第312話
【注意!】残酷な描写があります。
「くそっ! ひとりになるのを狙ってやがったか!」
悪態をつきながら壮年の剣士が森の中を駆ける。
少々粗野な印象を受ける男は追っているはずの獲物から逆に狩られるという立場に追いやられ、焦りをあらわに逃げていた。
追いかけるのはアルディスとロナのふたり。
砦から脱出した翌日、さらに捜索の範囲を広げた追っ手を避けながら状況を見守り、アルディスたちはやがて単独行動をはじめた五人組のひとりへと狙いを定めた。
アルディスもロナもこの四年間で確実に実力を身につけている。
マーティたち五人を同時には相手できずとも、ひとりひとりが相手ならば一対一でも決して後れを取ることはない。
まして数も二対一となれば逆に圧倒することもできる。
それが今この状況につながっていた。
「こんなこと――! 早くあいつらに報せねえと!」
不利を悟って逃げをうつ男だが、当然それをアルディスたちが許すはずもない。
アルディスの投げた短刀が男の足をかすめ、動きが一瞬鈍った隙を見逃さずロナがそのすねに食いつく。
「ぐっ……この犬っころが!」
男が手に持った剣でロナを斬り払おうとするが、当然それは予測できたこと。
剣の振り抜かれた場所にはすでにロナの姿はなかった。
「ちっ!」
舌打ちをして再び走り出そうとした男の足を今度はアルディスの剣が襲う。
身体強化された腕によって振り抜かれた剣はあっさりと男の片足首を切断した。
「ぎゃあああ!」
悲鳴と共に男がバランスを崩して地面へと倒れこむ。
「ひっ……、俺の足がぁ」
流れる血を留めようと必死に手で押さえる男のそばへアルディスが歩み寄る。
「くそっ、テメエ!」
尚も抗おうとする男の剣撃をアルディスはひと振りで弾き、相手が剣を持っている手に体重をかけて踏みつけた。
骨の折れる音が響き、男が剣を手放す。
「テメエ……こんなことをしてただで済むと――」
睨みつけながら吠える男を無視してアルディスは男の顔を思いっきり蹴り上げる。
「ぐふっ!」
続いて手に持った剣の先端を男の太ももに突き刺す。
「があああ!」
男が憎悪をあらわに声を荒らげた。
「殺す! ぜってえ殺すぞテメエ!」
だがアルディスは口を開かない。
ただ無言のままに再び蹴りを加えると、今度は踏みつけていた男の手から人さし指を剣で斬り落とす。
「ぎっ……、ざ、けんな!」
男がもう一方の腕を振り上げたそのとき、今度は横で事態の推移を眺めていたロナがその拳へと噛みつく。
「ぎゃああ!」
血飛沫が舞い、男の小指が失われた。
ロナが血にまみれたその口から小指を吐き捨てる。
「ひぃ……!」
とうとう男の心が折れたようだ。
武器を失い、片手は骨が折れてもう一方は小指を食いちぎられ、片足は剣で突き刺されて流血、残った方は足首から先を失っている。
魔術が使えたならばこの状態からでも戦う術はあるだろう。
だが男は魔術が使えない。
剣技のみで戦場を渡り歩いてきた男にとって、今の状態から起死回生の一手を狙うなら相手を食い殺すくらいしかないだろう。
しかし男にその気概はなかったようだ。
あったとしてもアルディスに噛みついたその瞬間、逆にロナの牙が男を終わらせるだけである。
「な、なんだよお前ら……」
男の表情からは闘争心が消え失せている。
今や男は生殺与奪を握られた弱者であった。
不安からアルディスの言葉を引き出そうとする男だったが、それに答える声はない。
アルディスは沈黙したまま剣を振るい、男の片耳を斬り落とした。
「うぎゃあ!」
男の口にする悲鳴など気にもせず、今度は踏みつけていた腕の先へと剣を向ける。
「痛え……、やめ……!」
ロナが反対側の残された指を噛みちぎり、アルディスはときおり男の顔を蹴りながら剣先で新たな穴を空ける。
「やめてくれぇ! 頼む!」
アルディスは答えない。
ただ憎悪を黒い瞳に浮かべたまま淡々と男を刻んでいく。
「助けて、助けてくれ!」
やがて男が命乞いをしはじめた。
それでもアルディスとロナは止まらない。
男にとっては理解の及ばない恐怖だろう。
要求をされるでもなく、罵倒されるでもなく、ただ無言のまま身体を切り刻まれているのだ。
いつ終わるとも知れない責め苦に、男は涙を流して懇願する。
「お願いでず……許じでぐださい……」
そこにいたり、ようやくアルディスの手が止まった。
「あ、ありが――」
殊勝に感謝の言葉を口にしようとした男はすぐにまた悲鳴をあげることになった。
「ぎゃあああ!」
アルディスが魔術によって生みだした炎で男の傷口を焼いたからである。
剣によって斬り落とされた足首や指、ロナが食いちぎった指のあと、剣で突き刺されて赤く染まった傷。
