第356話
ウィステリア王国近衛傭兵隊正魔術師。それがキリルの肩書きである。
近衛傭兵隊発足と同時に初期隊員として参加したキリルは類い稀な魔術師としての才能を認められ、王国正魔術師を名乗ることを許された。
以降、アルディスに付き従い数々の戦場で実戦経験を積み、今では傭兵たちからも一目置かれる存在になっている。
しかしキリルに過信はない。
周囲には彼の理解も及ばぬ規格外の魔術師が複数存在しているからだ。
号令を下した後、先頭を走るアルディスに傭兵たちが続く。
「隊長に続け!」
アルディスに遅れまいと隊員たちも各々得物を手に追いかけ始めた。
「なにボーッとしてるのキリル。私たちも行くわよ」
「あ、……うん」
横からエレノアに声をかけられ、気を取り直したようにキリルは返事をする。
「ただでさえ足の速さじゃかなわないんだから、ゆっくりしていたら置いて行かれるじゃない」
「いざとなれば身体強化で走って追いつくから」
取るに足らない問題とばかりに言ってのけたキリルにエレノアの表情が能面と化す。
「あーはいはい。秀才様は別に困らないですもんねー」
「その秀才ってのやめてくれない?」
「だって天才は嫌だって言ったのキリルでしょ?」
「本物の天才が近くにいるからね。さすがにそれはおこがましいっていうか……」
アルディスはもとより双子にネーレにロナと、身の回りを異常な存在に囲まれていれば誰でも自分の才能と実力の不足を痛感するだろう。
「私から見ればどっちもどっちよ。それより本当にこのままだと置いて行かれるわよ」
「ああ、そうだね。急ごうか」
さすがに遅れを取り戻さなければまずいと気付いたキリルは、自分とエレノアの体に身体強化の魔法を施す。
「はあ……過ぎた謙遜は嫌味になるわよ。他人の体を強化する魔法なんて、学院にいたときならそれだけで周りは大騒ぎになるわ」
通常魔術師は自分の身体強化を行うことしかできない。それは身体強化魔法の仕組み自体が発動対象を選択するようにはできていないからだ。
しかしアルディスたち魔術を操る者にとっては魔法の制約など何ら意味をなさない。
決められたルール通りの手順と詠唱により法則化された効果を生み出す魔法と違い、魔術は魔力そのものを操る術である以上、そのような制約は存在しなかった。
軽々とその制約を打ち破るアルディスは、実際にキリルの身体を魔術で強化してみせた。
だがそこで驚くだけに終わらないのがキリルだ。
乾いた笑いが収まると、キリルはそこに可能性を見出した。
もしもこれを魔法として確立できたなら――。
そんなキリルの試みにアルディスも積極的に協力した結果、生み出されたのが他人の身体を強化する魔法である。
固定化された手順と固定化された詠唱により生み出される固定化された魔法の効果。
それを当たり前として受け入れ、発展という可能性を軽視してきた魔術師たちを置き去りにしてキリルは対象を指定可能な身体強化魔法を作り出してしまう。
控えめに言って魔法史に名を残すほどの快挙である。とはいえ誰よりもそれに価値を見出せないのがキリル本人なのは仕方のない話だろう。
キリルにとっては自分のついでにエレノアの身体を強化する程度大した話ではないのだが、いまだこの魔法を習得できていない彼女にとってはそれがどうにも納得できないことらしい。
「勲章ものの偉業を世間に発表するでもなくこんなところでホイホイと……」
戦う前からすでに疲れた顔を見せたエレノアを、今度は逆にキリルが促す。
「ほら、早く行かないと置いて行かれるよ」
「……わかったわよ」
不承不承返事をしたエレノアを連れて、キリルは先行するアルディスたちを追いかけた。
小さな森へと潜り込んだ近衛傭兵隊はその先の平原を進む敵部隊を発見、捕捉した。
斥候の報告通り敵は二百ほどの小規模な部隊。進路から推測するにウィステリアの本隊を横から奇襲するつもりなのだろう。
「かかれ!」
アルディスの声に森へ潜んでいた隊員たちが一斉に躍り出て敵部隊の横腹に襲いかかる。
「敵襲!」
「ウィステリア軍か!?」
混乱に見舞われる敵部隊。
「行け! 突っ込め!」
「押せ押せぇ!」
機先を制した近衛傭兵隊が敵部隊の混乱に乗じて痛撃を食らわせる。
「猛き紅は烈炎の軌跡に生まれ出でし古竜の吐息――――煉獄の炎!」
キリルは混乱を収めようと立ち回る敵の分隊長らしき人物を標的に、炎の上級魔法を放った。
一瞬のうちに生まれ出でた火球が敵のただ中に現れ、またたく間に十人ほどの敵兵が黒焦げになる。
