第331話
アルディスがトリア王を討ち取ってから十日ほどが経っていた。
「『賽の目はそれが止まる瞬間までわからない』とか得意げに言ってたのはジョアンだったか?」
「どうしたのアル?」
「この結果を予想して賽を振ったわけじゃないんだがなあ」
攻略したトリア城の一室で、座り心地の良い椅子に腰掛けたアルディスが想定外の結末に首を傾げる。
もともとトリアの城を落とそうと考えたのは、動かなければジリ貧になるのがわかっていた以上、潮目を変える必要を感じたからだ。
トリアを勢力下に収めることができずとも、ロブレス同盟の懐に混乱の種を蒔いて時間稼ぎになるのならそれで十分だと思っていた。
ところがいざ結果が出てみると、それはアルディスが予想していたよりも随分と都合の良い話になってしまっている。
「ボクらにとってはいいことじゃないか」
「それについては否定しないが……」
アルディスが釈然としない様子であるのは、あまりにもトリアの統治が順調すぎるからである。
いくらトリア王の首を取り、同時に圧倒的な力を見せたところで普通はそれで小なりとはいえ一国が簡単に屈服するわけもない。
通常なら旧統治者たちの抵抗や新たな支配者に対する民衆の反発があるため治安の回復をするだけでも一苦労となるはずだ。
しかしそうはならなかった。
その一番の理由はトリア攻略の報を受けてムーアと共にグロクからやって来たミネルヴァの存在だろう。
トリアは今でこそ王国を名乗っているが、かつてはナグラス王国を構成する領土の一部でしかなかった。
帝国との戦いに乗じてトリア侯爵が独立を宣言してからまだ一年も経っていないのだ。
しかもナグラス王国に反旗を翻したとはいってもトリアが戦場になったわけでもない。
結果、いまだに自分たちの住む町が侯爵領から独立した王国になったと実感できていない者も多いようだった。
そこへやって来たのがナグラス王家の血を引き、王位継承権まで持つニレステリア公爵家令嬢ミネルヴァである。
王族のことごとくが処刑され嫡流が途絶えた今、ナグラス王国の正統後継を主張するのになんの不足もなかった。
端的に言えばトリア王国の民として愛国心が育ちきる前にナグラス王国への帰属意識が上回ったということだろう。
かつてトリアが独立した都市国家であったのはコーサス王朝が栄えていた数百年前のこと。
今を生きる人々は生まれたときからナグラス王国の民であったのだから、その意識が数ヶ月程度ですぐに変わるわけもない。
これが三十年後、五十年後であれば話は違ったはずだが、実際にアルディスが拍子抜けするほどトリア王国の人々はミネルヴァの存在をすんなりと受け入れた。
もちろんミネルヴァの存在だけがすべてではない。
トリアはそれまで堅実な治世を保っていたが、王国となって以降とたんに足もとをおろそかにした政策が目立つようになり、すでに求心力を失いつつあったこと。
グロクへの出兵で大損害を出したことにより、トリア王国上層部に対する軍の忠誠心が揺らいでいたことも要因のひとつとしてある。
また、アルディスがあまりにあっけなく城を落としてしまったため、住民たちも自分の町が戦いの舞台になったとは知らない者が多かったことも混乱を避けられた一因だった。
誰が使っていたのか分からないが、素朴ながらも質の良い執務机でアルディスは頬杖をつく。
来客用ソファーで横になってくつろぐロナが大きなあくびをしたとき、部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「入っていいぞ」
アルディスの返事を待って扉が開く。
「あ、あの……、カイル様から午後の会議を開始しゅるとご連絡がありました」
入ってくるなり緊張の面持ちで口を開いたのはひとりの少女である。
フィリアやリアナよりも年若いその人物はアルディスが城に攻め入った際、たまたま通路で出くわした使用人のひとりだった。
どうやらあまり要領のいい人物ではないらしく、アルディスに関わる用事を周囲の人間からよく押しつけられているようだ。
城に攻め込んだ際、使用人や無抵抗な者に対しては一切手を出していないが、それでも単独でトリア軍を屈服させたアルディスと見た目だけは獰猛な肉食獣に見えるロナを恐れる者は多い。
そんなアルディスに近付きたくない使用人たちは哀れな犠牲者としてこの少女を選んだのだろう。
アルディスにしてみれば城に長居するつもりもないので、誰が伝言を持ってこようが構わない。
変な敵意を向けてくる相手よりもむしろ緊張のあまり言葉を噛んだり、お茶を盛大にこぼすくらいは笑って許せる話である。
どうやらこの娘、かなりおっちょこちょいな性格らしかった。
「また噛んだ」
「開始するとご連絡がありました!」
容赦ないロナのつっこみに少女は取り繕うように言い直す。
「わかった。場所は昨日と同じだよな?」
「え……? た、多分……」
アルディスの問いかけに不安そうな答えを返すと、少女は見るからに狼狽する。
「あー、確認に戻る必要はないから。ムーアがいるなら場所はすぐわかる」
慌てて回れ右しそうになる少女を止めると、アルディスは腰を上げた。
