第345話
フィリアたち一行はその後いくつかの辺境領を回り、最後の訪問先からの帰途についた。
色よい返事が得られた相手もいれば、ハドワルド子爵のように交渉が決裂した――実際にはカイルの判断によって切り捨てられた――相手もいる。
割合としては味方となったのが五割、明確に敵対姿勢を見せたのが三割、そして玉虫色の回答や保留を口にしたのが二割である。当然この二割については今後敵対勢力として扱うことになった。
「思ったよりも味方が増えてしまいました」
「味方が増えなかった方がよかったんですか?」
苦笑いを浮かべながら今回の成果を口にしたカイルへ、フィリアが不思議そうな顔で訊ねる。
「有能な味方ならいくらでも欲しいですよ、そりゃあ。しかし将来足手まといや政争で内側を掻き乱しそうな味方なら、正直最初からいない方がいいです」
「でも数の力は馬鹿に出来ないんじゃないですか? カイルさんなら『不味いリンゴには不味いリンゴなりの使い道がある』とか言いそうですけど」
「はははっ、君も可愛い顔してなかなか言うじゃないですか」
声を立てて笑ったカイルが続ける。
「まあ確かにそうですね。良いリンゴにも腐ったリンゴにもそれぞれの使い道はあるものです。それを考えるのも上手く使うのも私の仕事ですから、給金分の働きはするつもりですよ」
予定した訪問先を全て回りきって肩の荷が下りたのだろう。
トリア出発時に比べればカイルの口数は増え、表情も幾分柔らかく見える。
「次の宿場町までは少し距離がありますからね。今日は途中にある小さな村に寄ってそこでお世話になる予定です。さすがに宿屋などは無いでしょうけど、野営をするよりは多少ましというものでしょう」
「わたしは別に野営でも気になりませんけど」
「先を急ぐわけでもありませんし、私や君が良くても他の護衛たちはね」
「あ……そうですね。ごめんなさい」
「まあ君の場合、あのアルディス卿が基準になっているみたいですから仕方ないのかもしれませんが……」
と、カイルが苦笑する。
「『普通』というものにもう少し慣れておいた方がいいと思いますよ」
「はあ……」
なんと答えて良いものか分からずフィリアが間の抜けた返事をしたその時、馬車の外にいた護衛たちが少々騒がしくなった。
瞬時に意識を切り替えてフィリアは周囲の魔力反応を確かめる。
自分やカイルを中心に隊列を組む三十ほどの人と馬の反応、それとは別に進行方向に百前後の反応を見つける。
進行方向にある魔力反応は忙しなく動きまわるものや、ある一点に向けてまっすぐに集まっているものなどいくつかの集団に分かれていた。
やがて集団同士が接触した後にいくつかの魔力反応が消失する。
それが指し示す状況をフィリアはすぐさま理解して声を大に叫んだ。
「カイルさん! 前方――たぶん村ですけど何かに襲われています!」
「なんだって! 野盗か!?」
「いえ、襲っているのは人よりも少し小さな……それも動きが速いからコヨーテかグラスウルフだと思う」
「数は!?」
「先行します!」
カイルの問いを無視し、フィリアは馬車の扉を開いて飛び降りる。
着地寸前に不可視の足場を作り、勢いを殺した後で地面に降り立った。
「皆さんはカイルさんの護衛を! わたしは先に行きます!」
独断専行は問題だろうが、今は一刻も早く駆けつけなければそれだけ犠牲になる村人が増えてしまう。
「ロナ!」
フィリアとロナだけであれば馬車で駆けつけるより早くたどり着ける上、カイルを戦闘の真っ只中へ連れて行かずにすむ。
そう判断したフィリアは馬車の上から降りてきたロナに跨がった。
「飛ばすよ!」
ロナの合図と共にフィリアの視界が狭まる。
猛スピードで駆け抜けるロナにしがみついていると、すぐに村を囲む塀らしきものが見え、同時に耳をかすめていく風切りの音へ人の悲鳴が混じりはじめた。
「ロナ、魔力反応が一番多いところにわたしを下ろして。周囲に散らばったのはそっちでお願い!」
「おっけー!」
村の外にたどり着いたロナが身をかがめて跳躍し、一息で塀を跳び越える。
その瞬間、フィリアの目にも状況が映し出された。
「やっぱりグラスウルフ!」
眼下に見えたのはざっと四十頭は超えようかという肉食の獣たち。それに立ち向かおうと武器を構えている村人たちと、逃げ惑う女子供の姿が見えた。
こんな場所にある辺境の村である。
人口は老若男女すべてあわせても百に届かない程度だろう。
獣と戦えるような大人の男は多くない。まして武器の扱いや戦い慣れしている者など数えるほどしかいないのが当たり前だ。
