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千剣の魔術師と呼ばれた剣士  作者: 高光晶
第二十章 染め上げる戦火 後編
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第336話

 アルディスたちがカルヴスへ入城してから二日後。

 ニコルの予想通り丘の上に布陣していた敵が動きはじめた。


 その数はおよそ五千。カルヴスを落とすのに十分な数とはいえないが、もともとカルヴス軍をとどめ置いて行動の自由を妨げるのが目的なのだろう。


 実際、本拠地のすぐそばに五千もの敵が居座っている状態ではカルヴスの軍も安易に動けない。

 いまだ抵抗を続ける連合内の都市国家へ救援を送ろうにも身動き取れないのが実情だった。


 一方の敵とすればカルヴスの動きを封じているだけでも十分に役目を果たしていることになる。

 ついでにときおり嫌がらせのように攻める気配を見せれば、それだけでカルヴスに精神的損害を与えられるのだ。


 カルヴスとしては敵の動きがただの欺瞞ぎまんとわかっていても対応せざるを得ない。

 ほとんどの場合は単なる嫌がらせに留まっているが、これまでにも二度、敵が本当の攻勢に出てきたこともある。

 気を抜いたあげく深刻な損害や都市への侵入を許すわけにはいかなかった。


「敵は帝国ではなく海の向こうから渡ってきたサンロジェル君主国の軍だ。どんな手を使ってくるかわからないから油断はするなよ。障壁は常に展開しておけ」


 丘を下りて至近の距離に布陣した敵を都市外壁の上から見下ろした後、アルディスは心配そうな面持おももちでリアナへと注意をうながす。


「はい。障壁は解かないよう細心の注意を払います」


「無理だと思ったらすぐに降りてこい。もとは俺がニコルに頼まれた件だ」


「大丈夫ですよ。こちらの手の内が知られているわけでもありませんし。アルディスは心配しすぎです。もう少し私たちのことを信じてください」


「む……」


 過保護な親のようだと暗に言われ、気まずさを感じたアルディスが口を閉じる。


「それでは行ってきます」


 それでもなお心配そうな表情を見せるアルディスをその場に残し、リアナは不可視の足場を階段のように作り出すと跳ねるように宙を駆け上がっていく。

 見たことのない光景に外壁の上へ展開するカルヴス軍の兵士たちから驚嘆の声がもれた。


「これだけ昇れば向こうからも見えますかね?」


 百段ほどの足場を経て上空へその身をさらすと、リアナは前方に展開する敵を見渡す。


「あ、気付いたみたいですね」


 それまで整然としていた敵陣の一部で慌ただしく走っている人間が数名見えた。


「じゃあ、さっそくはじめましょうか」


 リアナは魔術で自らの声を拡大する。


「君主国の皆さん、こんにちは」


 普段と同じように発した声が周囲一帯に響きわたった。

 問題なく敵陣にも届いたようで、突然の出来事に整列していた敵兵たちがざわついている。


 驚きは味方であるカルヴスの兵士たちも同様のようだ。

 落ち着いているのはアルディスとキリルくらいのものだろう。


 音や声が空気の振動によって伝わっているとネーレに教わるまで、リアナも魔術でこのような芸当ができるとは思いもしなかった。

 だがことわりさえわかってしまえば、あとはそれを魔力によってどう実現するかだけである。

 アルディスの魔術をそばで見続け、ネーレの手ほどきを受けたリアナたちにとってはこの魔術も取るに足らないものと言えた。


 ざわつきのやまない敵陣の事情などお構いなしにリアナは続ける。


「私の名は()()()()()。訳あってカルヴス防衛のお手伝いをしています」


 アルディスが困惑してリアナを見上げたのがわかった。

