第351話
山裾にも色付いた葉の絨毯が広がる中秋の一日。
ミネルヴァを女王と戴くウィステリア王国が正式に建国を宣言。同時にカルヴス王国との同盟締結も公式に布告された。
双国同盟と呼称された両国の軍事同盟は、エルメニア帝国、アルバーン王国、サンロジェル君主国の三国によるロブレス同盟と大陸を二分して争うことになる。
無論、双国同盟とロブレス同盟では国力も軍事力も比べものにならない。
一方は都市国家連合において最大勢力であったとはいえ単独の都市国家に過ぎないカルヴスと、立国したばかりで何の歴史もないウィステリア王国という弱者の同盟。
もう一方はすでに大陸の半分以上を支配下に置く大勢力である。その国力と戦力は比べるべくもなかった。
行く先は決して明るくないものの、だからといって暗く沈んでばかりはいられない。
トリア城の大広間で催されている建国の記念式典には、逆境を承知の上でウィステリアの旗を仰ぐと決めた者たちばかりである。
不本意ながらそのひとりとしてアルディスも正装に身を固めて立っていた。
カルヴスの時と同じように拒否できれば良かったのだが、今回ばかりはとミネルヴァに懇願されては仕方がない。
大広間の隅で立っているだけならという条件でアルディスは渋々出席を承諾した。
「アルディス、あっちのテーブルにおいしそうなお肉があったよ」
そんなアルディスの腕に手をかけるのは、彼が庇護下に置く双子の片割れであるフィリア。
「今はまだ目立つからもう少し我慢してくれ、フィリア……ナ」
「むぅ……」
わずかに頬をふくらませてフィリアが不満を浮かべる。
「せっかく着飾ってるのにそんな顔したんじゃ台無しだぞ」
「うー、可愛いのはいいけど……すっごく動きづらい」
アルディスと並び立つフィリアも同じく着飾っている。
とはいえウィステリア王国の軍装を身にまとうアルディスと違い、こちらは見た目に華やかさを満載した愛らしいドレス姿だった。
当の本人は魔術師としてアルディスと同じ軍装を希望していたのだが、綺麗な女の子を飾り立てることが大好きな城の侍女たちがそれを許さなかった。
半強制的に連れ去られ、半日かけて磨き上げられた結果出来上がったのが薄緑色のドレスに身を包んだ今のフィリアである。
「フィリア、裾。そのままだと裾を踏んでしまいますよ」
フィリアの横に控えていた人物が小声で注意を促す。
着飾ったフィリアとは対照的に地味な衣装をまとい、濃い色の頭巾で頭部全体を包み使用人然と立っているのはリアナである。
このところ当番制となっているアルディスのパートナー役が今日はフィリアの番らしく、正体を周囲に知られぬよう目立たない姿でリアナがそばにつき従っていた。
「リアナも着飾れば良かっただろうに」
「いいんですよ、アルディス。アルディスのそばにいるのはフィリアナという若い魔術師がひとりだけ。そう周囲に思わせておいた方が今後何かと都合がいいと思うんです」
「そういう思いをさせたくなくて俺はミネルヴァに協力しているんだけどな」
「私たちが望んでいることですから」
リアナの答えにアルディスが眉を寄せたところで、不意に強い香りが近づいて来た。
「あの……、千剣の魔術師様でいらっしゃいますよね?」
アルディスが振り向くと、そこには十五、六歳と見える少女たちが三人立っていた。
「ああ、そうだが」
ご大層な二つ名に内心辟易しながらアルディスがそう答えると、三人の少女は嬉しそうに顔をほころばせる。
黄色い声をあげる三人はフィリアよりもさらに豪奢なドレスをまとっていた。
どこぞの貴族令嬢であろう。
面倒な、と思いながらも顔には出さず、アルディスはこれも仕事のうちだと諦める。
