うまでもなく、一般的な信仰心を持つ者でも女神が敵だなどと考えるだけでも恐れ多いと感じるだろう。
勢いという一点だけに限れば、神皇国は他国よりも頭ひとつふたつ抜きんでていた。
ただ、神皇国とロブレス同盟がぶつかり合っているおかげで、ウィステリアは比較的平穏を享受出来ている。
アルディスが悠長にセーラの指導を受けていられるのもそのためだった。
「うんうん、鍛練の成果が出てきてるんじゃない?」
「そう……だな」
アルディスは自らが素手で割った大岩を見上げながら何とも言えない顔をした。
その表情は理不尽な光景を目の当たりにしたそれであり、決して嬉しさや楽しさを浮かべたものではない。
魔力を取り込む鍛練を経て、アルディスは取り込んだ魔力を利用した身体強化の術を磨いている。
セーラ曰く、命の粒ひとつひとつを魔力で強化すれば人間の身体能力は何十倍にも拡大出来るらしい。
もちろん膂力が増え、素早さが上がったとしても、そんな力をまともに振るえば殴った岩よりも身体の方が先に悲鳴をあげる。
『だから殴る瞬間、衝撃を与える瞬間だけ魔力を使って体表を硬質化すればいいのよ』
そう事もなげに言うセーラの指導に従い、試行錯誤すること数百回。ようやく魔力の扱いが上達すると共に身体能力の強化と体表の硬質化を身につけるに至った。
その成果が今目の前でまっぷたつに割れている大岩である。
上質な武器を使ったのであればともかく、さすがに素手でここまでのことが出来てしまうとはアルディスも思っていなかった。
もちろん素手で殴った時の威力がいくら上がろうとも当てられなければ意味はないし、体表を硬質化出来ると言っても手練れが振るう剣を正面から受け止めればただでは済まないだろう。
だがこれはあくまでも基礎である。
強化した身体で《蒼天彩華》を振るえばその威力と速度はその分底上げされるだろうし、致命傷を受ける寸前に体表を硬質化すれば物理障壁や防具を貫いてきた一撃のダメージを軽減出来るだろう。
現に十倍の魔力を取り込めるようになった今のアルディスならば、竜殻獣の鱗すら素手で貫くことも不可能ではない。
「とはいえまだ体内への魔力取り込みが弱くて、水浴びの度に魔力が流れ落ちてしまうのは未熟な証しだけど」
そんなアルディスへセーラはあっさりとダメ出しをする。
「……大した量じゃないだろ」
「少量でもそれが起こるってことは、魔力の制御が弱いからよ。魔力から主と完全には認められていないってことね」
どうやらセーラからすればまだまだ目指すところまでは遠いらしい。
これまで以上の魔力を取り込み、それを身体になじませる鍛練は基本であり、突き詰めるほどに近接戦闘力も魔術行使能力も向上していく。
今はまだその端緒に触れただけだった。
同時にアルディスはセーラから多くのことを学んでいる。
人の身体が呼吸を必要とする理由。
声の正体とそれが伝わっていく理屈。
色と光の関連性とその特性。
身近なものに秘められた意外な性質。
それはアルディスがこれまで触れる事の無かった学問という領域の知識ばかりだった。
こんな知識が強くなるのに関係あるのかというアルディスの不満を受け流し、セーラは空中に描いた光の絵を使って説明を続ける。その解説はわかりやすく明確だった。
おかげでアルディスは空気全部を消し去らなくても、特定の粒を排除するだけで動物を窒息させられることを知った。
音が伝わる仕組みを知ったことで、それを遮断する方法を知った。
人間が聞き取れる音以外にも音があり、人間が見える光以外にも光があることを知り、それを利用して他者の耳や目を欺く方法を知った。
水を瞬時に超高温へ熱すると爆発のような現象を起こすことも知った。
セーラの教えを通じて、アルディスは知識が戦う力に変わることを実感せずにはいられなかった。
「とはいえ魔力の取り込みも出来るようになったことだし、たまには模擬戦でもしてみようか」
そんなセーラの一言で一対一の戦闘が開始される。
「身体強化の成果を確認したいから、魔法も魔術も無しね」
