第330話
トリア城の内庭で待ち受けていた敵を蹴散らしたアルディスとロナは正面から城の中へ入り込むと、ときおり遭遇する兵士との戦闘を重ねつつ奥へ奥へと足を進めていく。
城内に残っている敵は少ない。
出撃可能な部隊はほとんどが内庭と城門の外にいたのだろう。
周囲の魔力を探ってみても、見つかるのは弱い反応ばかり。
大半はアルディスの障害にもならない一般の兵士か、そうでなければ非戦闘員の使用人だった。
別にそれは問題ない。
アルディスとしても向こうから攻撃してくるなら撃退するだけだが、使用人についてはどうこうするつもりもなかった。
むしろ邪魔だから城の外に避難してもらった方がいいくらいだ。
無抵抗の人間を追いかけ回して悦に浸るほどアルディスも性格は歪んでいない。
「上と下、どっちだろうな?」
「上じゃない? 権力者って高いところが好きでしょ?」
「トリア王がそれなりの実力者ならもっと楽に見つけられるんだが」
かつてネーレがトリア王――当時のトリア侯を『知性のない下劣で貪欲な豚』と評した。
その言葉からは個人戦闘能力において取るに足らぬ存在であることが読み取れる。
おそらくアルディスが捉えている数々の魔力反応。
大半が兵士や使用人たちであるその中にトリア王その人もまぎれているのだろう。
仕方なくアルディスたちは城の上層に向かって進みながらひとつずつ魔力反応のある部屋を確認し、可能性を潰していく。
当然大半は戦いから逃れようと隠れ潜んでいる使用人たちばかりだ。
「逃げも隠れもしてるね」
確認した部屋の数が三十を超えたあたりでロナがうんざりといった声色で敵を貶める。
「この状況で自ら矢面に立とうなんて王族、今時いやしないだろうさ」
「グロクにはいるじゃない。積極的に陣頭へ立とうとする菖蒲色髪の弟子が」
「ミネルヴァは王族じゃなくて公爵令嬢だ。それも元がつく」
「王位継承権を持ってるなら半分王族みたいなものじゃないの?」
「俺がそんなこと詳しく知ってるわけないだろ」
とても敵地の真っ只中とは思えないのんきな会話を終わらせたのはロナの方である。
「ま、そんなことよりさ」
通路を歩いていたロナが立ち止まった。
「ここの反応、怪しくない?」
その顔が向いているのは扉もついていないただの壁。
壁の向こう側には人間と思われる魔力反応が三つ確認できた。
怪しいのはその空間の位置と構造である。
端的に言えば入口が見当たらない。
通路から入るための扉がないのは当然のこと、アルディスが前後の部屋を覗いて確認してみてもこの壁の向こうへ続く扉は見当たらなかった。
もしかしたら上層あるいは下層の部屋から階段がつながっているのかもしれないが、普通はそのような奇妙な作りにはならない。
隣り合った通路や部屋からの出入口がないということには、何かを隠そうという意志が垣間見える。
あからさまに不自然な空間が壁の向こう側に広がり、しかもそこに人間とおぼしき魔力反応がある。
となれば――。
「隠し部屋っぽいな」
という結論に到達するのは当然だろう。
「つまんないの……」
一方でロナが不満そうにしているのは壁の向こうにある魔力反応のどれもが強そうに感じられなかったからだ。
魔力反応のうち最も強いものですら、アルディスはおろかムーアにも及ばない。
戦いになったとしても大した手応えが期待できないことからロナは落胆する。
「いいから崩すぞ」
「へーい」
あまり乗り気ではなさそうなロナの返事を聞きながら、アルディスは通路と隠し部屋を隔てる壁を魔術で吹き飛ばした。
轟音を立てて崩れ落ちる壁。
石造りのそれが吹き飛ぶと同時に細かい小石や塵に姿を変え、一瞬だけ煙幕のように視界を塞ぐ。
その煙が落ち着き、開けた視界の向こうに見えてきたのは三人の男たち。
隠れ潜むにしてはやたらと豪華な内装がアルディスの目に入る。
過度な装飾の机を三人で囲み、これまた飾り立てられた椅子に座って酒を飲み交わしていたらしい男たちが驚いた顔でこちらを見た。
「な、ななななんだ!?」
でっぷりと太った四十代半ばの男が目を丸くしてアルディスを見る。
その手には細やかな装飾を施された透明なグラスがあり、半分ほどにまで減った液体が器の中で揺れていた。
おそらくこの男がトリア王だろう。
赤ら顔なのは酒を飲んでいたからか。見ればテーブルの上にも壁に並ぶ棚にも高級そうな酒瓶が並んでいた。
「ふん、部下が命がけで戦ってるってのに……こんなところで隠れて酒盛りか」
侮蔑の感情を隠そうともせずアルディスが吐き捨てた。
そんなアルディスを三人の中で最も体格の良い初老の男が怒鳴りつける。
