第318話
「急ぐぞ、グレイスたちに置いて行かれ――」
遅れを取り戻そうと屋内に足を踏み入れた途端、アルディスたちは予想外の出迎えを受けることになる。
突然視界の脇から飛びかかってきた影にアルディスは脊髄反射で剣を振るう。
刃を叩き込まれたはずの影は、だがしかしそれをものともせず身体ごとぶつかってきた。
「なっ……!」
予想外の出来事にアルディスの反応が一瞬遅れる。
「アル兄!」
反撃を受けそうになったアルディスの横からキョウが刺突を繰り出し、追いかけるようにレイナが影の横腹へ斬りつけた。
「すまん!」
ふたりの援護によって体勢を整える猶予を得たアルディスは一歩飛び退いて影と距離を取る。
そうして相手の姿を捉えると共に驚愕で目を見開いた。
「こいつは!?」
その姿は人のようであって人でない。
頭部、胴体、四本の手足といった各部位こそ人間と同様だが、その体表は生物というよりは鉱物のように無機質な輝きを放っていた。
固化した溶岩を思わせるそれは、全身焼けただれた死体が動いているようにも見える。
アルディスの中で忌まわしい記憶が呼び起こされた。
それはかつてウィステリア傭兵団を壊滅状態に追いやった異形の敵にそっくりだったからだ。
「ふたりとも障壁は常に全力で張れ! こいつは危険だ!」
警告を発した上でアルディスも障壁を五重に展開する。
受け身に回って勝てる相手ではないと、踏み出して異形へと斬りかかる。
無論異形も大人しく斬られるわけがない。
人間でいうならば右の腕を大きく振るってアルディスの剣を弾こうとする。
手に岩塊へ切りつけたかのような衝撃が伝わってきたが、それでもこの五年間戦いに身を捧げてきたアルディスの一撃である。
歯が立たなかった前回とは違い、異形の腕を断ち切るくらいには剣撃も鋭くなっていた。
「くらえ!」
当然腕の一本を失ったくらいで異形が止まるなどとは思っていない。
たたみかけるようにアルディスは異形の頭部へと魔術で作り出した氷塊を叩き込む。
ぶつかった衝撃で氷塊が砕け散る一方で異形の方には傷ひとつ付かない。
しかしさすがに勢いそのものは殺せなかったらしく、頭部が弾き飛ばされたように後ろへとのけぞる。
「キョウ!」
体勢を崩した異形へレイナが横から斬りかかった。
上段から振り下ろした剣が首を断ち切ろうとするが、それを防ごうと異形は身体を無理やり半回転させて左腕で剣撃を受ける。
重たい音を残して異形の腕が切り離された。
「はいよ!」
レイナの呼びかけに応えたキョウの剣先が言葉よりも早く宙を突き抜ける。
すでに追い込まれた体勢の異形へ、追い打ちとなるそれが人間でいうところの胸を貫いた。
だがこれで終わりだと油断するわけにはいかない。
以前戦った異形たちのしぶとさをアルディスは忘れていなかった。
「まだだ!」
動きの止まった異形に横から渾身の一撃を加えて異形の首を落とす。
それでもまだアルディスは攻撃の手を休めない。
二振り、三振りと剣撃を重ねてしつこいくらいに異形の身体を斬り裂き、同時にレイナとキョウも合間に攻撃を繰り出して確実に異形にダメージを与えていく。
アルディスが剣で異形に斬りかかること七回。
ようやく異形がその動きを止めた。
しかし息をついたのも束の間。
目の前の敵を排除してようやく周囲へ目を向けたアルディスに信じられない光景が突きつけられる。
小隊同士の模擬戦すらできそうなほど広い室内を埋め尽くす色は赤、赤、赤――。
天井は高く、二階分を吹き抜けにしたと思われるその室内はいたるところが鮮血で染まっていた。
その鮮血を生みだした源へ目をやり、そこに見慣れた仲間の姿を見つけて事態の深刻さを理解する。
血を流して倒れているのは味方ばかり。
そして部屋の方々で仲間を死の淵に追いやっているのは今しがたアルディスが倒したのと同じような異形たちだった。
その数、およそ五十。
「あんなにいっぱい……」
先ほどの一戦で異形の実力を理解したのだろう。
レイナが唸るようにつぶやいた。
確かにこの戦いへ参加している傭兵たちは精鋭ばかりだ。
同数ならローデリアの正規軍相手に後れを取ることはないだろう。
だがそれは相手が同じ人間ならば、である。
相手が人ならぬ異形の化け物となれば話は別だ。
事実、味方は明らかな劣勢であった。
今はまだ味方の方が数は多いが、それもいつまでのことか。
ひとり、またひとりと追い詰められて減っていく仲間を目の当たりにしながら、一瞬立ち尽くしたアルディスに向かって何かが飛んできた。
