第343話
カルヴス王族との会談は翌日となった。
実際のところはニコルの兄たちがアルディスとリアナに接触するための会談だが、さすがに功一等とはいえ一国の王族と一介の傭兵が直接言葉を交わすのは難しい。
表向きにはミネルヴァとの会談ということで場が設けられている。
ニコルによる案内のもと、王城の奥にある一室へアルディスとリアナはミネルヴァと共に通された。
決して華美ではないものの一流の品々で飾られたその部屋で待っていたのはふたりの人物。
双方とも四十代と思しき年齢である。
部屋に入ったミネルヴァを見てふたりが立ち上がる。
「ようこそおいでくださいました、ミネルヴァ陛下」
口を開いて歓迎の意を表したのは武人肌の人物。
無駄なく鍛えられた筋肉が着衣の上からでもうかがえる。
明らかに武の道を進む人間ではあるが、立ち振る舞いに粗野な印象は全くない。
力強さの中に隠しがたい気品が漂っている、そんな雰囲気を感じさせた。
その横に立つのは多少神経質な気配こそあるものの理知的な雰囲気を漂わせる文官。
もちろんこの場で腰掛けてアルディスたちを待っていた以上、ただの文官でないことは明らかだった。
おそらくは双方ともニコルの兄つまり王族なのだろう。
武人肌の人物はカルヴス軍を統括する将軍でもあり二番目の兄であるベルギウス公爵、文官風の人物は政務をとりまとめる立場にある三番目の兄リターナ公爵とニコルから事前に聞いていた情報をもとにアルディスはあたりをつける。
ミネルヴァとニコルの兄たちが挨拶を交わし、その中で自分の推測が正しかったことを知ったアルディスはニコルに促されて一歩前に出ると、右の手のひらを心臓からやや肩よりにあてながら深く頭を下げ、名乗りと共に口上を述べる。
その後ろでは淑女の礼を急遽叩き込まれたリアナが着慣れないドレスに苦心しながら付け焼き刃のカーテシーを見せていた。
「私も彼女も一介の傭兵ですので礼儀が至らずご不快に感じられるかもしれませんが、どうかお目こぼしいただけると幸いです」
念のためと予防線を張ったアルディスに向けて、柔らかな笑みを浮かべながらベルギウス公爵が頷く。
「非公式な会談だ。そこまで礼儀をうるさく言うつもりはない。この場に限り直答も許す」
アルディスは深々と礼をすることで感謝を表す。
とはいえその言葉を安易に受け入れることもできない。
無礼講だという話を真に受けた傭兵が宴の勢いで一線を越えた結果、無礼打ちされた場面を過去何度も見た経験があったからだ。
もちろん今のアルディスは黙って殺されるつもりなどない。
いざとなればこの場にいる王族と壁に張り付いている衛士全員を斬り捨ててこの国から逃げ出すことは造作も無いが、わざわざ波風を立てることもないだろう。
その程度の慎み深さはさすがのアルディスにもあった。
「ふむ……。むしろ思っていた以上に風流な立ち振る舞いに見えるが、ナグラス王国式の作法とも違うな。どこで身につけたものかね?」
アルディスの所作を検分するかのような視線で見ていたリターナ公爵が横から口を挟んできた。どうやら礼儀を問わないというのは本当らしい。
「とある傭兵団に所属しておりました際、貴族出身の同僚から指導を受けまして」
「ほう、それでか。確かに見慣れない所作だが、動きそのものは洗練されている。その貴族出身という者はどこの国の?」
興味をそそられたのか、ベルギウス公爵が目を輝かせる。
「それは私にも……。ただ遥かに遠い地、ということだけは確かかと」
対するアルディスの答えは曖昧なものだった。
他意があるわけではない。
実際、頼みもしないのにこの手の礼儀を叩き込んでくれたヴィクトルという男の出身をアルディスは知らなかった。
たとえ知っていたとしても、その国の名はおそらくこの場にいる全員が聞き覚えのないものだろう。
それが理解できるのはアルディスが異なる世界の住人であったことを知るミネルヴァだけに違いない。
幸い両公爵はその点について追及してくることはなかった。
ベルギウス公爵のすすめで全員がソファーに腰をおろすと、さっそくとばかりに本人が話を切り出してきた。
「レイティンでは弟がずいぶん助けてもらったようだな。兄のひとりとして礼を言わせてもらおう」
「傭兵同士、ただ同じ戦場で肩を並べて戦っただけの話です。助ける、助けられるという認識は持っておりません」