「千人の騎士を打ち破ったというのは本当ですか?」
「異国の一軍を相手にたったひとりで戦われたとか」
「ぜひお話を伺いたいですわ」
妙に積極的な令嬢たちに、アルディスはムーアから事前に受けていた忠告を思い起こす。
『きっと親の意を受けたご令嬢たちがアルディスに群がってくるぞ。お前を取り込めば一気にウィステリア王国内で重要な立ち位置を確保できるからな。変なのに捕まらないよう気をつけろよ』
この令嬢たちはきっとムーアの予測通り、親から言いつけられてアルディスに接近してきたのだろう。
決して上手くもないアルディスの話に令嬢たちがコロコロと上品な笑い声を口にする。
「まあ、そうなんですの?」
「凄いですわ。さすが千剣の魔術師様」
一方は義務で、もう一方はおそらく使命で交わされるそらぞらしい会話。
傍目には和気あいあいとした雰囲気に見える中、フィリアとリアナが次第に不機嫌になっていく。
それに目ざとく気付いた令嬢のひとりが口元に扇子を広げて嘲りを隠す。
「あら、そのように表情をあからさまに浮かべては……」
「仕方ありませんわ。淑女教育をお受けになったわけではないのでしょうし」
別の令嬢がフィリアを庇うような言葉を口にするも、その内容にはやはり侮蔑の意識が見え隠れした。
「千剣の魔術師様と並び立つ者にはそれ相応の品が求められましょう。わたくしなら決してあなた様に恥ずかしい思いをさせることはありませんわ」
だからそんな小娘よりも自分を選べ――そう主張しているようにアルディスは感じた。
同時に自分のとなりでフィリアが萎縮する気配を察知して、アルディスは目の前にいる令嬢たちに対して苛立ちを覚える。
余計なお世話だと口を開きかけたその時、横から聞き慣れない男の声でそれが妨げられる。
「お嬢さん方。少し魔術師殿に話があるのだが、ここはひとつ私に譲ってはくれまいか?」
アルディスが声のした方を向けば、きらびやかな正装に身を包んだ壮年の男性が立っていた。
歳は四十半ばといったところだろう。
身にまとう衣装からかなり高位の貴族だと思われた。
「レイド閣下……」
令嬢のひとりが男の家名を口にすると、あわててひざを折る。
残るふたりもそれに続いたのを見て、フィリアとリアナもそれぞれの方法で敬意を表した。
軽く会釈をするに留まるアルディスを咎めるでもなく、レイド閣下と呼ばれた男は令嬢たちに向けて穏やかな笑みを浮かべる。
「あちらで若獅子たちが可憐な蝶の訪れを今か今かと待ちわびておるよ。魔術師殿だけが蝶を独り占めしては彼らがかわいそうだ」
「まぁ」
「そういう事でしたら」
蝶にたとえられた令嬢たちは不満げな様子を見せることもなく、男の言葉を受け入れて立ち去っていく。
令嬢たちがオブラートに包んだ命令へ素直に従うところを見ると、目の前にいる男は予想通り高い地位にある人物なのだろう。
「世間知らずのご令嬢だ。大目に見てやって欲しい」
「一応お礼は申し上げておきます」
「礼など不要だよ。建国早々、記念式典で気まずい雰囲気は避けたかっただけなのでな」
男は自らをレイド侯爵と名乗った。
アルディスはその名が指し示す領地を脳内で思い起こす。
「確か……、帝国との国境に近いところでしたよね」
「そう。おかげで今やひとりの領民も持たないみじめな居候よ。流浪の果てに今さらながらミネルヴァ陛下のもとへ参じたというわけだ。新参者だがよろしく頼むよ、千剣の魔術師殿。いや、アルディス卿と呼んだ方が良いか?」
「それ以外の選択肢はないのですか?」
アルディスの表情に不満が浮かび上がる。
外堀から埋めようというミネルヴァの目論見がじわじわと現実になりつつあることが、初対面の人間との会話からもうかがえた。
