第352話
ウィステリア王国として新たな一歩を踏み出したアルディスたちだが、周囲を取り巻く状況はそんなことなどお構いなしに推移していく。
ロブレス同盟を構成する三国のうち、サンロジェル君主国はカルヴスで敗北を喫したこともあって目立った動きを見せていない。
しかし大陸の北に位置するアルバーン王国は直接アルディスたちと干戈を交えていないこともあり、被害らしい被害もなく順調にその支配領域を西へ向かって広げていた。
今のところその軍勢が南下する様子は確認されず、ウィステリア王国にとって目下の敵はエルメニア帝国といえる。
その帝国もいまだ出兵の気配を見せていないが、その一方で不穏な空気を漂わせている領域があった。
ハドワルド子爵をはじめとする、ウィステリア王国への帰順を拒否した者たちの治める地だ。
ウィステリアとアルバーンの境界周辺に多いその勢力は、ウィステリア王国建国から間もなく合従におよんで兵を起こした。
その対応にと駆り出されたのがアルディスである。
「全軍の半分が傭兵って、またずいぶん極端な比率ですよね」
正式にウィステリア王国へ仕官し、今回アルディスの補佐として戦場へ向かうキリルが率直な感想を口にした。
「帝国がいつ動くかわからないからな。正規の軍をこちらに多くは割けない以上、仕方ないだろう」
出陣を控え王都の外で野営している味方の間を歩きながらアルディスが答えた。
「グロクで散々撃退したとはいえ、それでもまだ帝国の兵力はウィステリアより遙かに多いんだ」
相手はかつてナグラス王国の旧王都であったグランを押さえている。
加えてエルメニア帝国の本国自体がウィステリア王国と比べても数倍の領域を有するため、両者の間には国力、人口共に比べものにならないほどの差がある。
帝国は一戦や二戦敗北しても立て直せるだけの余力を持っているだろうが、小国と言って良いウィステリア王国は一度の惨敗がそのまま国家滅亡へとつながってしまう。
今はとうてい博打を打てるような状況ではなく、トリアに大部分の正規軍を残さざるを得ないのだ。
「まあ、いざとなったら俺が片をつければいいが……」
「それはそれで国としては問題ですけどね」
キリルの指摘にアルディスは笑みを見せる。
「おっ、わかるようになってきたじゃないか」
国力に差がありすぎるため仕方がないとはいえ、今のウィステリア王国はアルディスたちの戦力に頼り切ってしまっている。
今回戦場へ出てきたアルディスは言うまでもなく、王都トリアやグロクの守りもネーレや双子の力をあてにしてようやく成り立つという有様だ。
しかしこの先もずっとアルディスたちの力に寄りかかっていられるとは限らない。
今後のことを考えれば、ウィステリアは自分たち自身の力で国を守っていく必要があるだろう。
「そりゃ僕だってもういい歳ですよ。いつまで子供扱いするんですか」
「すまんすまん」
一瞬だけ浮かべた不満顔を引っ込めてキリルが話を戻す。
「兵数としては互角ですから自力で勝ちたいところですけどね。傭兵たちの動向次第ってところが不安です」
「そこは俺たちがなんとかするしかないな。まずは跳ねっ返り共を叩きのめしに行くか」
「やっぱりそういうのって傭兵隊にはつきものなんですか?」
「そりゃあな。正規軍と違って普段は個人や数人のパーティで行動しているやつらだ。中には自分が一番強いと考えているやつもいるし、実力のない人間の指示は受けたくないってやつもいる。俺が正規軍の指揮官なら話は別だが、傭兵のひとりとして参加する以上は最初に力を見せつけておく必要がある」
「そういうものですか」
「そういうもんだ。規模の大小にかかわらず、傭兵が集まれば自然とそうなる。まあ、お約束の儀式みたいなもんだよ」
「面倒ですね」
「正規軍に比べれば楽なもんだろ。……ああ、もう始まってるな」
アルディスとキリルが傭兵たちの集まる中心へと足を進めると、そこでは大勢の傭兵が円状に腰を下ろしているのが見える。
その中心ではふたりの傭兵が剣を手にして模擬戦をしているようだった。
「よーし、そのままいけー!」
「そこだよそこ! あー、何やってんだ!」
「ほら今だ! いや、そうじゃねえよ!」」