グラスウルフはもともと群れをつくるものだが、さすがに四十頭の群れというのは珍しい。
そんな群れに襲われれば小さな村などあっという間に崩壊してしまう。
「あそこへ!」
フィリアがグラスウルフの固まっている場所を指さすと、ロナは足場を器用に使って軌道を修正して着地する。
「他をお願い!」
「あいよー」
ロナが地を蹴ってその場を立ち去る。村中に散ったグラスウルフを狩るためだ。
それを横目に確認しながら、フィリアは今にも村人へ噛みつこうと飛びかかっていたグラスウルフへ魔術で生み出した炎の矢を放つ。
無詠唱で生み出された矢は狙い過たず頭部に突き刺さる。
射貫かれたグラスウルフは勢いそのまま村人にぶつかるが、既に意志を失った牙が彼の肉へ突き立てられることはない。
「ひゃあああ!」
襲われていた村人はグラスウルフの骸を受け止める形になり、恐怖で悲鳴をあげた。
フィリアは視線を周囲に巡らす。
村人とグラスウルフの位置関係を把握すると再び炎の矢を生み出した。
しかし今度は一本ではない。
見える範囲にいるグラスウルフの数は二十七頭。それにあわせて二十七本の矢を作り自分の周囲へ浮かべると、間を置かずに四方へ放つ。
一見無造作に放たれた炎の矢は村人を傷つけることなく、そのすべてがまるで運命付けられたかのようにグラスウルフの頭部へと吸い込まれていった。
一本の矢が一頭のグラスウルフを射貫き、確実に命を奪っていく。
今のフィリアにとってグラスウルフなど三十頭いようが百頭いようが敵ではないのだ。
目に見える範囲の敵がいなくなったことを確認すると、フィリアは村全体に魔力を広げて反応を調べる。
ひときわ大きな魔力反応――おそらくロナ――がグラスウルフと思しき魔力を次々と消し去っていた。
放っておいても大丈夫そうだったが、かといってのんびりしていてはロナに申し訳がない。
フィリアはロナから最も遠い場所にいるグラスウルフを始末するため駆け出した。
家が減り、ずいぶん閑散とした場所までやって来たところでグラスウルフと出くわしたため、先ほどと同じように炎の矢で仕留める。
どうやらこれが最後の一頭だったらしく、他は全てロナが片付けたようだった。
ふうっ、と息をついて何気なく周囲を見渡したフィリアの目に一軒の家が映った。
いや、かつては家だったものと言い換えた方が良いかもしれない。
それは焼け落ちて黒焦げになった一軒の廃屋である。
「え……」
何の変哲もないただの廃屋。だがしかしフィリアの目はそれに釘付けとなった。
「ここって……」
驚愕の表情を浮かべながらフィリアは周囲をゆっくりと見渡す。
奥底の、かすかに残りそれでいてもはや色すらも思い出せないような遠い遠い記憶の中にその光景があった。
見覚えのある木々の並び。
何百回と目にした緩やかに下っていく坂道の起伏。
父親の背中とあわせて目に焼きついていたジャガイモ畑。
ゆっくりとフィリアは廃屋に歩み寄る。
焼け跡には何ひとつ人の手が入っていないのだろう。
床は雑草の絨毯で覆われて見えず、あまざらしになった瓦礫や木片には緑色の苔がびっしりと生えている。
玄関だった場所をまたいで足を踏み入れると、半分炭化した椅子が草に埋もれて顔をのぞかせていた。
近寄ったフィリアの足が何かを踏む。足をどけるとそこには小さな木製のコップがあった。
土と苔にまみれたそれを拾い上げると、フィリアの口から自然と言葉がこぼれる。
「お父さん……」
そのコップはフィリアが幼い頃使っていた物だ。父親がその手で木を削り、リアナとのお揃いで作ってくれた物だった。
誕生日にプレゼントとして受け取ったときの記憶が甦る。
嬉しくてリアナとふたりでベッドの中まで持ち込んで父親に呆れられたこと。
温かいスープを深皿ではなくコップに入れてくれと頼んで母親を困らせたこと。
家族四人でテーブルを囲み、質素ではあっても精一杯の愛情が込められた料理を口にしながらその日あった出来事を互いに話して笑い合ったこと。
途端に甦る懐かしくも温かい日々。
その残滓が今フィリアの手に包まれていた。
「わたしの…………わたしたちの家…………」
今さら知りたいとも思っていなかった自らの故郷。それが今まさに自分の立っている場所だと理解してフィリアの胸がズキリと痛む。
目の奥が熱を帯び、それが広がるようにして頭全体へと伝わっていく。
それが悲しみなのか、それとも別の感情なのか――フィリア自身にはまだわからなかった。