第296話
正面からだけではなく左側面からも敵の攻撃にさらされるウィステリア傭兵団だったが、そこへさらなる状況の悪化が到来した。
「右手前方から敵騎兵の突撃!」
警告の声が部隊の右手から上がる。
アルディスがそちらへ目をやれば、それまで動きを見せていなかった敵の騎兵たちが砂埃を立てながら向かって来ていた。
「ここで突撃かよ!」
「王国の騎兵は!?」
「動きなし!」
「くそったれ! 俺たちばかり働かせるんじゃねえよ!」
怒声が飛び交う中、グレイスが声を張り上げて指示を出す。
「全力で突撃を防げ! 最初の一撃を防いで足を止めさせてしまえば後はなんとでもなる!」
仲間たちが次々に強固な障壁を構築しはじめた。
同時に敵の歩兵は騎兵の突撃に巻き込まれないよう後退をしていく。
「ルー!」
「ここよ、アルディス!」
アルディスはルーシェルの姿を確認して駆け寄る。
「何枚張るの!?」
「最低三枚ずつ!」
「わかった!」
短い意思疎通をすませ、アルディスは敵騎兵の突撃を食い止めるための障壁を展開する。
グレイスの言葉通り、最初の一撃を防げればそれでいい。
どのみち敵が助走をつけて突撃できるのは一回限りだ。二度目の突撃はない。
アルディスたちを突き抜けて反転しようにも、突き抜けた先にいるのは敵の歩兵たち。もしくは味方の中央部隊のどちらかだ。
突撃してきたあとは行き場を失って足を止めるしかない。
いかに強力な騎兵といえど、混戦になってしまえばその真価は発揮できないだろう。
もちろん敵はこの突撃で勝負を決めにかかっている。
勢いを防ぎきれなければウィステリア傭兵団は壊走に追い込まれ、同時に戦いそのものの決定打となってしまう可能性が高い。
「来るぞ!」
騎兵が味方の一部を吹き飛ばしながら近付いてくる。
仲間たちもアルディスと同じように各自で突撃を防ぐための障壁を張っていた。
だが幾人かは強度が足りなかったのだろう。
槍で貫かれ、馬に跳ね飛ばされた数人が宙を舞った。
アルディスとルーシェルのもとへも二騎が向かってくる。
勢いに乗った巨大な馬体がアルディスの正面から近づき、展開した障壁に激突する。
四枚の障壁が破られたが、勢いはそこまでだった。
次の瞬間、騎兵の跨がる軍馬は自らの力によってあらぬ方向へと吹き飛んだ。
乗り手は十分に馬の勢いと体重で押し切れると判断したのだろうが、それは結果的に誤った判断となった。
アルディスたちの展開した障壁を全て破ることができず体勢を崩した以上、あとは無理をした結果がその身に襲いかかるのも道理である。
「次、来るよ!」
ルーシェルがもう一騎の動きをアルディスに告げる。
先ほど吹き飛んだ騎兵を見ていたのだろう。
今度の騎兵は馬で踏み潰すのではなく、手に持った槍でアルディスたちを突き刺すつもりのようだった。
「受け流す!」
「上に!?」
「ああ!」
短く言葉を交わすと、アルディスは槍の穂先にあわせて湾曲した障壁を構築する。
アルディスの展開した障壁へ、一点に集中させた小さくも強固な障壁が重ね合わせられる。
ルーシェルの障壁だ。
騎兵の持つ槍の穂先が障壁にぶつかる。
だが直線を描いていた槍の先端はアルディスの前で緩やかにその向きを変える。
ルーシェルによる強固な障壁が槍の勢いを受け止め、アルディスの展開した湾曲障壁がその勢いを受け流す。
弾かれたように槍が上に逸れた。
一瞬の交差をものにできず騎兵は攻撃の機を逃す。
騎兵はその勢いを保ったまま次の獲物を探そうとするが、当然アルディスがそれをやすやすと許してやる義理はない。
役目を終えた障壁を崩すと振り向きざまに遠ざかろうとする馬の後ろ足へ魔術の矢を放つ。
いくら速度に乗っているとはいえ矢の速さに馬が勝てるわけはない。
魔術の矢が後ろ足に深く突き刺さり、その痛みに暴れた馬が乗り手をふるい落とす。
「うわぁあ!」
落馬した敵は受け身を取るのに失敗して地面に打ちつけられた。
落ちたところが運悪く他の騎兵の進路上だったため、落馬した敵は馬に頭を踏み潰されて落命する。
アルディスはそれを見届けると新たな敵を警戒して周囲を見回す。
「随分やられたな」
「うん……」
見渡せばあちこちに吹き飛ばされた味方や串刺しになった仲間の姿が見える。
大部分の味方は突撃を防ぎきったようだが、それでも結構な被害であることは確かだろう。
だが同時に敵の騎兵ももはや脅威ではない。
突撃の勢いを失い、再び助走をつけようにもそのスペースはこの場に無いのだ。
彼らにできるのは自らがやって来た方向へ一度退くか、あるいはこのまま乱戦に突入するかだろう。
