第301話
ローデリア王国軍と五ヶ国連合軍の戦いが終わってから季節がひとつ過ぎていった。
王城に用意された将軍用の執務室で凶蝶と呼ばれる女将軍が不機嫌な表情で訊ねる。
「断られたですって? 報酬額は指示した通りに提示したのよね?」
「は、はい。ジェリア将軍のおっしゃる通り、普段の五倍以上を用意したのですが……」
脂汗をかきながら怯えたように答えるのは中年の文官である。
いくら相手が妙齢の女性とはいえ、その実力と敵対者に対する容赦ない振る舞いは王宮でもよく知られている。
不興を買って処分されてはたまらないとでも思っているのだろう。
文官は必要以上に緊張を身にまとわせていた。
「傭兵なんだからお金につられて尻尾振ってればいいものを」
苛立ちをあらわにするジェリアを見て文官がビクリと肩を跳ね上げる。
ジェリアはここのところずっと不機嫌だった。
前回の戦いでつけられた頬の傷は既に痕もなく快癒していたが、同じく傷つけられたプライドの方はまだ癒えていない。
次の戦いで味方の戦力として使いつぶしてやろうと話を持っていったのだが、さすがに向こうも警戒しているらしい。破格の報酬にも首を縦に振らなかったのだという。
しばらく眉を寄せながら目を閉じていたジェリアだったが、おもむろにまぶたを上げると文官に対して新たな指示を出す。
「……仕方がないわね。ローデリアの名を隠すことにするわ」
「ということは打診内容も変えるのですか?」
「ええ。仕事の内容は……そうだわ、ローデリア王国の研究拠点襲撃ということにすれば食いつきそうね。ちょうど良い場所もあることだし」
「ちょうど良い……って、もしかして特殊兵科の研究所ですか?」
顔を歪めながら口にした文官にジェリアはようやく笑顔を見せる。
「察しの良い人間は好きよ。あなたの言う通りあそこは紛れもない王国の施設だし、それを攻撃するとなれば報酬の増額なしでも食いついてくるんじゃない? まさか依頼主が自分たちの施設を襲撃する仕事を持ってくるなんて思わないでしょうし」
「それはまあ、そうですが」
「じゃあ決まりね。さっそく依頼の手配をして。細かいところは後で研究所の人間を向かわせるからそっちで決めて良いけれど、くれぐれもローデリアからの依頼だということを悟られないようにするのよ」
「はあ、承知しました」
あまり気が乗らない様子で返事をした後、執務室を出ようとした文官をジェリアが呼び止める。
「あ、ついでに所長が登城してきているはずだから、探して私のところまで来るように伝えておいて」
「うっ……あの御仁をですか?」
文官がうんざりといった内心を包み隠さず顔に出す。
「そうよ、わかったらさっさと行きなさい」
追い払われるように文官が執務室を出てからしばらくして、ひとりの人物がジェリアを訪ねてきた。
「ひゃっひゃっひゃっ。聞きましたぞ将軍。研究所に傭兵を招いて鮮血の宴を催そうとかなんとかー?」
癇に障る笑いを響かせるのは背の低い初老の男。
強烈なクセっ毛がふんわりと頭部を包んでおり、その色のせいもあってまるで髪の毛を丸ごと火であぶった後のようにも見えた。
先ほど文官との会話で出てきた研究所の所長である。
「あら? もしかして所長は反対するの?」
「いえいえいえいえ。良いではないですか。面白いではないですか。私が手塩にかけて育てた奇兵たちの実力を示すこの上ない機会ですともー。ぜひ私にも戦いを見学させていただきたいと思ったりー」
やや棒読み気味の調子で所長が答える。
研究者としては優秀。組織の長としても及第点。だが人としては失格。それが彼に対する世間の評価だ。
どこかつかみ所のない、有り体に言えば変人と呼ばれる人種であった。
「そう。ならいいわ。所長の首をすげ替える手間が省けるもの。まあ研究所自体は新しく立て直してあげるから、存分に暴れさせなさい」
ひゃっひゃっひゃっ、と所長は笑う。
答えを間違えていれば職を失っていたであろう自らの危機に気付いただろうに、それを気にした風もなく会話を続ける。
「噂に名高いウィステリア傭兵団の実力ならばさぞや見物でしょうなー」
「名高いの?」
「おや。将軍はあまりご興味がない? 私もそこまで詳しくありませんが、傭兵どもの間では実力のある傭兵団として有名らしいですぞー」
「ふうん。ま、どっちでもいいわ。もうじきなくなる傭兵団なんだし」
傭兵など金を払えばいくらでも湧いて出てくるもの。そう思っているジェリアが所長の話に関心を寄せるわけもない。
「それよりもですな、将軍」
所長が唐突に話題を変える。
