第319話
グレイスたちを残してアルディスは奥へと続く通路を駆け抜ける。
途中で立ち塞がる一般の兵士たちを蹴散らしてたどり着いたのは、きらびやかな装飾に彩られた大広間らしき場所。
遠慮や作法など気に留めるわけもなく、サークの魔術で重々しい扉を吹き飛ばして五人はその中へと足を踏み入れた。
待っていたのは見覚えのある顔が三つを含む四人の人間。
ひとり椅子に腰掛けて足を組む女将軍ジェリア。その左前方へと立つマーティとその取り巻きだった傭兵。反対にジェリアの右前方に直立したまま動かない人物は、額に赤い宝石を埋め込まれた少年の姿をしていた。
九割の憎悪と一割の歓喜を混ぜ合わせた表情で、アルディスが射殺さんばかりの視線を三人へ向ける。
「どっかで見た顔だな」
最初に口を開いたのはチェインメイルをまとって抜き身の剣先を手にした丸い顔。
アルディスが追い続けていた仇のひとり、マーティだった。
「マーティ……!」
うなり声にも似た音でその名をアルディスが口にするが、当のマーティは首を傾げるばかり。
「なんだ。憶えてねえのかよマーティ。あれだ、昔オレらがあそこにいたとき突っかかってきた小僧だろ」
横にいた取り巻きからそう言われてようやく思い出したのか、マーティが納得顔を見せた。
「あー、あんときの小僧か」
嘲りをあらわにしていたマーティがふと何かに気付いて表情を変える。
「……もしかしてマクロゴール砦に侵入して俺らの仲間を殺ったのはお前か?」
「そういやこいつ、あの娘とずいぶん親しげだったな」
ただ睨み返すだけのアルディスに代わってマーティの取り巻きが思い出したように口を開く。
「ってこたぁあれか? こいつ、あの黒髪女を壊した張本人ってことか!」
何が嬉しいのか、破顔したマーティがアルディスを指さした。
「キサマがそれを……!」
自分で選んだ結果とはいえ、ルーシェルの命を断ったことはアルディスにとって永遠に消えることのない咎である。
それを責める人間は少なくともウィステリア傭兵団にはいなかった。
だが誰ひとりとしてそれを責めずとも、なによりもアルディス自身がそれを許せずにいる。
そんな傷を容赦なくマーティはえぐったのだ。
「あーっはっはっ! そうか、残念だったな小僧! あの女を拘束してたのは将軍直々に魔力を付与した特別製だったからな。どうにも断ち切れなくてあげくの果てに自分で殺しちまったか!」
「キサマは――!」
剣の柄をつぶさんばかりにとアルディスが握りしめる。
「そうかそうか、こりゃ傑作だ」
喜色を浮かべたマーティがさらにニヤリと下品な笑みを浮かべる。
「そんな顔すんなよ穴兄弟。あの女も最初は反抗的だったけどよ――」
挑発の意図を隠そうともせずアルディスに言葉を叩きつける。
「それでも自分の赤ん坊が目の前で殺されるときは必死に懇願してきたぜ。『お願い、殺さないで!』って」
何がおかしいのか、大きく開いた口から笑い声が響いた。
「笑えるよな、誰の子供かもわかんねえのによ!」
アルディスの視界が狭まっていく。
その瞳が憎き男の姿だけを世界から切り抜いて映し出す。
「お前の子かもしれないのに冷たいな」
マーティのとなりにいた男があきれた口調で割り込んだが、その姿はアルディスの認識するところではない。
しかし視線の先にいる丸顔の外道はさらにアルディスを激昂させる言葉を放った。
「あー? そうだな、百分の一くらいの確率で俺の子かもしれねえな!」
下卑た笑い声を撒き散らし、目を血走らせるアルディスをさらに挑発する。
「ふたり目までは正気だったが、さすがに三人目を目の前で殺したときは発狂して頭ん中がイカれちまったよ。お前も見たんだろ、その手で殺したんならさあ」
「キサマァアーー!」
今まさに斬りかかろうと一歩踏み出したアルディスへ、場にそぐわない冷ややかな、それでいて高慢さの隠しきれない声が届く。
「なぁに? あなたたち知り合いだったの?」
マーティ同様にアルディスが憎悪する女将軍はまるで世間話を持ち掛けるように会話へ割り込んできた。
「マクロゴール砦で使ってた処理具と昔一緒だった小僧でさあ」
