第286話
怒声が飛び、金属のぶつかり合う音が飛び、血飛沫が飛び、切り飛ばされた腕が宙を舞う。
殺し殺されるために駆けまわる傭兵たちによって町は戦場と化していた。
行くあてのないアルディスがウィステリア傭兵団へ正式に入団してから二ヶ月ほどの月日が流れていた。
一人前の傭兵として認められたアルディスは他の傭兵たちと同じく各地の戦場を渡り歩いている。
傭兵の仕事は戦う事だ。
国主や領主、時には大富豪や宗教集団に雇われて敵と戦うことがその役割である。
小さな戦場もあれば大きな戦場もあり、良い仕事もあればろくでもない仕事もあった。
敵に奪われた土地の奪還といった名誉ある戦いは通常正規軍が担っている。
それは傭兵にとって縁遠いものだが当然例外はあった。
兵力配置という戦略的な事情で正規軍を回せない、あるいは単純に奪還する土地の規模が小さいため正規軍を回すほどの価値がない場合などだ。
今回ウィステリア傭兵団が任されたのは後者である。
とある領主同士の戦いにおいて、敵方の領主が雇った傭兵によって攻め落とされた町が今回の作戦目標であった。
味方の領主軍は敵の主力と決戦を行うべく別の戦場へ赴いているため、手を回す余裕のなくなった領主はウィステリア傭兵団に敵傭兵団の撃退を依頼した。
町の奪還ではなくあくまでも敵の撃退であるところに、貴族らしい考え方と傭兵団に対する扱いがよく表れている。
敵傭兵団に蹂躙された以上、奪還したところで住民が元通りの暮らしを取り戻すには長い時間がかかるだろう。
奪われた町は戦略的に重要な拠点というわけではなく、わざわざ急いで取り戻す必要のない場所である。
奪還のため兵を差し向けるのは実利的な問題というよりも、領主個人の面目や名誉の問題でしかない。
正規軍を用いて奪還したところで戦う相手は傭兵。
捕らえて身代金を請求することもできない上、自領地であるため略奪もできない。
ならば貴重な軍をさしむけるよりも傭兵をぶつけて追い払う方が良いと判断したのかもしれない。
たとえ味方の傭兵が町で乱暴狼藉を働いたところで、それはあずかり知らぬところで傭兵が勝手にしたことである。
領主自身の評判にはなんの影響もないのだから。
そんな思惑を仲間の傭兵から聞かされていたアルディスは苦々しい思いを抱きながらも剣を振るう。
今の彼には戦う事でしか居場所を確保できない。
雇い主の思惑がどうあれ、目の前にいる敵は倒さねばならないのだ。
そうしなければ死ぬのは自分だった。
「ちっ、紫色が!」
ボロボロの装備に身を包んだ敵の傭兵がひとり、アルディスを見て斬りかかってきた。
その右手に収まっているのは重量感あふれる両刃の斧。
重力に逆らって斧を持ち上げる右腕の筋肉がはち切れんばかりに盛り上がる。
遅い、とアルディスは瞬時に判断しその懐へ飛び込む。
普段手合わせをしている仲間の傭兵に比べればひとつふたつ、動作にかかる無駄が多かった。
ましてグレイスやヴィクトルとは比ぶべくもない。
「なに!?」
驚く敵傭兵が慌てて防御態勢を取る。
盾を装備した左腕でアルディスの一撃を防ごうという考えなのだろう。
飛び込みながらアルディスが魔術で作りだした岩のつぶてを相手の左足の甲へと叩きつける。
金属板で補強したロングブーツといえど、拳大の岩が勢いよく打ち込まれれば無事ではすまない。
「ぐあっ!」
体重をかけていた左足の親指をつぶされ、ぐらついた敵傭兵の隙をアルディスは見逃さない。
反射的に下がった盾を避けて剣先を敵の身体へとねじり込んだ。
「このガキぃ!」
横から別の敵が剣を手にして斬りかかってくる。
アルディスは素早く剣を抜くと、上半身を反らして攻撃を避けた。
すれ違いざまに軽く刃を泳がせる。
その先端が剣を握る敵の持ち手を撫で、指が二本落ちていった。
「ゆ、指! 俺の指ぃ!」
傷口を手で押さえ無防備になった敵傭兵の喉を横に払ったアルディスの剣が切り裂く。
勢いよく噴き出した返り血がアルディスの団服を色濃く変える。
