第27話
女は剣の切っ先をのど元に突きつけられたまま、アルディスへ向けて満足げに言った。
「御の字だ。我が主よ」
アルディスの眉間にシワがよる。
「何を言ってるんだ、あんたは?」
「そう訝しげな顔をするでない。紳士は乙女に対してもっと優しき眼差しを向けねばならんぞ」
上品さすら感じさせる笑みを浮かべながら、女が冗談めかして口にする。
女の方にもはや戦う気がないと判断したアルディスは、つかんでいた腕を放し、首へ突きつけていたブロードソードを下ろす。
そしてブロードソードを鞘におさめるなり、眉間を人さし指でグリグリともみほぐすと、改めて女にたずねた。
「何が御の字だって?」
「我が主の力量が、ここまでのものとは思わなんだ。待っておった甲斐があったというものよ」
「誰が主だって?」
「我が主は我が主であろうに」
「いや、だからその主というのはどこの誰?」
「異な事を言う。お主に決まっておるではないか」
「なんで俺があんたの主になるんだよ。話が全然見えないんだが」
「我々が求めるのは人の可能性。その限界。そして行き着く先に待つ未来」
女は天色の瞳をまっすぐとアルディスへ向けて、わけのわからないことを口にする。
「我が主は我の力を見事超えて見せた。それは我が従者として仕えるにふさわしき器と言えよう。ときに我が主よ」
アルディスは頭を抱えたくなった。
「主ではないが、なんだ?」
「我が主の名は?」
「…………アルディスだ」
出来るだけ関わり合いになりたくないと、しばし沈黙したアルディスだったが、もともと女をトリア侯のもとへ連れて行くのが今回の依頼内容である。
流されるままに戦うことになってしまったが、出来る事なら平和的に説得して同行してもらいたかった。
すでに一戦交えた後で今さらという気がしないでもない。
だがこれ以上関係をこじらせるのも得策と言えないし、名乗りすら拒むようではさすがに友好関係も築けないだろう。
そう思い直してしぶしぶと自分の名を口にした。
「そういうあんたは?」
「我に名はない。我が主アルディスに仕える従者であることが示せれば問題なかろう」
そんなわけがあるか、と心の中で指摘しながらもアルディスはかろうじて言葉を飲み込んだ。それでも頬がピクリと引きつってしまったのは、致し方ないことだった。
「えーと、その辺はまあ置いといて」
とりあえず、普通に会話が成り立つようになっただけでも前進である。――まともな話が出来るかどうかは甚だ不明だが。
アルディスはそう自分を納得させて、アリスブルーの髪をたたえた自称従者に話を切り出す。
「本題に入らせてもらっても良いか?」
「無論だ、我が主」
「俺はトリアの領主から依頼を受けてあんたを迎えに来たんだ。どうも領主があんたに話があるそうで、館への招待をしたいらしい。出来るだけ早くに来て欲しいということなんだが、今から領主の館へ同行してもらうことは出来るか?」
「命とあらば喜んで」
どうにも女の物言いが理解しがたいアルディスであった。
だが少なくとも素直に同行してもらえるのであれば、多少の違和感には目をつむろうと、女の言葉を聞き流す。
「突然で悪いが、出来れば今日中に戻りたい。あんたはあんたで何かここに目的があって居たのかもしれないが……」
「我が主との邂逅を果たした以上、この場でなすべき事は何もない。だが……」
「だが?」
「請おう、我が主よ。今しばらく、時間をもらえぬか? 意図したことでないとはいえ、この惨状は我のもたらしたもの。このまま放置はできぬ」
そう言った女が首を巡らせて振り返る。アリスブルーの長髪がふわりと揺れた。
アルディスが女の視線を追えば、ふたりの戦闘によりえぐり取られ、陥没した大地、そしていたるところへ吹き飛ばされた大量の砂と割れた岩が散らばっていた。
「ああ……、確かに街道沿いをこの状態にしておくのはまずいな。俺にも責任があることだし、手分けして埋めようか」
「いや、我が主の手を患わせるにはおよばぬ。我のみで十分だ」
アルディスの申し出を断った自称従者は、詠唱もせず周囲の地面をならしはじめた。
目に見えない何かで押されるかのように、不自然な動きを見せて大量の岩と砂が地面に空いた穴を塞いでいく。
やれと言われればアルディスにも同じ事は出来る。
だが、自分以外にこれを――しかも無詠唱で――実行してしまう存在に、アルディスは初めて出会った。
アルディスも規格外だが、世間一般の基準からすれば女の方もやはり規格外と言って良い。
それまでアルディスとまともに戦える人間など、この世界には居なかった。
