第328話
アルディスたちの足を止めようと散発的に立ちはだかる兵士を蹴散らし、たどり着いた城門前。
「集まってる、集まってる」
どこか楽しそうな声色でロナがつぶやいた。
門の前を守るのは武装した兵士たちがざっと五十人ほど。
アルディスたちが町中を歩いてくる間に態勢を整えたのだろう。
「そりゃあ、集まってもらわないと時間を与えた意味がない」
トリア王の首を取るだけなら深夜に忍び込めばすむ話である。
だが今回はアルディスたちの力を喧伝するのが目的であるからこそ、可能な限り人目に触れる形で、しかも圧倒的な力の差を見せつけることが必要だった。
その目的が達せられるならむしろトリアの城を落とすことにこだわる必要すらない。
「構え!」
のんびりと歩み寄るアルディスに向かって弓矢が向けられ、半円状に槍衾が囲む。
さすがにここまで兵士を蹴散らしてきた相手に向かって言葉をかけようとするほどトリア軍もお気楽ではないらしい。
「わかってるだろうな、ロナ」
「わかってるよ。できるだけ殺さずに、でしょ?」
「圧倒的な力の差を見せつけて、が抜けてるぞ」
「はいはい」
短く言葉を交わすとまずロナが動き出す。
「仕留めろ!」
指揮をしている中隊長らしき人物が声を上げ、兵士たちが足並みを揃えて槍を突き出した。
その穂先をするりとかわしてロナが敵のただ中へと突っ込んで行く。
「速いぞ!」
「足を狙え!」
すぐさま兵士たちも対処しようと試みるも、その合間を流れる水のごとくすり抜けていくロナに翻弄され、連携を乱すだけの結果に終わっていた。
無論兵士たちの敵はロナだけではない。
アルディスはそれまで使っていた剣を門扉に押し込めると、腰に差していた一本の赤剣を抜いて手に持つ。
コーサスの森奥深くの遺跡でアルディスとキリルが発見してマリーダの商会に持ち帰り、その後レイティン防衛戦の最中に不思議な現象を見せつけたあの剣である。
ロナによって乱れた隊列へとアルディスが剣を手に割り込んで行く。
「通すな!」
指揮官の指示で兵士たちの槍がアルディスへと突き出される。
しかし赤剣がその穂先を撫でた瞬間、硬い金属で作られているはずのそれが鎌で刈られた草のように千切れ落ちていく。
「なっ!?」
驚きに目を張る兵士との距離を詰めるとアルディスは力一杯赤剣を振り下ろした。
赤剣が兵士の皮鎧を切り裂く。
そのまま兵士の身体を断ち切ろうかというとき、赤剣が奇妙な事象を引き起こす。
瞬時に刃が鋭さを失ったのだ。
「ぐあっ!」
斬られた勢いそのままに兵士が吹き飛んで倒れ込む。
だが完全に皮鎧を切り裂かれ素肌があらわになっているにもかかわらず、その身からは一滴の血も流れていなかった。
アルディスは襲いかかってくる兵士たちをひとりずつ、しかし確実に赤剣で切り裂き吹き飛ばしていく。
剣撃を防ごうとする盾も、攻撃を繰り出す槍も、そのすべてが紙を引き裂くかのごとく赤剣によって切り刻まれ、それでもなお血を流す者が皆無というのは異常なことだろう。
「便利だな、これ……」
次々と兵士たちを戦闘不能に追いやりつつアルディスはボソリとつぶやく。
アルディスが手に持っているこの赤剣、不可思議なのはレイティンの一件だけではない。
なぜか他の剣のように門扉の向こうへと送り込むことができないこともだが、それ以上に不思議なのは人間に対しては完全ななまくらと化すことだった。
魔物や獣、そして人が身につける武具に対しては恐ろしいほどの切れ味を発揮する一方で、人間の身に対してはまったくと言って良いほど切れなくなるのだ。
なぜそんな現象が起こるのかはアルディスにもわからない。