「わかった」
アルディスは短く返事をすると、蒼天彩華を取り出して構える。
セーラもいつの間にか取り出した赤い剣を手に持っていた。
「いくよー」
軽い調子の声を合図にしてセーラが瞬時に間を詰める。
「相変わらず速い!」
口ではそう言いながらもアルディスは咄嗟に反応して剣を振るう。
それがセーラの振り下ろした赤剣を弾いた。
続いて繰り出されるセーラの連撃を、アルディスはひとつひとついなしていく。
「いい感じよ」
その対処を見てセーラは満足そうにつぶやいた。
決して速いだけではない。一撃一撃が巨漢の戦士が繰り出すような重さを持った攻撃である。
最初の頃であれば対応出来なかったであろう速度と重さの攻撃を、アルディスは確実に防いでいく。
鍛練の成果が現れ、身体強化がますます向上しその精度も高まったことで、ようやくアルディスはセーラと互角に打ち合えるまでになった。
「やっぱり飲み込み早いね、アルディス君は!」
そう言いながらセーラが攻撃の速度を一段階上げる。
「そんな余裕の態度で褒められてもな!」
負けじとアルディスもそれについていった。
もともと魔力を無意識のうちに取り込んでいる人間は、多かれ少なかれ魔力を使った身体強化を行っているらしい。
こうありたい、こう出来れば、という漠然としたイメージを魔力が読み取って命の粒を強化してくれるとセーラは解説する。
だが意識的に命の粒とそれを強化する魔力をイメージすることで、その指令がさらに確かなものとなり、強化の度合いが向上するというのがセーラの教えである。
加えて魔力自体の量が増えればその結果は言うまでもない。
もともと多くの魔力を持っていたアルディスがより多くの魔力を取り込み、それを効率的に利用すれば必然的に高みへと至るのは自明のことだった。
模擬戦を終えて息を乱したアルディスが地面に座り込む。
まだまだ平然と立つセーラとの力量差は埋まらない。
さらに多くの魔力を取りこめるようになれば、その差が縮まるのだろうかとアルディスはセーラに疑問を投げ掛ける。
「取り込めば取り込むほど魔力は強くなるんだよな? セーラは三十倍と言っていたが、それ以上に取り込むことは出来ないのか?」
そんなアルディスの問いかけにセーラは「うーん」と一瞬だけ躊躇して口を開く。
「取り込むだけなら千倍くらいはいけると思うよ。ただそこまで大量の魔力を取り込んだ状態で何かしようとしたら、どんな挙動をみせるか予測出来ないからやめておいた方がいいだろうね。取り込むだけでも身体の正常な働きを阻害しそうだし」
「試してはいないのか? あんたにしろネーレにしろ、魔力を強化出来るなら目的のためにやってみようと考えそうなもんだが」
現状でもこれほどの力を持つセーラである。
魔力量が強さにつながるのであれば、さらに魔力を取り込もうとするのが自然なことではないかとアルディスは考えた。
「それは無理かな。私やあの子に与えられた権限は限定的なものだからね。君と違って私たちには枷がはめられているんだよ。君は今の自分よりも強い相手を超えることができるけど、私たちは今の自分よりも強い相手を超えることはできないんだ」
しかし返ってきたのは想定していなかった答え。
セーラの言葉をアルディスは【成長の余地がもうない】ということだろうかと考え込む。
「そもそも魔力を人体に取り込むことなんて想定されてなかったし」
ポツリと独り言のようにセーラの口にした言葉は、アルディスの耳を通り過ぎていった。
そんな束の間の平穏はひと月と続かない。
快進撃を続ける神皇国は旧ブロンシェル領土からアルバーン軍を駆逐した後、ウィステリア王国へも侵略の手を伸ばしはじめる。
神皇国軍の主力は海峡を越えてアルバーン本国へと進路を向けていたが、それから分離した一部の兵が国境を越えてウィステリア領へと侵入してきたのだ。
その集団には先日の会戦でロブレス同盟軍を蹴散らした、白装の兵士が多数姿を見せていた。
2024/11/13 話数間違い修正