反射的に障壁をまとってそれを弾いたアルディスは、自分に向かって飛んできた物の正体に息をのむ。
「レ、レクシィ……」
障壁に弾かれて床に転がったのは、アルディスもよく知る古参の女傭兵――レクシィの生首だった。
断ち切られたばかりであろうその断面からにじみ出た赤い血が床に染み広がっていく。
「……くそっ!」
「アル兄、来るよ!」
キョウの声に反応したアルディスの目がこちらに向かってくる異形の姿を捉える。
「ふたりとも、グレイスを相手にするつもりで戦え!」
力を出し惜しみして勝てる相手ではない。
自分自身に言い聞かせるように声をかけながらアルディスは異形を迎え撃った。
急激に距離を詰める異形へ狙い澄ました一撃を放ち、その勢いのままたたみ込む。
五年前であれば歯が立たない相手だったろう。
しかし復讐と共に戦いで明け暮れた年月は確実にアルディスの実力を高めていた。
「一体だけなら……!」
複数相手は無理でも一対一なら十分に戦える。
苦心しつつも二体目の異形をたたき伏せ、すぐに自分へ向かってくる新手がいないことを確認するとアルディスは周囲の様子に目を向ける。
状況は良くなかった。
血だまりはなおも増え続け、立っている味方は減り続けている。
戦っている仲間の数は五十近くにまで減っている一方で、異形は未だに四十体以上が健在のままだった。
敵味方の頭数は間もなく並んでしまうだろう。
「このままじゃあ……」
明らかに味方は劣勢だった。
少し離れた場所ではレイナとキョウが絶妙な連携で異形の一体と戦っている。
あの若さでそれができるのはふたりの力量が並外れているからだが、それでも二対一でようやく対等に渡り合っているのが現実だった。
ヴィクトルはさすがと言うべきか異形相手に押しているが、それ以外の傭兵たちは複数掛かりで敵一体と戦うので精一杯。
ひとりで複数の異形を相手にしているのはグレイスただひとりだけだ。
仲間の傭兵がまたひとり倒れ、凶手たる異形が新たなターゲットを求めてグレイスのもとへ襲いかかる。
「ちいっ!」
さすがのグレイスといえど三体の異形を相手にするのは無理だろう。
アルディスは足もとに落ちていた剣を三本拾い上げて支配下に置く。
それを魔力で操ってグレイスの援護へ向かわせると同時に自らも駆け出した。
「後ろだグレイス!」
アルディスの警告により新手に気付いたグレイスが五本の飛剣を背後の守りに差し向ける。
しかしそれが正面で戦っている異形に対する隙となってしまった。
二体の異形を同時に相手しているだけでも相当な負荷がかかっていたのだ。
後方からさらなる一体に対応しようとすればその均衡が崩れるのも当然だろう。
「くっ、間に合わない!」
アルディスの飛剣が援護に入るが、それもわずかに間に合わない。
三体の異形に囲まれていたグレイスの防御を、異形の振るう腕がすり抜ける。
「グレイス!」
防具ごとえぐられ、にじみ出た血でグレイスの脇腹が赤く染まった。
ようやくたどり着いたアルディスが異形の一体へ剣を叩き込む。
間を置かず反撃してくる異形の攻撃を避けながらアルディスはグレイスの背を守るように立った。
今しがたアルディスの攻撃を受けたばかりの異形は、負傷の影響も感じさせず俊敏な動きでまたも襲いかかってくる。
重い手応えと共に与えた傷も異形にとってはなんら堪えないようだった。
「すまん、アルディス」
「動けるか?」
負傷した相手を気遣うアルディスに、グレイスは笑みを浮かべながら異形へと強烈な一撃を叩き込む。
「はんっ、誰に物言ってんだ」
「そうかい」
動けなければその時点で死ぬ。
戦場というのは大抵の場合そういうものだ。
追い詰められて絶体絶命であっても不敵に笑ってみせることが勝機につながることもある。
たとえやせ我慢だったとしても、それは長年戦場を渡り歩いてきた男の本能的な反応だった。
「まだまだひよっこには負けられんからな」
「引退するにはまだ早いだろうしな」
「年寄り扱いするんじゃない!」
背中合わせに死角をカバーし合いながらアルディスとグレイスは三体の異形に連撃を繰り出す。
互いにそのクセまで知り尽くしている仲だ。
アルディスに至ってはグレイスに一から剣術を叩き込まれたようなものである。
言葉にせずともつながる意志というものがあるなら、きっとそれはこの瞬間のふたりが感じているものがそうなのだろう。