しかし考えようによっては今回のように無駄な人死にを出したくないときの武器としては最適といえるだろう。
敵の武器や防具はいとも簡単に切り裂き、それでいて人間の身体に対しては切れ味を失った単なる鉄の棒と化すのだから。
もちろん鉄の棒とはいえ思い切り振り抜く以上、無傷ではいられない。
打撲はもちろんのこと、まともに食らえば骨折は避けられないだろう。
「しかし――」
身体に染みついた動きで敵の急所を狙うも、剣の軌道が不自然に逸れる。
急所を外れた赤剣の一撃が兵士のあばらを砕いた。
「勝手に狙いをずらすんじゃない!」
アルディスの文句が向けられるのは自らが手に持つ赤剣である。
どういうわけなのかこの剣、アルディスが敵の急所を狙って一撃を繰り出すと、それを拒絶するかのように軌道を勝手に変更してしまう。少なくともアルディスはそう感じていた。
まるで剣そのものが意志を持っているかのごとく、敵に致命傷を与える一撃を避けるのだ。
それは魔物や獣相手の場合には起こらない。
あたかも人を殺すことだけは許さないと剣そのものが訴えているかのような不可思議な現象だった。
もっとも、それならばそれで使いようはある。
要は対人戦で使わなければ良いだけの話だろう。
もしくは今回のようにこちらの戦力を見せつけることが目的であれば、意味のない死人を出さずにすむのだからこれほど都合のいい得物もない。
七割方の兵士を戦闘不能に追いやるに至り、敵も当初の勢いを失いつつある。
「行くぞ、ロナ」
及び腰になっている兵士たちを無視してアルディスが城門に向かって歩き出すと、その前にひとりの男が立ちはだかった。
「待て!」
先ほどから兵士たちに指示を出していた男だ。
おそらくこの場の指揮官なのだろう。
「我が名はド――」
「どけ」
名乗りを上げようとする男の言葉を待たず、アルディスが赤剣をその首へ横薙ぎに振るう。
やはり途中で不自然に軌道を修正された一撃が男の肩へと叩き込まれ、骨を砕いた感触がアルディスの手に伝わってきた。
「ぐああっ!」
「ドルイセ中隊長!」
勢いのまま吹き飛んでいった男に周囲の部下が駆け寄る。
その光景を横目に見ながらアルディスは城門を正面に立ち止まると、頭上に炎球をひとつ生み出した。
「派手にやっちゃえ」
「そうだな。見せつけた方がいいか」
面白そうな表情を浮かべるロナに返事をすると、アルディスは炎球のサイズをさらに大きくしていく。
大きさを増すと共に炎球はゆらゆらと上昇し、最終的には城門の高さを超える位置に至った。
その姿はおそらくトリア中から確認できるほどになっているだろう。
見た目が大きくなれば威力が強くなるわけではないが、魔術を扱えない一般人からすればこの方がわかりやすいに違いない。
「死にたくなければ門から離れろ!」
警告の声を兵士たちに届けると、さすがに抵抗は無力と悟ったのか城門付近から全員が逃げ出した。
それを確認するとアルディスは炎球を城門に対して撃ち下ろす。
巨大な炎球が威圧感と共に落下し、斜め上から城門に激突した。
瞬間、聴覚を破壊するかのような轟音と共に閃光が周囲を包み、次いで瓦礫まみれの暴風が四方八方へと吹きすさんだ。
どこかから悲鳴をあげる兵士たちの声が聞こえる。
城門の爆発に巻き込まれてしまったのだろう。
せっかくアルディスが警告をしたにもかかわらず、魔術の威力を甘く見て城門からさほど距離を取っていなかった者たちに違いない。
積極的に命を奪うつもりはないが、だからといってアルディスは犠牲者に詫び言を向けるつもりもなかった。