「そう謙遜するな。ニコルと肩を並べて戦えるだけでも大したことだろう。戦場での活躍は噂含めて聞き及んでいるぞ」
別にアルディスは謙遜しているわけではない。
単純にこちらへ興味を持ってもらいたくないだけである。
しかしアルディスの思惑通りに事は運ばない。
当然だ。この会談が実質的にアルディスとリアナふたりとの接触を得るためのものである以上、彼らの興味がこちらに注がれるのは避けられないことだった。
緒戦において敵をたったひとりで撃退したリアナに対する関心は特に強いらしく、両公爵の視線はアルディスのとなりでしおらしく座るリアナにも注がれている。
特にリターナ公爵の目に浮かぶ興味の色はベルギウス公爵のそれよりも濃い。
なぜ文官が? という疑問を普通なら抱くだろうが、魔力量をその目で見ることができるアルディスには理由が明白だった。
リターナ公爵が身にまとう魔力が一般的な人間よりもかなり多かったからである。
どうやら彼は王族であり、文官であると共に魔術師でもあるらしい。
そんな彼がリアナへ興味を抱くのは当然のことだろう。
「どうかなフィリアナ殿? 貴殿は何処にも所属せぬ傭兵と聞く。我が国に仕官するつもりはないか? 待遇の方はそれなりに便宜をはかれるぞ」
先般の戦いについての話題がひとしきり終わったタイミング。リターナ公爵が軽い感じで誘いをかけてきた。
アルディスの頬がピクリと動く。
「その……」
一瞬訪れる静寂の後、誘われた当のリアナが申し訳なさそうに口を開いた。
「私が立つのはアルディスのとなりだけと決めていますので」
「なるほど……そういう関係か」
リアナの言葉を曲解したらしい公爵が「ならば」と言葉を続ける。
「ふたりあわせてというのならどうだ? アルディス殿もウィステリアに仕えているわけではないと聞いている。傭兵であれば雇い主を変えることはなんら問題ないと思うが?」
今度はアルディスに矛先が向いた。
やはりそうくるか、と内心うんざりしつつアルディスがハッキリと断りを口にしようとしたところで待ったをかけたのはミネルヴァである。
「殿下。アルディス卿は我が国にとって何ものにも代えがたい人物ですと、先日も申し上げましたよね?」
「おっと、そうでしたな陛下。良い人材を見るとつい欲が出てしまいまして。大変失礼いたしました」
微笑みながらも瞳に剣呑な光を浮かべて牽制するミネルヴァに、リターナ公爵はあっさりと前言を撤回する。
公式の場であれば大問題となりかねないやり取りだろう。
この場が非公式であるからこそ許される危うい駆け引きだった。
「ふたりとも、先ほどの話はただの戯れ言と聞き流しておいてくれ」
そんなやり取りをさもあらんと眺めるベルギウス公爵がいる一方で、眉を寄せながらアルディスに疑問を投げかけるのはニコルだ。
「なあお前さん、いつから貴族になってたんだ?」
「俺は貴族じゃないぞ」
問われたアルディスは心外という言葉を絵に描いたような表情で乱暴に答えた。
真っ向から本人に否定されたニコルが今度はミネルヴァへ視線で問いかけると、菖蒲色の淑女は微笑みと共に含みのありそうな言葉を口にする。
「はい。今はまだ」
「あー、なるほど」
それだけで意図を察したのか、ニコルは納得とばかりに引き下がりリターナ公爵に向けて自重を促す。
「兄上、諦めてくれ。余計な欲目はせっかく手に入れた心強い味方を失う事につながりかねないぞ」
「我らが弟は何を案じているのだろうね。ただの戯れ言だと先ほど言ったばかりだろう?」
「はいはい。この話はもうやめにしよう。両国間の協議も概ね合意に至ったようだし、俺もようやく肩の荷が下りたところなんだ。今さら揉め事はごめんだよ。それより――」
兄弟そろってこれ以上踏み込むべきではないと判断したらしく、ニコルが話題を変えると両公爵もそれ以上アルディスたちに誘いをかけてくることはなかった。
時間にして約三十分。
アルディスとリアナがリターナ公爵から勧誘を受けたこと以外には特段問題も発生せず、非公式の会談は終了した。
翌日、正式にウィステリア王国とカルヴス王国の同盟が締結される。
その公表はウィステリア王国の建国宣言と共に行われることが決定され、ようやくアルディスは役目を終えて帰途につくことができた。
2022/10/22 誤字修正 士官 → 仕官
※誤字報告ありがとうございます。