第368話
こうしてアルディスは練能のセーラから手解きを受けることになった。
三日目からは結空のセーラが姿を見せなくなり、ネーレももはや自分は不要とばかりにトリアへ残るようになる。
ひとけのない丘陵に立つのはアルディスと練能のセーラのふたりだけ。
「それではまず、魔力について勉強しようか」
「べ、勉強?」
「そう。知らなくてもある程度の強さは手に入れられる。今の君みたいにね。でも感覚だけでは限度がある。だから本当の強さを手に入れたいなら理論を知るための勉強も必要だよ。知っているのと知らないのとでは大きな差が生じるからね」
「うっ……わかった」
記憶にある限り、感覚だけを頼りに訓練と実戦による積み重ねで成長してきたアルディスにとって、理論的な勉学などというものは未知の存在であった。
傭兵団にいた頃、訓練の最中にいろいろと指導じみた講釈を加える年配の傭兵はそれなりにいた。
しかし大部分の傭兵は自分の身体に染みついた感覚的な技を頼りにする者が多く、『こうすれば動きやすい』という助言はしてくれても、『なぜそうすれば動きやすいのか』を説明出来る者はほとんどいなかった。
当然そんな環境で育ったアルディスが論理的な話を得意とするわけもない。
とはいえ気が進まないからとセーラの言を真っ向から拒絶するわけにもいかず、渋々とその解説を受け入れるしかなかった。
「魔力ってなんだと思う?」
「そんな抽象的な話を……」
「じゃあ、聞き方を変えようか。魔力ってどんな形をしていると思う?」
「魔力の形?」
予想外の問いかけにアルディスは困惑しながらも、何とか答えを絞り出す。
「……空気のような……靄のような感じだろうか。もしくはふわりとした薄い膜のような」
「うん、まあそういうイメージを持っている人が多いだろうね。でも実際には違うんだよ。魔力ってね、小さな粒みたいなものなの」
「小さな粒? ……とてもそうは思えないが」
「小さなと言っても、君が思うよりもずっと小さいんだよ。パンを作るための小麦粉があるでしょう? あれよりもっと小さい粒、具体的には千分の一以下の大きさかな」
「小麦粉の……千分の一……」
「人の目で見えるような大きさじゃないから、実感が湧かないのも無理はないと思うけど」
アルディスの常識から逸脱した話は続く。
「魔力が濃いとか強いっていうのは魔力の粒がたくさん集中して存在しているってこと。逆に魔力が薄いとか弱いっていうのは魔力の粒が少ない状態のことを言うの」
「それは……人為的に操れるものなのか?」
「できるよ、ほら」
言いながらセーラは小指を立ててアルディスの前に差し出す。
次の瞬間、その指先が強い魔力を漂わせはじめた。
「小指の先だけに魔力が……」
「君が靄のようだと言っていた魔力も、その実態は人の目では見えないような小さな粒の集まりだということを知っておいて。実感もできないだろうし、納得するのも無理だろうけど、それを受け入れてもらわないと話が進まないから」
確かに理解も納得もできない話だが、アルディスは素直に頷いた。
「でね、魔力は極小の粒だって言ったけど、小さな粒なのは魔力だけじゃないの。水も岩も、私たちの足もとにある土や砂も見えないくらい小さな粒が大量に集まって形を成している。何もないように見えるこの空気ですらもね」
「は……?」
さすがに聞き流すこともできずアルディスは顔をしかめた。
「そういう反応になるのは当然だけど、本当の事だよ。岩を砕けば石になる、石を砕けば砂になる、砂を砕けばさらに小さな砂になる。じゃあそれをもっと砕いていけば何になると思う?」
「砂は……どこまで砕いても砂じゃないのか?」
「言ったよね。小麦粉を千分の一に砕いて、それよりもっと小さな粒が基準になるくらいの話だって」
「それは……無理だろう。小麦粉を千分の一に砕くなんて人の手で出来やしないし、出来たとしても見えなければそれが何かなんてわかるわけがない」