「水面の世界に送り込んだ実験体が面白いのですよー」
上位者であるジェリアから呼び出されておきながらも、所長は何ら遠慮することなく自分の用件を持ち出してくる。
所長の礼を欠いた態度に一瞬不快感を覚えるも、もともとそういう人物だとジェリアもわかっている。
兵士や傭兵と違い目の前の男が替えの利かない有能な人物だと知っているからこそ多少の無礼は許容できるし、なにより彼の持ち掛けてきた話の内容にジェリアは興味をひかれた。
「実験体?」
「えぇえぇえぇえぇそうですとも。足をすべて切り落としたネデュロを一頭送り込んでみたのですが、足がないにもかかわらずそれはもう大活躍でしてー」
「大活躍? 足を失ったネデュロが?」
「はいはいはいはいその通りです。水面の世界もどうやら複数の国があるようなのですが、そのひとつが足をなくして這いずるしかできないネデュロごときに滅ぼされちゃってもう傑作だったりー」
「それは……、そのネデュロが特別な個体だったのでは?」
ジェリアから訝しさ満載の視線を向けられても所長は平然とした表情のままだ。
「それがですな。私たちもそう考えてもう一体送り込んでみたのですよー。今度は五体満足の若い個体をそのままで。そしたらですな、そしたら……ひゃっひゃっひゃっ!」
「ひとりで笑ってないで早く話しなさいよ」
「おおっと失礼失礼」
さすがに上位者の機嫌を損ねかねないと判断したのか、所長はすんなりと謝罪を口にした。
だがしおらしくなったのは瞬きのごとき短い間だけのこと。
すぐに笑みを浮かべて話を続け出す。
「なぁんとなんと! ネデュロ一体で国が三つ滅びました。あちらでは魔王が現れたとかいって大騒ぎでしたぞ。見ていてなんと滑稽だったことかー」
「ネデュロ一体で国が三つ滅ぶ? 何かの冗談?」
あまりに風呂敷を広げ過ぎではないかとジェリアは胡散臭そうに問う。
「いえいえいえいえ、本当の事ですとも。どうやらあちらの世界は随分と生物が脆いようですなー。獣にしても人にしても、ネデュロ一体に手も足も出ない様子だったりー」
「でも結局ネデュロは討伐されたのでしょう?」
「寿命で死にました」
「はい?」
寸秒の間もなく返ってきた答えにさすがのジェリアも目が点になる。
「ネデュロは誰にも討伐されることなく、結局寿命で死ぬまで周囲を荒らし回ったようですなー」
「……若い個体を送ったのよね?」
「それは間違いないです。ただ予想外だったのはあっという間にネデュロが年老いていったことですなー。どうもあちらは時間の流れがとんでもなく速いようで、十日ほど観察している間にネデュロはみるみる年老いていきましてー。結局最後は老衰で大往生だったりー」
思いもよらなかった発見に鼻息荒く喜ぶ所長と微妙な表情を浮かべるジェリア。
「時間の流れが……」
「そうですとも。どうやらこちらの何百倍も速く時間が流れているようです。向こうの人間が話す言葉も最初はキーキー聞こえるだけで何を言っているのかわかりませんでしたが、どうやら会話が早すぎて聞き取れていなかっただけだったりー」
「それはつまり、こちらの人間があちらへ行くとあっという間に年老いてしまうということかしら?」
「間違いではありませんな。言い方を変えればあちらの世界へ渡った人間の目から見れば、こちらの世界の人間はいつまで経っても歳を取らないように見えたりー」
喜ばしいのか残念なのかなんとも判断しがたい事実だった。
ここではないどこか別の世界への扉が開かれたこと自体は喜ばしいだろう。
ローデリアにとっては想像もできないほど広い世界が新たに開かれたのだ。
新しい世界で手に入るであろう領土や資源を考えれば歓迎すべき発見といえる。
一方で時間の流れがあまりにも違いすぎることはあちらの世界を切り開くにあたって大きな障害となる。
所長の報告が事実であるなら、水面の世界へ行った本人は数十日を過ごすだけで寿命を迎えてしまうだろう。
こちらの世界から見ればその場にいるだけである意味命を削っているようなものだ。
それはあまりにも酷な話である。
「……いっそのこと憎ったらしいあの傭兵たちを水面の世界に放り込むとか」
そう口にした後、ジェリアはすぐに考え直す。
「ネデュロ一体で国が滅ぶくらいだもの。むしろあっという間に周囲一帯を征服しそうね」
やはり水面の世界へ行き来するのは自分たちだけの秘中の秘としておいた方がいい。そう考えたジェリアは改めて所長へ研究の継続と情報秘匿の徹底を命じた。
2021/10/03 脱字修正 足ない → 足がない
2021/10/03 変更 情報漏洩対策 → 情報秘匿