第28話
アルディスと別れ領主の館へと足を踏み入れた女は、そのまま侍女に案内されて応接間らしき部屋へと通される。
「謁見の準備が整うまで、こちらでお待ちください。すぐにお飲み物をご用意いたします」
案内した侍女は女に席をすすめると、そう言ってすぐに部屋を出て行った。
女はやたらフカフカとして落ち着かないソファーに腰を下ろし、軽く室内を見回す。
壁には写実的なタッチの絵画が飾られ、部屋の四方へ配置されたアンティーク調のテーブルにもきらびやかなガラス細工が飾られていた。
見る者が見れば、いずれの品も一流の芸術品であることが分かるだろう。
もちろんそれらが取引される際には、一般庶民が想像も出来ないような金貨を必要とする。
数々の芸術品、装飾品はただ室内を飾り立てているだけの存在ではない。
それは権力者にとって富の象徴であり、権力を具現化した結果である。
この部屋に立ち入った瞬間から、招待客はトリア侯から財力という無言の圧力を受けることになるのだ。
人間が社会性を持ち、集団となり、地位身分を持ち始めたはるか数万年前から続く愚かでたくましい営みの一つであった。
女はそれを理解はしていたが、だからといって共感する事はなかった。
数多のセーラやその創造主である存在は、そんな人間を愛おしみ、慈しむことが出来るだろう。だがしょせんセーラの娘でしかない女には、それを感じる感情の持ち合わせが少ない。
だからといって女は自分が哀れだとか不憫だと思ったことはない。
自分には自分の使命があり、他者には他者の使命があるのだ。
自分に与えられたのは戦う力、そして敵を感知する力だった。
そう。例えば今この瞬間にも、こちらの様子を隠し部屋から窺っている多数の視線を探り当てるように。
「それで隠れているつもりとは」
小さなつぶやきを隠すように、女は供されたお茶を口にする。
あれから侍女がお茶を持ってくるまでの間、その後の時間もずっと、装飾品のわずかな隙間を使って作られたのぞき穴から女の一挙手一投足を監視する複数の視線があった。
トリアの領主がどのようなつもりで女を呼び寄せたのかは知らないが、少なくとも表面上では好意的な扱いを受けている。
もっとも、監視の目を向けられているからには、それを額面通り受け取るわけにもいかない。
主の命でなければ、このように不快な場所は早々に立ち去りたいところだった。
だが一度『領主と面会せよ』との下知があった以上、従者としてそれに背くわけにもいかず、不承不承ながらもこうして大人しく待っているのだ。
それからも結構な時間を待たされ、二杯目のお茶に口をつけたところでようやくお呼びがかかった。
「大変お待たせいたしました。謁見の準備が整っておりますので、ご案内いたします」
最初に案内をしたのとは別の侍女に連れられ、女は館の奥へと足を踏み入れた。
二分ほど歩き、両脇に屈強な衛兵が待機する大きな両開きの扉までたどり着く。
「こちらへお入りください」
案内役の侍女が掌を差し向けるのにあわせて、衛兵が扉を両側から開いた。
ゆっくりと開いた扉の向こうに見えたのは、奥行きも幅も五十メートルはあろうかという広間だった。
部屋の奥は床が一段高くなっており、その真ん中に装飾きらびやかなイスが据え置かれているが、今は空席の状態だ。
女の立っている入口から奥のイスに向けて赤い絨毯が敷かれ、それを挟み込むように部屋の左右を二十人ほどの武装した人間が並んでいた。
その雰囲気に、女は目を細めた。
部屋そのものは謁見にふさわしい作りである。
ナグラス王国第二の都市とはいえ、一都市の領主が所有する館としては広く、かなり贅沢な装飾がされている。
だが客人を招いたにしては少々物々しすぎるだろう。
女の左右を囲むように立ち並ぶ武装した人間たち、さらにおそらく領主が座すべきであろう正面の空席。
何より権力者と直接会うにもかかわらず、武装の解除を求められることもなく、検められてすらいない。
女は内心の不審をおくびにも出さず、悠々と部屋の中央を歩いて進む。
「そこで止まられよ」
部屋の奥から一人の男が現れた。
ゆったりとした長衣に身を包み、豊かな白髭をたくわえた老人が、歳を感じさせない通りの良い声で女に呼びかける。
女はその声に従い歩みを止めると、声の主に視線を向ける。
老人は空席のイスに歩み寄ると、その傍らに立った。
「領主が我との面会を望んでいると聞いたが、お主がトリアの領主か?」
礼もとらず突然無礼な発言をした女に、場が色めき立つ。
「貴様! なんと無礼な物言いか!?」
居並ぶ人間の中で上座に位置する男がツバを飛ばして叫んだが、それを白髭の老人がたしなめた。
「控えよ、将軍。傭兵に礼儀を求めてもいたしかたあるまい」
「はっ……」
