第339話
カルヴスが敵の攻撃を受け防衛戦に入ったその頃、戦場から離れた森の中でその様子を窺う影があった。
アルディス、リアナ、そしてカルヴスの王弟ニコルの三人である。
「闇夜に乗じて空を飛び、敵の目から逃れて背後に回る。なんとまあ無茶苦茶なことで」
晴天の下、カルヴスへ全面攻勢をかける敵の姿を遠目に見ながら、ニコルが茶化すような口調でアルディスに話を振る。
「その無茶な話につきあう必要はないんだぞ。わざわざ王弟殿下に危険な裏方仕事をやってもらおうなんて誰も望んでない」
対するアルディスの答えはそっけない。
「うちの問題だってのに、お前さんたちだけに危ない橋は渡らせられないだろ」
「政治的配慮ってやつか?」
アルディスとリアナのふたりだけで敵の後方を撹乱し、大将首を討ち取る。それを提示したときの反応をアルディスは思い出す。
驚きや呆れが大半を占めていた一方でカルヴスの中には成功時の対外的な評判に懸念を持つ人間もいた。
策とも呼べない強引な方法だが、これが成功して敵の撃退に成功すればカルヴス軍の立つ瀬がない。
外聞を気に掛けている場合じゃないだろうとアルディスは思うが、それでも面子を大事にするのが王族や貴族というものなのかもしれない。
ウィステリア単独でこの役目を担わせるわけにはいかないと、カルヴス側からも人員同行の申し出があり、何の間違いか王族であるニコルがその役目を請け負うことになったようだ。
「まさか。むしろ俺はいなかったことにしてくれ。変に目立ちたくはない」
もっとも、役目を請け負ったのは本人の意向だというのだから、カルヴスでのニコルの立ち位置がいかに微妙か、そして本人がいかに神経を尖らせているかがわかるというものだった。
「面倒なんだな」
「面倒なんだよ」
そういった事情をひっくるめてアルディスとニコルは互いに『面倒』という一言に集約する。
「そういえばそっちの嬢ちゃん、魔法の実力は申し分ないんだろうけど戦場経験は大丈夫なのか?」
微妙な気分を払拭しようとしたのかニコルが話の向きを変える。
問われたアルディスも素直にそれに乗っかった。
「リアナか? そうだな、傭兵としてはまだまだ新米……といったところか」
グロクの防衛戦で何度か戦場へ出たことのあるリアナだったが、それはあくまでも安全な距離を取った上での援護や支援がほとんどだ。
正面から敵意にさらされたのは先日君主国軍を追い払った戦いが初めてであり、まして戦場の中へ直接身を置いたことはない。当然乱戦に巻き込まれたこともなかった。
魔術の実力はアルディスの知る限りこの世界では相当なものだろう。
しかし高度な魔術を使えることが直接強さにつながるわけではないのだ。
戦場での立ち回り方を知らないリアナはアルディスから見れば少し強い力を持っただけの新米と何ら変わりない。
「うーん……、お前さんが大丈夫と判断したんならそれだけの力は持っているんだろうけど。えーと……フィリアナって呼んだ方がいいのか?」
「はい。公式の場ではフィリアナとお呼びください、殿下」
自分に話を向けられたことに気づいたリアナがニコルへ答えを返す。
一見すました表情に見えるそれが、不機嫌さを隠すためのものだとわかるのは長年共にいたアルディスだからこそだった。
当然数日前に初めて会ったばかりのニコルにそれがわかるわけもない。
「わかった、そうしよう。ちなみに公式の場じゃなけりゃ俺のこともニコルでいいからな。口調も崩してかまわんぞ」
「もともとこういう口調ですので」
だからリアナの反応に対するニコルの感想は少しずれたものになる。
「口調が違ってもそっけないところはお前さんそっくりだな」
肯定も否定もせずアルディスは小さく苦笑した。
アルディスたち三人の主目的は敵本陣への奇襲だが、同時に後方を撹乱する意図もある。
敵の数はカルヴスの約三倍。
確かに数は脅威だ。
しかしそれは逆の見方をすれば兵站の維持に相当な負担がかかるという意味でもある。
現地徴発にも限度があり、小さな村をいくつか襲っただけでは一万人以上の兵士を養うことはできない。
後方から大量に運び込まれた物資は今のところ兵士たちの腹を満たしているが、裏を返せばそれは敵軍のアキレス腱とも言えた。
もちろん敵もそれは十分承知しているはずだ。
しかし都市全体を包囲され、近隣からの援軍も期待できないカルヴスに打って出て後方を脅かす力があるとは普通考えない。
ましてや片手の指が余るほどの少数でそれを行おうなどと、まともな人間が耳にすれば失笑するだけだろう。
「同時にあの自動詠唱機とやらも破壊しておきたいもんだが」
「あれはやっかいだからな。レイティンのときみたいに夜を通して攻撃されたんじゃたまったものじゃないだろう」
かつてレイティンが攻められたとき、夜通し君主国からの魔法攻撃が放たれていたことをアルディスは思い出す。