会議となればどうせムーアも出席するのだろう。
ならばムーアの居場所を魔力探査で見つけてそこへ移動すればいい、アルディスはそう結論付ける。
「行くぞ、ロナ」
「えー。ボクも?」
「お前、当事者だろうが」
「ボク、獣だからわかんなーい」
「そんな言い訳が内輪で通用するわけないだろう。さっさと立て」
しぶるロナの頭を片手でガシガシと掻き回すと、アルディスは部屋を出てムーアの居場所を捜しはじめた。
全員の入室を待って開かれた会議はいつも通り現状報告からはじまった。
「城の人間も軍も半分近くはこちらに協力的です。トリア王は随分と人望がなかったみたいですね」
そう報告するのはカイルという名の文官だ。
アルディスもずいぶん前にナグラス王国から受けた依頼で同行者として会ったことがある男だった。
今回、正統な継承権を持つミネルヴァが表舞台に立ったことで寄る辺を見失っていた旧ナグラス王国の人材が続々と集まって来ている。
かつてムーアの部下であったカイルもそのひとりだった。
代々のトリア侯が政の場として使っていた大部屋で長机を囲むのはアルディス、ムーア、ミネルヴァと他十名の関係者。
最上位の上座にミネルヴァの姿があり、その右手にムーア、左手にはカイルが座っていた。
会議の出席者はアルディスにとってもなじみ深いグロクの人間が大部分を占める。見慣れない顔はわずかに四人ばかりだ。
いずれもトリア王政下では非主流の人材で、閑職に追いやられていたり、あるいはトリア独立の際に暇乞いをして野に下っていた者たちだった。
「人死にが少なかったのも良い方へ働いたんだろう。どこぞの誰かさんが単身で城を落とすとかいう無謀なことをしてくれたおかげだ。巻き添えを食らった使用人はいないし、兵士の方も死者はほとんどいない。仇だ何だと余計な恨みを買っていないのも大きいだろうな」
カイルの報告を受けてムーアがアルディスをからかう。
「単身じゃなくて俺とロナで、だ」
「大して変わらんだろうが」
アルディスが訂正するも、ムーアは笑うばかりである。
「反抗勢力も組織だったものはあらかた片付きました。アルディスさんのご協力あってのことです」
カイルの言う通り、反抗する勢力の対処にはアルディスも積極的に協力している。
町全体に抵抗されればとても手が回らないが、当初の想定よりもはるかにその数は少なかった。
一番大きな抵抗勢力だったのは将軍の率いる旧トリア軍の一派だった。
将軍というのはアルディスがトリア王を討ち取ったとき、王のそばにいた初老の男である。
ロナに吹き飛ばされ、意識を失ったまま牢に入れられた将軍は目を覚まして状況を知るなり、さっそく不平分子を糾合しようとあちこちへ手を回しはじめたため、彼の指示を受けて動いていた部下もろとも先手を打って処断した。
トリア王と一緒に隠れていたもうひとりの老文官は宰相を務めていた男だった。
処遇を決めるまで幽閉することになっていたのだが、名をコスタスというこの老人、無謀にも移送中に逃亡を図った。
当然そのような突発的な逃亡が成功するわけもなく、周囲の兵士たちが取り押さえる最中、不幸にも頭を打って命を落としたらしい。
将軍の企てを未然に防止した結果、アルディスたちに反抗する勢力はいずれも小規模なものに留まり、結果として旧トリア勢力からの権力移行は順調に進んでいた。
「次の議題は新しい国の名称についてですが……」
「国の名前? ナグラス王国じゃないのか?」
カイルの言葉に出席者から疑問の声が上がると、代わりにミネルヴァが答えた。
「もちろんそれも候補のひとつです。ナグラス王国の再興を掲げることで得るものはいろいろとあります。旧領回復の大義名分、王統の主張、旧王国の人材を招聘するにもナグラス王国の名は有効でしょう。ただ、先のことを考えると良いことばかりでもないですから」
補足するようにカイルが話を続ける。
「今の状況でこのようなことを話すのは皮算用が過ぎると言われるかもしれませんが、我々が旧ナグラス王国の領土を回復した後どうなるか考えてみてください」
「あー。大した抵抗もせず帝国に降った日和見領主たちが図々しく既得権を主張する未来が見えるな」
少々うんざりした様子でムーアが納得する。
『ここは自分たちが陛下から賜った土地だ。民を守るため涙を呑んで帝国に降ったが、ナグラス王国が再興した以上は本流に戻るのだから以前と同じように領地も我々が統治するべきだ』
こういったことを口にする厚顔無恥な貴族は間違いなくいるだろう。
他人には犠牲を強いておいて自分たちは労せず地位と領地を保とうなどという考えは、実際戦いに身をおいた者からすれば許容できないだろう。
再起不能になるまで帝国へ抵抗しろとまでは言わないが、領主としての義務をおろそかにして権利だけを主張されたのではたまらない。
「そのような言い分、聞く耳を持つ必要がありますか?」
「まあ、そんな虫のいい話を許したくはないがな。ただ、聞く聞かないは関係なくそういう輩は大勢出てくるぞ」
出席者からの指摘にムーアは同意しつつも面倒くさそうに答える。