将軍と呼ばれた男はしぶしぶと従ったが、どう見ても納得したとはいいがたい表情を浮かべていた。
「さて、先ほどの問いだが……。当然ながらわしはトリア侯ではない。領内の政務を預かるコスタスという者よ。まずは侯に代わってわしがお主の話を聞かせてもらおう。傭兵よ、お主の名を聞こうか?」
その問いに女は事務的な答えを返す。
「我に名などない」
「貴様! ふざけるのもいい加減にせよ!」
再び将軍が女に向けて怒りをあらわにする。
「ふざけてなどおらぬ。無いものは無いのだ。何なりと好きなように呼べば良かろう」
女にしてみれば、むしろふざけているのはそちらだろうと言いたかった。
話があるからと呼びつけておいて、当の本人である領主は顔を出さない上、代理で出てきた老人は言うに事欠いて「まずは話を聞かせてもらおう」である。
もともと女の側には用事などないのだ。一体何を話せというのか理解に苦しむ。
そんな思いが態度に表れていたのだろう。加えて名乗りもしない女に、コスタスも明らかな不満を表情に浮かべた。
「多少の無礼は大目に見るつもりであったが、名乗りすらせぬとはな……。まあ良い。将軍、早々に終わらせるとしよう」
「はっ。お任せください!」
何やらふたりの間ではこの先の展開が事前に決まっているようだった。
改めてコスタスが女に向けて語る。
「さて、女。お主が我が領内で他の傭兵を相手取って手合わせを繰り返しておることは、侯のお耳にも届いておる。お主が負け知らずの強者であることもな。先日も我が領軍の中隊長がお主と剣を交えたと聞きおよんでおる」
領軍の中隊長? と女は内心で首を傾げる。
そう言われてみれば、女を左右から囲んでいる人間の装いには覚えがあった。
あまり印象に残っているわけではないのでハッキリとはしないが、数日前に挑んできた男が似たような装備をまとっていたような気がした。
「しかしだな、トリア領軍の中隊長ともあろう者が、旅の傭兵、しかも女に一太刀も浴びせることなく軽くあしらわれたなどととうてい信じられぬ。そのようなことが起こるものであろうか? いや、そのようなことはあってはならぬのだ。あるわけがない。とはいえ人の噂には尾びれ背びれがついてしまうもの。一度事実を確と明らかにした上で、領民に正しく伝えることが施政者としての務めであるとは思わんかね?」
ああだこうだと言い連ねているが、ようするにコスタスが言っているのは『領軍の中隊長が流れの傭兵に負けた事実をもみ消すために、当の傭兵を呼び寄せてホームグラウンドで叩きのめします』という内容だった。
領主が面会を望んでいるというのはただの方便だったのだろう。
「ふむ。それではさっさと終わらせようではないか」
「ほう。まんざら馬鹿でもないようだが……、我が領軍の精鋭相手に勝てるとでも思っておるのか?」
コスタスが正解とばかりに応える。
女が懐に手を忍ばせながら言った。
「それで? 誰が相手となるのだ? お主も含めた全員ということで良いのか?」
コスタスに代わって将軍と呼ばれた男が口を開いた。
「誇り高き領軍の戦士がひとりを囲むがごとき卑怯な真似はせん! デッケン! 出ろ!」
将軍の指名を受けた若い戦士がひとり前に出る。
おそらくはこの中で一番の手練れ。
女の目にもなかなかの実力を持った人物と映った。
だがそれはあくまでも一般的水準からすればの話である。
当然ながら女やアルディスの域にははるかおよばない。
「心配せずとも命までは取らぬ。が、少々の怪我は覚悟してもらおう」
鞘から細身の剣を抜き、構えながらデッケンが宣言した。
「こちらも真剣を使って良いのか?」
「当たり前だ。そのために武装を許したままで通したのだ。丸腰の女相手に業を誇るほど恥知らずではない」
だから使い慣れたものを用いるが良い、とデッケンは言う。
武装の解除を求められなかった理由は分かったが、一方で女には相手の思考がどうにも理解できなかった。
自分たちの庭へと呼び出し、ひとりの人間を二十人で囲んでおきながら「恥知らずではない」などと片腹痛い。厚顔無恥とはこのことだろう。
女は懐から一本のダガーを取り出すと、それを右手に握る。
腰を落として剣を構えるデッケンに対し、女は武器こそ握ってはいるものの棒立ちだ。
「行くぞ!」
デッケンがかけ声と共に一歩踏み出して、先制の一撃を加える。
女はふわりと体を傾け、その突きをギリギリのところでかわす。
「やるではないか!」
いちいち口にしながらデッケンは二の太刀、三の太刀を振るうが、その刃は今一歩のところで女に届かない。
女はふらりふらりとつかみ所のない動きでデッケンの攻撃を避ける。
それはまるで風にゆられるススキの穂を思わせた。
やがて、連続で攻撃を繰り出すデッケンに疲れが見えはじめる。
