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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第二十章 染め上げる戦火 後編
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第347話

「あ、悪魔の子……!」


 女の声を皮切りにして、フィリアがかつて村から追い出した双子の片割れと気付いた者たちが次々と罵声を浴びせはじめる。


「何をしに戻ってきた!」


「仕返しでもしに来たか!」


 つい先ほどまでフィリアを賞賛していたその口から悪意のこもった言葉が飛び出した。


「まさかお前がグラスウルフを呼んだのか!?」


「きっとそうに違いない!」


「責任を取れ、この人殺しが!」


 まさに手のひらを返した村人たちの豹変ひょうへんに、かつての記憶を刺激されてフィリアが一瞬ひるむ。


 だが彼女とて今や何の力も持たない子供ではない。

 数と勢いに任せて罵倒してくる村人ひとりひとりをにらみ返しながら口元を引き締める。

 心ない言葉をぶつけられる度にフィリアの中で積もり続けた怒りが、次第に具体的な形をび始めたその時、頭の上に誰かの手のひらがのせられた。


「カイルさん……?」


 少しだけ冷静さを取り戻したフィリアがその名を呼んだ。


「……いろいろと事情がありそうですが、相手はただの村人です。その手を下ろしなさい」


「あ……」


 カイルに指摘されてフィリアは自分の手が村人たちに向けられていることに気付く

 感情が高ぶるあまり、知らず知らずのうちに魔術を発動しようと身体が動いていたようだった。


 ハッとして手を下ろすフィリアの横でカイルが村人たちに身体を向ける。


「彼女は私の護衛です。彼女に対する非礼は私に対する非礼でもあり、すなわちウィステリア王国に対する非礼でもありますよ。先ほどからあなた方が口にしている言葉はとても看過かんかできるものではありません」


「し、しかしその娘は……」


 さすがにカイルに対して強気に出ることはできないのだろう。

 納得しがたいという表情を浮かべながらも村長が口ごもる。


「彼女とあなた方の間に何があったのかは知りません。ですが自分たちがどれだけ危ない橋を渡っているのか理解できていますか? グラスウルフの群れを誰が撃退したのかわかっていますか? 彼女の力は自分たちの目で見ていたでしょうに」