「何者だ、貴様!」
アルディスはその男に見覚えがあった。
かつて双子と出会う前、アルディスがトリアを拠点に活動していた頃に見た顔である。
確かトリア軍の将軍だったか――と当時の記憶を引っ張り出し、同時に興味を失う。
「ほらロナ、あれがお前の獲物だ」
「えぇー、あんなのしかいないのー?」
どうでもいい存在と判断を下し、相棒のロナへと対処を丸投げする。
確かにトリア王のそばについている護衛の中で一番強い相手をロナへ譲ると約束してはいたが、まさかこの程度の護衛しかいないとはアルディスも思っていなかったのだ。
とはいえ約束は約束である。
この場にいるのはトリア王と将軍、そして明らかに文官と思われる老人がひとりだ。
将軍の強さがどうであれ、少なくとも比較対象が老齢の文官では一考の余地すらない。
必然的に将軍の相手はロナということになるのだが、どう考えてもロナの欲求不満を解消できるような相手ではなさそうだった。
「この不届き者め! 王の御前であるぞ!」
立ち上がって腰の鞘から剣を抜こうとした将軍は、次の瞬間突然吹き飛んで壁際に並ぶ棚へと叩きつけられた。
「あーあ、もう終わっちゃったじゃないか……」
ロナが興醒めといわんばかりにため息をつく。
トリア王と老文官は口を開いたまま呆然として将軍の飛ばされた先を見ていたが、それも仕方がないことだろう。
将軍はロナが詠唱もなく放った魔術により、衝撃波を食らって吹き飛んだのだ。
おそらく本人ですら何が起こったのか理解できていないだろう。
突然無力化され動かなくなった将軍を見て、残ったふたりが逃げだそうとする。
「逃がさないよ」
しかしその行く手はロナによってあっさりと塞がれた。
老文官をロナが組み敷いて身動きできないよう拘束し、なおも逃走を試みるトリア王の行く手をアルディスが遮る。
「ひぃ!」
赤剣を突き出して立ち塞がるアルディスの姿が死を連想させたのか、トリア王は情けない悲鳴をあげて尻餅をついた。
無様な格好のトリア王へアルディスがゆっくりと近付く。
「ぶ、無礼な! 私は王だぞ!」
「さっきそこの将軍が『王の御前』とか言ってたからそうだとは思ったが、やっぱりそうなんだな。確認の手間が省けてなによりだ」
「それが王に対する態度か!?」
「だからどうした。確かにあんたは王様かもしれないが、別に俺の主ってわけじゃない。そもそも傭兵に王の権威が通用するかよ。それも敵対している相手に」
「よう、へい……?」
アルディスの言葉がよほど意外だったのか、一瞬あっけにとられたトリア王が激昂する。
「傭兵ごときが私に盾突くのか!?」
「その傭兵ごときを相手にしてご自慢の軍は壊滅したみたいだが?」
涼しい顔で反問したアルディスにトリア王は顔を歪めた。
「くっ……!」
憎々しげにアルディスを睨みながらトリア王が叫ぶ。
「ナグラス王国の残党に雇われたか? 今さら無駄なことを!」
「別に。誰かに雇われたわけでもなければ頼まれたわけでもないぞ」
「だったらなぜこのようなことを!? トリアに恨みでもあるのか!」
「恨み、ねえ……。言われてみれば確かにあるよな」
トリア王から視線を外し、アルディスは記憶を掘りおこす。
「兵士に対する傷害罪だ、幼児誘拐だと濡れ衣を着せられたおかげでトリアを追われたし、ようやく腰を落ち着けたコーサスの森でも襲撃されてせっかくの家を捨てることになった。最近じゃあグロクに軍隊を送り込まれたわけだし……」
アルディスがこれまでトリア王から受けた仕打ちを指折り数えた。
「俺たちが落ち着こうとした先をことごとく台無しにしてくれたんだ。恨みを買うのには十分な理由だと思わないか?」
「は……?」
問いかけるアルディスにトリア王は困惑の表情を浮かべる。
その様子から、アルディスが何者なのか理解していないことがわかる。
「ああ、どうせ傭兵のことなんていちいち気にも留めてないんだろうさ。これを見てもまだわからないか?」
アルディスは門扉から五本ほど剣を引き出すと、自分を取り囲むように剣魔術で宙に浮かべた。
それを見てようやくトリア王も自分の前にいる人物が世間からなんと呼ばれている存在なのかに思い至ったらしい。
「まさか……剣、魔術? 千剣の、魔術師? ……ということは貴様、あの女の!」
宙に浮かぶ飛剣を見てようやくアルディスの正体を理解したらしいトリア王は、次の瞬間怒りの感情をあらわにして睨みつけてくる。
あの女というのはおそらくネーレのことだろう。
アルディス自身はこれまでトリア王と面識はなかったし、直接のやり取りもない。