グレイスの一撃へかぶせるようにアルディスが剣を振るい、アルディスの踏み出した一歩をフォローするようにグレイスが牽制とばかりに剣を薙ぐ。
その連携に、一体また一体と異形が形を失っていった。
そうして目の前にいた三体の異形を倒したものの、状況はなお悪い。
いくらウィステリア傭兵団の精鋭ぞろいとはいえ、グレイスやアルディスのように一対一、あるいはそれ以上の数を相手に異形と戦えるほどではない。
決して仲間の傭兵たちが弱いというわけではなく、ただただ純粋に異形たちが文字通り人間離れした強さだからだった。
数的優位はすでに失われ、アルディスたちにも新手の異形がすぐに襲いかかってくる。
休む間もない戦いを強いられ次第に追い詰められていく中、グレイスが忌々しそうにつぶやいた。
「こんなに堂々と化け物を飼ってるとはな」
剣を振るいながらアルディスは心の中で頷いた。
ここは辺境にひっそりと立つ研究施設ではない。
つい数時間前まで数百の人間が詰めていたローデリア王国の拠点である。
王国の重鎮が本拠とする城にこうも異形が堂々と出てくるとは、さすがのアルディスも予想していなかったのだ。
「ジリ貧か……」
次第に味方が数を減らし劣勢になる状況を見てグレイスが舌打ちをする。
「おい、アルディス」
「なんだよ」
異形の攻撃をかわしながら返事をすると、グレイスはアルディスを狙っていた異形に蹴りを食らわせながら短く告げた。
「お前、先に行け」
「は?」
一瞬何を言われたかわからず反射的にまぬけな声が出た後、アルディスはすぐにグレイスの言わんとするところを理解した。
「どうやらここいらで勝負に出なきゃならんらしい。せっかく手の届くところにまで来たんだ。成果もなしに帰ったんじゃ、死んでいったヤツらに顔向けできないだろう?」
「……」
どうやらグレイスはこの戦いを敗色濃厚と判断したようだった。
それ自体はアルディスも薄々感じていたことである。
策を講じて少数精鋭で襲撃をしたにも関わらず、個の強さで劣り、今こうして数的優勢も失いつつある。
これで勝ちを拾えると思うほどアルディスも楽観論者ではない。
「このままじゃ埒があかん。面白くはないが、あの女をとっちめるにはどうも全体的に力不足のやつが多いらしい」
異形という予想外の敵に道を阻まれ進むに進めない今、このまま全員がすりつぶされていくよりは誰かが強引に突入して敵将を仕留める可能性に賭けた方がまだ現実的だと判断したのだろう。
先に行け、とはつまりその役目をアルディスに任せるという意味だった。
「……だったら俺じゃなくてグレイスが行った方がいいんじゃないのか?」
「なんだひよっこ。年寄りをこき使おうってのか?」
「さっき年寄り扱いするなって言ったのはどこの誰だよ」
軽口をたたきながらも、アルディスはどこか心の冷静な部分でグレイスの判断を正しいと理解していた。
五体満足であればともかく、今のグレイスは大きな傷を負って脇腹を赤く染めている。
それでもなお異形と互角以上の戦いをしているのはさすがと言うべきだが、それでも先ほどより少しずつ動きが鈍くなっている。
そしてそれは時間の経過と共にさらにひどくなっていくに違いない。
「ルーの分だってあるからな。お前が適任だ」
アルディスがこの場を離れればそれだけ天秤は不利な方へと傾くだろう。
しかしそれでも現状を打破する有効な手段がない以上、ここで勝負に出なければ死んでいった仲間は無駄死にというほかない。
「……わかった」
異形を一体斬り捨てた後、アルディスは決意を込めてグレイスの言葉を受け入れる。
「それでいい。師匠の言うことは素直にきいておくもんだぞ」
異形の攻撃をかわし、カウンター気味に蹴りを叩き込んだ後でグレイスがアルディスの背をトンと押す。
「遠慮はいらん。俺の代わりに一発でいいからあの女をぶん殴ってこい!」
その言葉を背負い、弾かれたようにアルディスが奥を目指して飛び出した。
行く手を阻もうとした異形がグレイスの飛剣で押し止められ、わずかに開いた道を縫ってアルディスが駆け抜ける。
「サーク、エリオン! お前らも行け!」
後方でグレイスの声が響き、それを合図に異形の間から双子が抜け出してくる。
アルディス、サーク、エリオン。
ウィステリア傭兵団の中でも指折りの実力者が抜ければそれだけ異形との戦いは厳しくなるだろう。
だが今さら後ろを振り返ることはできない。
アルディスがすべきことはただひとつ。
すべての元凶たるこの城の主へその手で直に報いを受けさせることだけだった。