第299話
「つまらないわ」
幼い頃のジェリアはいつも退屈していた記憶しかない。
生まれ育った辺境の村には何もなかった。
あるのは実りの少ない畑と前触れもなく襲いかかってくる獣の恐怖、そしてくたびれた顔の村人だけだ。
時折新しい村人が連れられてくるが、その大部分は半年もしないうちに獣の餌食となって消えていく。
ずっと繰り返される変化のない生活。
彼女はそれが不満だった。
聡いジェリアはやがて知る。
自分の生まれ育った村が罪人たちの流刑地であることを。
送られてくる人間たちがそろいもそろって血の気が多いのもそれが原因なのだろう。
もっとも、そんな者たちもすぐに死んでしまうのだから大した問題ではない。
先月も新たにやって来た罪人たちが自信満々に獣狩りへ出かけ、結局全員帰って来なかった。
そうして残されたのは臆病で自己保身に長けた者たちだけ。
今いる村人はそんな罪人の子孫ばかりだった。
獣を恐れ、隠れるようにひっそりと暮らすことでなんとか生き延びることができる。
それが村の現実だ。
村人はそうして子や孫へと命をつないでいた。
「罪人って言っても腕が立つわけじゃないのね」
最初は粗暴な罪人たちに怯えていたジェリアだったが、十を数える頃には彼らが取るに足らない人間だと理解するようになる。
「私でも勝てるような獣に殺される程度だもの」
ジェリアは少し人と違う子供だった。
筋骨隆々の男が十人がかりでようやく倒せる獣相手に、さびついた剣一本で難なく勝ってしまう程には異常な強さを持っていた。
だが村にはそもそも獣相手に戦おうなどという物好きはいない。
そのためジェリアは自分にできる程度のことはみんなできるのだろうと勝手に納得し、深く考えることもなかった。
十五になったとき彼女は退屈な村を出ようと決意する。
それまでの五年間、ジェリアは退屈を紛らわせるために村の外へ出かけては獣を狩り続けていた。
ヒリヒリと肌を突き刺すような緊張感と獣を倒した時の達成感、なによりそれまで牙をむいていた獰猛な獣が血を流して少しずつ弱っていく様を観察するのがジェリアにとっては貴重な娯楽だったからだ。
しかしそれもやがてつまらなく感じるようになる。
十代という若さがもたらす好奇心と内から込み上げてくる衝動はこの村で一生を終えることを許してくれない。
年が明けて十五になったジェリアは村長である父親に向けて旅に出るつもりだと一方的に告げた。
「村を出たいだと?」
「そうよ。だってこの村、つまらないもの」
村に送り込まれた罪人はこの地を離れることは許されないが、罪を犯した本人から三代経れば話が変わる。
十分に罪を償ったとされ、ひ孫の代からは村を出ることが許されていた。
父親自身は罪人の孫であるためこの村から出ることはできないが、その娘であるジェリアはその頸木からも逃れられるのだ。
「…………好きにせい」
ぶっきらぼうな父親はしばらく考え込んだ後、引き留めることもなくそう口にした。
上の姉ふたりと違い、どこか異質な末娘をもてあましていたのかもしれない。
こうしてジェリアは意気揚々と村を出ていった。
本来なら無謀な旅である。
故郷の村は獣の闊歩する辺境にあり、一歩外へ出れば野生の獣に襲われるような場所だった。
罪人を連行してくる国の兵士たちもその時ばかりは軍勢と呼んでも差しつかえないほどの人数でやって来る。
それだけ危険な場所なのだ。
だがジェリアはそんな中をたったひとりで歩き続け、野宿を繰り返し、毎日のように獣を撃退してとうとう防壁に囲まれた町へとたどり着く。
そこから先は獣との遭遇回数も減り、次第に町の規模も大きくなっていく。
やがて国の中心地である都へとたどり着くと、ジェリアはたまたま募集されていた兵士の職に就く。
もともと戦うこと以外になんの取り柄もない彼女にとって兵士という仕事は天職のようなものだった。