 その様子がリアナには少しだけおかしくて、頬が緩んでしまう。


 とはいえアルディスへの説明は後である。

 今はやるべき事をやらなければならない。


 フィリアナと名乗ったリアナは遠目にもそれとわかるよう、あえて大げさな身振りで右腕を左から右へ一直線に振り払う。

 同時に魔術を行使して敵陣とカルヴスのちょうど真ん中あたりに線を引く。


 線と言っても絵の具で描かれたわけではない。魔術で作り出した衝撃波を切れ目なく地面に叩きつけ、その威力で土を膝下ほどの深さまで掘り込んだのだ。

 攻撃のために放ったわけではないが、もし人間の身体に命中すれば間違いなく骨ごと断ち切られるであろう威力はあるはずだ。


 それが敵の布陣と同じ横幅で一瞬のうちに刻まれる。

 理解不能な力によって眼前に現れた状況に、敵兵士の一部が動揺を見せていた。


「その線を越えた場合、命の保証はいたしません。命を惜しいと思うのであればその一線を踏み越えることのないよう、忠告いたします」


 もちろんリアナもそれが無意味な忠告であることは理解している。


 相手は戦争を仕掛けてきた敵の軍なのだ。

 むしろリアナの言葉を挑発と受け取るだろう。


 案の定、敵は少しずつ陣を変形させ、攻城に移る気配を見せた。

 そしておもむろに盾を構えた最前列の重装歩兵がこちらに向かって動きはじめる。

 軍全体として向かってくるつもりなのは明らかだった。


「最終警告です。その線を越えれば容赦はしません。敵対者として全力で排除します。繰り返します。これが最終警告です」


 そう口にしながらも、敵は決して止まらないだろうと考えてリアナは目を閉じる。


 相手は獣の集団でもなければまとまりの欠けた烏合うごうの衆でもない。

 指揮官によって統率され、軍紀によって規律を保たれた組織である。

 得体が知れないとはいえ、たかが小娘ひとりの警告できびすを返して逃げ出すわけがないのだ。


 敵は粛々と歩みを進め、その先頭がとうとうリアナの引いた線を越えた。

 まだ矢や通常の攻撃魔法が届く距離ではない。

 だからこそ敵もまだ突撃はせず悠々と距離を詰めている。


 しかし――。


「警告は……しましたよ」


 魔法を理解し魔術を操るリアナにとっての射程距離は、通常の魔術師とは違う。


 敵の指揮官は理解していないのだろうか。

 既にリアナは線を引くために魔術を見せている。

 線を引いた位置とはつまりリアナにとっての射程距離でもあるのだ。

 それがわかってないからこそ、無防備に線を越えることがすなわち自殺行為だということに考えが及ばないのだろう。


 リアナは魔術による拡声をやめると、自らの頭上へ七色に輝く球体を生み出す。


 太陽光を反射して神秘的に輝く球体の表面が次第に波打つと、その凹凸が激しさを増した。

 大きく突き出た波のひとつが細長く伸び、やがて姿を変えて光の矢となった。


 生み出された光の矢が次々とリアナの元を去り、その切っ先を敵兵に向けて飛んでいく。

 最初の数人は防御態勢をとる間もなく光の矢に貫かれて絶命した。

 十名以上が倒されてからようやく敵は自分たちが攻撃を受けていることに気付いたらしい。


 最前線に立つ重装歩兵が盾を構えて光の矢を防ごうとするが、それが無意味なことはリアナ自身がよく知っている。

 通常の魔法であればそれで防げる可能性があっただろう。

 しかしリアナが使っているのは攻撃魔法『虹色の弓リテ・キュオール・ロ・ベルネ』に見せかけただけの、似て非なるものである。


 虹色の弓リテ・キュオール・ロ・ベルネから放たれる光の矢が直進していくのに対し、『虹色の弓リテ・キュオール・ロ・ベルネもどき』であるリアナの魔術は一本一本の矢が術者の意志によって自在に軌道を変える。