アルディスは野次を飛ばす傭兵たちの輪をかき分けて内側へ割り込むと、模擬戦の決着がついたタイミングで中央の空いたスペースへ進み出る。
「おっ、今度はあの若いやつか」
「あんまり強そうには見えねえな」
「いや、ちょっと待て」
「あいつは確か……」
年若く見える外見を侮る声も聞こえてくるが、一方でアルディスの姿に見覚えがあるらしき傭兵の声も上がっていた。
かつてトリアを拠点に傭兵をしていたアルディスを知る者がいるのだろう。
もっともそれは千剣の魔術師として名が売れる前のアルディスであって、どこまでその実力を理解できているかは怪しい。
のんきに賭け金をベッドしはじめた傭兵たちをぐるりと見渡し、アルディスが声を張り上げる。
「今回傭兵隊の指揮を任されたアルディスだ。明日の出陣を前に伝えておくことがある」
アルディスの第一声に傭兵たちがざわめく。
「おいおい、あんな若造が隊長かよ」
「お前知らねえのか? あれ、千剣の魔術師だぞ」
「なんだよそれ?」
「トリアの王城をひとりで落としたって噂のやつか」
周囲の声を無視してアルディスは続けた。
「明朝は夜明けと共に行軍を開始して昼前に小休止、そこからは適宜休みを入れながら進む。明後日の午後以降は交戦に入る可能性があるが、会敵のタイミングは相手次第と思え。敵は辺境領主の連合軍。兵力はおよそ四百で数の上では概ね同数だが、相手は徴用されたばかりの新米兵が中心で実戦経験のあるウィステリア王国正規兵の敵ではない。当然我々傭兵にとってもだ。だが相手の背後にはアルバーン王国の後押しがあると上層部は考えている。アルバーンの兵が紛れ込んでいる可能性もあるから、後払い分の報酬を受け取りたければ油断して不覚を取るようなことのないように」
現在のところアルバーンはウィステリア王国に対してこれといった軍事行動を見せていない。
しかし表向きにはどうであれ、ウィステリアを牽制するために裏から手を回して足を引っぱる程度のことは当然してくるだろう。
いつの間にかアルディスお抱えの密偵じみた役割を果たしているシャルがそれを裏付ける情報をいくつも持ち帰っている。
「なお今回の戦いでは現地での略奪暴行を固く禁じる。禁を破った者は報酬無しの上、被害者に対する補償金の債務を背負ってもらうことになる」
それまで訝しげな表情を見せながらも話を聞いていた傭兵たちが、一斉に不満を口にしはじめる。
しかしアルディスは顔色を変えることなく平然と言ってのけた。
「契約の際、文官たちからその旨は説明済みのはずだ。その分契約金や報酬は相場の倍を出している。ここにいる傭兵はそれを承知の上で契約していると思っていたが?」
略奪暴行の厳禁はミネルヴァたっての願いである。
無茶振りをしてくれる――とアルディスは内心ため息をついた。
いくら報酬を倍にして事前に釘を刺したところで、どこまで効果があるかなどアルディスにもわからない。
敵に勝つだけならアルディスひとりいればどうとでもなるが、戦いで昂ぶった傭兵たちの欲望を抑えるのは簡単なことではないだろう。
単に勝つことよりもそちらの方がよほど難しいように思えた。
アルディスの問いかけに、明らかな不満顔を見せている傭兵のひとりが口を開く。
「そりゃ俺たちだって馬鹿じゃねえ。そういう契約だってのは理解してるよ」
「なら何が不満だというんだ?」
再び問いかけたアルディスへ傭兵たちの一部が口々に文句を叩きつけてくる。
「お前の偉そうな態度が気にくわねえ!」
「どこの馬の骨ともわからん若造が、何で俺たちに指図すんだよ!」
「ガキに命令されてホイホイ従うほど安く見られちゃたまんねえな!」
それらのセリフを適当に拾い上げたあと、「あー、わかったわかった」と手をひらひらと振り、アルディスは軽く鼻で笑って周囲を煽る。
「能書きは良いからさっさとかかってこいよ。文句があるやつは全員相手してやる。俺に勝ったらそいつが新しい隊長だ」
「よーし、言質は取ったぞ!」
最初にアルディスへ声をかけてきた傭兵が、待ってましたとばかりに武器を手にして前へ出てきた。
「いっぺん指揮官ってのをやってみたかったんだよ。こんな機会なんてそうそう来ないからな!」
「おっしゃあ、行ったれ!」