選択肢を与えられたようでありながら、アルディスとしてはどちらを選んだところで嬉しくもない。
「ふむ……。ならばいくつか案を考えておこう」
想定外の返し方をされ、アルディスは慌てて手を振る。
「いえ、考えなくてもいいです。名で呼んでもらえればそれで……。妙なふたつ名や変な敬称をつける必要はありません」
どうして自分の方がこんな事を乞わねばならないのだろうかと、アルディスは心の中でふてくされた。
「そのあたりは陛下のご意向もあろう。まあ、光栄なことと思って諦めてはどうかね」
ムーアやカイルが何度も口にしてきたことを初対面のレイド侯爵にまで言われてしまい、アルディスは辟易する。
「ふむ……。どうも噂で聞いていたのとはずいぶん印象が違うな。しょせん噂は噂か」
レイド侯爵が思案深げな顔を見せたため、疑問を抱いたアルディスが問いかける。
「噂? どのような?」
「千剣の魔術師が王配の地位を狙っている、という噂だよ」
「はあっ!?」
「えっ!?」
アルディスが驚きの声を上げると、それにフィリアとリアナの声が重なる。
「俺が王配!? どこからそんな馬鹿げた話が……?」
「さてな。この際、出所などに大した意味はないだろう。そういった噂を立てられるだけの下地があり、噂が広まるだけの要因があるというだけのことだ」
「迷惑な……」
紛うことなき本心がつぶやきとなってアルディスの口からこぼれる。
「魔術師殿本人にその気はないのかね?」
「当たり前です」
あまりに馬鹿げた噂にアルディスは呆れ果てた。
「一体誰が何の目的でそんな噂を流しているのやら」
「まあ思惑はいろいろあるだろうが、魔術師殿と陛下の距離を端から見れば懇ろな間柄だと考える者がいてもおかしくはないだろうな」
「私とミネルヴァはそんな間柄ではありませんよ」
「陛下の名を呼び捨てにしている時点で普通ではないだろう」
「私は彼女の剣術指南役です。ナグラス王国が帝国に滅ぼされる前から師弟関係にあるだけで、他意はありません」
「周囲はそう見なかったということだ。貴族というのは自分たちのルールでものを考える。それに照らし合わせて周囲を敵と味方に分別し、敵を叩くためなら利用できるものは利用するのだよ。魔術師殿に他意がなくとも、陛下との近さを勘繰る者や妬み嫉みを抱く者もいるだろう。人間は事実よりも自分たちの真実を優先することがままあるからな」
建国と同時に強大な敵を最初から抱えているウィステリア王国には、のほほんと内輪もめをしているような余裕はないはずだ。
しかし集団としての利益よりも個人としての利益を優先する近視眼的な人間というのはどこにでもいるものらしい。
「面倒なことです。私は一言も貴族になりたいなどと言った憶えはないのですけれど……」
「そう、貴族は面倒なのだ。生まれたばかりのこの国も当然一枚岩ではない。むしろしがらみが少ないからこそ野心家にとっては成り上がるチャンスが多いとも言える。だからこそ一番功績が目立つ魔術師殿を誰も彼もが放ってはおかないだろう。先ほどのように娘を利用して近付こうとする者もいれば、謀で陥れようとする者も出てくるはずだ。気をつけたまえ」
「ご忠告感謝します」
感謝の言葉を受け取るとレイド侯爵は満足そうに立ち去っていった。
その後ろ姿を見送りながらアルディスは深いため息をつく。
アルディスとて武力だけですべてが解決するとは考えていない。
武力ですべてが解決できるならコーサスの森を追われるようなこともなかっただろう。
弟子への助力と双子の未来を考えたからこその選択だったが、踏み込んだ水たまりは毒をはらんだ泥沼だったようだ。
2023/10/08 誤字修正 殿下 → 陛下