第323話
帝国の動向に神経を尖らせながら過ごすこと数日、アルディスは思いもよらないところから攻撃を受けた。
「アルディス!」
突然後ろから聞こえてきた声にゆっくりとアルディスは振り向く。
敵意も感じられず、なにより聞き慣れた声の主たちであることはわかりきっていたため、完全に無警戒である。
そんなアルディスの胸に飛び込んできたのはふたりの少女。
プラチナブロンドの髪がふわりと揺れてその下から青みがかった浅緑色の瞳が向けられてくる。
「フィリア、リアナ……。なんでここに?」
「アルディスが心配だからに決まってるでしょ!」
「アルディスが倒れたって聞いたからですよ!」
目を丸くするアルディスにふたりそろって口をひらくフィリアとリアナ。
その表情は真剣そのものだった。
「ねえ、大丈夫なの!? 怪我とかしてないの!?」
「起きていて大丈夫なんですか!? 痛いところとかは!?」
どうやらアルディスがヴィクトルにやられてしばらく気を失っていたことを耳にしたらしい。
誰かは知らないがムーアかマリーダあたりが隠れ里に連絡したのだろう。
「身体の方は大丈夫だ。見ての通りまったく問題ない」
ふたりを安心させるためアルディスは腕を左右に広げながら笑ってみせる。
実際、意識を刈り取られただけでアルディスはヴィクトルに特別痛めつけられたわけではない。
せいぜい打ち身が数カ所あったくらいで、むしろ空中から地面へ激突したにしては身体の痛みも少ないくらいだった。
「それにしても、あんまりロナをこき使ってやるなよ。さすがにふたり一緒に乗せるのはあいつでもそろそろキツいんだろうし」
「何を言っているのですか?」
「ロナなら隠れ里だよ?」
てっきりここへやって来るためにロナの背へ乗せてもらったのだとばかり思っていたアルディスは別の可能性を口にする。
「じゃあネーレに連れてきてもらったのか?」
「違いますよ」
「私たちふたりだけだよ」
「え……?」
いまいち理解が及ばないアルディスへ小さくリアナがため息をつく。
「アルディス、私たち今年でもう十六です」
「……そうだな」
「魔術を使うようになって四年が経ちます」
「もうそんなに経つのか」
「四年もあれば足場だって作れるようになりますし、ひとりで空だって飛べます」
「……そうなのか?」
思いもよらなかったリアナの言葉にアルディスがフィリアへ確認の問いかけをすると、返ってきたのは得意げな笑みであった。
「そうだよ」
どうやらロナやネーレの力を借りず、本当にふたりだけであの魔境からここまでやって来たらしい。
「まさかネーレたちに黙って来たんじゃないだろうな?」
「ちゃんとネーレの許可は取りました」
しかもネーレも許可済みとくれば、つまり空中で魔物の襲撃に遭っても切り抜けられると判断されるほどの実力は身についているのだろう。
「アルディス、もう私たちも子供じゃないんだよ?」
「自分がすべきことは自分で決められます」
「私たちの生き方は私たち自身が決めるの。以前そう言ったよね、アルディス?」
「……まあ、言ったな」
過去の発言を持ち出され、アルディスも頷かざるを得ない。
「だから決めたんです。アルディスの役に立とうって」
「だから決めたの。アルディスと一緒に戦おうって」
「は? いや、ちょっと待て!」
何やらミネルヴァと同じようなことを双子は口にしはじめ、アルディスは慌てる。
「確かにアルディスは強いです。それは私たちが誰よりもよく知っています」
「でもそんなアルディスでも今回みたいに動けなくなることがあるでしょ。私たちだって何も出来なかった昔とは違うもの」
「これまでずっと守ってもらった恩返しがしたいんです。私たちにアルディスを守らせて欲しいなんて身の程知らずなことは言いません。ただ少しだけお手伝いを……、アルディスが背負おうとしているものを少しだけお手伝いさせてください」
「それが私たちふたりの選んだ道だよ。ダメって言われても勝手についていくから。私たち自身の意志で、私たち自身のために」
「あ……、え……」
二方向からまくし立てられ、アルディスは言葉を失う。
確かにこれまでアルディスはことあるごとに『自分の道は自分で選び、その責任は自分で負え』と言い聞かせてきた。
同時にその選択にアルディスは口を出さないとも約束した覚えがある。
ここでふたりの意志を曲げさせるということは、自分の言葉を否定するに等しかった。
ふたりがなんの力も持たない弱者であればそれでも思いとどまらせたかもしれない。
しかし現実にはこのふたり、魔術師としてはマリウレス学園の異端児と呼ばれたキリルをして天才と言わしめた人間だ。
カノービス山脈の上空を飛ぶ魔物を相手に十分戦えるだけの力量を備えているだけに、危険だからというだけの理由では根拠が薄すぎる。
そもそもこのふたりよりも実力のある魔術師など探したところでそうそういないであろう。