「うん、人の手と人の目では無理だよね。でも魔力はそういう代物だし、世界はそういう風に出来ている。実感も納得もいらない。ただそうなんだと知ってもらわないと話が進まないの。世界はすべて極小の粒が集まって出来ていると」
セーラの言葉を馬鹿馬鹿しいと思いつつも、なぜか否定出来ない自分にアルディスは戸惑う。
荒唐無稽な話にもかかわらず、どこかでそれを既知のように感じる自分がいた。
染み出してくる奇妙な感覚のままにアルディスはセーラへ聞きただす。
「まさかとは思うが、人間の身体もそうだと言うんじゃないだろうな?」
「お、話が早いね。その通りだよ。人の身体も膨大な量の粒で構成されている。水や土と違うのはその粒が集まって大きな粒を作り、その大きな粒が集まって人の身体を形作っているということかな。もっとも、大きな粒といっても目に見えないことには変わりないし、それが数十兆個集まってようやく人になるんだけど」
「数十兆……」
耳慣れない単位だったが、なぜかアルディスにはそれがとてつもない量であることがわかった。
「それでここからが本題なんだけど」
セーラの声が真剣味を帯びる。
「魔力は小さな粒だって言ったよね。だから魔力は厳密に言えば『濃い淡い』や『強い弱い』よりも『多い少ない』と表現した方が正しいんだ。一般的に魔力の強い人間というのは、言い換えれば多くの魔力という粒を抱えている人間のことを表している。逆に言えば魔力を強くするには――どうすれば良いかわかるかな?」
「……理屈で言えば魔力という粒を大量に抱えれば良いんだろうけど」
アルディスにはその方法が皆目見当もつかない。
「そこでさっきの話だよ」
「さっきの話?」
「人の身体は小さな粒で構成されているって話。ややこしいから人の身体を構成する粒を『命の粒』と呼ぼうか。人の身体に潜むとき、魔力は命の粒の表面に張り付いたり隙間に入ったりするんだ。人の身体を作っているのが目に見えないほど小さな粒だと言っても、魔力の粒はそれよりもさらに小さいからね。人が持つ魔力というのはつまり、命の粒ひとつひとつにどれだけの魔力の粒を抱えているかということなんだ」
言葉での説明と並行してセーラが空中に光で絵を描く。
中が空洞のようになった大きめの箱に、外から光る粒が近付いてくる。やがて大きめの箱が光る粒を吸着して捉える光景が映し出された。
「これを意識してやっている人はまずいない。ごくまれに生まれつき出来ちゃう変態もいて、呼吸をするように魔力制御をしちゃうケースはあったけど、そんなのはイレギュラー中のイレギュラーだから」
空中に描かれた絵では大きな箱が並んで描かれ、その箱ひとつひとつに魔力を表しているのだろう光る粒が吸い込まれていく。
「一般的に魔力が多いと言われる人間で、命の粒五つにつき魔力ひとつ。これが命の粒ひとつにつき魔力ひとつになれば歴史に名を残すほどの魔術師ね。今のアルディス君がこれだよ」
「でもそれじゃ足りないっていうんだろ?」
「そう。命の粒ひとつで魔力を十粒。まずはこれがスタート地点ね」
「……いろいろと戸惑いはあるが、飲み込むしかないんだよな」
アルディスがため息をつく。
「それで、何から始めればいいんだ?」
「壁で仕切られた命の粒がぎっしりと連なって自分の身体を構成しているとイメージして」
納得こそ出来ていないものの、セーラの説明は決してわかり辛いわけではない。
言葉だけではさすがにアルディスも咀嚼できなかっただろうが、幸いなことにセーラは光の組み合わせを駆使して空中に絵を描きながら説明してくれる。
それもただ紙に描いた一枚絵ではなく、説明に合わせて動く絵だ。
身体の一部が拡大され、肌が映し出されたかと思うとさらにそれが大きくなり、毛先が腕一本よりも太くなった後、壁で仕切られた小さな粒が敷き詰められた絵に変わっていく。
「実際にはこんなに見やすくないけどね」
そんなセーラの前置きもアルディスは気にならない。
「この粒ひとつひとつが命の粒よ」
絵はさらに拡大して命の粒ひとつを大きく描き出す。
「魔力の大きさはこれくらい」
