第348話
アルディスたちがカルヴスから帰還したのは、フィリアが役目を終えてトリアに到着してから三日後のことだった。
しばらく離れていたせいか妙に距離を詰め、ややもすれば幼い頃のように甘えてくるような雰囲気を醸し出すフィリアにアルディスは違和感を抱く。
翌日になってもその様子は変わらず、それどころかリアナまでもが同じようにアルディスのそばを離れなくなった。
ふたりの顔からは心からの笑みが消え、隠しきれない負の感情がほのかに漂う。
ふと目をやれば泣き出しそうな顔を慌てて隠し、ごまかすような作り笑顔をアルディスに向けてくる。
普段から物静かなリアナはともかく、いつもならよく喋るフィリアの口数が極端に減り、その代わり食事や休憩に割り振られた時間のすべてを使ってアルディスについて来た。
所在なさげにアルディスの服をつまんで来る様子は、ふたりが保護された幼子の頃を思い出させた。
まるで子供返りしたかのようなふたりの様子に「何かあったのか?」と訊ねても明確な答えがあるわけでもない。
首をひねっていたアルディスの疑問を解消したのは、就寝時に双子が自室へと下がった後でアルディスの部屋へやって来たロナだった。
「ふたりの故郷?」
「そう。この前護衛の任務を受けて辺境を回ったとき、帰路で立ち寄った村がフィリアとリアナの生まれ故郷だったんだよ。村がグラスウルフに襲われてたのをフィリアが気付いて――」
ロナが村での出来事を語ると、アルディスの眉間に深い溝が刻まれる。
「母親が亡くなった後、村がふたりを人買いに売った……だと?」
その声は明確な怒りの感情を孕み、黒い瞳がこの場にいない村人たちへの敵意を映し出す。
「うん。実の親に売られたわけじゃないみたい。……まあ、だからって物人として売られたことに変わりはないんだけど」
「当たり前だ!」
アルディスは双子に過去の事を訊ねたことはない。
それはふたりの過去に興味がないからではなく、どう考えてもろくな思い出ではないだろう記憶が双子を苛まないようにという気遣いである。
こうしてロナを介して聞くだけでも憤りが収まらないのに、双子の口から直接その話を聞いていたらとても平静ではいられなかっただろう。
「……それで?」
「それで、って?」
「結局その後はどうなったんだ?」
「別に何も。さすがにそのまま村で一泊って雰囲気でもなかったし、カイルの判断ですぐに村を離れてしばらく街道を進んだところで野営したよ」
まさか、と言わんばかりの顔でアルディスは問いかける。
「は……? フィリアはそれで納得したのか?」
人買いに売られた幼子の頃ならいざ知らず、今のフィリアはそこいらの傭兵よりもよほど強い力を持つ魔術師である。
同行していたロナとあわせれば村のひとつやふたつ壊滅させるなど容易いことだろう。
双子の受けた仕打ちと境遇を考えれば、当時の指導者たちに相応の報いを受けさせるくらいは当然のことと思えた。
「納得は……できないだろうけど。自分が復讐に手を染めると『アルディスを苦しめるから』『アルディスが悲しむから』って……」
アルディスの胸が痛んだ。
自分の存在がフィリアの選択を狭める足枷となっていることに初めて気付く。
「そんなこと、あるわけないのにね」
ため息をつきそうな口調でロナが断言する。
「当たり前だ」
アルディスは復讐を否定しない。
否定するわけがないし、他人の復讐を聖人君子ぶって止めるつもりなど毛頭なかった。
アルディスこそ、復讐を生きるよすがとして生き続けている人間なのだから。
「帰り道にちょっと抜け出してボクひとりで村を消してこようかとも思ったんだけど……。ボクがそれをするのはなんか違うな、って」
ロナの言う通りだった。
アルディスの復讐は女神を僭称する女将軍を自身の手で討ち取ってこそ果たされるというものだ。
恨み骨髄の相手が見知らぬ誰かに討ち取られたとして、多少は恨みが晴れるかもしれないが、やはり消化しきれないしこりは残るだろう。
復讐は自分の手で完遂してこそピリオドが打てる。
双子にその力がないなら憎しみを秘めて耐えるという選択肢もあり得るが、今のふたりには自分の手で復讐を果たせるだけの力があるのだから……。