肩で息をするアルディスに休む暇などない。
すぐさま新手の敵がアルディスに向かって槍を突き刺してきた。
反射的にその穂先を下から払い上げ、振り下ろしざまに今度は片腕を切り落とす。
しかし次の瞬間、とどめの一撃を繰り出そうとしてアルディスの動きが止まった。
「子供……?」
アルディスが一刀のもとに腕を切り落とした敵はまだ幼さの残る顔立ちをしていた。
成長途中の細い身体で尻もちをつき、怯えた眼でこちらを見ている。
年の頃は十二かそこら。
団で子供扱いされるアルディスよりもさらに下だろう。
痛みによるものか、それとも恐怖によるものか。
失った片腕をもう一方の手で押さえながらボロボロと涙を流すその瞳がアルディスを睨みつけていた。
敵。
目の前にいるのは敵の傭兵だ。
相手は無抵抗な人間ではない。
武器を持ってアルディスの命を奪おうとしてきた敵である。
だから今この場で斬り捨てたとしてもアルディスを責めるような者はいないはずだった。
しかしいくら戦場とはいえ自分よりも幼く、それも武器を失い片腕を落とされた子供が相手ではアルディスも躊躇いを覚えてしまう。
理屈では割り切れても、その上で冷酷に徹することが今のアルディスにはできなかったのだ。
「……」
逡巡の後、結局アルディスは子供を見逃すことにした。
最初に目をそらし、次いで首を背け、最後に踵を返してその場を立ち去ろうとする。
その時だった。
「避けろ、アルディス!」
仲間の声が警告を発する。
何事かと驚きを覚える暇もなく、アルディスはとっさに身をよじる。
その脇を熱い何かが通りすぎた。
いや、通り過ぎたのは熱い何かではない。
一瞬アルディスの眼に映ったのは魔術により生み出され、撃ち出された氷の塊。
そして熱さと勘違いしたのは痛みによってもたらされた感覚だった。
「ぐっ」
腕をかすめた氷塊が肌を強引に切り裂く。
アルディスは負傷した左腕を庇いながら攻撃してきた敵に眼を向けた。
武器を失い、片腕を失い、涙を眼に溜めながらこちらへ手のひらを向けている子供へ。
「お前が?」
アルディスの問いかけへ返されたのは再びの魔術。
子供の手に鋭い矢じり型の氷が生み出され、今度はアルディスの首を目がけて撃ち出される。
さすがに来るとわかっていればかわすのも容易い。
今度は余裕を持ってそれを避け距離を詰める。
三度、子供の魔術が発動するよりも早く、アルディスの剣がその胸を貫いた。
嫌な感触が剣を伝わりアルディスの手にまとわりつく。
「迂闊だったなアルディス。戦場で余計な仏心を見せると身を滅ぼすぞ」
振り向いたアルディスの視界に入ってきたのは見覚えのある男の姿。
「……グレイス」
「相手だって必死なんだ。脅威にならんだろうと勝手に決めつけて、慈悲をかけようなんてのは十年早いと思え」
歩み寄ってきたグレイスが視線を子供に向け、哀れみの表情を浮かべる。
「たとえそれが年端もいかない娘でも、戦意を失ってない相手は簡単にお前の命を奪うぞ」
自分の失態に唇を噛んでいたアルディスがグレイスの口にした言葉に反応して目を見開く。
「……娘?」
「なんだ、気がついてなかったのか」
何気ない風にグレイスはそれを肯定する。
アルディスは振り返り、既に眼の光を失った子供を凝視した。
「女の子を……それもこんな子供をなんで戦場に……」
「そりゃ魔術が使えるからだろうよ。お前もその身に染みただろうが、子供でも初歩的な魔術が使えれば戦力にはなる。運が良ければマヌケやお人好しをひとり道連れにするくらいはできる、と普通の傭兵団なら考えるんだなこれが」
「……」
「まあ、気に病むな。ここは戦場で相手は武器を持った傭兵、お前はお前で自分の役割を果たしただけだ」
アルディスが唇を噛む。
「逃げてくれれば俺だって……」
身を守るため反射的に命を奪ってしまったが、そもそもアルディスはこの場を立ち去ろうとしていたのだ。
魔術で攻撃さえしてこなければこの少女も死ぬことはなかったはずだった。