それらからの流血で男が失血死しないよう無理やり傷を塞ぐと、ようやくアルディスがその口を開いた。
「だんまりは許さん。嘘も許さん。正直に答える以外の選択肢はないと思え」
男は返事を声にすることもなく、怯えながら何度も頭を上下に振って肯定の意を表す。
「ルーは……ルーシェルはいつからあの砦にいた?」
「ルーシェル……?」
戸惑いを見せる男に苛立ち、アルディスは残されていたもう一方の耳を斬り落とす。
「ひぃぃ!」
「お前は! あんなことをしておいて! 名前すら――!」
「ご、ごべんなざい! 許じで!」
何度も顔を殴られながら男が許しを請う。
怒りを押し殺しながらアルディスが再び問いかけた。
「…………地下牢につながれていた黒髪の女はいつからあの砦にいた?」
「よ、四年ど半年ぐらい前でず」
「どこから連れてこられたんだ?」
「ぞ、ぞれは知りまぜん……、ほ、本当でず! 本当に知らないんでず!」
「連れてきたのは誰だ?」
「将軍でず」
「将軍? ローデリアの将軍か?」
「はい……、ローデリアのジェリア将軍でず。どごがら連れてきたのかは知らないですが『女っ気がないから遊び相手にちょうどいいんじゃない』って、『手足がなくても十分使えるでしょ』って……」
それを聞いた瞬間、アルディスの怒りが頂点に達する。
「あの、女か――! ……またあの女かあああ!」
「びぃぃ!」
アルディスの怒気に男が悲鳴をあげる。
「どこまでも……! どこまでもあの女は――!」
かつてウィステリア傭兵団の仲間たちを虫けらのように使いつぶしたローデリアの赤い凶蝶ジェリア。
ジェリアに対する憎悪は年月を経た今も薄まることはない。
だが、もはや濃さを増すこともないと思っていたそれはアルディスの限界を超えてさらに漆黒へと近付いていく。
目の前が赤く染まりそうなほどの怒りを抱えながら、アルディスは男への尋問を続けた。
マーティたち五人がウィステリア傭兵団を追い出された後、子飼いの傭兵としてジェリアの配下となったこと。
その後あの砦に配され、四年半前に手足を斬り落とされた状態のルーシェルがジェリアによって連れてこられたこと。
ジェリアの指示により砦所有の慰み者としてルーシェルが陵辱され続けたこと。
その凄惨な扱いにルーシェルの精神は一年前から壊れていたこと。
マーティたち五人の他に、砦へ配属されていた歴代の巡回部隊は全員がルーシェルを慰み者にしていたこと。
一方で訓練や演習目的で砦に滞在していた兵士たちはルーシェルの存在自体を知らないこと。
すぐにでも殺したい衝動を耐えながら、時間をかけて聞くべきことをすべて聞きつくすとアルディスは立ち上がる。
「ご、ごれで全部でず……。他には何も知りまぜん」
すべてを吐きだした男は慈悲を求めてアルディスに目で訴える。
「だ、だがら助げて……」
「は?」
しかしアルディスから向けられるのは憎悪をはらみながらもどこまでも冷め切った視線。
「助けるだと?」
「だ、だっで……全部話じだ……」
「だから? 助けると? ハッ……。ハハハッ」
一切の笑みを見せずに声だけで笑ってみせるアルディス。
「お前らがルーにやったことが、この程度で許されると思ったのか!」
怒鳴り声と共にアルディスが剣を振るう。
ひと振り目で男の右腕が斬り落とされ、ふた振り目で左腕が千切れ飛んだ。
しかしそれでは終わらない。
続くひと振りが男の右足をももから断ち切り、最後のひと振りで同じように左足が胴体を残して離れていく。
「びぎゃああああ!」
魔術の炎で断面を焼き流れる血を止めると、アルディスは冷たく言い放った。
「ほんのわずかでもいい、ルーの苦しみを思い知れ」
ようやく男は自分が許される余地など最初からひとかけらもなかったことを理解したらしい。
「ごべんなさい! ごめんなざい! ごべんなざい!」
もはや相手の慈悲にすがるしかない男はただひたすら謝罪の言葉を口にするが、アルディスはそれを無視して芋虫のようになった男の口へ大きな石を詰め込んで黙らせる。
そしてうめき声をあげ続ける男を担ぐと森の奥深く、砦からの救援が絶対に来ないであろう場所まで連れて行くと地面へと放り投げた。
「ひと思いに殺してやるなんてことはしない」
苦痛から一瞬で解放されるのではなく、懺悔しながら後悔と共に無様に息絶えること。
それがルーの尊厳を踏みにじった外道に与えるべき罰だろう。
人が足を踏み入れない森の奥は獰猛な獣や凶悪な虫たちの楽園である。
手足を失い、魔術も使えない男が自力で砦へ帰還することなどできないし、身を守る術すらもないだろう。
「生きたまま食われろ」
そう吐き捨てて立ち去るアルディスの後ろで、血の匂いに誘われて集まった大型の虫が男の身体に群がりはじめていた。