当時は魔術師を酷使しているという見方が強かったが、それが自動詠唱機という兵器によるものだということは今や周知の事実となっている。
都市に籠もって守る側からすればやっかいなことこの上ない存在だ。
「ほとんどは攻め手の部隊に配置されているだろうが、兵器なら整備や補修が必要だろうし、そのために後方へ下げているものもあるだろう。補給物資のついでにそれも壊しておきたいな」
「まず補給物資の集積地を焼き払う。そのとき自動詠唱機を見かけたら確実に破壊しておこう。これは俺とリアナが請け負う。ニコルはその間、敵を防ぐことに専念してくれればいい」
「わかった」
「わかりました」
「おそらく敵の本隊が兵を割いて迎撃に出てくるだろう。そのタイミングで混乱に乗じて敵指揮官のいる本陣へ突っ込む。敵の抵抗が激しい場合は安全を優先して退いて構わない。糧食さえ焼けば一時的に攻勢を止めることはできるし、最悪敵陣には俺ひとりで突っ込む」
「……なんだかんだ言ってお前さんのそばが一番安全な気がするけどな」
「私はアルディスから離れるつもりはありません」
勝手に結論を出すアルディスにニコルとリアナのふたりは迂遠な表現で拒否の意志を示した。
「まあ……気負いすぎるなよ。失敗しても後がなくなるわけじゃない。多少面子がつぶれるだけだ」
「その点に関しては同感だな。兄貴たちも大して期待してなかったから、そこは気にしないでいいだろう」
「足手まといにならないよう頑張ります」
ふたりの返事を聞きながらアルディスはちらりと戦場の方へと目をやった。
「そろそろいい頃合いだ。俺が魔術で火を放ったらすぐに走れ。さっさと終わらせよう」
言い終わるやいなや、アルディスは視線の先にある敵軍の補給物資集積地へ向けて魔術で炎を放つ。
火矢に見立てた炎の矢を数百、自分たちが潜んでいる場所とは別の方向から来たように見せかけて集積地に飛ばした。
ぱっと見た限りでは伏兵が火矢を放ったように見えるだろう。
突然の襲撃に敵の集積地が騒然となる。
炎は確実に積み上げられた物資へと到達し、またたく間にあちこちで火の手が上がりはじめた。
「上手いこと誘導できてるな」
ニコルの言う通り敵兵は火矢の飛んできた方向を警戒し、防御態勢を整えつつある。
当然アルディスたちが実際に潜んでいる森の方向は無防備だ。
「行くぞ」
アルディスが先頭を切って森から飛び出すと、後ろから付き従うようにふたりが続いた。
集積地までの距離が半分を切ったあたりで敵兵の動きに変化が現れる。
「気付かれたぞ!」
「リアナ、目くらまし!」
「はい!」
ニコルが敵の動きにいち早く気付き、次いでアルディスがリアナに指示を出しながら巨大な炎の球体を集積地へ放つ。
一瞬遅れてリアナの魔術が発動し集積地全体が薄い煙に包まれた。
全く見通しが利かないといったほどではないが、少なくとも敵の連係を阻害するだけの効果はあるだろう。
「敵襲! 敵襲!」
「火を消せ!」
「本陣へ伝令を!」
三人が集積地へと飛び込むと敵兵の混乱が声だけでも伝わってきた。
アルディスはふたりの位置を常に確認しながら目に入った物資を焼き払っていく。
炎に包まれた物資がさらに場を混沌とさせる中、ニコルののんきな口調が聞こえてきた。
「お、あったあった」
見つけた自動詠唱機に近付くと、ニコルは機構の繊細な部分へとあたりをつけて器用に剣先で砕いていく。
その傍らではリアナが飼い葉と思しき藁の山を焼いていた。
時間にすればわずかなもの。
だが火を放っているのは一般的な兵士ではなく、無詠唱で複数の魔術を同時に操るアルディスとリアナのふたりだ。
同時に数十の火種を生み出し、それを狙った場所へ確実に飛ばし続けるふたりにかかれば一万四千人を支える巨大な物資集積地もあっという間に赤く染まってしまう。
「アルディス、近づいて来ています」
「ああ。七、八百といったところか」
破壊活動を行いながらも魔力探査で周囲を警戒していたふたりは、敵本陣の方向からやって来る多数の魔力反応を感じていた。
本隊の一部を割いた援軍だろう。
「ニコル、頃合いだ。敵の援軍が来ている」
「あいよ」
混乱の度合いが増し続ける集積地を離れた三人は敵本陣からの援軍が到着するのと入れ替わりでその場を脱出する。
「目くらましを強めておきます」
「目一杯やってやれ」
到着した援軍が身動きできないよう、また集積地の消火が滞るようリアナが置き土産とばかりに煙を濃くした。
その効果があったのか、集積地を出たアルディスたちの後方から剣撃の音が響いてきた。
見通しが悪いために同士討ちが発生しているのだろう。
この場に自分たち以外の味方がいないとわかっているアルディスにはすぐさまそれがわかったが、視界の悪い中で敵襲を受けていると思い込んでいる敵にそれを理解しろというのは無理な話である。
後方の混乱をよそにアルディスたち三人は敵の本陣に向けて駆け出していた。