しかしその上でなお本人たちが復讐を思いとどまるというのであれば、アルディスやロナが勝手に手を出すのは確かに『違う』。
「くそっ」
もどかしさにアルディスは唇を噛む。
「リアナの様子が急に変わったのも、これが原因か」
「フィリアから聞いたんだろうね」
怒りにまかせてアルディスが壁に拳を打ちつけようとしたところで「ちょっと、夜だよ」とロナが制止する。
やりどころを失ったアルディスの拳が小さく震える。
「とりあえず当面の間ボクやアルが手を出すのは無し。あの子たちが助力を求めて来るならともかく、選択肢をボクらが勝手に奪うべきじゃない。いいね?」
「………………わかったよ」
翌日、実務レベルの打ち合わせをするためムーアの執務室を訪れたアルディスは、そこでカイルと鉢合わせることになった。
「おや、アルディス卿。お久しぶりですね」
「卿はやめてくれ」
「そろそろ観念してはどうですか?」
「何がそろそろだよ」
「ははっ、お前だけ逃げようったってそうはいかんぞ」
うんざりといった顔を見せるアルディスを笑うのは、部屋の主であるムーアだ。
そんな彼を無視してアルディスはカイルと会話を続ける。
「フィリアがずいぶん世話になったみたいだな」
「いえ、お世話になったのはこちらの方ですよ。想像以上に頼れる護衛っぷりでした」
「そうじゃなくて……帰路に立ち寄った村で一悶着あったと」
「あぁ、あれですか……」
それで伝わったらしく、カイルの表情が硬くなった。
「報告書にあった村の件か?」
どうやらムーアにも報告という形で話が届いていたらしい。
執務室の椅子にもたれていたムーアが上半身を起こす。
「ええ、そうです」
ムーアの問いに肯定を返し、カイルが詳しい状況を語った。
内容としては概ねアルディスがロナから聞いた話と相違はないが、フィリアが両親の墓前へ向かった後、カイルと村人たちとの間でもひと揉めあったらしい。
「それまでフィリア嬢を持ち上げていた村人が手のひらを返して罵声を浴びせるのにも辟易しましたが、どうも我々全員が彼らに取っては悪魔の手先ということになったようで……。辺境に行くほど女神……ああ、この場合は従来の女神のことですよ、その教えが根強いとは理解はしていたんですけどね。あそこまで話が通じなくなるとは……」
大きくため息をついたカイルが肩をすくめる。
「結局一晩ごやっかいになるという雰囲気ではありませんでしたし、村人のフィリア嬢に対する態度を考えると、むしろ村にそのまま留まるのは危険だろうという結論にいたりました」
それもあって護衛たちとも相談の上、村を早々に出て野営をすることに決めたとカイルは語った。
「ああ、一応村人たちには新しい女神の教えを受け入れられなければ、ウィステリア王国の庇護対象外になるということは伝えましたよ。まあ、彼らが聞く耳を持つわけがないとわかっていましたけどね。村を出る際には結構な罵声をはなむけとして投げつけてくれましたよ」
そうカイルは皮肉る。
「おい、アルディス。頼むから勝手にその村へ行くのはやめてくれよ」
話を聞いていたムーアがアルディスに釘を刺してくる。
「人聞きの悪い。俺はそんなに無鉄砲な人間に見えるのか?」
「無鉄砲じゃない人間は一国の王城にひとりでカチコミには行かないだろ」
その指摘にアルディスは面白く無さそうな表情を浮かべる。
「第一その目。その目だよ。どう見ても穏便に済ませる気がうかがえないそんな目しておいて、人聞きが悪いもくそもないだろうが。特にお前はあの嬢ちゃんたちが絡むと平気でとんでもない行動に出るみたいだからな……」
「アルディス卿の気持ちはわかりますし、私も正直あの村に対しては不愉快な感情しか抱けません。ですがどうか自重を。たとえ因果応報であっても私的な感情で村人を手にかければ、野盗と変わりないでしょう」
ふたりからの指摘を渋々とアルディスは受け入れる。
「……ロナからも止められたからな。フィリアとリアナが助力を求めてこない限りは手を出さんさ」
「それは助かります。すでに貴方はウィステリア王国にとって縁浅からぬ建国の立役者。陛下のためにも軽率な行為に走らぬようお願いします」
カイルの言葉にアルディスは面倒なことだ、とつくづく思った。
