第324話
グロクから南へ約半日の場所。
小規模な森がいくつも点在する丘を三千人の集団が北へ向けて行軍していた。
その様子を上空に浮かんだ三つの人影が見下ろしている。
「すごい数……」
アルディスを挟むように浮かぶ双子のうち、フィリアの方が思わずといった感じでつぶやいた。
人目を避けて暮らし続けてきた彼女たちにとって、三千人もの人間が列をなしている有り様はさぞ驚きに満ちた光景として映ることだろう。
「アルディス、帝国軍の中央が目印の場所を通過しました」
「帝国の指揮官は……あそこか」
リアナの言葉通り前後に長く伸びたエルメニア帝国軍の列が目印にしておいた木を通り過ぎる。
上空からではハッキリと見えるわけではないが、それでも全軍を一個の生物として見てみれば明らかに列の中で他とは異なる部分がわかる。
見るからに他よりも厚い守り、一般兵とは違う装い、そこに敵の指揮官がいることは疑いようがない。
「始めるか。フィリアは氷を、リアナは土を頼む」
「う、うん……」
「は、はい……」
アルディスの短い宣言と指示の後に、双子の緊張した返事が続く。
今からアルディスたちはグロクへと侵攻してきた帝国軍との戦いに入る。
戦場へ同行することを申し出たのは双子たち自身だが、それでもやはり戦というこれまでにない状況への緊張は隠し通せないようだった。
「今だ」
アルディスは合図を出すと共に詠唱を無視して複数の火球を生み出すと地上へ叩きつける。
火球は長く伸びた帝国軍の隊列をまんべんなく襲い、至るところで爆発を生み出す。
あくまでも殺傷を目的としたものではないため、かつてアルディスが王国と帝国の戦いで見せたものとは比べものにならないほど威力は低い。
むしろ敵の混乱を誘発するために威力よりも見た目の派手さを重視した火球である。
同時に双子も無詠唱で魔術を行使していた。
双子が使ったのは破壊を伴う魔術ではない。
リアナの魔術が兵士たちの足もとに広がる大地を瞬時に柔らかくほぐし、フィリアの作り出した氷の塊が彼らの上空に出現する。
いくら火球が見た目重視のこけおどしとはいえ、それでも犠牲者が皆無というわけではない。
ひとつの火球が数名の犠牲者を生み出し、その何倍もの兵士に火傷を負わせた。
そこへリアナの魔術によって足を取られ、フィリアの作り出した氷が火球によって熱せられた結果、頭上から降り注ぐ人工の雨と化す。
本来はふたつとも畑仕事を効率的にするための魔術だが、使い方次第では大軍の足を止めるのに十分な効果を発揮する。
柔らかく耕された足もとの土に降り注ぐ突然の雨が吸い込まれていき、帝国軍はまたたく間に泥濘の中へ身を置くこととなった。
「何だ!?」
「敵襲か!」
「上だ! 浮いてるぞ!」
混乱に見舞われる中、目ざとい何人かの兵士が上空にいるアルディスたちの存在に気付いた。
「射落とせ!」
混乱からいち早く回復した指揮官周辺の兵士たちが矢を放ってくるが、当然それが届くような高さにアルディスたちがいるわけもない。
打ち上げられた矢はやがて勢いを失い、三人へ届く前に放物線を描いて落ちていく。
「そろそろいい頃合いか……」
アルディスのつぶやきに呼応するかのようなタイミングで森のひとつから四百人ほどの集団が飛び出してくる。
敵の指揮官を討ち取るために潜んでいた、ムーア率いるグロクの志願兵たちである。
騎乗した数名を先頭にその集団はわき目もふらず帝国の中央部目がけて突入した。
アルディスたちの存在に意識を上空へ注いでいた帝国軍は、思わぬ伏兵の存在に反応が遅れる。
それでもさすがに指揮官の周囲は練度の高い兵士で固められているのだろう。
遅ればせながらも突然の襲撃に対処しようと士官らしき数名が声を張り上げる。
「伏兵だ!」
「迎え撃て! 数は少ないぞ!」
「閣下を守れ!」
しかし虚を突かれた形ではその効果も薄い。
加えてアルディスや双子の魔術により帝国軍全体も混乱の中にある。
まっすぐに突撃するムーアたちは確実に帝国軍の防御を破りつつあった。
「俺も降りる。ふたりはここに留まって前後の兵士を足止めしておいてくれ」
アルディスは牽制のために無数の石つぶてを味方のいないところへ叩きつけながら、左右の少女へ言いつける。
「障壁は解除するなよ。薄くでもいいから絶対に維持しておけ」
通常の矢が届く距離ではないが、それでも戦場では何が起こるかわからない。
あの中に常人では引けないような強弓を扱う兵士が混ざっているかもしれないのだ。
万が一を念頭に置いておくのは長年傭兵として暮らしてきたアルディスにとっては当たり前のことだが、今回戦場に初めて出たばかりのふたりにその意識はないだろう。