 カイルがそう指摘すると村人たちは途端に顔色を青くした。

 つい先ほどまで暴言を浴びせていた相手が、今や虐げられるだけだった無力な子供ではないとようやく気付いたのだろう。


 村人全員でも太刀打ちできなかったグラスウルフの群れを短時間に排除して見せたのは他ならぬフィリアであった。

 彼女がその気になればひとりで村人全員を殺し尽くすことなど造作もない。

 そしてフィリアにはそうするだけの恨みが村人たちにある。

 村長をはじめとした村人たちは、罵っていた相手が敵意を買ってはならない存在だと今さらながら理解したらしい。


 気まずい沈黙が周囲を包む中、フィリアは肺いっぱいに空気を吸い込み、時間をかけてゆっくりとそれを吐き出す。

 この場にいるのが自分ひとりであったなら、荒れる心を抑えられたかどうかフィリアにも自信がなかった。

 だが今の彼女は王国を代表する使節団の一員である。

 個人的な感情で問題を起こすことが許されるわけもなく、そんなことをすればウィステリア王国の――いやアルディスの顔に泥を塗りかねない。

 だからこそ込み上げてくる怒りを押し込めながら自身の意識を別のところへと誘導する。


「…………お父さんとお母さんのお墓はどこですか?」


 幼いフィリアの記憶には父親の埋葬も母親の葬儀の記憶もない。

 めまぐるしく悪化していく事態に不安そうなリアナと互いを抱きしめ合いながら、気付けば物人ものびととして荷馬車へ乗せられていたのだ。


 生まれ故郷の場所もわからずその墓前に立つことも叶わなかったフィリアにとって、今回の件で唯一の救いは両親の眠る場所を知ることができるという点だろう。

 同時にそれを言い訳にして一刻も早くこの村人たちを視界の外へ追いやりたい、という思いが彼女の行動を誘導する。


「両親の墓参りくらい、させてくれるんでしょう?」


 問いかけるというよりは詰問するような声色で投げかけられたそれに対して、村人たちは見るからにうろたえはじめた。

 いぶかしそうな目で村人たちを見回したフィリアにひとりの青年が手をあげて案内を申し出る。


「俺が……案内する」


 先ほど村長がカイルに紹介していたカールという青年である。

 他の村人が目をそらしうつむく中、ただひとりその青年だけがまっすぐにフィリアの目を見てそう言った。

 そのまま先導するように広場を離れる青年に続き、フィリアはカイルに声をかけるのも忘れて付いていく。


 少し前まで村を包んでいた喧騒が嘘のように消えた中、暗くなった足もとを照らすためフィリアは魔術で光を生み出して自分たちの頭上へ浮かべる。


「……ありがとう」


 カール青年から素直な感謝の言葉を贈られ、フィリアは妙な気味悪さを感じた。

 当たり前の感謝。そんなもの、かつてのフィリアたち家族には一度も向けられることはなかったのだから。


 カールとフィリアは黙って村はずれへと歩き続ける。

 やがて周囲が木々に囲まれはじめた。


 いくら墓地といえど、ここまで村から遠い場所にあるわけもない。

 もしかして自分は誘い出されただけなのだろうかと次第にフィリアは警戒しはじめる。


 その時、フィリアの前を歩くカールがポツリと独り言のようにつぶやいた。


「俺のこと……憶えてるか?」


「え……?」


 予想外の問いかけに驚くフィリアをよそにカールはなおも歩き続ける。


 その背中を追いながらフィリアは酒宴の席で見た彼の顔を思い出してみた。

 それから頭の中の引き出しを次々と開け、ようやく幼い顔の男の子と青年の顔へ共通点を見出すことに成功する。


「あっ……」


 それはまだ父親が生きていた頃、幼いフィリアとリアナに泥団子をぶつけてきた子供たちの集団。その中で兄貴分を気取っていた中心人物の男の子であった。


「そうか……」


 フィリアの反応に答えを得たのだろう。カールは自分だけが納得したような口調でつぶやくと、振り返ることもなく前を歩き続ける。


 何のことはない。結局この青年もフィリアたちをしいたげ追い詰めた村の人間であった。


 確かに当時小さな子供であった彼は、親や周囲の大人に言われるがまま双子を迫害していただけなのだろう。

 それをとがめる人間は村にひとりもいないのだから、善悪に思いを巡らすこともなく本人は自然なことだと考えていたのかもしれない。