だが、やはり世界は広い。
アルディスが出会わなかっただけで、きっと彼に匹敵する強者はまだまだいるのだろう。
今回は圧倒できたが、この女以上に手強い相手がいないとは限らない。
(あまりうぬぼれないよう、気をつけないとな)
いくら強くても死ぬときは死ぬのだ。
アルディスは自戒を込めて先ほどの戦いを思い起こす。
地力ではアルディスに軍配が上がるだろう。百戦すれば九十九戦は勝てる。
だがそれは全力でかかればの話だ。
観戦する傭兵たちの目を気にして剣魔術や無詠唱での魔法を出し惜しんでいれば、いつか不覚を取る日が来るだろう。
悪目立ちしたくないがために、出来るだけ剣魔術と無詠唱での魔力操作はおおっぴらに使っていなかったが、いつまでもそんな足枷を自分で付けていると思わぬ不覚を取る日が来るかもしれない。
「終わったぞ、我が主」
アルディスがそんな考えにふけっていると、いつの間にか作業を終えた自称従者の女が目の前で頭を垂れていた。
「我の方はいつでも出発できるが、どうするかね?」
女は姿勢を伸ばすとアルディスの目をまっすぐ見て言った。
いろいろと言いたいことはあるものの、依頼の遂行が第一と判断し、アルディスは女を連れてトリアの街へと戻ることにした。
道中、アルディスに合わせて徒歩で後を女がついてくる。
だが「なぜわざわざ歩くのだ」と言わんばかりの表情を見るに、アルディスと同じように体を浮かせて移動することも出来るのだろう。
試しにアルディスがわずかに体を浮かせて移動する『浮歩』で先行したところ、特に何かを言うでもなく当たり前のように追随してきた。
結果、ようやく日が傾きかけたかどうかという時間帯にはトリアの街へと到着する事が出来た。
アルディスはさっそく女を領主の館へと連れて行き、入口の詰め所にいる衛兵へ用件を伝えた。
「ではその女が、例の?」
詰め所から出てきた責任者らしき中年の衛兵が、一枚の紙を片手に対応した。
「ふむ。切れ長の青い目に青みがかった長い白髪……。確かに話にあった通りだな」
どうやら女の人相書きが手元にあるらしい。
あごひげをさすりながら中年の衛兵は満足そうに言った。
「いいだろう。では中に案内するので、しばらく待っていろ。お前の方はもう良いぞ、依頼の達成を確認でき次第、仲介人へ報酬を預けておこう。この札が引き換えの証となるからなくさぬように」
女はこのまま館の中へと案内されるらしい。
一方でアルディスはお役ご免だ。
若い衛兵から依頼達成者の証となる札を渡された。
「なんだ? 我が主は共に行かぬのか?」
女がアルディスに問いかける。
「俺の役目はあんたをここまで連れてくることだ。領主に用事などないし、そもそも向こうだって一介の傭兵に会おうなんて思わないだろう」
「それは我とて同じ事。我が主が用事なきところになぜ我がひとりで行かねばならぬ」
そうこうしているうちに、館の中から案内人らしき侍女が現れた。
「我は行かぬぞ。領主とやらには興味もないし、我が主が居らぬのであればこの場所にも用事はない」
「おいおい、待てよ」
きびすを返そうとした女を、アルディスはあわてて引き留める。
「我が主の下知とあらば、気は進まぬが是非もなかろう。だがそうでないのならここに留まる必要を感じぬ。それとも我が主、これは命か?」
アルディスには女の言い分が全くもって理解不能だったが、このまま女に帰られてしまっては報酬どころか依頼は失敗とみなされかねない。
かといって女が言うようにアルディスが同行するわけにもいかない。
領主がそれを望んでいるならともかく、衛兵の対応を見る限りそれは違うだろう。
歓迎されても居ないアルディスが勝手についていこうとすれば、当然だが衛兵は押しとどめるに違いない。
仕方ない、と諦めのため息をつきながらアルディスは思った。
なんのつもりか分からないが、女はアルディスを主と呼んで従う様子を見せている。
表面上だけでも命令を下すといった形をとれば、女も大人しく従うだろう。
その後どうするかは女と領主との間で決めればいい話だ。
なにより、いい加減眠くて仕方がないアルディスは考えることを半ば放棄していた。
「はあ……、そうだよ。命令だ。領主と面会してこい」
アルディスが言うなり、女は無表情のまま恭しく頭を下げた。
「承知した、我が主よ」
そのまま女は案内役の侍女について館の中へと姿を消す。
アルディスはそれを見届けると、きびすを返して街の雑踏へと消えていった。
2019/07/30 変更 引き替え → 引き換え
※ご指摘ありがとうございます。






