第302話
「あれが今回の襲撃目標?」
「そうらしい。あの女将軍自ら管理下に置いているという研究施設なんだとよ」
レクシィの問いかけにグレイスが頷く。
ウィステリア傭兵団は新たに五ヶ国連合からの依頼を受け、ローデリア王国の辺境へとやって来ていた。
依頼の内容は研究施設の制圧。
アルディスたちの見下ろす先には角張った灰色の研究施設が森の中に潜むような形で建っている。
建物の大きさから考えて中にいる人間の数は百人を超えるだろう。
ひっそりと人知れず――というわりには大規模な施設に見えた。
「あと、襲撃じゃなくて俺たちの仕事は制圧だぞ」
言葉の表現が気になったのかグレイスは訂正するが、一方のレクシィはどこ吹く風である。
「どっちでも変わらないでしょ?」
「大違いだろうが。今回俺たちが相手にするのは兵士でも傭兵でもないんだ。武器を持って襲いかかってくるやつに遠慮してやる必要はないが、無抵抗な人間を惨殺するのが目的じゃない」
「はいはい、わかってますとも。研究資料と研究員の確保が最優先。それが無理なら資料の焼却や設備の破壊を、だっけ?」
そんなふたりの会話に横からダーワットが口を差し挟む。
「だったら建物囲んで外から丸焼きにすれば話が早いんじゃないか?」
今度はそれに対してヴィクトルがダメ出しをした。
「むやみに非戦闘員を殺すのは感心しませんね。私たちは山賊じゃないんですよ」
山賊扱いされたダーワットは一瞬むくれ顔を見せ、次いで少し離れた場所にいる三人の兵士へと視線を向ける。
「監視役の兵士さんがそれで納得するかねえ?」
「監視役じゃないですよ。案内役です、案内役」
「同じことじゃねえか」
「建前というのは大事なんです」
誰かさんたちと同じようなやり取りを繰り返し、ダーワットは軽く肩をすくめて引き下がった。
「ま、俺だって好きで人殺しなんてしたかねえしな。無抵抗なら縄でふん縛るぐらいにしておくさ」
あっさりと態度を切り替えたダーワットが左手で目の上に庇を作り、建物を眺めながら疑問を口にする。
「しっかしなんでまたこんな辺鄙なところに研究施設があるんだよ。普通こういうのって王城の敷地内とかにあるんじゃないのか?」
「さあ。人目に触れさせたくないだけなのか、それとも危ないものでも研究しているのか……。中に入ってみればわかるかもしれませんね。ただ……」
「なんだよ?」
「ろくでもないものが見つかるかもしれませんけど」
休息をかねた打ち合わせを終え、研究施設へアルディスたちが突入したのはそれからすぐのことだった。
施設の出入口は合計三ヶ所。
ウィステリア傭兵団も人員を三つに分け、研究員を取り逃さないよう包囲する。
「ねえ、アルディス」
「なんだよ」
突入の合図を待つ中、ルーシェルが不安そうな表情でアルディスに声をかけてきた。
「なんだか私あの建物に見覚えがあるんだけど」
「……奇遇だな、俺もだ」
今から突入しようという灰色の建物。
その色と形状にアルディスの忌まわしい記憶が呼び起こされる。
妙に直線的な飾り気のないフォルム。灰色一色でどこにも継ぎ目の見当たらない不思議な壁面。
アルディスがアルディスとしての自我を取り戻したあのとき捕らえられていた場所と目の前にある建物の雰囲気はあまりにも似ていた。
「ヴィクトルの言った通り、ろくでもないものが見つかりそうだな」
気分が暗く塗りつぶされそうになったアルディスだったが、いつまでも沈んではいられない。
「突入!」
グレイスの号令で仲間たちが一斉に建物へと駆け出す。
門番と思われる武装した人間がこちらに槍の穂先を向けるが、個人の力量差も人数差も優劣は歴然としている。