もちろんウィステリア傭兵団としては彼らを逃すつもりはない。
「今度はこっちの番だ! 逃がすなよ!」
グレイスの声に仲間が応える。
危機を凌ぎきったアルディスたちにとっては反撃に移る絶好のタイミングだ。
敵の騎兵がいる以上、誤射を恐れて矢や魔術が飛んでくることもない。
騎兵を助けようと思えば敵も歩兵を突入させるしかないだろう。
混戦は傭兵にとって十八番とも言える。
アルディスたちとしてはむしろ望むところであった。
勢いづく味方。
しかしまたも状況は変化を見せる。
「騎兵が突っ込んでくるぞ!」
右後方からほとんど叫び声のような警告が飛んできた。
「くそったれ、まだいたのかよっ!」
「違う! ローデリアの騎兵だ!」
敵の新手かと悪態をついた仲間の声を別の声が否定する。
だがそれは味方の騎兵が自分たちに向かって突撃してくるという想定外の言葉だった。
「なんだと!?」
「俺たちがいるんだぞ!?」
「味方がいるのにお構いなしかよ!」
困惑する味方。
「ちっ、そういうことか!」
その意図を理解したグレイスが忌々しそうに顔を歪める。
敵の突撃を押し止め、その勢いが止まったタイミングで味方騎兵を投入するのは理にかなった一手だ。
だがそれは相手も当然わかっている。
騎兵運用の基本は敵中で足を止めないこと。
止めていいのは勝利を決定するとどめの一撃を加える時だけだろう。
ランデスヘルの騎兵はその見極めに失敗した。
勝負を決めるための突撃をアルディスたちがしのぎきった以上、もはや騎兵としての攻撃力を発揮することはない。
態勢を整える間もなく逆に騎兵突撃を受ければなすすべもないはずだ。
しかし乱戦になっているこの状況ならその心配もない。
なぜなら同士討ちの危険があるからだ。
速度に乗った状態で敵味方を丁寧に判別できるかと言われれば、おそらく難しいだろう。
敵味方入り乱れる場所へ騎兵突撃をすることは、つまりその場にいる味方を巻き込む行為でもあった。
当然普通はそのような愚行を選ぶことはないだろう。
たとえ戦に勝ったとしてもその指揮官は能力に疑問を投げかけられてしまうはずだ。
だが、犠牲になるのがローデリアの兵士たちではなく金で雇っただけの傭兵ならば――。
「お前ら、足場作って空に上がれ!」
「狙い撃ちされるぞ!?」
グレイスの指示へ反射的に仲間のひとりが言い返すが、他の仲間がすぐさまそれを一蹴する。
「その方がまだましだ! このままじゃ味方に踏み潰されるだけだぞ!」
前と左は敵、後ろは状況を理解せず突入してくる味方の傭兵、右後方からはローデリアの騎兵部隊。
逃げ場があるとすれば右前方のランデスヘル騎兵がやって来た方向か、あるいは上だけだ。
アルディスたちのいる場所からではすでに右前方へ逃げるだけの時間が残されていないだろう。
となれば残された逃げ道はひとつだけだった。
「先行くぜ、アルディス」
状況を理解したサークが真っ先に不可視の足場を作って駆け上がっていく。
すぐさまいくつかの魔術攻撃を浴びるが、足場と同時に生み出したのであろう魔法障壁によってそれらを全て防ぎきっていた。
「ルー、いけるか?」
「大丈夫」
少し疲労の色が見えるルーシェルへ声をかけるとアルディスは足場を作って宙へと昇っていく。
「障壁は俺が張る」
「ごめん。助かる」
ルーシェルの消耗を少しでも防ぐためアルディスは少し大きめの障壁を張ってふたりを同時に包んだ。
見ればあちこちでアルディスたちと同じようにウィステリア傭兵団の仲間たちが足場を作って上へと退避していた。
しかし他の傭兵団の中には足場を作り出せない者もいるようで、地上に取り残されたままの者が少なくない。
敵の騎兵と剣を交えている最中のため上空に退避する余裕のない者もいるのだろう。
「アルディス、大きいのが来るから気をつけて!」
エリオンの警告に続いてランデスヘル軍から特大の火球が飛んでくる。
上空に退避したアルディスたちを叩き落とそうと殺意の満ちた攻撃が次々と放たれてきた。
幾人かの仲間がその攻撃に耐えきれず障壁を破られ、そのまま地面へと落ちていく。
そんな中、ついに右手後方からローデリアの騎兵が突入してくる。
砂埃を上げ、蹄の音を響かせながら無数の騎馬が眼下を蹂躙した。
足の止まった敵の騎兵はなすすべもなく討ち取られ、逃げ損なった味方の傭兵は勢いの乗った馬体によって弾き飛ばされる。
そのままローデリア騎兵部隊は眼下を通り過ぎていくと、前方に展開した敵を舐めるようにして右方向へ転進した。
行く手を阻む敵は既に存在せず、この瞬間、形勢が完全に逆転する。