「ああ、あの生意気な黒髪の女?」
ふたりの言い草にアルディスの心がさらなる炎で焼かれる。
「そうそう。将軍に手足を切り落とされてダルマになったあの女でさあ。もう今は壊れやしたが」
「そういえばそんなこと言ってたわね。でも結構長持ちしたんでしょ? ほら、手足切り落として正解だったじゃない」
アルディスの想い人を消耗品のごとく語るふたりの会話に、とうとうアルディスの理性が限界を迎えた。
「こ――の、外道があああ!」
なんの仕込みもない直線的な突進と共にアルディスがジェリアに斬りかかる。
「おっと、そうはいくかよ」
しかし力の限り、ただ怒りにまかせただけの一撃はジェリアへの間に割り込んだマーティにより簡単に防がれてしまった。
「マーティィィ!」
怒りに我を忘れるアルディスが剣を押し込むも、相手は剣術一本で一流と呼ばれるまでにのし上がった傭兵だ。
単純な力任せでは分が悪く、互いの剣を挟んでにらみ合う形となった。
「反吐が出るな」
「どこまで下衆なのか」
それまでアルディスの後ろに控えていたサークとエリオンがジェリアに殺意のこもった目を向ける。
「いよいよあなたを生かしておくべきではありませんね」
魔力を周囲に展開しながらエリオンが目を細めた。
大広間全体が張りつめた空気に包まれようとする中、それでもジェリアは余裕を崩さずこちらを見下し続ける。
「あらあら、自分たちの状況がわかってないの? たったの五人で私に勝てるとでも思った?」
馬鹿にした風、というよりは落胆に近い表情と共にジェリアは言い放つ。
「もう少しペットの数は減らしておくべきだったかしら。精鋭ばかりって話だから十人くらいは突破してくると思ってたのに、拍子抜けね。これだと効果半減じゃない」
「どういうことだ?」
意味不明なジェリアの言葉にサークが疑問を投げかける。
「こういうことよ」
「きゃああ!」
それに対する答えは短く、これ見よがしにジェリアがパチンと指を鳴らした瞬間、レイナの悲鳴が響いた。
「なんだ!?」
妹分の悲鳴に我を取りもどしたアルディスが後ろに飛び退りマーティから距離を取って振り向くと、目に入ってきたのは予想もしていない光景だった。
「レイナ!」
そこに見えたのは腕を浅く斬られたレイナ、そしてレイナに剣を向けて立つキョウの姿だった。
「キョウ、いきなり何を!?」
レイナが弟に向けて強い口調で問いかけるが、当のキョウはなんの反応も見せずただ剣を向けているだけ。
焦点の定まらないその瞳はキョウがまともな状態ではないことを如実に表していた。
再びジェリアが指を鳴らす。
「ふたりともこっちへ来なさい」
その瞬間、今度はレイナの瞳から生気が失われた。
「おい、レイナ!」
動揺するサークの声など届いていないのか、キョウとレイナはなんの迷いもなくジェリアのもとへと駆け寄っていった。
「どうなって……」
状況が理解できずサークがつぶやくそのとなりで、エリオンが視線を最初から立ち尽くしたままの少年へと向ける。
「まさか……!」
「あら、察しがいいわね」
何かに気付いたらしいエリオンにジェリアが白々しい称賛を口にする。
「エリオン?」
「サーク、あの少年の額……」
声色だけで催促を受けたエリオンが、いまだに身じろぎすらしない少年へと視線を誘導する。
少年の額には小さな宝石がひとつ埋め込まれ、壁に掛けられた燭台からの光を反射して赤く輝いていた。
「レイナとキョウの額にも同じものがあったでしょう」
「あ……!」
同じような宝石がレイナとキョウ、ふたりの額には埋まっている。
同時にふたりがジェリアの管轄下にあった研究施設から救い出されたという過去を今さらながら思い出したのだろう。
「裏切っていたのか……」
思わずといった風にサークがもらした言葉にジェリアが小さく吹き出した。
「あらあら。裏切り者扱いされるなんてかわいそう。本人たちは何ひとつ自覚がないのに……」
そう言いながら頬に手のひらをあて、わざとらしく悲しそうな表情を見せる。
「まあ、自覚がなくても実質的には裏切りになるのかしら?」