 だからといって彼に対する恨みが消えるわけではないが、当時大人だった村人たちの仕打ちに比べればまだ酌量しゃくりょうの余地はある。


 フィリアの中で理性がそう語りかけてくる一方、感情はそんなもの何の贖罪しょくざいにもならないと声高に訴えかけてきた。

 一度は落ち着きを見せた感情の揺れが再びフィリアを包み、幼い頃の慟哭どうこくと絶望が心の堰ギリギリを波打ちはじめる。


「着いたぞ」


 やがて沈黙がカールの言葉によって打ち破られる。

 心に渦巻く感情でふらつく思いをしながらフィリアはカールが指差す先へと目を向けた。


「は……?」


 意味がわからずフィリアは聞き返す。


「両親の墓に案内してくれるんじゃなかったの?」


 周囲を見渡してもそれらしいものは見当たらない。

 ここに見えるのは人の手が入っていない木々と草花ばかり。

 森の奥深くというほどではないが、とても村の中といえるような場所でもなく、まして墓標らしきものなどどこにも見当たらない。

 やはり誘い出されただけかとフィリアが警戒をあらわにすると、カールが申し訳なさそうな表情で声をしぼりだした。


「そこの……木の下に埋葬されたと聞いている。俺はまだ子供だったから実際に埋葬したときのことはよく知らないけど……村長たちからはそう聞いた」


 カールの言葉にフィリアの心がさらに揺さぶられる。


 彼の指差した先にあるのは一本の木。その根元には低いたけの草がい茂っている。

 よくよく見ればわずかに土が盛り上がっているようにも見えるが、それも注視しなければわからないほどの小さな違いである。

 埋葬の際に掘りおこされたであろう土の跡も、直後なら少しは違いがわかったのかもしれない。しかしそれも今やすっかり緑に包まれ周囲と同化していた。


 フィリアはふらふらと近付くと地面にひざをついて両手でそっと触れる。

 感じるのは冷たい土と草の匂いだけ。

 墓標もなく、手入れもされず、そこに人が眠っていることも教えられなければわからない。当然花など供えられているわけもない。


「お墓……? これが?」


 信じられないと口にしながらも、生前の父母に対する粗雑な扱いを考えればこの仕打ちもあるだろうとフィリアは悲しくも納得してしまう。


「こんな、の……」


 地に手をついたままの体勢でフィリアは土を握りしめる。

 怒りと悲しみの感情が胸の内をぐるぐると渦巻き、それをどうにか制御しようと涙をこらえた。


「五年前村が獣に襲われたとき、俺を守るために両親が死んだんだ」


 ひとり悲しみに耐えるフィリアへカールが言葉をかける。


「両親が死んでから……ひとりぼっちになって、少しだけお前らの気持ちがわかった……」


 だからどうした、とフィリアの中で黒い感情が染み出づる。


「それからいろいろ考えて、俺がお前らにどれだけひどいことをしたのか……今さらだけど――」


「やめて……」


 カールの言わんとするところを察したフィリアはそれ以上聞きたくないと言葉を遮ろうとした。


 彼の言う通り今さらの話である。

 いくら言葉を費やしたところであの過去が消えるわけではない。

 死んだ人間は生き返らないし、苦渋に満ちた日々は消えたりしない。

 それは一方的な自己満足だと知っているからこそ、フィリアはカールにその続きを口にして欲しくなかった。


 しかしそんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、カールはフィリアが一番聞きたくなかった言葉を口にする。


「すまない……。ずっと謝りたかった」


「すまないだなんて言わないで!」


 その言葉を耳にした瞬間、フィリアの我慢が限界を迎えた。


「そんな一言で片付けないで! わたしとリアナの、お父さんとお母さんのつらさを、苦しさを、悲しさを! わたしたちが味わった絶望を!」


 怒りの籠もった目で振り返ったフィリアにカールがうろたえる。


「わたしたちの気持ちがわかる……? 簡単に言わないでよ! 一日一個のパンをふたりで分け合う日々を何年も続けたことはある? 水をかけられて寒空の中放置されたことはある? 理由もなく気晴らしに殴られたことはある? 遊具代わりに蹴り転がされ続けたことはある? 空腹も感じなくなるほどの痛みに苦しんだことはある? 物人として扱われるのがどういうことか知りもしないで、わかったようなことを言って、口先だけで簡単に謝って楽になろうとしないでよ!」