アルディスは戦をするためにここへやって来ているのだ。
戦で人が死ぬのは当然であるし、彼らには死から逃れるための機会を忠告という形で与えたのだから。
「おー、いるいる。城門の外よりも多いんじゃない?」
「門の外にいたヤツらはどうせ時間稼ぎだろ」
城門は左右の城壁を巻き込んで無数の瓦礫と化している。
その積み重なった瓦礫の向こうを覗き見ると、城門から続く内庭に完全武装の兵士たちが隊列を組んでアルディスたちを待ち構えていた。
「槍が百二十、弓が五十、あとは魔術師が十ってところか」
「思った以上に少なくない?」
「こんなもんだろう」
アルディスが外壁の門で敵対を宣告してからまださほどの時間は経っていない。
この短時間でトリアに常駐している全兵力を集結させるのは無理だという点と、グロク遠征失敗により保有兵力が減っている点を考慮すれば妥当な数である。
「もっと数も多い方が示威行動としては効果があるんだが、まあそこは――」
「戦い方で力の差を見せつける、でしょ?」
「そういうこった」
のんびりと言葉を交わしながらアルディスとロナは瓦礫を踏み越えて城壁の内側へと足を踏み入れる。
ふたりの雰囲気とは対照的に、内庭で待ち受けるのは硬い表情で武器を構える二百人弱の兵士たち。
「放てっ!」
アルディスたちが内庭へ姿を見せると同時に複数の火球が連続して放たれた。
トリア軍の誇る魔術師部隊の一斉射である。
先ほどアルディスが城門を破壊するのに使った炎球とは比べものにならないほど小さなものだが、それでも通常の人間がまともに食らえば致命傷を負う威力を持っている。
それを十名もの魔術師が一斉に放っているのだ。
アルディスが並の傭兵であったならひとたまりもなかっただろう。
「弓、続けぇ!」
火球が巻き起こした砂塵で姿の見えなくなったアルディスたちへ、今度は数十本の矢が放たれた。
放物線を描いてターゲットへ吸い込まれていくはずの矢は、しかし紫色の障壁に阻まれて一本も役割を果たせないまま地に落ちる。
砂煙の晴れた後には無傷のまま悠然と立つアルディスの姿があった。
そのありえない光景に兵士たちの背を冷たい汗がつたう。
「それで終わりか?」
挑発するようにアルディスが問いかけた。
「撃て、撃てぇ!」
呑まれかけていた兵士を指揮官の声が引き戻す。
我を取り戻したかのように魔術師が詠唱を開始し、弓兵が二の矢三の矢を放ちはじめた。
対するアルディスは狙われるままにその場へ立ち尽くす。
「こっちからいっちゃだめなの?」
「気の済むまで撃たせてやれ」
「んー、じゃあ終わったら教えて」
ロナはそう口にするとその場にうずくまって目を閉じる。
まるでひと休みとでも言いたそうな態度だが、そんなロナへと注がれる攻撃もアルディスの展開した魔法障壁によってことごとくが弾かれていた。
一方的な攻撃にもかかわらず、やがて疲れを見せはじめたのはトリア兵の方だ。
魔術師の放つ攻撃には魔力量という限界があり、弓兵の放つ矢には物理的な数量という限界がある。
最初に魔術の攻撃が止み、続いて弓矢による攻撃もまばらになりはじめた頃、うずくまっていたロナが耳をピクリと動かした後に目を開く。
「そろそろ?」
「ああ、そろそろ矢も尽きそうだ」
アルディスの返事を聞いたロナが立ち上がって周囲を見回した。
散発的に放たれる矢は数えるほどしかなく、魔術師たちはすでに息を切らしてへたり込んでいる。
「なんかさあ……、もう勝負ありって感じがするんだけど」
一方的に攻撃を受けていたアルディスと違い、敵の兵士たちは矢の一本すら攻撃を受けていない。