アルディスに個人的な恨みがあったわけではないだろう。
わざわざ自分の命を賭けてまで戦い続けようとした意味がアルディスにはわからない。
そんなアルディスにグレイスが予想外の言葉を口にする。
「案外この娘自身、生きることに疲れていたのかもな」
「……疲れていた?」
「あのな、アルディス。お前はうちしか知らないからわからんだろうが、普通の傭兵団じゃ子供なんて使い捨ての消耗品だぞ。まともな防具もなしに肉壁として戦場に放り込まれて、生き残っても次の戦場でまた使いつぶされる。加えてこの子にとっては夜の方が地獄だろう」
「夜……?」
グレイスの言う意味がわからずアルディスが問いかける。
「このくらいの歳なら夜も十分使い物になる。それも込みで買われたんだろうしな。戦場でなんとか生き延びても、夜になれば別の地獄が待ってる。――となれば絶望して死にたくもなるだろうさ」
迂遠なグレイスの表現にようやくアルディスの理解が追いついた。
昼は使い捨ての肉壁として、そして夜になれば傭兵たちの慰み者として、生きている限り昼も夜も地獄の日々が少女を待っている。そうグレイスは言っているのだ。
アルディスの中で怒りが湧き上がる。
そして次の瞬間、その怒りを感じる資格が自分にないことを思い知らされる。
なぜならたとえ少女にとって地獄の日々が続いたとしても、生きている限りその先には未来があった。
もしかしたら地獄の日常を運良く生き抜き、彼女なりの幸せを掴む日が――その可能性があったかもしれないのだ。
だが彼女を殺してその未来を奪ったのは他ならぬアルディス自身である。
決してゼロではない可能性を、あったかもしれない未来をその手で断ち切ってしまったアルディスが彼女に代わって怒りや憤りを抱くことなど許されない。
一生抜けることのないトゲを胸の奥に突き刺された。そんな感覚をアルディスは抱く。
「ある意味お前がその地獄からこの娘を救ってやったってことだ。無理やりでもいいからそう考えておけ」
都合の良い論理でグレイスがアルディスを慰める。
しかし今のアルディスは素直にそれを受け入れる余裕がなかった。
「そんな身勝手な……」
「それくらい図太くならないと、傭兵なんて続けられん。先輩からのありがたい忠告だ。今すぐ理解する必要はないが心に留めておけ」
「……」
「それが納得できないならその分強くなれ。お前が相手を子供扱いできるくらい強くなれば殺さなくてもすむ方法だって見つけられる。相手を圧倒できない程度の強さのくせに殺さずに――なんて考えてるとお前の方がすぐに死ぬぞ」
無言のままアルディスは小さく頷いた。
グレイスは動こうとしないアルディスの腕を一瞥すると、手のひらを頭に乗せる。
「頬の出血は思ったほどじゃないな。後方に下がって治療受けてこい」
「いや、まだ戦える」
「馬鹿なことを言うな。そんなざまで前に出られたんじゃ周りが迷惑を被るだけだ。もう粗方片付いたみたいだし、傭兵団も退きはじめてる。少々人数が減ったところで今さら勝負はひっくり返らん」
グレイスの言う通り、戦いの喧騒は収まりつつある。
劣勢を悟って敵の傭兵団が撤退に移っているのだろう。
「心配しなくてもまだやることは山のようにあるんだ。いったん下がって気持ちを落ち着けたら戻ってこい。手当てを受けるのも忘れるなよ」
「……わかった」
しぶしぶと返事をし、アルディスは自ら殺めた少女のもとへ近づき剣を抜く。
少女の身体からまだ温かい血がにじみ出る。
その光景がアルディスの中に生まれた悔恨をさらに色濃くさせた。
アルディスは屈んでそのまぶたをそっと閉じてやる。
「グレイス……この子をどこかに……」
せめて安らかに眠れるよう埋葬してやりたい。
言葉にならなかったそんなアルディスの思いを読み取ったのだろう。
「ダメだ。その前にやることはいくらでもある。そんな暇はない」
グレイスは厳しい口調でそう言い捨てた後、ボソリと小さくつぶやいた。
「……全部終わったらお前が埋めてやれ」
「ああ……」
