第298話
グレイスの言った通り、意趣返しの機会はふた月とかからずにやって来た。
拡大を続けるローデリア王国に対し周辺の小国が包囲網を敷くに至り、両者の緊張は一気に高まる。
包囲網に参加した各国の軍が集結し、呼応するようにローデリアも軍を進発させた。
いまや周辺の国を圧倒するまでに肥大化したローデリア王国だが、対するは五つの国による連合である。
五ヶ国あわせればローデリア軍と伍するほどの兵力となり、数だけを見れば勝敗の行方はわからなかった。
「よっしゃ! これであのむかつく女将軍をおおっぴらにぶん殴れるってもんだ!」
妙にウキウキとした声でジョアンが喜色を浮かべる。
例の式典で溜め込んだ怒りをこの戦いで相手に叩きつける気満々である。
当然ジョアンの言葉からもわかる通りアルディスたちウィステリア傭兵団はローデリアの敵方、つまり五ヶ国連合側についていた。
前回同様ローデリアは多額の報酬を餌にして傭兵を集めていたが、ウィステリア傭兵団にとって今回に限り金額の大小は関係ない。
傭兵を取るに足らぬものと軽視しているローデリアの女将軍を痛い目にあわせること。それだけが目的だからだ。
「思ったより向こうは傭兵の集まりが悪かったらしいね」
「前回みたいなことをすれば当然でしょうね。私たちと違って傭兵団丸々壊滅したところだっていくつかあるわけですし」
レクシィの言葉へヴィクトルが涼やかに返す。
「まあ誰だって無駄死にしたいわけじゃないからね。それで団長、あたいらの持ち場はもう決まってるの?」
「ああ、聞いて喜べ」
話を向けられたグレイスがもったいぶるように間を取ってから全員に告げた。
「あの女がいる本隊への強襲部隊だ」
「はぁ?」
一瞬にしてレクシィの顔が殺気に満たされる。
「おっと、話は最後まで聞けって。心配しなくても突貫して一か八かの賭けをしようとかいうわけじゃない。ちゃんとした作戦の中で一役を担うって意味だ」
「で、その作戦ってのは?」
いまだに冷ややかな目でグレイスを睨んでいるレクシィに代わってダーワットが話を促す。
「そんなにたいそうなもんじゃないがな。両軍がぶつかってしばらくしたら緩やかに退いて敵を引きつけ、本隊が前衛と離れたら側面から別働隊が攻撃。別働隊にいる魔術持ちが目くらましをかねた魔術攻撃を放って視界が悪くなったところを上から俺たちが強襲するって寸法だ」
「そりゃまたおいしい役だけどよ。よくそんなのがうちに回ってきたな。各国のお偉いさん方がこぞって自分ところで引き受けようとしそうじゃないか」
「足場を作れるやつが多いからな、うちは」
「ああ、そりゃそうか」
ウィステリア傭兵団において魔術による足場を作れない傭兵は少数だった。
その少数も前回の戦いで逃げ場を失いほとんどが戦死している。
結果、ほとんどの仲間は足場を作れる者ばかりだ。
ダーワットが納得したのもそれをわかっているからだろう。
普通の傭兵団や正規軍では足場を作れる人間の割合など良くて三割である。
ほぼ全員がウィステリア傭兵団を強襲の役目に抜擢したのも、そういう意味では必然的なものと言って良かった。
「後はまあ、互いに牽制し合った結果の妥協案とも考えられますけどね」
「めんどくさいなあ、軍ってのは」
「まったくだ」
国の軍隊を率いる身分ともなれば戦う事以外にも考えなければならないことが多いのだろう。
ヴィクトルの指摘に機嫌を直したレクシィがぼやき、それが周囲で話を聞いていた仲間の苦笑を誘った。
五ヶ国連合軍の兵力は傭兵をあわせて八千人。対するローデリア王国軍は前回の戦いよりもさらに戦力を拡充して約六千五百人。
兵数的には五ヶ国連合側がかなり有利だが、寄り合い所帯であるためにどうしても意識のずれや統一感の無さが拭えない。
一方のローデリアは指揮系統の問題もない統率された一軍、それも率いているのは『凶蝶』の異名を持つ不敗の女将軍だ。
決して兵力数だけでは勝敗を推し測れなかった。
「だからこそ俺たちの価値がキラリと光るってもんよ」
ダーワットがニヤリと笑いながらアルディスの背を強く叩いた。
「そうだろ、アルディス?」
「……強く叩きすぎだろ」
一瞬息が止まるほどの強さで叩かれたアルディスが文句を言っていると、戦場となった平原全体を包み込むように兵士たちの足音が地面伝いに響いてきた。
戦いの火蓋が切って落とされたのである。
「お前ら、前に出すぎるなよ! 魔力は温存しとけ!」
グレイスの指示が届く中、アルディスはルーシェルやロナと共に戦場へと突入していく。
すぐに周囲は怒声と金属音に包まれた。
アルディスはただ無心に剣を振るい、目の前に迫り来る敵兵を斬り捨てる。
腕を落とし、足を払い、喉を刺し、すれ違いざまに首を落とした。
六人ほど斬ったところでロナとルーシェルから警告が飛ぶ。
「アル! おっきいのが来るよ!」
「アルディス! 避けて!」
とっさにアルディスが障壁を展開しながら横に跳んだ。
先ほどまで立っていた場所を光線――と呼ぶには太すぎる――白い光が照らした。
もちろん戦場で放たれる光がただのそれであるわけがない。
馬車を丸ごと包み込めるほどの範囲をもった白い光は暗闇を照らすランタンのように地面を舐める。
同時にその場所から逃げ損ねた人間が光に包まれて瞬時に焼け焦げた。
わずかな時間ではあったが、白い光をまともに食らった傭兵や兵士は立ったまま黒焦げの物体と化して周囲に異臭を撒き散らす。