「獣や魔物相手に戦うのとは違うんだ。無理に攻撃する必要はない。足止めしてくれるだけでも十分に助かるからな」
この期に及んでも双子を戦いに加担させたくない思いがそんなセリフとなってアルディスの口から出てくる。
敵兵への直接攻撃をさせず、間接的な足止めだけをふたりに任せたのもその複雑な心情の結果であった。
「いいか、絶対に高度は下げるなよ。下に降りることだけは禁止だ」
そう言い残し、アルディスは自らを支えていた足場を消して重力に身を任せた。
混乱の極みにある帝国軍の中央部を切り裂きながら進むムーアたちのもとへアルディスが空から降りて合流する。
「ミネルヴァ!」
「ここです、師匠!」
アルディスの問いかけにすぐさま声が返ってくる。
今回の戦い、実は双子だけではなくミネルヴァも参戦していた。
アルディスのみならずムーアも当然それには反対したが、反ロブレス同盟の象徴となりつつあるグロクにおいてはナグラス王家の継承権を持ち、しかも元公爵令嬢というミネルヴァの存在が持つ影響力は非常に大きい。
その存在意義を自衛力というよりむしろ反ロブレス同盟の尖兵と見る向きも大きい中、ミネルヴァが戦いの先頭に立てば全体の士気は大いに高まる。
『祖国を失い、家を失った私にもそれくらいの利用価値はあるでしょう』
という表向きの理由とは別に『それに、私のような足枷があれば師匠もこの前のような無茶はしませんよね?』と開き直られればアルディスには返す言葉もない。
事実、前回のトリア戦では油断とくだらない思い上がりにより無様な醜態をさらしたばかりだ。
ミネルヴァの存在は確かに足枷となるかもしれないが、逆に言えば彼女の存在がアルディスに慎重な判断を促すことにもつながるだろう。
どのみちアルディスにミネルヴァの行動をどうこう決める権利はない。
結局今回の戦いでは常にムーアかアルディスの目の届く場所にいることを条件に参戦を許すこととなった。
「ムーアは!?」
「カインさんたちと前へ!」
どうやらアルディスの到着でお守りは交替とばかりに敵将目がけて突撃していったらしい。
「ムーアに続くぞ。俺のことは気にせず前だけを見ていろ!」
「はい!」
長く伸びた帝国軍の軍列を混乱に乗じて横合いから奇襲し、指揮官を討ち取った後はそのまま散開。
十倍近い兵数を相手にアルディスたちの選択した戦い方がこれだった。
勝算は十分にある。
敵の数も三千人とはいえ、長く伸びた行軍中では前後の兵が中央へ加勢に来るまで時間がかかる。
その上アルディスと双子の魔術によって彼らは足止めを余儀なくされるため、短い時間に区切れば一時的に優勢な状況を作り出すことができた。
あとはムーアやその部下たちの働き次第だろう。
いよいよとなればアルディスが敵指揮官を討ち取るつもりだが、この様子ならば出番はなさそうだった。
アルディスは積極的に敵を討ち取ることよりも、味方全体の様子を窺いながら形勢が不利になっているところへと飛剣を救援に向かわせる。
「遅れているやつは……いない、か」
後続に目をやってその無事を確かめると、アルディスは合間にもいくつかの魔術を放って自らに敵の意識を向けさせる。
今回の作戦では勝つことはもちろんのこと、味方の損害をどこまで少なくできるかが重要であった。
敵と違い、小さな勢力のアルディスたちは失った人員を補充するのも簡単ではないのだ。
「あの紫髪、王族の生き残りだぞ!」
「討ち取れ! 特級勲功だ!」
そんな中、今度はミネルヴァへと敵が群がりはじめた。
どうやら帝国軍の中でもミネルヴァはすでに有名人物となっているようだ。
「ちっ、誰が王族だよ」
悪い方向へ間違った情報が出回っていることに舌打ちすると、アルディスは『門扉』から新たな剣を数本呼び出してミネルヴァの援護へと向かわせようとする。
そのとき、上空から突如数本の雷が落ちてきた。
「ぐああ!」
「ひいい!」
ミネルヴァに襲いかかろうとしていた数人が雷に打たれて悲鳴をあげる。
直撃した敵兵士の中には悲鳴をあげる暇すらなく倒れた者も少なくない。
「あいつら……」
帝国兵だけを狙い澄ました雷の出所を即座に悟り、アルディスは上空に浮かぶ双子の姿へ目を向けた。
小さな後悔を覚えながらも戦場で余計な感傷は禁物と意識を切り替える。
「ここは戦場だ。戦場なんだよ」
そう自らに言い聞かせながら、ミネルヴァへさらに群がろうとする敵兵を飛剣で斬り捨てた。
2022/02/14 誤字修正 人口の雨 → 人工の雨
※誤字報告ありがとうございます。