「どういうことですか?」
エリオンの問いかけに満面の笑みを浮かべてジェリアが答える。
「今回はずいぶん情報の隠蔽に注力していたようだけど……。そんなことしても無駄よねえ。だってこの子たちを通して全部筒抜けだったんだもの」
「なっ……!」
アルディスを含めた三人が絶句する。
「ちょうど調教済みの子を連れ出してくれたおかげで、わざわざ動向を探る手間も省けたわ。ふっ……ふふふっ、ほーんと滑稽ね」
楽しくてたまらないといった笑顔をジェリアが見せた。
ジェリアの話が真実なら、アルディスとルーシェルはよりによって敵の間諜をウィステリア傭兵団へ引き入れたことになる。
レイナとキョウによって、傭兵団の人間はおろか本人たちすら気付かないうちに動向が知られていたと知り、アルディスはまたも自分たちがジェリアの掌の上で踊っていただけだと気付かされた。
「ちなみに調教済みならこんな事もできるのよ」
三度ジェリアが指を鳴らすと、キョウがその剣先をレイナの胸へと向けた。
「な、なんで!? やめてキョウ!」
唐突にレイナの声が響いた。
先ほどまでの虚ろな瞳ではなく、しっかりと焦点の合った瞳だ。
状況を理解できないレイナは目の前で剣を突きつけているキョウに呼びかけるが、キョウの方はまだ正気を取り戻していない。
「逃げろレイナ!」
「う、動けない! 身体が動かないよアル兄! なんで、どうして!?」
ゆっくりとキョウの手が剣を前に運ぶ。
「ふふふっ、だって身体の自由は許可してないもの」
恐怖に怯えるレイナをジェリアは愉悦の表情で眺めていた。
「くそっ!」
剣を手に飛び出したアルディスの前にマーティが立ち塞がる。
「どけ!」
「面白そうだから行かせねえよ!」
アルディス同様に動き出していたサークとエリオンも行く手を遮られていた。
ちらりと一瞬だけ視線を向ければエリオンの前にはマーティの仲間が、そしてサークの前にはそれまで直立不動だったはずの少年が立ちはだかっている。
「やめろ、キョウ!」
マーティと斬り結びながらアルディスが呼びかけるが、キョウはなんの反応も見せない。
ただその手に握った剣をゆっくりとレイナの心臓に向けて動かしている。
「ふふっ、呼んでどうにかなるわけないじゃない」
「やだ! やめて――やめてキョウ!」
身体を動かせないレイナが必死に訴える。
アルディスはなんとかマーティを突き放して助けに向かおうとするが、一流の剣士が足止めに全力を注いでいるのだ。そう簡単に振り切れるわけもなかった。
そうして手間取っているうちにとうとう剣の先端がレイナの身体に届いてしまう。
「いや……、助けてアル兄!」
救いを求める声。
恐怖と涙でまみれた黒い瞳がアルディスと交差する。
次の瞬間、無慈悲にキョウの剣がレイナの胸へと吸い込まれていった。
「あ、ああ……」
言葉にならない音がレイナの口からもれ、追いかけるように鮮血がこぼれた。
「レイナぁ!」
アルディスの叫びに重ねてジェリアが指を鳴らす。
「え…………?」
レイナに剣を突き立てた状態でキョウが正気を取り戻した。
「あ……あああぁ! 姉さん! どうして!?」
そしてなぜ自分が姉に剣を突き立てているのかも理解できず錯乱状態になる。
身体の自由が利かないことすら気付いた様子もなく狼狽あらわにキョウは叫び続けた。
「くそっ、どけマーティ!」
「あーっはっは!」
冷静さを失ったアルディスはがむしゃらに剣を振るってマーティを排除しようとする。
しかしその必死の試みも状況を好転させることはなかった。
「キョウ!」
ただ届かせることができるのは声だけ。
手の届かないもどかしさと苛立ちがアルディスを包む。
「ち、違う……! 僕は……僕じゃない! 僕じゃないんだ!」
アルディスに責められていると感じたのか、キョウは涙を撒き散らしながら訴えた。
「信じてアル兄! 僕は姉さんを刺したりなんて――」
「ご苦労様、もういいわ」
その言葉の途中、一瞬にしてキョウの首を一本の剣が断ち切る。
途切れた言葉の代わりに鮮血が飛び散り、ゆっくりとキョウの首が床へ落ちていった。