「まして帝国との戦争で直系の血筋が途絶えていたり、後継者があいまいなままになっている家の場合、『自分がこの家の相続権を持つ者だ』と僭称する人間も湧いて出てくるだろう」
そんなムーアの言葉に別の出席者が不機嫌に言い放つ。
「どうせ貴族の大半は特権だけ享受して民衆から搾取することしか考えていない連中ばかりだ。この際役に立たない家はまとめて取り潰して構わないだろう」
ナグラス王国を名乗るのであればそれもなかなか難しいが、新たな国を興すのであれば既得権の主張など一切合切無視してしまえば良い。
「しかし……。国の名を変える、ですか……」
「民衆が納得しますかな? 彼らが我々に協力的なのはニレステリア公爵令嬢が正統なナグラス王国の継承者であればこそのことです。わざわざその正統性を自分から捨てるというのはいかがなものかと」
「正式な後継国家であることが明確なら名称にそこまでこだわらないのでは?」
「いや、それはおかしい。ナグラス王国への帰属意識があるからこそ、こうして我々に対する反発が少ないのではないか」
「そこのところが良くわからんですな。どうもトリアの民は我々のことを『ウィステリア軍』などという名で呼んでいるようですし」
様々な意見が出てくる中、出席者のひとりが口にした話に周囲の人間は疑問の表情を浮かべた。
「なんだそれは?」
「ご存じないのですか? 市井ではもっぱらそのような話になっているようですぞ。『ウィステリアの軍がトリアの軍を打ち破って王城を制圧したらしい』という風に」
「ウィステリア……?」
口にした本人以外が互いの顔を見あわせて首を傾げる中、アルディスの足もとに座っていたロナが呆れ顔を向けてくる。
「アル?」
そんなロナの声を耳にして、ムーアとミネルヴァの視線がアルディスに向けられた。
つられて他の出席者たちもアルディスへ目を向ける。
期せずして会議出席者から注目を浴びることになったアルディスの目が盛大に泳ぐ。
あの時点ではどういう結果になるかわからなかったため、巻き込まないようにという配慮でグロクの名を伏せたアルディスだったが、実際のところは久しぶりの城攻めという状況に少しだけ気が昂ぶっていたというのも否定はできない。
つい郷愁めいた感覚からウィステリアの名を口にしたが、その名前がひとり歩きすることを想定できなかったのは完全にアルディスの落ち度であった。
「国の名前はどうでもいいが、教会への対応についてだけは譲らないぞ」
自分へ集中する視線に耐えきれなくなったアルディスが懸念事項のひとつを口にする。
「あ、話をそらした」
足もとでこちらをからかうようにつぶやくロナを無視すると、アルディスは出席者――特にトリア出身者の四人に向けて釘を刺す。
「エルマーの教えに基づいた新しい教会を建てること。それに対して妨害行為や誹謗中傷、排斥を許さないこと。これだけは絶対だ」
当然ながらトリアにも教会はある。
それも双子を忌み子とする教義が伝わる、アルディスにとっても天敵のような存在だ。
本心で言えば力尽くで追い出すなり、現教会の活動自体を禁止してしまいたいところだが、それでは身勝手な教義をもとにアルディスを異端認定したグランの教会と何ら変わりない。
トリアの住民にとっても突然これまでの教会が追い出され、今までと違う教義を携えた教会がやってきても混乱するだろう。
だから最低限の妥協として相互不干渉を求めるのだ。
新しく作る教会にはエルマーの薫陶を受けた聖職者だけを迎え入れる。
その上でエルマーの調査研究結果を開示して現在の教義が本来のものから変質していることを訴え、少しずつ理解者と賛同者を増やしていく。
グロクの町以上に時間と根気のいる試みだが、アルディスもそれに協力を惜しむつもりはなかった。
このことについてはすでにムーアやミネルヴァ、エルマーやセーラの同意も得ている。
カノービス山脈の麓にある隠れ里。
女神を信奉しながらも双子が安心して暮らせるあの里のような場所が増えていくこと、それがアルディスにとっての望みだった。
「もちろんです」
アルディスに答えたのはトリア出身者の四人ではなく、この場における最上位者ミネルヴァであった。
「今日の私たちがあるのはアルディス卿のお力添えあってのことです。私は忘恩の徒になるつもりはありません。受けたご恩には必ず報います。ですから教会の件については必ずお約束を果たすと明言いたします。他の皆様方もこの件については全面的にアルディス卿へ一任されていること、ゆめゆめお忘れなきよう」
凛として言い渡すミネルヴァの佇まいには人の上に立つ者の風格が備わっていた。
それが高貴な出自ゆえ生まれながらにして身についたものなのか、それとも令嬢教育の中で培われたものなのかはわからない。
ただその表向きの表情とは裏腹に、アルディスは自分へ向けられた菖蒲色の瞳がこう言っているように感じられた。
『ウィステリアの件、後でしっかりと話を聞かせてもらいますよ、師匠』
2022/05/01 誤字修正 違いの顔 → 互いの顔
2022/05/01 ルビ誤り修正 翻(ひるがえした → 翻した
※誤字報告ありがとうございます。