覚悟を決めて一国の首領となることを自らに課したミネルヴァだが、当然ながらその立場は非常に不安定なものである。
アルディスとしてもその足枷になるのは不本意だった。
女王の懐刀と目されている自分の言動がミネルヴァの評価に直結することを理解しているからこそ、窮屈な思いをしながらも自重を心がけている。
だからこそ爵位など受け取ってこれ以上不自由にはなりたくない、というのが本心だった。
もちろん国としてアルディスを手元に置いておくことはメリットばかりではないだろう。
従来の教会組織から異端視されているアルディスの存在自体、ウィステリア王国にとってはマイナス要素であることは確かだ。
しかしアルディスを味方に引き入れる以上、それは絶対に避けて通れない問題である。
アルディスとしても双子を見捨ててまでウィステリア王国を盛り立てるような理由はない。
ミネルヴァを大事に思う気持ちは確かにあれど、彼にとっての最優先はいまだ仇敵への復讐であり、双子の幸せにある。
「あいつらに恨みを呑みこんで耐えろとでも言うつもりか?」
その思いが少々の剣呑さと共に言葉となって口から出る。
「いいえ、そうは言っていません。わざわざ手を汚す必要は無いということです」
しかしカイルはアルディスの問いかけに涼しい顔をして答えた。
「どういう意味だ?」
「古い教えに固執するならばウィステリア王国からの庇護はない――今回訪問した辺境領にはそう伝えてあります。女王陛下の御意ですからね」
カイルの言葉は事実である。
ウィステリア王国はこれまでの教義をすべて捨てろと言っているわけではない。
ただ、エルマーの掲げる教義を否定さえしなければそれで良いと言っているだけだ。
しかしそれだけのことですら受け入れられないという人々も存在する。
単にハドワルド子爵のように政治的駆け引きの観点から態度を保留している領主もいるが、小領や外部との接触が少ない寒村ほどその傾向は顕著だった。
「当然ながら――」
カイルが黒い笑みを浮かべる。
「計画している傭兵支援組織の拠点も置かれないでしょうね」
これまで野放しだった傭兵たちをとりまとめる組織の必要性は以前から訴えられていた。
ウィステリア王国では建国の準備と並行して傭兵の支援組織設立を進めている。
各町に複数存在していた顔役たちをその運営者として取り込み、仕事の斡旋や傭兵の管理、報酬体系や標準規則の制定を行おうというものだ。
傭兵に組織への所属を強制する予定は無い。
だが国としても全面的に支援を行う方針で、将来的には国からの討伐依頼も組織を通じて行う予定だった。
これまで顔役に依頼の仲介をしてもらっていた傭兵は自然と新組織へ移るであろうし、よそから流れてきた傭兵や新たに傭兵となる若者たちもアルディスのような訳あり者やよほどのひねくれ者でない限りは組織への加入を受け入れるだろう。
もちろんそれだけのメリットを提供できる組織にするつもりである。
そうなれば組織の拠点がない町や村からは傭兵の足が遠のくことが考えられる。
国家からの庇護もなく、傭兵の助力もあてにできなくなれば自分たちで身を守らなければならない。
「今後は獣に襲われようと魔物が領域内に住み着こうと、我が国がそれらを撃退ないし討伐する義理などありません。たとえ助けを求めて来ても、我々の庇護を不要と判断したのは彼ら自身です」
この場にいない辺境の愚か者たちを思い浮かべたのか、カイルが鼻で笑った。
「はからずもあの村の周囲は我が国の庇護下に入った村ばかりです。必要とあらば各村の安全を確保するために周辺の獣は討伐しますが、獣とて不利を悟れば逃げ出しますからね。すべてを討伐するのは無理でしょう。逃げた先が我が国の庇護下にある村なら再び討伐に向かうべきでしょうが、そうでなければ兵や傭兵を派遣する必要は――ないでしょう?」
カイルの言わんとするところを察してアルディスは少しだけ溜飲を下げる。
「……確かに、そうだな」
周辺の獣を追いやった結果、意図せずフィリアたちの故郷へ獣が向かっても知ったことではない。カイルは暗にそう言っているのだ。
「どうせあの村にはこの先などありませんよ」
人の良さそうな顔をしておきながら、目を細めたカイルが冷たく言い放つ。
「彼らは自ら未来を閉ざしたんですから」