にもかかわらず兵士たちの表情はどれも驚愕と畏怖にまみれ、とても戦いに臨もうという者のそれではなかった。
そんな兵士たちに叱咤の声が飛ぶ。
「なにをしている! 相手はたったのひとりだぞ!」
目つきの鋭い男が声を張り上げる。
まだ若い人物だが、どうやらその彼がこの場の指揮官らしい。
少し赤みのある茶髪を短く刈り込んだ若い男だ。
「同時にかかれ! 押し包め!」
指揮官の声に兵士たちが生気を取り戻す。
槍を持った兵士たちの足がしっかりと地を踏みしめ、隊列を組んだまま三方からアルディスへの囲みを狭めていく。
「こっちも動くか」
「ここからは思いっきりやっても?」
「できるだけ治る範囲の怪我ですませてやれよ」
「へーい」
しぶしぶといった返事を残してロナが跳躍する。
どうやら高所から矢を放っていた弓兵に向かうつもりらしい。
「よそ見していていいのか?」
跳躍したロナの行方に目を向けていた兵士たちへアルディスは注意を促す。
声をかけておきながら彼らが向き直るのも待たず、アルディスが正面の兵士に飛びかかると赤剣を横から振るった。
身につけた小手を切り裂かれ、腕の骨を折られ、さらに勢いを失うことなく叩きつけられる赤剣によって身体ごと吹き飛ばされた兵士は、さらにもうひとりを巻き込んで横に吹き飛んで行く。
アルディスはそのまま近くにいる兵士へと突きを繰り出して脇腹へ痛烈な一撃を与えると、後ろから攻撃を繰り出してきた敵の槍を跳ね上げて懐へ入り、剣の柄であごを下から突きあげた。
相変わらず人を斬ることのできない赤剣が、次々と兵士の装備を切り裂き、骨を砕いていく。
大半の兵は槍を折られると戦意を喪失して戦線を離脱していく。
どうやら折れた槍で立ち向かってくるほどの闘争心はないらしく、アルディスが剣を振るう度にひとりまたひとりと敵の数は減っていった。
気が付けば百を優に超えていた槍兵はことごとくが地に倒れ伏し、その場に立つのはアルディスひとりだけという有り様である。
「たっだいまー。こっちも全部終わったよ」
弓兵や魔術師はロナが一手に引き受けてくれたようで、槍兵の後方や高所からこちらを狙っていた兵士たちも誰ひとり満足に立っている者はいなかった。
一見したところ内庭は見渡す限りの死屍累々。
ひどい光景ではあるが、アルディスもロナも可能な限り人死にが出ないよう手心は加えているのだ。
実際のところ大量の血を流している者はほとんどおらず、大半がうめき声をあげながらも息はある。
「敵の指揮官は……?」
「あ、さっきついでにやっといたよ」
「そうか」
ついでに倒されてしまった若い指揮官のことをアルディスはさっさと頭から追い出すと、うずくまる兵士たちを避けながらロナと共に歩きはじめた。
「城の中にもまだいるかなあ?」
「そりゃ少しはいるだろうよ」
現状アルディスたちを迎撃できるほとんどの兵は城門前と内庭へ集結していたに違いない。
それらを殲滅した今、まとまった数が残っているとは思えないものの、とはいえ城内の兵がひとりとしていないということも考えにくい。
よって、敵にできることはせいぜい少数で不意打ちを仕掛けてくるくらいだろう。そうアルディスは結論付ける。
「まあ、親玉のところまで行けばそれなりに腕の立つのが付いてるかもな」
「うーん……、強そうだったらボクに譲ってね」
「わかったわかった。じゃあトリア王は俺、護衛で一番強そうなのをロナが、ってことでいいか?」
「おっけー、じゃ行こ行こ!」
内庭に広がる惨憺たる光景を後にして、アルディスとロナは軽い足取りで城内へと足を踏み入れていった。
2025/01/21 ロナの一人称修正