「いや、だが…………傭兵が戦う相手は獣や魔物だけじゃない。人間を相手に戦うこともあるんだ。お前たちに人殺しをさせたくは……」
かつての迂闊な自分を呪いつつ、親代わりを自認するアルディスは苦しい主張を口にする。
だがそれがいかに自分勝手な言い分かはアルディス自身が一番よくわかっていた。
「私たちは人殺しをするために来たんじゃありません。アルディスを守るために来たんです」
結局双子に戦いの道を選ばせたくないというのは、自らの行動を顧みれば単なるアルディスの自己満足でしかない。
最終的にアルディスは双子の意志を尊重する形でしぶしぶと受け入れることになった。
グロクの町を囲む即席の防壁は日々アルディスやキリル、そしてエレノアの魔術師組によって増築、強化されつつあった。
魔術師として高い実力をもつフィリアとリアナがそこへ加わったことでその作業も大幅に進み、即席の脆い壁は堅固なものへと変わっている。
もはや防御力だけならば城塞と呼んでも差しつかえないほどだろう。
問題はそれを支えるマンパワー不足である。
先だってのトリア軍来襲を機に住民たちの意識も変わり、民兵としての訓練を受ける志願者たちも大幅に増えたとはいえ、それでも五百人に満たないほどしかいない。
いかに防壁が強固だろうと、五百人という数ではそれを有効に活用するのは難しかった。
悩みの尽きないグロクの町にとって最大の問題は帝国の動向である。
前回の戦い以降町を去って行った人間も多い。
元王都であったグランをはじめとし、旧王国内の町やレイティンなど都市国家連合でも東側に位置する都市はすでに日常を取り戻している。
当然のことながらかつて暮らしていた町へと戻って元通りの生活をしたいと思う者たちは多いだろう。
ミネルヴァのような立場的に帝国の支配下には落ち着けない者や帝国兵の蛮行によって親しい人を失って復讐心に燃える者など、町に残っているのはそんな理由のある人間ばかりだ。
反ロブレス同盟の人々が吸い寄せられるようにグロクへと集まり、その結果トリア戦の後で大幅に流出した人口は再び増加傾向を見せ、以前の規模をも取り戻しつつある。
同時にミネルヴァの存在もあって、グロクという町は反ロブレス同盟の旗を掲げる者たちの結集地として認識されるようになっていた。
「当然帝国がこの町を放置してくれる――わけがないよな」
そんなムーアのぼやきを肯定するかのように、帝国軍接近の報がもたらされた。
「数はわかっているんですか?」
詰所の一室で、すっかり警備隊の正規メンバーとしてみなされるようになったキリルがムーアに問いかけた。
「三千、だそうだ」
「それはまた思い切った数を出してきましたね」
驚きに目を見開くのはエレノア。
彼女もキリル同様貴重な戦力として警備隊に所属している。
マリウレス学園で高等な教育を受けたエレノアは魔術師ということもあってグロクにとっては貴重な戦力となっていた。
「前回トリア軍が惨敗したのを教訓にしたんだろうよ。まあ、他に軍を差し向ける場所が無くて手持ち無沙汰なのかもしれんが」
「それで標的にされる方はたまったもんじゃないにぃ」
本来ならば戦いを生業にする人物ではないのだが、物資管理を一手に担う者ということでマリーダも協議に参加していた。
「ですが来ないでください、と言ってそれで帰ってくれるわけでもありませんしね」
「お嬢様の言う通り。向こうが攻めてくるというならこっちは守るだけのことだ。幸いトリア戦の頃と比べたら防壁はかなり強化されている、んだが……」
「何か問題があるんですか?」
ムーアに代わってアルディスがキリルの問いかけへ答える。
「正直なところあまり籠城戦はしたくない」
「でも籠城のために防壁を強化したんですよね?」
「それは間違いない。だが兵力差は六倍、しかも防壁の規模に対して守りの兵力は明らかに不足している。三千の兵に囲まれればどこかしら防御の穴ができるだろう。トリア戦の時は兵力が少なすぎた上に時間も限られていたから仕方なかったが、可能なら町が囲まれる前に勝負をつけたい」
そんなアルディスの言葉に今度は警備隊のカインが疑問を呈す。
「野戦をすると? それこそ兵力差が大きすぎないか?」
対するアルディスの答えは正論ではあるもののかなり無謀なものだった。
「敵の指揮官さえ倒せばそれで終わる」
「またひとりで突っ込んで行くつもりか?」
トリア戦のことを思い出したのだろう。
表情をしかめつつムーアが責めるような口調で言うと、アルディスは首を振った。
「俺がやるのはお膳立てだけだ。敵将の首を取るのはムーアたちに任せるさ」
2022/02/11 誤字修正 なんですか!?」 痛い → なんですか!? 痛い
※誤字報告ありがとうございます。
2022/02/13 誤字修正 魔術師組み → 魔術師組