まともな戦いにもならず、あっさりと門番を倒したアルディスたちは施設内部へとなだれ込んだ。
「そっくりじゃないか」
先頭を走るグレイスの後を追いながら、アルディスは建物内の通路や備え付けられた設備を見て吐き捨てるようにつぶやいた。
どこもかしこもがアルディスやルーシェルの捕らえられていた建物とそっくりだったからだ。
やがて仲間は数人単位のチームを作って建物の各所へ散らばっていく。
アルディス自身はルーシェルと共にグレイス率いるチームへ属し、建物の奥へと足を踏み入れていた。
入り組んだ通路を手分けしてしらみつぶしに確認してまわり、いくつかの小部屋を確認した後、たどり着いたのはそれまで見てきた部屋とは明らかに異なる広間と呼んでも差しつかえない場所。
長机と多くのイスが並ぶそこはさしずめ会議や集会を行うための部屋なのだろう。
見回しても特に変わったところはない。
誰がいるわけでもなく何かが置いてあるわけでもない空虚な広間。
その中へ遠くから戦いの音が届く。
他の二ヶ所から突入した仲間たちが今まさに交戦しているのだろう。
だがアルディスたちのいる広間はそんな騒動から隔離されたかのような静寂につつまれていた。
「妙だな」
「何がです?」
不審げな顔で広間を見回してつぶやくグレイスにルーシェルが問いかけた。
「人が少なすぎるとは思わないか?」
「それは確かに……」
「たまたま俺たちの通ってきたところが人の少ないところだった、と考えることもできるだろうが……。それにしては他の場所から聞こえてくる音も予想以上に少ない」
グレイスの言う通りだった。
確かに遠くから戦いの音は聞こえてくるが、それも途切れ途切れですぐに収まってしまう。
いくら研究施設とはいえ百人以上の人間がいたであろう建物だ。
警備もそれなりにいたであろうことを思えば、襲撃を受けたにしては抵抗が少なすぎるというグレイスの考えもあながち気のせいとは言えなかった。
「一度合流してってわけにもいかないし……。兵士さん、あんたはどう思――」
「ぎゃああああ!」
「化け物だああっ!」
グレイスが案内役の兵士に訊ねようとしたそのとき、頭上から悲鳴が聞こえてきた。
「上にいったヤツらだ!」
声に聞き覚えがあったのか、仲間のひとりがとっさに駆け出す。
その後をグレイスが追った。
「援護に向かうぞ! 警戒は怠るな!」
当然アルディスたちも仲間の窮地をそのままにしてはおけない。
各々武器を手にしたままグレイスに続いて階段までたどり着くと、上の階へと駆け上がっていった。
悲鳴の発生源と思われる部屋を見つけたアルディスたちはそこへ駆け込み、そして絶句する。
「なっ……」
アルディスたちの前に広がっていたのは目を背けたくなるような惨状だった。
決して大きくはない無個性な部屋。
だが無個性なのは部屋の形状だけであった。
なぜならその床や壁、果ては天井までもが赤く染まっていたからだ。
染め上げているのは人の血。
それを証明するかのように壁や天井には強い衝撃でつぶされ、原形を保てなくなった人の肉塊がこびりついている。
「な、んだ……こいつは!?」
その惨状の真ん中に位置するのは一見して尋常ならざる一体の存在。
形そのものは人間に近い。
二本の腕、二本の足、胴体の上に乗っている大きな頭部。大きさだけならば十代前半の子供に見える。
だがそれが人間でないことは明らかだった。
全身を包むのは鎧でも服でもない、焼けただれたようにゴツゴツとした硬質な何かだ。
その異形が床に這いつくばり血だまりに直接口をつけていた。
ピチャピチャと異形が血をすする音だけが響く中、誰かの言葉だけが静寂を渡っていく。
「化……け物」
言葉にして正しく化け物。