すぐそばの棚に突っ込んで気を失っているそこの将軍と少々揉めたことがあるくらいだ。
だが一方でネーレはかつてトリア侯であった彼と直接の面識もある上、詳しくは知らないが少々どころではない揉め事を起こしたらしい。
アルディスたちがトリアを追われたのもトリア軍がコーサスの森で襲撃に加わったのも、元はと言えばネーレとトリアとの揉め事が後を引いていたからだ。
「あんたにとってはネーレの付属品に見えるのかもしれないが、迷惑を被ったこっちにとってはそんなことどうでもいいんだよ。確かなのは、いつかあんたに礼をしないといけなかったってことだ」
「いや……、だがしかし私はっ!」
反論しようとするトリア王の腕をアルディスは赤剣で打ちつける。
「ぎゃああ!」
さほど力を込めたわけでもない。
おそらく骨も折れてはいないはずだが、痛み慣れしていないらしいトリア王には効果抜群だった。
「大人しく降るなら命までは取らん。城と国を明け渡して生きのびるか、それともここで死ぬか。選べ」
アルディスの突きつける赤剣と四方に浮かぶ飛剣で囲まれたトリア王は青ざめた表情でしばらく口を開けたり閉じたりしていたが、ようやく観念した様子で勧告を受け入れた。
「………………わかった、……降ろう」
「陛下……」
ロナに取り押さえられたままの老文官が悲しそうに声をかけるが、肩を落としたトリア王は諦めたように答える。
「良いのだ、コスタス」
「いいだろう。身柄を拘束させてもらう」
思いのほかすんなりと降伏したことを意外に感じつつ、ゆっくりとトリア王へ近付いたアルディスは不意に相手から奇妙な魔力の膨張を感じた。
「アル!」
アルディスと同じように魔力の高まりを感じたのだろうロナが短く警告を飛ばす。
「死ね!」
トリア王が懐から短杖のような何かを取りだした。
「裁きを!」
起動キーらしき言葉をトリア王が叫ぶと、短杖の先端から圧縮された魔力の光がアルディスに向かって放たれる。
不意の一撃、それもかなり高度な魔術を模した攻撃である。
大半の人間であればきっとその一瞬で光に胸を貫かれ致命傷を負っていたであろうそれも、だが幾つもの死線をくぐり抜け、ほとんど無意識のうちに障壁を展開できるアルディスには通用しない。
トリア王の放った攻撃はアルディスに届くこともなく、反射的に展開された魔法障壁とぶつかって淡い紫色を拡散しながら消え去った。
「あ……、ああ……」
まさか防がれるとは思っていなかったのだろう。
平然と目の前に立ち、何ひとつ傷を負った様子のないアルディスの姿にトリア王が言葉を失う。
そんな彼を見るアルディスの目は冷たい。
「大した悪あがきだな。最後に自分の命を預けるのが金で買った道具か」
その言葉にトリア王が短杖を取り落とす。
攻撃してこないのは先ほどの光が連続して放てないからなのか、それともそんなものがアルディスには通用しないということを理解したからなのかはわからない。
だがトリア王の目には先ほどよりもさらに強い怯えの色が浮かんでいた。
アルディスが飛剣のひとつを手に取る。
大人しく降るなら命は助けるという恩情に対して後ろ足で砂をかけられたのだ。
さすがにこれ以上甘い顔をすることはできない。
「た……」
そんなアルディスの考えが伝わったのか、トリア王はその場に両膝をついて命乞いをしはじめる。
「助けてくれ! 降伏する! 財産も、城も、領地もすべてくれてやる! だから命だけは……!」
「もういい。穏便にことをすませようとしたのが間違いだった。あんたは王のままがいいんだろう? そんなに王の座が惜しいならそのままにしておいてやる」
「ほ、本当か?」
アルディスの言葉を都合良く理解したトリア王が希望をその瞳に宿すが、それも続く言葉にあっけなく霧散する。
「ああ。王のままこの世から退場しろ」
「ひぃっ!」
冷たく言い捨てたアルディスにトリア王は恥も外聞もなく必死になって許しを請う。
「許してくれ……、私はまだ死にたくない!」
「一度はその機会も与えた。それを手放したのはあんた自身だ」
すがりつこうとするトリア王ににべもなく吐き捨てると、アルディスは手に持った剣でその首をあっさりと刎ね飛ばす。
こうしてトリア王国の初代国王フレデリックは即位から一年も経たずしてその短い治世を終える。
結果、ナグラス王国に反旗を翻してまで建国されたトリア王国は存在感を失ってしまい、あまりにも短い歴史を揶揄して泡沫国家と呼ばれるようになる。
2024/06/14 誤字修正 障害罪 → 傷害罪
※誤字報告ありがとうございます。