 それまで必死に押さえ込んでいた涙がこぼれ落ちる。


「ご……」


 にじむ視界の中でカールが何かを言いかけて口を閉じた。

 その表情から彼が本当に負い目を感じていることは見て取れたが、だからといってフィリアの感情がそれで収まるわけではない。


 カールをにらみつけていたフィリアが視線を背けて顔を隠す。


「ひとりにして……」


 ポツリと小さく口にしたフィリアの願いをカールが無言で受け入れ、そのままきびすを返すと村に向かって歩き去って行った。

 カールが立ち去った後でようやくフィリアの口から嗚咽おえつが漏れる。


「うっ……、う、うぅ……」


「フィリア……」


 そんなフィリアのもとへロナが姿を現した。

 フィリアの身を案じて遠くから見守っていたのだろう。

 座ったままうつむいて涙を流すフィリアのそばへやって来ると、その身の温かさで包むように身体を寄せてくる。


「ロナぁ……」


 黄金こがね色の毛で包まれたその首に抱きついてフィリアが涙を流した。


 しばらく草木の揺れる音に混じってむせび泣く声が続いていたが、やがて落ち着きを見せはじめたフィリアにロナが語りかける。


「この村、フィリアとリアナの故郷だったんだね」


「……」


 フィリアはロナの首に顔をうずめたまま頷いた。


「さっきの青年は罪悪感があったみたいだけど、他の村人はひどかったね。あいつらがフィリアに罵声を浴びせてたとき、正直あの場に出て行って二、三人お仕置きしてやろうかと思ったんだよね。フィリアが我慢してたからボクが出しゃばるのもどうかなって自重したんだけど」


 ロナは怒っているようだった。

 広場でのやり取りも、この場でのカールとの会話も全て把握しているのだろう。


「ねえフィリア、君はどうしたい? もし君がその気なら……ボクは君の味方だよ」


 フィリアにとってロナは幼い頃から一緒にいる家族も同然だった。

 それはロナにとっても同じなのか、フィリアに対する村人たちの態度と言動に明白な憤りを感じている様子が見て取れる。


 ここで頷けばきっとロナはフィリアに力を貸してくれるだろう。

 フィリアとロナが手を組めば村ひとつ灰燼かいじんすくらいわけはない。

 憎しみのままに復讐をすることもできると促され、しかしフィリアはその首を横に振ってロナから離れた。


 背を向けたフィリアへロナがさらに問いかける。


「じゃあ……あいつらのこと、許せるの?」


 ピクリとフィリアの肩が動く。


「……ない」


 かすかな言葉に続いてフィリアの怒気をはらんだ声が木々の間を貫く。


「許さ……ない! 絶対に、許せるわけがない!」


 ひととき収まった涙が再びあふれてフィリアの頬を濡らした。


「本当ならあの人たち全員この手で殺してやりたい! 魔術で手足を一本ずつ斬り落としてやりたい! 身動きできなくして獣の群れに生きたまま放り込んでやりたい! 飢えて死ぬまで村から出さずに時間をかけて苦しめてやりたい! でも……!」


 それまで浅緑色の瞳を染めていた憎しみの炎がふと立ち消える。

 全身にまとっていた殺気が霧散すると、フィリアの声が勢いを失った。


「でも、そんなことしたら……きっとアルディスを苦しめちゃう。そんなことのために魔術を教えたわけじゃないって。この力を使えばあの人たちに復讐することはできる。だけどそうしたらアルディスは……悲しむから……」


 同時にアルディスの立場も途端に悪化するだろう。


 これまで自分たちがどれだけアルディスの足手まといになってきたか、今のフィリアには理解できている。

 旧ナグラス王国時代のトリアを追われたのも、コーサスの森を追われたのも、フィリアとリアナという双子を抱えていればこそだ。

 自分たちがいなければアルディスはもっと自由に生きることができたはずだった。

 過ぎたことはどうしようもない。しかしだからこそフィリアはこれ以上アルディスの足を引っぱることだけは避けたかった。


 アルディスが望むのはフィリアたちの幸せだという。

 戦場へ出るだけでも心を痛めるアルディスが、いくら恨み骨髄の相手とはいえ復讐など望むわけがない。少なくともフィリアはそう信じている。


 だからフィリアは耐えなければならない。

 恨みと憎しみを無理やりにでも押さえつけて。


 そんなフィリアの決意とは裏腹にロナはばつの悪そうな表情を浮かべる。


「それはないと思うんだけどなあ……」


「ありがとうロナ。その気持ちだけで十分だよ」


 傷心に寄り添ってくれるロナの言葉にフィリアは無理やり笑顔を浮かべて見せた。


2023/02/28 誤字修正 出でる → 出づる

※誤字報告ありがとうございます。


2025/01/21 ロナの一人称修正

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― 新着の感想 ―
[一言] アルディスならむしろノリノリで復讐に協力してくれるんじゃないか?って思うけど基本的にアルディスの優しい一面しか知らないんだから仕方ないのか
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