アルディスの背に怖気が走る。
「冗談じゃない」
ふと頭をよぎった考えを振り払い、剣を固く握りしめる。
化け物の顔がこちらを向いた。
目鼻のないただれた顔。その中でひときわ目立つのは額に埋め込まれた小さな赤い石である。
瞬間――。
仲間のひとりが首をちぎり取られて絶命した。
「速いぞ!」
「散開っ!」
驚愕に囚われたのは一瞬のこと。
幾多もの死線をくぐり抜けてきた傭兵たちはすぐさま動きはじめた。
「壁を背にしろ!」
「障壁忘れるな!」
互いに声を掛け合いながら化け物を囲むように位置取りをするが、相手のスピードはアルディスたちの予測をはるかに超えていた。
「ぎゃっ!」
ひとりの仲間が突如接近してきた化け物から逃れられず、腕に噛みつかれる。
「クソッ、放せ! 放せよっ!」
もう一方の腕で化け物の背に短刀を突き刺すが、相手は一向に怯む気配がない。
それどころか驚異的な握力をもって仲間の腕を強引に引きちぎってしまった。
「ぎゃああああ!」
「この野郎っ!」
助けに入った他の仲間が次々と化け物に斬りかかる。
だがその刃はすべてが表皮ではじき返されてしまう。
ただれたような化け物の体表は見た目よりも遥かに硬いらしい。
「マィ……ズ……」
化け物の口から音がこぼれる。
聞きようによっては人間の声に聞こえるその音は何かを訴えているようにも思えた。
化け物は口にしていた腕を床に落とし、そのまま新たな標的に向けて襲いかかる。
狙われたのは先ほど斬りかかった三人の傭兵。
瞬時にその距離を詰めると、化け物のただれた口が開いて何かの液体が吐き出された。
「避けろっ!」
グレイスの警告が届くよりも早く三人は回避行動に移っている。
しかし化け物の動きはその上を行った。
「うぎゃあああ!」
三人の内ふたりが液体を避けきれずまともに浴び、その身体は熱せられた蝋のように骨も残さず溶けてしまった。
「あ、足がぁ!」
最後のひとりも片足に液体を食らってしまう。
ひざから下がまたたく間に溶け、残った部位も焼けただれたように赤く染まっていた。
「ひぃっ!」
グロテスクな光景を見てルーシェルが短く悲鳴をあげる。
それが呼び水となってしまったのか。化け物の顔が今度はルーシェルを向いた。
「ルー!」
アルディスはとっさに多重障壁を展開しながら化け物とルーシェルの間へと割り込んだ。
化け物の顔は焼けただれて目鼻の区別などつかない。
だがアルディスはそのとき、化け物の視線が自分に向けられるのを感じた。
「ィ……ズ……!」
うめき声のような何かを口にしながら化け物がアルディスに迫る。
「くっ!」
中途半端な障壁で防げる相手ではない。
それを理解したアルディスは反撃など一切考慮せず防御に全力を傾ける。
化け物の手が伸び、アルディスの展開した障壁がそれを阻もうとしてあっけなく砕け散った。
一枚、二枚、三枚……。
またたく間に破られていく障壁にアルディスは焦る。
「まずいっ……!」
耐えきれないと思ったそのとき、アルディスの前に新たな障壁が展開された。
なんの根拠もなくそれがルーシェルによるものだとアルディスは確信しつつ、身体は自然と防御に動く。
目のない化け物では視線からその狙いを窺うことができない以上、伸びてくる手に合わせ剣を動かして防ぐしかなかった。
アルディスの剣に化け物の手が触れる。
「ぐっ……!」
途端にアルディスの剣が異常な力に押し込まれた。
その体格からは想像もつかないほどの膂力で化け物はアルディスの剣を歪ませてくる。
剣身のきしむ不快な音はその限界が近いことを訴えていた。
2021/10/05 誤字修正 駆け込んみ → 駆け込み
※誤字報告ありがとうございます。