第304話
ローデリア王国の女将軍ジェリアの罠にはめられ、ウィステリア傭兵団は壊滅的な被害を受けた。
かつて三百人を数えた団員は生還者四十三名、作戦に参加していなかった傭兵三十六名、そして見習いや非戦闘員の四十八名を合わせて百二十七名にまで減っている。
その数は数日前の半数を割り、おまけに非戦闘員が三分の一を超えるという歪な構成だ。
再建に要する時間と今後待ち受ける苦難を考えれば頭を抱えても仕方がないような状況下。
しかし傭兵たちが全身にまとっているのは悲壮感ではなく隠しようもない純然たる怒りだった。
死んだ仲間の傭兵は誰かにとっての相棒であり、誰かにとっての恩人であり、誰かにとっては恋人であり、誰かにとっては親代わりでもあった。
それがむごたらしい最後を強いられれば平然としていられるはずもない。
ジェリアは言っていた。
ここはペットの実験場だと。
その実験相手として道具の様に利用され、多くの傭兵がただ無残に命を散らした。
つぶされ、溶かされ、生きたまま食われ――。
人らしい死に方すら許されなかった仲間たちのことを思えばその怒りも無理もない。
今やウィステリア傭兵団は凶蝶のジェリアというただひとりをその憎しみを向ける相手として心をひとつにしていた。
決して好ましくはない黒く歪んだ思念をまとわせながら、ウィステリア傭兵団は道を踏み外し始める。
そんな中、周囲の仲間たちとは少し違った意味で重い空気を背負う人間がいた。
「ねえ、アルディス……」
他の傭兵たちから距離を取って適当な岩へ腰を下ろしていたアルディスのとなりへルーシェルが座り、長い沈黙の後で口を開いた。
「あの施設って……」
アルディスが顔を横に向けてルーシェルと視線を交わす。
無言でルーシェルに同意した後、アルディスは目をそらして再び顔を正面へと向けた。
「やっぱり、だよね」
ルーシェルの言わんとすることはわかっていた。
アルディスの脳裏へ強烈に焼きつけられているあの建物。
意識を取り戻し、自分が実験動物として扱われていたあの場所。
かつてアルディスとルーシェルが捕らえられていた場所と、今回戦いの場となったあの場所はあまりにも似すぎていた。
建物の色や形、内部の構造、各部屋に据え置かれた用途不明の奇妙な小道具、そして白衣をまとった研究員たち。
同じ場所ではない。だが明らかに同じ作りの建物と中身。
それはつまりアルディスたちのいた建物も戦いの場となったあの施設も、同じような目的のもとに作られているということだろう。
ルーシェルの手がアルディスに伸びる。
服の袖を小さく握ったその手がわずかに震えていた。
アルディスと違いルーシェルには実験体として扱われた記憶がない。
その前にアルディスが連れ出したからだ。
だが今回の戦いを経て、自分がどんな施設に捕らえられていたのかようやく理解したらしい。
あのままアルディスと共に逃げ出さなければどうなっていたのか、それを今回まざまざと見せつけられたのだ。
恐ろしく感じるのは当然だろう。
「ルー……」
アルディスがルーシェルを腕の中に迎え入れる。
震えるその身体を両手で包み、ゆっくりと抱きしめた。
あの時、アルディスにはルーシェルを見捨てる選択肢もあった。
何もかもがわからない中、アルディスにとってルーシェルは足手まといになる可能性が高かったからだ。
だが今はこの温もりをあの場所から救い出せたことにアルディスは心の底から安堵していた。
過去の自分に感謝を向けながらも、同時に思い出されるのは忌々しい記憶の数々。
薄い記憶の中で幾度も殺し殺された。
身体をいじくり回されて得体の知れない薬物を投与され、意味もわからない術を施された。
そうして自分を人間ではない何かに作り変えた元凶の源。
これまで忘れかけていた澱みが浮かび上がってくる。
今回戦った化け物は大半が人間のような形状を持っていた。
あの建物に捕らえられていた自分たちのなれの果てがあの化け物だった可能性すらある。
意識を取り戻した直後、あの建物から逃げ出すことを選ばなかったなら…………。
そう考えてアルディスの背を冷たい汗がつたう。
そんな考えを振り払うように、アルディスは腕の中の温もりを強く抱きしめた。
「ねえ、アルディス」
「なんだ?」
しばらくして、落ち着きを見せてきたルーシェルが腕の中からアルディスを見上げ問いかけてくる。
「あの研究施設、……まだ囚われている子供たちがいるのかな?」
その問いにアルディスは顔色を曇らせた。
今回脱出の際にふたりの子供を救出できた。
しかし結局のところアルディスたちは施設を制圧するどころか負けて逃げ出したのだ。
つまり施設の中にはまだまだこちらの確認できていない場所があることだろう。
あのふたりと同じように囚われている子供たちが他にいてもおかしくはなかった。
「もしそうなら……、早く助けに行かないと。そうしないと……」
ルーシェルが濁した言葉をアルディスは正確に読み取る。