「そんな若造に負けんじゃねえぞ!」
どうせこうなることがわかりきっていたアルディスは平常通りの調子で挑戦者を迎えると、相手にしてみれば挑発ともとれるセリフを言い放った。
「後ろがつっかえてるんだから手短に終わらせるぞ」
「はっ。お望み通り手短に終わらせてやるよ!」
傭兵が声を張り上げながら鞘から剣を抜いて飛びかかってくる。
アルディスはその腰から赤剣を抜くと、斬り下ろされる相手の剣にタイミングを合わせる。
対峙する剣の根元へ赤剣の切っ先を合わせると、引っかけるようにして剣を絡め、そのまま掬うように引き上げて自分の後方へ弾き飛ばした。
「え……?」
相手の傭兵は何が起こったのかわからず、自分の手からすり抜けていった剣の行方に目を向けた。
剣はそのまま放物線を描いて、観戦していた傭兵たちの目の前で地面に落ちる。
「終わりだ、次!」
きょとんとして空になった自分の手を見る傭兵を無視して、アルディスは周囲の傭兵たちを促した。
それから時間にして一時間ほど。
四十人ほどの傭兵を連続して相手に模擬戦を行い、そのことごとくを返り討ちにしたアルディスが声を響かせる。
「次は!?」
先ほどまではその声に応じて勇み立ち上がる者が続いていたが、どうやら不満を抱いていた傭兵は今のひとりが最後だったらしい。
あるいはこれまでの立ち会いを見て、アルディスのことを若造と侮る気持ちが失われたのかもしれない。
「あの若造、見た目よりもやりやがる……」
「だけどまだコスターズのやつらが残ってるぞ」
「そうだ、あいつらなら……」
「おい、ジオ! ラルフ! お前らなら勝てんだろ!」
アルディスにとって懐かしい名が耳に入ってきた。
呼びかけられたのは傭兵の輪の外で焚き火を囲んでいた四人の傭兵たち。
いずれも二十代後半と若いが、その佇まいは歴戦をくぐり抜けてきた者の雰囲気を漂わせていた。
男三人に女ひとりの混成パーティらしき中から、名前を呼ばれたふたりの男がこちらを向いて面倒くさそうに手を左右に振る。
「やりませんよ。バカバカしい」
「不満があるなら自分で挑め」
栗毛の小柄な男は呆れたように肩をすくめ、筋肉質の短髪男は鋭い眼光と共に突っぱねた。
ふたりから袖にされた傭兵が今度はアッシュブロンドの髪を持つ男へ問いかける。
「グレシェ、あんたはいいのかよ? あんたの強さなら俺たちゃ文句はねえ。トリアで一番のあんたがこの隊を率いるべきじゃないのか?」
焚き火を囲む四人の中で最も落ち着いた雰囲気のある男がアルディスを一瞥すると、問いかけてきた傭兵に答える。
「一番強い者が隊を率いるのなら、アルディスがその立場に一番ふさわしい」
「何言ってんだよ。確かにあの若造も強いが、それでもあんたの方が強いだろ?」
「評価してもらえるのはありがたいけど、そこまで自惚れてはいないよ。そうだな――」
食い下がる傭兵にグレシェは苦笑を返すと、仲間たちに問いかける。
「俺たち四人が同時に相手するとして、なおかつ魔術の使用を禁止というルールでならアルディスに……勝てると思う?」
「無理でしょう」
「無理だろ」
「無理ね」
問われた三人が即答した。
白夜の明星がいなくなったあと、トリアでもトップの実力を持つコスターズが四人がかりでも勝てないと明言したのだ。
それを聞いた傭兵たちが驚愕の表情を見せるのも無理はない。
「というわけだ。コスターズは全員一致でアルディスの指揮を受け入れる。それに不満は一切無い。ああ、そうそう。ちなみにアルディスはディスペア三体に攻撃の猶予も与えず一瞬で倒すほどの腕前だぞ。まあ、八年前の話だが」
「は、八年、前……?」
ついでのようにグレシェが付け加えた情報に傭兵たちは絶句した。
ディスペア三体を一瞬で討伐できる実力についてはもちろんのこと、それ以上に今二十歳前後に見えるアルディスが八年前にディスペアを倒すだけの力を持っていたということが信じられない様子だった。
「見た目で侮ると痛い目を見るぞ」
言うべきことは言ったとグレシェが話を終わらせる。
もともと自ら立ち会おうという者がいなくなったタイミングということもあり、グレシェの話を聞いたあとにアルディスへ挑もうとする者はひとりも出てこなかった。