「やっかいなのがいるな」
「あれ、放っておくとまずくない?」
アルディスのつぶやきにそばへ寄ってきたロナが反応した。
「つぶして……おくか」
「だね」
「ちょっと。アルディス、ロナ?」
制止するルーシェルの言葉を無視してアルディスはロナと共に敵中へ突っ込む。
「援護頼むね、アル」
「任せろ」
おそらく魔術使いを守っているであろう一団に近付くと、アルディスはその中心に向けて火球を放つ。
それ自体は簡単に障壁で弾かれるが、もともとこちらに注意を向けられればそれでいいのだ。
相手の注意を引きつけたアルディスは落ちていた誰かの剣を拾うと魔術でそれを操作して自らに随伴させる。
「魔術使いだぞ、気をつけろ!」
敵の中から警告が飛ぶのを横目にアルディスは立ち塞がるひとりを斬り、すぐさまその場を飛び退きながら再び火球を放つ。
狙いも威力も不十分な魔術だが敵の目を引きつけるには十分だった。
相手兵士たちの視線がアルディスに集中していた隙をついて、それまで機会を窺っていたロナが一気に敵中へと飛び込んだ。
「うわぁっ! 獣だ!」
「敵の獣か!?」
人間よりもはるかに素早いロナが腰の位置よりも低いところをすり抜けていく。
囲いの中までたどり着いたロナの牙がターゲットの首を捉えた。
「術士がやられた!」
「くそっ、逃がすな!」
そんな声を聞きながらアルディスはロナを待つことなくひとりで後退する。
「ひとりでさっさと退いちゃうのはひどいと思うな」
しばらくして戻ってきたロナがそう不満を口にするが、アルディスの答えはそっけないものだ。
「逃げるだけなら援護は必要ないだろ」
「そりゃそうだけど」
そんなふたりのもとへルーシェルが駆け寄ってくる。
「ふたりとも、怪我はないよね?」
「当たり前。あれくらいボクとアルなら楽勝楽勝」
「それなら良かったけど……。もう準備にかかれって合図が出てるわよ、ほら」
ルーシェルの目線を追うとその先には旗が三つ。
白、赤、緑の三色は作戦発動準備の合図だ。
「おっと、それじゃあ少し下がっておくか」
アルディスたちは周囲の敵をあしらいながら後退しグレイスのもとへと向かう。
同じく本隊からの合図を確認したのだろう。
前線を少し下がった場所にウィステリア傭兵団の仲間たちが続々と集まってきた。
そろった仲間を軽く見渡すとグレイスが口を開く。
「だいたい集まったな。俺たちの役目は上からの強襲だ。足場を作る魔力は残してあるな? 目印の布は手首に巻いたな? 後先考えず魔力を使い切ったまぬけは今のうちに白状しろよ」
もちろんそんな馬鹿がウィステリア傭兵団にいるわけもない。
いたとしても今はすでに土の下である。
「よーし、いいか。俺たちの役目は敵の本隊強襲だ。狙うは敵の指揮官――ジェリアとかいう例の将軍だからな。周囲にいる護衛どもを標的にしてもいいが、誰に痛い目見せるのか。それを忘れるな!」
「おうよ!」
「俺たちをコケにした報いを受けさせなきゃな!」
「死んじまったヤツらの分までぶん殴って来るぜ!」
傭兵たちが勢いづく。
「そろそろだぞ。飛び込むタイミングはそう長く続かないからな。出遅れるなよ!」
グレイスの言葉通り戦場では大きな変化が生じていた。
寄せ集めの軍とは思えないほどの連携を見せ、静かに辛抱強くじわりじわりと後退しながら戦っていた五ヶ国連合国軍に対し、ローデリア王国軍は戦域全体にわたって前へ前へと引き寄せられている。
結果としてローデリアの本隊は他の部隊からやや離れてしまっていた。
わざわざ本隊が動いてくほどの距離ではないが、それでも味方が即座に転進して戻っていける距離ではない。
そこへ五ヶ国連合の別働隊が側面攻撃を仕掛ける。
だがこれ自体が陽動であることはさすがに敵も気付かないだろう。
別働隊から放たれた魔術は攻撃目的のものが半分、残りの半分は目くらまし目的のものばかりだった。
煙をあげる魔術、光を遮る魔術、地面から砂埃を巻き上げる魔術が放たれてローデリア軍本隊の視界を遮る。
「今だ! 行くぞお前ら!」
「応!」
その時を待っていたウィステリア傭兵団の面々が一気に動き出す。
弓士の手から放たれた矢の如く、自らの作り出した不可視の足場を頼りに上空へ駆け上がると、砂塵に包まれたローデリア軍の本隊へと飛び込んでいった。
狙いは敵の中枢。
可能なら指揮官である凶蝶の首を取る。
視界が晴れるまでそれほど時間が残されているわけではない。
それまでに敵へ一撃を加えて離脱しなければ、周囲を大勢の敵に囲まれて窮地に陥るだろう。
目くらましを放った別働隊もそのまま混乱に乗じて側面から敵本隊を攻撃する手はずになっているが、それが必ず成功するなどと楽観的に考えることはできなかった。
敵の本隊を混乱に陥れた時点で作戦は成功したと言ってもいい。
五ヶ国連合に雇われた傭兵としての役目は十分果たした。
あとはウィステリア傭兵団としての私的な意趣返しを敵の将軍に叩きつけるだけだ。
「ロナ、ルー、離れるなよ!」
「誰に言ってるの!」
「大丈夫、ちゃんとついていくから!」
ふたりの答えを受け取りながら、アルディスも他の仲間たちと同じように敵の本隊がいる場所へと飛び込んだ。
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