遅れてエレノアの放った攻撃魔法がそこへ追い打ちをかけた。
「次は……」
次の標的を定めるべく、敵の動向を警戒しながらキリルは戦場全体を見渡す。
奇襲の成功により、数の上では圧倒的に有利であるはずの敵は浮き足だったままだった。
しかもキリルたち魔術師の先制によりその混乱に拍車が掛かり、敵部隊は組織的な抵抗もできず各個に撃破されつつある。
そんな中、敵の隊長と思しき人物に向けて一直線に向かう人物がひとり。近寄る敵兵をいとも簡単に切り伏せながらも足は止めず、まるで決死隊のごとき勢いで敵部隊を切り裂いていくのは当然アルディスである。
その横に付き従うのは魔術師のローブをまとったフィリアナと名乗る若い女がひとりと、フード付きのローブに身を包むフィリアナの従者がひとり。
「今日のフィリアナはフィリアちゃんか」
アルディスのそばにいる女魔術師の正体は、双子が表向きに仮の姿として作り上げたフィリアナという架空の人物である。
日替わりでフィリアとリアナがその役を演じ、もう一方はフィリアナの従者に扮してそばに侍っている。
双子曰く『アルディスの足手まといにならない為』らしい。
双子が不自由なくありのまま暮らせるようにというアルディスの願いとは裏腹に、当の本人たちは多少の不自由を受け入れてでもアルディスのそばにいることを願っている。
ふたりを妹のように感じているキリルはそんなふたりの健気な想いが成就すれば良いと祈っているが、肝心のアルディスにその気がなさそうなのだからどうしようもなかった。
「見た目はお似合いなのに……」
いつまで経っても若々しい――どころか怪異のようにいつまでも若さを失わないアルディスと、順調に成長して今や通り過ぎる者を振り向かせるほどに美しく成長した双子。
なにも事情を知らない者が見れば同じ年齢と勘違いしてしまうほどだろう。
「本当にあの人、何歳なんだろう?」
年々深くなっていくその疑問に注意散漫となったキリルへエレノアの警告が飛ぶ。
「キリル、戦闘中よ!」
「あ、ごめんごめん」
我に返ったキリルは再び意識を敵に集中させ、魔法を叩き込むべく詠唱を開始した。
戦闘突入からわずか十分足らずで勝敗は決した。
兵数では敵に劣る近衛傭兵隊だが、純粋な戦力という物差しを使えばその評価は逆転する。
人外じみた存在のアルディスをはじめとして、無詠唱での魔術を操るフィリアとリアナ、その三人には及ばずとも一般的な魔術師の水準から大きく飛び出した実力を持つキリル、そして卒業前とはいえマリウレス学園で優秀な成績をおさめていたエレノアと、この部隊には五人もの魔術師がいる。
魔術師の数だけで見ても明らかな過剰戦力であった。質に至っては言うまでもない。
キリルとエレノアの攻撃魔法には密集した敵兵など恰好の餌食でしかなく、双子の魔術援護を受けたアルディスが周囲に飛剣を浮かべて突撃すればそれを止められる者などそうそういないだろう。
結局アルディスが敵部隊長を討ち取るに至り戦意を保てた敵兵はほとんどおらず、大半の敵は散逸し、残った敵も味方の隊員によって順次討ち取られていった。
「よし、この勢いに乗じて敵本隊の後方へ回り奇襲をかける」
味方の被害が少なく、士気も旺盛であることを見取ったアルディスが隊に指示を出す。
臨時の野営地に戻りわずかな小休止を取った後、隊員たちは繋いであった馬を持ち出して各自騎乗する。
アルディスの隊は傭兵隊としては異常なほどの展開力を有している。
それはひとえにアルディスの持つ《門扉》という能力あってのことだった。
軍馬を運用するために必要な大量の飼い葉、隊員たちの食料や飲み水、補充用の武器、消耗品の矢束――軍集団が長期間戦闘に身を置く為に必要とするそれらの物資運搬は本来なら輜重隊の役割である。
輜重隊は戦力を担う重要な存在であっても純粋な武力ではない。その移動は遅く、敵の襲撃を警戒して護衛を増やせば前線の戦力低下につながってしまう。
だが近衛傭兵隊ではアルディスの《門扉》経由で王都トリアのロナから大量の物資を受け取れるため、輜重隊そのものを必要としていなかった。
言い換えれば、アルディスたちは本来軍隊とは切っても切れない存在である《補給》から解き放たれた唯一の部隊ということである。
一瞬の機動力であれば近衛傭兵隊を上回る部隊は存在するだろう。
しかし半日以上の行軍を必要とした場合に限れば移動速度で勝てる部隊はない。
「本隊と我々で敵を挟撃する」
負傷者と新米たちをその場に残し、八十名ほどに減った近衛傭兵隊が新たな戦場に向けて出発した。