すぐさま新兵たちの中で頭角を現すと、獣の討伐に実力を発揮して一目置かれるようになる。
獣の討伐だけではなく隣国との小競り合いでもその強さを見せつけて功績を積み重ねていった。
そしてジェリアは気付く。
「どいつもこいつも、弱い」
故郷の村にやってくる罪人たちが弱いのではない。
同じように同僚の兵士たちもジェリアから見れば取るに足らない者ばかりだった。
ジェリアを罪人の娘と蔑む年上の兵士を真っ正面からたたき伏せれば周囲は沈黙したし、腕利きと評判の傭兵に絡まれた時もあっさりと両腕を斬り落としてやればそれ以降ジェリアに絡んでくる者は皆無となった。
「なんだ、単に私が強いだけなのね」
そんな結論に達するまでさほど時間はかからなかった。
「つまらないわ」
都で人気の歌劇も、色鮮やかな流行りの服も、贅の限りを尽くした食事もジェリアの心を満たしてはくれなかった。
心躍らせる強敵との出会いもなく、ただジェリアの退屈を紛らわせてくれるのは苦しみ悶える敵の姿だけ。
敵をねじ伏せ、蹴散らし、蹂躙することだけが彼女にとってはなによりも愉悦を感じられる瞬間だった。
居丈高な人間を徹底的に痛めつけ、屈服させる瞬間のなんと甘美なことだろうか。
虚勢を張り、勘違いし、自らを強者だと思い込んだ人間の心を叩き折る瞬間のなんと心地良いことだろうか。
変わり映えのしない反応を見せる獣と違い、人間は窮地に追い込まれると様々な反応を見せる。
それまでの態度から一変して命乞いをする者、なおも虚勢を張り続ける者、途端にへりくだって媚を売る者、現実から逃避しようとする者……。
その無様な姿を笑いながら見下す度にジェリアの心は満たされていった。
明らかに人として歪んでいた彼女だったが、それを面と向かって非難する者は少なかった。
いや、面と向かって非難する者は彼女自身が片っ端から力で屈服させた結果、良識ある者はことごとく排除されていったと言った方が正しいだろう。
そうして行き場を求めたジェリアの快楽欲は他国の軍へと向けられることになった。
戦う度に味方へ勝利を呼び込むジェリアを兵士たちは称賛する。
問題行動は目立つものの、圧倒的な強さがあるならと軍の上層部は彼女を重用し、時の国王から目をかけられたこともあり、十年も経った頃には将軍と呼ばれる地位に就くことができた。
勝つためには手段を選ばないその非情な戦い方により、敵方からは『凶蝶』と恐れられる王国軍きっての名将――それが今のジェリアだった。
「退屈な展開が続くわね……」
どれだけ出世しても、どれだけ贅沢な暮らしができるようになっても、ジェリアの渇望を満たしてくれるのは戦場での勝利だけである。
より正確に表現するならば戦場において敵を蹂躙することだった。
そんな彼女からすれば味方が押しているとはいえ今回の戦いは面白みに欠けるものなのだろう。
本隊の中央に張られた天幕の中、即席のイスに腰掛けて足を組んだジェリアがあくびをかみ殺す。
「全体的に我が軍が優勢で敵を押し込んでおります。本隊も前進させますか?」
「んー、そうね……。ちょっと敵が脆すぎるような気もするんだけど……」
戦況的には自軍優勢。
部下の言う通り全体的に王国軍が押しているのは確かだったが、ジェリアにはどうも敵の抵抗が弱すぎるように感じられた。
こざかしくも連合を組んで自分に挑んでくるくらいなのだからさすがにこの程度で終わっては興醒めという気持ちもある。
あちらも知恵のある人間が指揮をしているのだ。策のひとつやふたつくらいは仕掛けていることだろう。
「ちょうどいいわ」
それまでの不満そうな表情を一転させて笑みを浮かべると、ジェリアは部下のひとりに指示を出す。
「エディン卿の部隊を前に出してちょうだい。合わせて『我が軍優勢。敵は既に逃げ腰のため追撃を。功績を掴む機会を逃すな』とでも伝令しておいて。同時に他の部隊には攻勢を緩めるように伝えてね」