「あの施設に忍び込んで囚われている子供を連れ出す、か……」
「うん」
アルディスとて気持ちの上ではルーシェルと同じだが、その一方で傭兵として冷静な部分が今はダメだと訴える。
「わかってる。だけど今はまだ無理だ。向こうも警戒しているはずだから」
襲撃を受けたばかりの研究施設は当然警戒が厳重だろう。
破壊された施設を修復し、平常を取り戻すまでは警備の目もきついはずだ。
いくら忍び込むといってもそんなところへ乗り込んでいくのはさすがに危険が大きすぎる。
相手が混乱している今こそむしろ好機だとする考え方もあるだろうが、こちらは囚われている子供がどれだけの人数いるかすら把握していないのだ。
ひとりやふたりならいい。だが人数が増えれば密かに脱出させるのは途端に難しくなってしまう。
事前に綿密な調査が必要だし、それにはもう少し状況が落ち着いてからの方が好ましいだろう。
「グレイスたちにも相談してみよう。最悪の場合は俺たちふたりで忍び込んで子供たちを助け出す。だから今は……」
「うん……ごめん」
以前ならともかく今のウィステリア傭兵団には余裕がない。
グレイスたちの協力は得られない可能性が高かった。
だがそれでもアルディスは研究施設に囚われている子供たちを他人事として切り捨てることなどできない。
在りし日の自分に差し伸べられることのなかった救いの手。
それを見知らぬ誰かに差し出し、見事救い出すことができれば自分の人生にも何か意味が見出せるのではないかと、そうアルディスは考え始めていた。
それからふた月の時が流れた。
ジェリアへの憎しみと怒りは募れど、生きていくためには稼がなくてはならない。
ウィステリア傭兵団は報復の機会を窺いながらも、傭兵団として組織の立て直しを図っている最中である。
人数は大きく減少したものの、グレイスをはじめとしてヴィクトル、ジョアン、ダーワット、レクシィといった精鋭たちはいまだ健在であった。
大規模な戦力を投入することはできないが、少数精鋭を戦場へ送り出すことで一定の存在感は維持できている。
その一方で頭数が足りない点はいかんともしがたく、ひとりひとりの負担はどうしても大きくなっていた。
アルディスも例外ではない。
戦場での戦働きは当然のこと、多くの古参が死んでしまった今となっては傭兵団の中核を担う立場に押し上げられてしまい、見習いの子供たちを指導する役目も押しつけられている。
加えて研究施設から子供たちを救出するための情報収集と事前準備にも時間を取られ、毎日目の回るような忙しさに追われていた。
「アル兄ぃ! 見て見て、ほら!」
元気いっぱいにアルディスを呼ぶ声がする。
見ればアルディスと同じ色の瞳をした少女が手のひらに小さな火球を生みだしてこちらへ見せつけていた。
「もう火球が使えるようになったのか?」
関心と驚きを含ませてアルディスが目を丸くする。
少女の名はレイナ。
アルディスとルーシェルが前回の戦いであの研究施設から助け出した子供のひとりだ。
「お姉ちゃんずるい! 僕だってほら、火球できるようになったんだよアル兄」
今度はさらに背の低い少年が負けじと小さな火球を浮かべてアルディスへ見せつける。
レイナと同時に助け出された弟のキョウであった。
当初は泣いてばかりだったふたりだが、ウィステリア傭兵団に保護された結果少しずつに表情も明るくなり、二ヶ月経った今では元気いっぱいの様子を見せている。
特に髪や目の色が同じことで親近感を持ったのか、それとも助けてもらったことをちゃんと理解しているのか、アルディスとルーシェルへ特に懐いていた。
アルディスをアル兄、ルーシェルをルー姉と呼んでまとわりつく小さなふたりに、あの時の行動は間違っていなかったとひとり感じ入る。
「今日はルー姉いないの?」
「んー、ちょっと調べ物に出かけてるよ」
キョウの問いかけにアルディスは曖昧な返事をした。
あの敗北から二ヶ月。
アルディスとルーシェルは研究施設の情報収集と、施設へ忍び込んで子供たちを救出するための準備に奔走していた。
商人を通じて手を回すことで多くの情報を得、研究員のひとりを買収してようやく潜入の手はずが整ったところである。
ルーシェルはその最終確認のために施設の近くまで単独で偵察に出かけていた。
「夜には戻るの? 料理教えてもらう約束してるんだけど」
「へえ、レイナは料理の勉強もしているのか。頑張り屋さんだな」
「えっ? そう? ……えへへ」
剣ダコだらけの手で頭を撫でてやると、照れくさそうにレイナは笑った。
「あー、僕も! 僕も!」
子供らしいおねだりにアルディスは頬を緩ませてもう一方の手でキョウの頭を撫でる。
ふたりの前髪が揺れて額があらわになる。
その額には赤い小さな宝石らしきものが埋め込まれていた。
研究施設で戦っていた化け物の額にも同じような石があったことをアルディスは思い出し、やりきれなさに胸を灼いた。