いくら攻め続けても攻撃が女へ届かないことに、デッケンが苛立ちを見せて声を荒らげる。
「いつまでそうやって逃げ回るつもりだ! 反撃する余裕もないか!?」
距離を置き、肩で息を整えながら女に向かって言った。
「ほう。もう満足したのかな?」
女はそれをギブアップ宣言と取った。
「ではこちらから行くぞ」
そう言いながら、女が床を蹴る。
「なっ! どこへ……!?」
デッケンが女の姿を見失った。
次の瞬間、デッケンの持っている細身の剣をはじき飛ばす。
剣は放物線を描き、数メートル先の床へと不愉快な衝突音と共に落ちた。
「まだ戦う意思はあるかね?」
デッケンののど元に女の持つダガーが突きつけられる。
「あ……、いや……」
彼にしてみれば何が起こったか理解できなかっただろう。
女の踏み込み、瞬発力、そして一瞬で死角に潜り込む技術。何ひとつデッケンのレベルで到達できる領域ではないのだ。
「まさか、デッケンが……」
将軍が唖然とした表情でつぶやいた。
「さて、これで納得していただけたかな?」
あくまでも不遜な態度を崩さず、女が言い放った。
「それとも、まだ承伏しかねるかね? であれば、全員でかかってきてもらっても良いが?」
「ぬぅ……、言わせておけば!」
立ち並ぶ戦士たちは皆、納得からはほど遠い表情である。
特に将軍にいたっては今にも飛びかからんばかりに顔を赤く染めていた。
女が継戦を覚悟した時、新たな声が割り込んできた。
「やめよ、将軍。これ以上は不要だ」
将軍をはじめとして、デッケン、コスタス、そして周辺を囲んでいた戦士たち、女以外の全員が声のする方へと体を向けて直立不動になる。
「フレデリック閣下!」
全員の視線を追って女が目を向けた先には、部屋の奥から進み出てくる男の姿がある。
年の頃は四十手前。日頃の不養生が腹のまわりに過剰な贅肉として現れていた。
瞳には知性の光が宿っているものの、女にはその光が薄暗く濁っているように感じられる。
「手並みは十分見せてもらった。見事だ」
誰に向けてのものか分からない賞賛を口にしながら、フレデリックと呼ばれた男が空いていたイスへと腰を下ろす。
それによって、フレデリックがこの館の主、つまりトリア侯爵であることを示していた。
重そうな体をイスにのせ、侯爵が鷹揚に告げる。
「そこの女、噂に違わぬ凄腕だな。気に入ったぞ。今日から私に仕えるが良い」
女の意向などお構いなく、勝手にその処遇を決めはじめた。
「それだけの力量があるならば、すぐにでも中隊長を……。いや、よく見ればなかなか見目麗しいではないか。いっそのこと私の護衛につくか? うむ、それが良い。戦場に側室は連れて行けぬが、お前なら護衛を兼ねて伽の役目も果たせよう」
色欲丸出しの笑みを浮かべながら、フレデリックが一方的に口を開く。
もちろんそれを止める者はこの場にいない。コスタスも将軍も、デッケンや他の戦士たちの中に、侯爵の言葉へ口を挟もうとする不作法者はいないのだ。
ただしこの場にいる唯一の異分子、不快な表情を浮かべる女だけは別だった。
「何を言っておる。我はお主に仕える気などないぞ」
その無礼な物言いへ、真っ先に反応したのは将軍だ。
「な、貴様! 閣下に向かってなんという口のきき方だ!」
もともと敵意だらけだった室内に、さらなる不穏な空気が充満しはじめる。
当然フレデリックも心穏やかではいられない。
「今なんと言ったか、女? 私に仕える気がないと言ったか?」
「すでに我には仕える主がおる。我が仕えるは我が主アルディスのみ。お主が我が主を上回る剛の者というのであれば話は別だが、とてもそうは見えぬ」
そう言い放ち、女はきびすを返してその場を立ち去ろうとした。
「ま、待て! どういうことだ!? お前はここへ仕官のために来たのではないのか!?」
足を止め、首だけで振り向いた女が天色の瞳をフレデリックへ向けて言った。
「我が主より受けた下知はこの館にてお主と面会すること。それゆえここまで来たが、こうして対面し言葉を交わした以上、その命も果たされた。すでにここに留まる必要はないでな、これで帰らせてもらおう」
予想外の反応に、イスから腰を浮かせかけたフレデリックは、呆然とした表情のまま女の後ろ姿を見送った。
2017/11/02 誤字修正 伺っている → 窺っている
2019/05/02 脱字修正 向って言った → 向かって言った
2019/05/02 脱字修正 検められてすらいない → 検められてすらいない。
2019/05/02 誤用修正 荒げる → 荒らげる
※誤字脱字報告ありがとうございます。
2019/07/30 誤字修正 剛の者と言う → 剛の者という
※誤字報告ありがとうございます。