「はっ、直ちに」
ジェリアにはどうにも敵の動きが不自然に感じられた。
罠の可能性が高い。そう判断した彼女はある部隊をあえて突出させることにした。
突出させるのは罠にかかって壊滅するなら壊滅するでかまわない者たちだ。
エディン卿の率いるのはいわゆる貴族派と呼ばれる士官たちの多い部隊。
国王に目をかけられているジェリアとしては排除しておくに越したことはない『国内の敵』と言えよう。
国王からもそれらしいことをほのめかされている以上、機会さえあればそれなりの配慮が必要だった。
「政治って本当に面倒ね」
伝令役の騎兵が遠ざかっていくのを見ながらジェリアは感情を顔にそのまま出してつぶやく。
「でもこれで陛下も喜んでくれるかしら」
次いで気分を切り替えてそう口にしたとき、戦況を知らせる伝令が飛び込んでくる。
「敵の一部が左手に回りました! 迂回してこちらに接近しつつあります!」
上空に物見の兵が待機している以上、見通しの良い平原では奇襲攻撃などというものはまず成功しない。
妙な動きをすればこうして相手にすぐ察知されてしまう。
それどころか兵力分散のあげく各個撃破されてもおかしくない行為である。
「……なんのつもりかしら?」
敵の意図を計りかねて首を傾げるジェリアの代わりに、部下たちが出迎えの準備を始めた。
「迎撃準備!」
「まあいいわ。来るというのならちょうどいいし、相手になってあげましょう」
考えることよりも目の前の獲物を楽しむことを優先したジェリアは笑みを浮かべて立ち上がる。
「敵からの攻撃、来ます!」
「障壁展開!」
「各個に反撃!」
やがて敵からの魔術攻撃がこちらに届き始め、当然のように味方からも反撃が行われる。
立てかけてあった自らの剣を手に取ったジェリアが部下に問いかける。
「敵の数は?」
「千に届かぬほどかと」
「たったそれだけ?」
敵が少なすぎることにジェリアの眉間に皺がよる。
それでは自分の出番がやってこないのではとあからさまな落胆を見せた彼女だったが、その心配はすぐに霧散することになった。
「何よこれ?」
天幕を出るなり彼女の目に飛び込んできたのは砂塵と煙に包まれた光景。
加えてどうやら光を遮る魔術や影の形をゆがめる魔術まで使用されているらしい。
こちらのかく乱が狙いなのは疑いようもなかった。
「ふうん。そういうこと?」
十歩ほどの距離までしか見通せない視界に敵の狙いを理解し、ジェリアは立て続けに指示を飛ばす。
「別動隊がやってくるわよ! 同士討ちに気をつけなさい! 魔術持ちは視界の回復を優先よ!」
先ほど左手から迂回してきた部隊はそれ自体が陽動だったのだろう。
本命はこの混乱に乗じて別の部隊がやってくるはず。
「面白いじゃない」
言葉通り満面の笑みを浮かべてジェリアは鞘から剣を抜く。
「この状態で奇襲するのに効果的なのは……」
ジェリアが砂塵と煙に包まれた空へ視線を向ける。
同時に味方の兵が警告の声を発した。
「上からくるぞっ!」
「でしょうね」
予想通り、と笑うジェリアのもとへ煙の向こうから人影が降ってくる。
「残念、落ちたところが悪かったわね!」
ジェリアは降ってきた人間を無条件で敵と判断して斬り捨てる。
そしてすぐさま狙いもつけず上空に向けて特大の風魔術を放つ。
白く煙っていた頭上に透明な刃が荒れ狂う。
本来なら不可視のはずの刃が砂塵と煙の中に浮かび上がった。
赤い染みがいくつも生まれ、ぐしゃりと大きな音を立てて血まみれの物体がそこかしこに落下する。
「さあ、楽しくなってきたわ!」
混乱に陥る本隊の中で、赤い髪をなびかせながら凶蝶はひとり声を弾ませた。
2021/09/12 誤字修正 こととだろうか → ことだろうか
※誤字報告ありがとうございます。