命の粒と比べるとかなり小さな粒が描き出される。
魔力を表すその粒が命の粒へと吸い込まれていく。一部はその表面に張り付き、一部は命の粒同士の境界へ潜り込んでいった。
「魔力を取り込むイメージとしてはこんな感じだね」
「イメージはわかったが、具体的にはどうやって取り込むのかさっぱりわからん」
「そこはそれ、慣れの問題だよ」
「おい、俺は真面目に困ってるんだが」
「うーん、でも魔力を使って氷塊や岩塊を生み出すとき、アルディス君はどういう風にして操ってる?」
「それは……なんとなくで」
「うん、だから魔力を取り込むのもなんとなくでいいんだよ」
「……」
無言でアルディスがじっとりとした視線をセーラに送った。
「というのは半分冗談。コツはね、『魔力に命令すること』よ」
「命令? 魔力に?」
「そう。魔力に向かって『この手に集まれー』という感じで指示を出すの。魔力ひとつひとつが意思を持った生き物だと考えてみて」
まともな助言かと思えば、まるでアルディスをからかっているかのようなことをセーラが口にする。
「そんなことで出来るようになるとでも?」
「出来るよ。少なくとも君にはその権利があるもの。なんだかイレギュラーっぽいけど」
「権利?」
「魔力を使って事象を具現化できるということは、魔力を操る権利があるということだからね。魔力の取り込みも出来ないわけがないってこと」
わかったようなわからないような微妙な心情を抱きながら、アルディスは魔力の取り込みを試み続ける。
自分の身体が小さな粒で出来ているイメージ。さらに小さな粒の魔力が周囲を漂っているイメージ。その魔力を自分の身体に引き寄せるイメージ。
最後にセーラが口にした通り、魔力にも意志があるとイメージしながら集まれ、集まれと強い調子で指示を下した。
変化は徐々に現れた。
周囲に漂っていた薄い魔力が次第に密度を増し、アルディスを中心として一ヶ所へ集まりだす。
明らかに自然現象から乖離した濃い魔力が現れ、それがアルディスの肌へ、体内へと染み込んでいく。
「これは……」
「あれ、もう出来ちゃったの? ……早すぎない?」
アルディスは自分自身がこれまでにない魔力を帯びていることに気付く。
「これが魔力を取り込むということか」
それまでの自分とは明らかに違う、あふれるような魔力の存在に思わず心が躍る。
「そうだね。まずは第一段階をクリアってところかな。このまま取り込む魔力を増やしていくこと、同時に魔力を取り込んだままで身体を慣らして、それが当たり前の状態にすることかな。魔力量で言えば今の状態で元の二倍くらいだから、今の五倍に増やすところを目指そうか」
「この調子で魔力を取り込んでいけばいいのか?」
「いいと思うよ。もちろん他の方法を併用すればもっと早く魔力量を上げることはできるけど」
「他の方法……例えば?」
「一番手っ取り早いのは今君がやっている体表面、肌へ魔力をまとうことだね。次は呼吸で身体の中に魔力を取り込む方法かな。食事や水分補給を通じて取り込む方法もあるけど、これはあまりおすすめしないよ」
「それはどうして?」
「エラー発生率が……ああいや、とても効率が悪いからだね。多分取り込んだ魔力の大半が消えてしまうんじゃないかな」
「そうなのか……。呼吸で魔力を取り込むというのは、空気と一緒に魔力を吸い込むってことだよな?」
「その認識でいいよ」
「肌で魔力を取り込むように、体内で魔力を取り込めばそれだけ早く……ああ、加えて維持出来る魔力量も当然増えるのか」
独り言のようにアルディスが考えをまとめると、セーラが驚きを見せる。
「それも気付いちゃうんだ……。アルディス君、飲み込みが早いね。もしかしてこういった教育受けたことがあるの?」
「ガキのころから傭兵団にいて戦場暮らしの俺が、教育なんて受けてるわけないだろ」
「うーん……それにしては理解が早いなあ。今までの子たちは目に見えない世界の話を飲み込むだけでも、ずいぶん時間がかかったんだけど……」