 その矢は不自然な軌道をたどって鎧の隙間へと潜り込み、敵が盾を構えればそれを迂回して横から襲いかかった。


 不幸な犠牲者を出しながらも敵軍全体はそれでも足を止めない。

 全軍五千のうち数十名。

 数字にすればわずかな被害であるが、それがただの始まりでしかないことを敵の指揮官はこれから思い知るだろう。


「ごめんなさい。でも、だからといって負けてあげるわけにはいきません」


 誰に届くでもない言葉を口にして、リアナは攻撃の方法を変える。


 既に敵軍はその半数が線を越えて来ている。

 威嚇のような攻撃ではもう止まらないだろう。


 リアナは大気の流れを魔術で操りながら、同時に空気中の水分を固めて鋭利な氷の刃を無数に作り出す。

 空気の圧力を意図的に変え、周囲から風を呼び込む。

 次第に強さを増す風が敵兵士の足を止めた。

 風が集まる中心地は敵陣の真っ只中。


 さらに風が強くなる。

 軽装の敵兵は足取りがおぼつかない様子で、ふらついている者が増えていく。


 風を巻く。

 周囲から呼び込まれ、敵陣の真ん中で巻いた風は大きな渦となり空へと昇っていった。


 大きな流れを保ちながら、リアナはその中へ小さな乱流をいくつも生み出す。

 そこへ投入するのは鋭く尖った氷の刃。

 風によって運ばれた無数の刃が乱流によって舞いながら敵兵を無差別に斬りつけていった。


 血飛沫が上がり、それが風に乗って上空へと巻き上げられる。

 次第に風の渦が血の色に染まりはじめ、時間とともにその色を濃くしていく。


 それはつまり、渦の中にいる敵兵の血が流されているということに他ならない。

 風の音に遮られ、リアナの元へ敵兵の絶叫が聞こえてくることはないが、確実に赤く染まっていく風の渦は彼女自身が呼び起こした現実を否応なく突きつける。


 敵にとっては地獄としか言いようのない光景だっただろう。

 しかしそれもようやく終わりを迎える。


 視覚的な衝撃も強かったに違いない。リアナの引いた線をまだ踏み越えていなかったおかげで、血の嵐に巻き込まれずにいた敵の後方部隊が撤退を開始したのだ。


「もっと早く撤退してくれれば良かったのに……」


 敵の撤退開始を確認してリアナは魔術を解く。


 巻き込まれた敵の中にもまだ生きている人間はいるだろう。

 さすがにリアナも負傷して逃げだそうとしている人間に攻撃を加えるつもりはなかった。


 そんなことをせずとも相手はもはや再起不能なほどの損害を被っている。

 加えて心理的なダメージも大きいはずだ。


 撤退していった敵を見届け、リアナは改めて戦場跡を見渡す。

 ほんのわずかな時間で血に染まった大地と、取り残された敵兵の死体がたくさん目に映った。


 言いようのない気持ち悪さと罪悪感。

 自分で選んだ道であり、自分で請け負った働きの結果がこの赤い大地である。


 それでもリアナは覚悟を決めて選んだのだ。

 たとえ後悔しても、たとえ誰かから恨まれたとしても、自分の持てる力をすべて使ってアルディスのとなりを歩き続けると。


 そのためには――その資格を得るためには避けて通れない光景が今こうして眼下に広がっている。

 自分が手にかけた死者へわずかばかりの黙祷もくとうを捧げると、リアナはアルディスの待つ外壁上へと降りて行く。


 待っていたアルディスの前に立ち、少し気まずそうに上目づかいで様子を窺う。


 もともとアルディスはリアナたちが戦場へ立つことに反対していた。

 無理を言ってを押し通したのはリアナたちの方である。

 だからこそアルディスが納得するだけの力と成果を見せなければならない。


 その一方で自分が戦う理由は、ただアルディスのそばに居たいだけというどこまでも身勝手な浅ましさに他ならない。

 浅ましいこの考えが見透かされていないか。自分の迷いが見抜かれているのではないか。

 そんな怖れが勝利を喜びに結びつけられない、どこかアルディスの顔色を窺うような態度につながっていた。


 アルディスがリアナとの距離を詰める。

 互いに手の届くところまで近付くと、アルディスはリアナの身体をそっと抱き寄せて両腕で包んだ。


「頑張りすぎる必要はない。無理に自分を追い込むな」


 リアナの身体が一瞬(こわ)ばる。


「少しずつでいいんだ」


 言い聞かせるような、それでいて労るようなアルディスの言葉。その言葉がどこかリアナを追い立てていた焦燥感をほぐしてくれる。


 やっぱり、とリアナは思った。


 自分やフィリアの考えなどアルディスはすっかりお見通しなのだろう。

 戦う事への迷いも、それがもたらす恐怖も、それでも戦う事を選んだ浅ましさや追い詰められたような焦りも。

 アルディスはわかっていてリアナたちの意志を尊重してくれているのだ。


「アルディス……」


 ただひと言その名をつぶやき、リアナはアルディスの胸に身を傾ける。

 温かい両腕がしっかりと自分の身体を包み込み、リアナはり所なく揺れていた自分の心が落ち着いていくのを自覚する。

 ぎ慣れた匂いに包まれながら、力を抜くと絶対的な安心感と共にその身をゆだねた。


 それだけで、すべてがむくわれる気がした。


2022/07/17 誤字修正 サンロジェル共和国 → サンロジェル君主国

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