第293話
戦いに明け暮れていようが季節の移り変わりを感じる余裕がなかろうが月日の流れは平等に訪れる。
ウィステリア傭兵団の一員としてすっかりなじんだアルディスも、少年から青年へと成長していた。
サークやエリオンと同じく若手の実力者として一目置かれるようになり、傭兵団での存在感も増している。
「なあ、アルディス」
「なんだ?」
ルーシェルと違い仲間内のコミュニケーションに積極的ではないアルディスも、さすがにこれだけ長い間同じ団に所属していれば同世代の傭兵仲間と距離も縮まるというもの。
軽い調子で呼びかけてきた仲間のひとりに対して、興味がなくとも返事をする程度の協調性は身につけていた。
「今回の雇い主、指揮官は女だってよ」
「ふうん」
とはいえ興味が薄いことを声と表情であからさまに示すアルディスへ、仲間の傭兵は非難するような視線を向けてくる。
「ふうん、って。それだけかよ」
「そりゃ珍しいとは思うけど、俺たちには関係ない話だろ。どうせ直接顔をあわせるわけじゃないし」
「そりゃそうだがよ」
今のアルディスたちは次なる戦場へ向けての移動中である。
予定されている戦場はまだまだ遠く、雇い主との合流もまだの今、傭兵たちの雰囲気はのんびりとしたものであった。
アルディスと仲間との会話に横から別の傭兵が口を挟む。
「でもそれだけじゃないらしいよ。確かに女ってだけでも珍しいけど、おまけに二十代の若さらしいし、とどめはお貴族様じゃなくて庶民の出らしいって話だよ」
暇つぶしにと思ったのだろう、近くを歩いていた他の仲間も次々に会話へ参加し始めた。
「庶民の出?」
「辺境の農村生まれらしい」
「それが二十代で一軍の指揮官かよ。何かの冗談にしか聞こえないな」
「逆に言えばそれだけ実力があるってことだろ?」
「もしくは王国の都合で作り上げられた虚像か、だな」
「おいおい、そりゃ穿ちすぎってもんだろう。ローデリアは実力主義だって評判だし、さすがに虚像ってことはないんじゃないか?」
既にアルディスそっちのけで傭兵たちは会話を続ける。
「俺もその意見には同意だな。だけどちょっと気になる噂もあるらしくってよ……」
「噂?」
「その女、結構えげつない用兵をするっていう話を小耳に挟んだことがあるんだよ」
「えげつない、ねえ……」
「そりゃお上品な戦いだけで農村出の庶民が一軍の指揮官に出世できるわけないだろうよ」
「傭兵の扱いもひどいって話だからな。なんでまたグレイスもこんな仕事を引き受けたんだか」
「そりゃこの前の戦いがひどい赤字だったからだろ。背に腹は代えられないってこった」
いくら実力の突出した傭兵団といえど戦えば被害は出るし、必ず毎回勝ち戦となるわけではない。
勝てたとしても損害と報酬が割に合わない場合もある。
もちろん負けるよりはましだが、大所帯の傭兵団を維持していくためには勝ち負けと同じくらい収支も重要なのだ。
大きな赤字が出れば、それを補填するために割の良い仕事を選ばざるを得ないこともある。
今のウィステリア傭兵団がまさにそうだった。
「今回の契約金は『勝ち戦のわりに破格だ』ってダーワットさんが言ってたぞ」
「破格……ねえ」
「その分こき使われるんじゃねえの?」
「ははっ、違えねえ」
今回の雇い主はローデリア王国という大国だ。
戦う相手はこの数年領土争いが絶えないランデスヘル新国。
国力や軍事力では明らかにローデリア王国が優勢であり、今回の戦いでも投入された兵力はローデリア王国六千人に対してランデスヘル新国は四千人ほど。
兵質にそれほど差はない。
純粋に兵力が多い分、十中八九ローデリア王国の勝ちが見えた戦いだった。
その日のうちにアルディスの所属するウィステリア傭兵団は雇い主であるローデリア王国の軍と合流する。
他の傭兵団を含めて軍を再編成した味方は、翌日の午前中に見通しの良い平原で敵軍と相対することになった。
敵であるランデスヘル新国側は中央と右翼を歩兵で固め、虎の子の騎兵を陣の左端に配置していた。
敵の騎兵へ対応するように味方であるローデリア王国側も騎馬を右へ集め、中央と左側に歩兵を配置する。
奇しくも鏡合わせのような形だ。
違いがあるとすれば新国の傭兵部隊がこちらから見て左端、敵からすれば最右翼へ配置されているのに対し、王国側の傭兵部隊は右端の騎兵と中央の歩兵に挟まれる形で配置されていることだろう。
最も大きな戦力を有するウィステリア傭兵団が前面に立ち、その後ろへ中小の傭兵団が配置されている。
「嫌な配置だな」
敵味方の配置を見てグレイスが不満そうにこぼす。
「だがまあ、仕事だからな。報酬分の働きはしなきゃならん」
先頭に立っていたグレイスが振り向くと仲間たちの視線が集中した。
ひとしきり傭兵団の面々を見回した後、グレイスが声を張り上げる。
「いいかお前ら。請け負った仕事はキッチリこなせ!」
「応!」
グレイスの言葉に続いてウィステリア傭兵団の仲間たちが声を揃えた。
「勝てる戦だからと気を抜くな!」
「応!」
「目の前の勝ちに酔って指示を聞き逃すんじゃねえぞ!」
「応!」
傭兵団は訓練された国の正規軍とは違う。
指揮命令系統もあやふやで、指揮官であるグレイスの指示が常に届くとは限らない。
だからこそ伝える言葉は少なく、ひときわ重要なことだけを直前に染み通らせる。
それがウィステリア傭兵団のたどり着いた答えだった。
一連のやり取りもアルディスにとってはもはや馴染んだものである。
いつも戦いの前に行われる儀式のようなものだ。
グレイスが抜いた剣を頭上に掲げた。
「我らの剣は勝利のために!」
「勝利のために!」
グレイスの掛け声に仲間たちが続く。
「我らの心は仲間のために!」
「仲間のために!」
一声ごとに口が揃い、傭兵たちが高揚感と一体感を覚えはじめる。
もともと強い仲間意識がさらに濃縮され、ひとりひとり個別の傭兵だったものが自然に溶けあっていく。
醸成された空気が傭兵たちをウィステリア傭兵団というひとつの集団に作り替えていった。
『まああれだ。景気づけみたいなもんさ。経験の浅いやつらには無理やりでもいいから勢いをつけてやらないと、戦場の雰囲気に飲まれてあっという間に死んじまうからな』
どこか他人事の様な感覚で、アルディスはかつてグレイスが口にした言葉を思い出す。
戦いに酔ってはならない。
勝利に酔ってはならない。
しかしその一方で、生き残るためには場に酔って恐怖を拭い去らなければならない。
そんな矛盾を誰もが感じながら、それでも不安を振り払うためにこうして自ら酔うことを選ぶのだ。
「いざゆかん、栄光を我らが旗のもとに!」
「我らが旗のもとに!」
全員が自分の得物を掲げ、声の限りに叫ぶ。
彼方の敵へ届かんばかりの大音声に包まれながら、アルディスは自らの高ぶりに身を任せる。
殺すか殺されるか。
今日もまた運命を試される戦場へとアルディスは身を投じようとしていた。
2021/07/27 誤字修正 ローでリア → ローデリア
※誤字報告ありがとうございます。