第341話
物資集積地を覆っていた火がようやく収まったのは、サンロジェル君主国の本陣が敵の奇襲を受けて半日ほど経ってからだった。
「見事にやられちまって、まあ」
無残にも焼け落ちた物資を見て回りながら銀髪の男はため息をつく。
その足で本陣へ戻ると臨時に張られた指揮官用の天幕へと入っていった。
天幕の中で待っていたのは銀髪男にとって長年の戦友であるふたりの男。
背中を斬られた細目の男は上半身を包帯に包まれた状態で簡易寝台に横たわり、もう一方の大柄な男はその傍らで椅子に座っていた。
大柄な男も断ち切られた右腕の治療を終えたらしく、三角巾でその腕を吊っている。
「被害状況はどうだった?」
銀髪の男は天幕に入るなり細目の男から問いかけを受けた。
「八割方焼けた。笑えねえ」
不本意な表情を隠しもせず銀髪の男は吐き捨てるように言った。
突然の奇襲と焼き討ちを受け後方の物資集積地は大きな損害を被っている。
人的被害こそ少ないものの、兵站の観点からは致命的と表現していいほどの大失態だった。
細目の男は苦そうな表情を浮かべると簡易寝台から身を起こそうとする。
「無理すんなよ。バッサリ背中斬られたんだから」
「そこまで深い傷じゃない。こんなときに指揮官が伏せっていられないだろう」
「まじめだねえ」
痛みに耐えながら細目の男が上半身を起こす。
その様子に呆れつつ銀髪の男は横に侍っている大柄な男に問いかけた。
「そっちは?」
「問題ない」
問いかけも端的なら答えも端的なものだった。
「油断した――ってわけじゃあないよな?」
「当然だ。だが向こうがこちらを上回る手練れだったということだろう」
遠慮のない銀髪男の問いかけに大柄な男は平然と答えてのけた。
そこに片腕を失ったことによる悲壮感は全く感じられない。
横から細目の男が自分たちを翻弄した敵について言及する。
「黒髪に藤色のローブ――あれが噂に聞いていた『千剣の魔術師』か……」
それは細目男の背を斬り、大柄な男の右腕をひと振りで落とした敵の異名である。
エルメニア帝国では多くの貴族にとっての仇として、旧ナグラス王国では教会から異端として追われた過去を持つ、いろいろな意味で有名な傭兵だ。
「なーにが『千剣の魔術師』だよ。あんな身のこなしをする魔術師がいてたまるかっての」
銀髪男が接触したのはほんの一瞬のことだったが、それでも彼の者が尋常ではない存在だということは感じ取れた。
「それには同意する。どう考えてもあれは最前線に立って戦う者の動きだった」
「おまけにあの飛剣、一本一本がまるで見えざる手で握られているかのように動いていた。どうりであの隊長が一騎討ちで敗れるわけだ」
大柄な男の同意に、実際に千剣の魔術師と剣を交えた細目男の言葉が続く。
ここで言う隊長とは彼らが初めてこの島へやって来たときに遠征部隊を指揮していた元上官のことである。
縁故や権力ではなく実力でその地位に上り詰めた元隊長は君主国軍でもその実力を知られた人間であった。
旧ナグラス王国との戦いにエルメニア帝国側の援軍として参加し、その中で多大な功績をあげた人物でありながら、残念なことに追撃戦の最中で返り討ちにあい戦死している。
その元隊長を討ち取ったのが当時王国軍に傭兵として雇われていた千剣の魔術師だったと今はわかっている。
こんなところまで来てまた俺たちを阻むのか、と銀髪男は千剣の魔術師に対して内心ぼやきながらも口に出しては別の話題に切り替える。
「ま、今回ばかりは総大将気取りだったあの子爵に感謝だよな。あいつが偉そうにふんぞり返ってたおかげで相手も勘違いしてくれたんだから」
「死んだ人間を悪く言うものではない」
銀髪男の言いようを細目の男が咎めるが、その口が閉じることはなかった。
「事実だろうが。たかが援軍の将だってのに、まるで自分の方が上の立場みたいな態度とりやがって。まあ、その結果真っ先に首を取られてりゃ世話ねえが」
帝国からの援軍を率いていたナントカ子爵の顔を思い起こして銀髪の男は鼻で笑う。
いまだに帝国は君主国の国力を見抜くことができず、対等な相手のつもりでいた。
そう誤解するよう君主国側が仕向けているのだから、それ自体はむしろ好都合なのだろう。
だが銀髪男は帝国の貴族が君主国を軽視する風潮が気に入らなかった。
それは援軍として送られてくる帝国軍の兵士たちにも散見され、指揮官である子爵にいたっては君主国軍の指揮権ですら自分の手にあると勘違いしているふしがあったのだ。
軍議の場においても図々しく上座を我が物とし、本来の最高指揮官である細目の男をまるで副官の様に侍らせる始末である。
しかし今回に限って言えばそれが君主国にとって幸運につながった。
多くの護衛に囲まれ上座へ当然の様に座っていれば敵からはそれが指揮官に見えるだろう。
実際、千剣の魔術師は細目の男に目もくれず、真っ先に子爵の首を取ったのだから。
もしその椅子に細目の男が座っていたら今頃は背中どころか首を斬られていたはずだ。
間一髪、救援が間に合ったのはひとえに子爵の傲慢があったからこそだった。
「帝国の援軍を粗雑に扱うわけにはいかないだろう」
「わっかんねえな。今じゃ帝国との戦力差はほとんど無いんだから、そこまでおもねる必要ねえじゃん」
「依然として我々の糧食は帝国から提供されているのだ。この地に根を下ろし、サンロジェル君主国としての統治を安定させるまでは敵対するわけにもいかない」
「めんどくせえ」
戦力的にはもはや帝国を凌駕しているにもかかわらず、下手に出ようとする細目男の考えが銀髪男にはいまいちわからなかった。
最後には面倒の一言で思考停止すると、ふてくされたような顔になる。
そんな銀髪男をよそに細目の男が静かに方針を示す。
「物資を焼き払われた以上、このまま攻城戦を続けるのは不可能だ。兵士たちを食べさせることが困難になる前に一旦引くべきだろう」
「承知しました。すぐに準備に取りかかります」
「こちらの撤退をついてカルヴス軍が追撃してくることもありうる。十分に注意を払うよう徹底してくれ」
生真面目に大柄な男がその指示を遂行しようと腰を上げるが、それを銀髪男は手で制す。
性格的に細々した段取りは苦手だが、この状況ではそうも言っていられない。
片や座っているのも辛そうな指揮官、もう一方は右腕を半ばから失って傷も癒えていない同僚だ。
「しゃあねえな。そのくらいの後始末は俺が引き受けてやるよ」
普段嫌なことをふたりへ押しつけている自覚のある銀髪男は仕方なくといった感じでそう宣言する。
「だから怪我人は怪我人らしく大人しく静養しとけ。お前もだよ」
大部分は細目の男に、最後の一言だけは大柄な男へ向けて釘を刺すと、ひとり天幕を後にして出て行った。
2024/03/07 誤字修正 細身男 → 細目男