後方に下がって治療を受けたアルディスが戻ってきたときには敵の姿も既になく、戦いのあった気配だけが残り香のように辺りを漂っていた。
ウィステリア傭兵団の受けた依頼は敵傭兵団の撃退だが、だからといって荒れた町を放置して移動するわけにもいかない。
敗れた傭兵団が戻ってこないとも限らないし、他の敵部隊が再び攻めてくる可能性もある。
雇い主から新たな指示が来ていない以上、この町でウィステリア傭兵団は待機を続ける必要があり、駐留するためには当然町の機能が失われたままというのは問題だろう。
不慣れながらもアルディスたちは町の住人に手を貸して復旧作業に従事する必要があった。
「とはいえこれは……」
「ずいぶん好き勝手にやったもんだね、あいつら」
改めて町の惨状を眺めやり言葉を詰まらせるアルディスの横で、レクシィがうんざりといった表情を見せていた。
敵の傭兵団によって陥落した町の中はひどい状態である。
アルディスはレクシィや二十人ほどの仲間と共に生存者の捜索と救出にあたっていたが、見つかるのはもはや生きていない人間ばかりだ。
焼かれた家の中には放置されたままの焼死体がころがり、傭兵たちから家族を守ろうと抵抗したのだろうか、路上には殺されて見せしめに吊された男たちの骸が並んでいた。
「坊やはあっちの家見てきてよ。あたいはここの中を見てくるから」
「わかった」
レクシィの指示を受けて向かった家の中にはつい先ほどまで人のいた形跡があった。
部屋の隅には寝具として使っていたであろう毛布が固めて置いてあり、机の上には食べかけのパンやコップが倒れてこぼれたワインの跡が見える。
おそらく敵傭兵団の一部がねぐらにしていたのだろう。
仮の住人であった彼らの姿はもうない。
既に死んだか、あるいは逃げ出して戻ってこないかだ。
「奥の部屋……」
そんな中、家の奥にある部屋から人の気配がすることにアルディスは気づく。
「残党か?」
一瞬仲間を呼びに行こうかとも思ったが、もはや戦いの趨勢どころか敵は逃げ出した後だ。
潜んでいるのが腕に覚えのある人間ならとっくの昔に脱出を試みているはずだ。そう自分を納得させてアルディスは鞘から剣を抜くと、足音を抑えながらその部屋に近づいた。
そのまま扉の側にまで近づくと耳を澄ます。
声はしない。
アルディスは扉の横に立ち静かにノブを回す。
しかしどうやら鍵がかかっているらしく扉は閉じたままだった。
どこかにこの扉の鍵があるのだろうが、のんびりと探しものができるような状況でもない。
まだ慣れない魔術で鍵穴のある部分を強引に破壊すると、アルディスは扉ごと蹴破った。
「ひぃ!」
その瞬間、部屋の中から女性の悲鳴が複数聞こえてきた。
警戒しながらアルディスが中の様子を窺う。
眼に映ったのは数名の人影。
だがその姿を見るなり、アルディスは言いようのない不快感に襲われる。
そこにいたのはいずれも若い女性ばかりだ。
全員が一糸まとわぬ姿で肌をあらわにし、その身体にはまだ新しい痣がいくつも浮かんでいる。
部屋の中に充満していた淫靡な匂いがアルディスの鼻腔を刺激した。
アルディスの姿を見るなり怯え、恐怖に染まった表情のまま少しでも遠ざかろうと部屋の隅へ這って逃げる。
敵の傭兵たちがねぐらにしていた家。
その中に閉じこめられていた全裸の若い女性たち。
男の姿に怯える様子から彼女たちがどのような扱いを受けていたかを悟り、アルディスはまたも行き場のない怒りを抱く。
「俺たちは領主の依頼でやってきたウィステリア傭兵団だ。この町を占拠していた敵の傭兵団は撃退した。もうヤツらはいない」
彼女たちにかける言葉が見つからず、アルディスは事実だけを伝えてその場を立ち去る。
男のアルディスでは彼女たちを怯えさせるだけだろう。
当たり散らしたくなる気持ちを無理やり抑え込み、アルディスはレクシィを呼ぶために外へ出て行った。
2024/06/14 脱字修正 生きること → 生きることに
※脱字報告ありがとうございます。